第136話理解不能
ペチペチと頬に何かが当たる感触。
北條が意識を覚ました時、最初に感じたのはそんな感覚だった。遅れて声が聞こえてくる。
「Hey‼ 北條君。大丈夫かい。大丈夫だったら瞬きをしてくれ。でなければ君の童貞を奪っちゃうぜ☆」
何とも意味の分からない言葉が耳に飛び込んでくる。だが、身の危険を感じるのには十分なもの。何故か体に悪寒が奔ったこともあり、北條は強制的に意識を覚醒させた。
「ノオォオオ⁉」
「あ、起きた」
地面から跳ね起き、飛び上がる——と同時に北條は悲鳴を上げた。
「な、何やってんだ⁉」
「何って、血を流し過ぎて冷たくなっていた君の体を私が体で温めてあげてたんだよ。そんなに驚かなくても良いじゃないか」
プクリと頬を膨らませて鴨田が抗議する。
目を覚ましたら美女が隣で寝ている。世の中の男性が知れば罵倒どころか石が飛んできそうな出来事だ。北條だって普通ならば大袈裟に飛び退くことはなかった。
しかし、北條が突っ込みたいのはそこではなかった。
「何で、何で裸何だよッ⁉」
見下ろした自分自身の体が素っ裸だったのだ。ついでに目の前にいた鴨田も体に纏っていたのは薄い布切れ1枚のみ。健全な少年の目には刺激の強い光景が広がっている。
予想だにしたかったことに北條の頭の中はパニック状態だった。
「え~温め合うのは人肌が一番って言うじゃないか。嬉しかったでしょ?」
「だからって全部剥くか⁉ 思考回路が理解不能なんだが⁉」
「HA☆HA☆HA☆‼ それはそうとそろそろ服を着たら?」
「ッ————」
鴨田の言葉に未だに裸であったことを思い出す。鴨田が差し出して来た服を引っ手繰る様に受け取るとすぐさま着替え始めた。
「それで、聞きたいことはあるかい? 時間はないけど、君も状況を把握しなきゃ落ち着かないだろ」
北條が着替え終わるのを見計らって鴨田が尋ねてくる。いつの間に服を着たのか。既に鴨田はいつもの服装に戻っていた。
「聞きたいことは色々あるけど……まずは、あんた達は襲われてるって聞いたんだけど、無事だったのか? 他の人は? それにミ——匿名希望2号は?」
親切に質問の機会を設けてくれた鴨田の心意気に甘え、北條も記憶を掘り出して質問をぶつける。
「ふむ。開口一番に他人の心配か。君らしいな。取り敢えず1つずつ答えて行こう。残念ながら、私の所にいた者達は私ともう1人以外全員が捕まってしまった」
「捕まった? それは一体どういうことだ⁉」
「落ち着け北條君。言葉の通りだ。不思議なことに捕まえてその場で血を啜らずに1人残らず拘束されていたよ。私は初めて見る光景だったから戸惑ったんだが、吸血鬼ってそういうものなのかい?」
「いや、違う。それは……多分、中級、もしくは上級吸血鬼の命令を受けたからだと思う。それ以外に考えられない」
最も力のない吸血鬼である下級吸血鬼。本能のままに獲物に襲い掛かるはずの吸血鬼が人を捕まえるといった異常に北條は記憶を掘り返して答える。
レジスタンスの任務でも下級は中級、上級の吸血鬼の命令を受けた時は素直に従っていた。だからこそ、それ以外に考えられないと説明すると鴨田も納得の表情を浮かべた。
「なるほどねぇ。それじゃ、中級以上の吸血鬼がこの病院内にいるのは確実か。おっと、今は君のための質問コーナーだった。すまないね」
「いや、別に構わない」
質問に答えて貰うはずが北條が質問に答えていたことに鴨田は苦笑いを浮かべる。しかし、北條は気にしないと手を振った。
「もう1人いるって言ったけど……今そいつはどこに?」
「匿名希望君のことかい? 彼には頼みごとをしていてね。今は吸血鬼達の足取りを追って貰っている」
「それじゃ、匿名希望2号は?」
「……彼女ついてのことだけど、血濡れの男に連れていかれたよ。彼女も同様に捕まっているだろうね」
「……俺だけ、助けたのか」
「そうだな。君の方が助けやすかったからね。でも、勘違いしないでくれ。決して匿名希望2号君を見捨てた訳じゃない」
「そう、か。分かった。」
ミズキや他の者達が捕まったと聞いて慌てた北條だが、鴨田に見捨てる気がないのを確認して落ち着く。
だが、そんな北條の気持ちに水を差す者が現れた。
「雑魚なんざ見捨てりゃいいのに」
「——お前はッ」
開きっぱなしの扉から姿を現したのは金城だ。いつ負傷したのか。強面の額には傷があった。
金城が呆れたように呟きに北條が反応して拳を握るが、目の前に出された掌が北條を止めた。
「やぁ、お帰り。状況はどうたったんだい? まずは依頼主に成果を利かせてほしいんだけど?」
「フン、雑魚共はデケェ倉庫に連れていかれた。入口に吸血鬼共が陣取って内部は正確に把握できなかったが、部屋の場所は記憶したぜ」
「それは良かった。他に気になることはあったかい?」
「……そうだな。あの血濡れの野郎がよく出入りしてそうな部屋が途中にあったな。その部屋の周りには吸血鬼共も近づかなかった」
「血塗れの男が使ってるってよく分かったな」
「その耳は飾りか? 俺は出入りしてそうだって言ったんだ。床に大量の血の足跡があったからな。全部同じ足跡だったから予想しただけだ」
勘違いするな。と北條を金城は睨みつける。
北條も金城に対する印象が悪かったこともあり、金城の強い口調に苛立ち、視線を強くする。
両者が睨み合うのを見て、鴨田は溜息をついて手を叩いて意識を逸らす。
「Hey‼ 2人共そこまでだ。今は争っている場合じゃないんだから」
「ふん——だったら、さっさと逃げようぜ。あの大軍相手にたった3人じゃあどうすることもできねぇ。あの血塗れの怪物もだ。このまま俺達だけで退散した方が生き残れる」
「その手段もありだけど、私は逃げ切れるとは到底思えないんだよね」
金城の言葉に対し、鴨田は毅然と反論する。
「正直言ってこの病院の出口が何処にあるか分からない。異能とやらでこの場所に私達は閉じ込められている。ならば、まずはこの異能を何とかしなければいけないと外には出られない。違うかい北條君?」
「あ、あぁ、その通りだ」
異能によって病院そのものが他と断絶されていたら、どんなに出口を探した所で意味がない。吸血鬼がわざと出口を用意しているとも限らないが、そんな用意された出口を通っていく程ここにいる者達はお気楽ではない。
「だから、私達が取れる手段は2つある。助けが来るのを待つか。異能を使っている吸血鬼を倒すことだ」
「どっちも無理な話だろ」
鴨田の提案を金城は呆れたように切り捨てる。
だが、鴨田は怒るでもなく笑顔で話を進めた。
「そうか。なら、1つずつ可能性を上げて行こうか」
指を2つ立て、北條、そして金城へと交互に顔を向ける。
「まず、助けが出ている可能性についてだけど。捜索ならされていると思うんだ」
「根拠は?」
「私が鴨田明日香だからさ」
胸を張り、堂々と告げる。
鴨田という名前に誇りと自信を持っているかのように。
「これでも私、常夜街で最も有名でリッチな御令嬢だよ? そんな人物が突然いなくなったんだ。父も捜索するだろう」
確かに、と北條は考える。
カモダ重鉄工場と言えば、常夜街で最大規模の企業であり、人間側で最も力を持っていると言っても良い。そこの娘が突然いなくなれば、企業も大慌てになること間違いない。それが唯一の跡取りだとすれば猶更だ。
あらゆる情報網を使い、鴨田の行方を捜すだろう。しかし——。
「でも、助けには来られないはずだ」
地上を探した所でどうあっても鴨田を見つけられるはずもない。なんせ、常夜街にはいないのだ。
よほど特殊な異能でもない限り、特定など出来ないはず。
そう北條が口にするが、鴨田は慌てることはなかった。
「確かにね。でも、摩訶不思議な出来事は大体吸血鬼の仕業だと多くの人達が考えるはずだ。突如行方不明になった大企業の絶世の美女‼ これは摩訶不思議なことだろう?」
「絶世の美女って……」
「戯言は良い。その摩訶不思議なことが起こったのは誰でも分かる。それがどうして助けが来るなんて話になるんだ」
自画自賛する鴨田に呆れる北條に変わり、今度は金城が尋ねてくる。
戯言と切って捨てられたことに少々不満は持ちつつも、鴨田は父親が自分を探すという前提で予想を口にする。
「そうだね。吸血鬼の仕業だと分かったら、レジスタンスの情報を集めるだろうね」
「レジスタンスの? 吸血鬼側じゃなくて?」
「吸血鬼を探る何て藪をつつくようなものさ。蛇処か龍が出て来るよ。だから、比較的安全なレジスタンスを探る。彼等なら街で起こっていることを殆ど把握しているしね」
そして、と続ける。
「この病院に送り込まれた人達を見ていれば第1区以外でも被害者はいるのは確実だ。レジスタンスが動いている可能性は高い」
「この程度でか? 俺ならほっとくぞ」
「君ならそうするだろうけど、彼等は無視できないさ。断言して良い」
「そう断言する根拠は何だ? そいつを示せよ」
「そうだね。私から言うのも簡単だけど、レジスタンスに所属している人から聞いた方が信憑性も高まると思うよ?」
そう口にして鴨田は北條の方へと顔を向ける。釣られて金城も北條へと顔を向けた。
それに慌てたのは北條だ。レジスタンスであることをよりにも金城の目の前でばらしたのだから当然だった。
「ちょ——な、何言ってるんだよ⁉」
「うん? 事実だろ?」
思わず頭を抱えたくなる北條。
どこが面白いのかそんな北條を見て鴨田はケラケラと笑う。
「大した問題じゃないさ。既に匿名希望君も気にしていないようだよ」
「そういうッことじゃ、ないッ‼」
金城を見れば確かに鴨田の言った通り、北條がレジスタンスと知っても大した反応をしていない。ただ、そうなのか。と淡泊な反応のみだった。
だが、北條にとってはそうではない。
金城とは地獄壺跡地で因縁があるのだ。もし、その時に戦っていたのが北條だとバレたらどうなるか。レジスタンスまで巻き込んだ事件に発展するかもしれない。
問題が起きないように。どうかバレない様に。そう胸の内で祈る。
「それじゃ、北條君。君に聞きたいんだけど——」
北條の事など構わずに鴨田は口を開く。
思わず右拳を固める北條だが、それを振るうのグッと我慢する。
「レジスタンスは民衆の味方。その認識はあっているかい?」
「……はぁ、そうだな。その認識は間違ってないと思う。俺達は街に潜伏している訳だからな。周りには味方でいて欲しいし、何より被害に遭っている人達を放っては置けない」
「だってさ」
「レジスタンスが民衆のために動かなきゃ、裏切られる可能性があるってことか」
「その通り」
ビシッと指を指して大正解と口にする鴨田。それを見て金城は呆れた様子を見せた。
「——で? レジスタンスの動きを見てテメェのおやじはどうするんだ? 部隊でも寄越すのか?」
「その可能性もあるね。でも、吸血鬼に喧嘩は売りたくないだろうから人を介してレジスタンスに依頼でもするんじゃないのかな?」
「それ、大丈夫なのか。一応レジスタンスと敵対してるだろ」
「姿形だけ伝えて名前や戸籍やらは手を加えれば良いだけさ。何しろ金と力は十分あるからね」
一応、吸血鬼側にいる鴨田のことを気にして問いかけた北條に鴨田は軽く返す。
「外から俺達を助けられるものなのかよ?」
「それについては北條君に聞くしかないな。どうなんだい?」
「…………異能については言えないぞ」
「秘密はどの組織にもあるものだからね。理解しているさ」
「……多分だけど、出来ないんじゃないかな。対策は考えられているだろうけど、効果があるのなら行方不明者が出ている時点でやっているだろうし」
「ふん。情けねぇ」
「ッ悪かったな」
見下す態度を取る金城に苛立ち北條は表情を歪める。
そんな2人を見て肩を竦め、1つ目の案が取れなくなったことを確信し、話を進める。
「なら、もう1つの案——吸血鬼を倒すしかないね」
「……本気なんだな」
分かってはいたものの本気でそれを実行するのかと驚く北條を余所に金城は目を鋭くする。
無茶な要望が出れば突っぱねる。そんな雰囲気が漂っていた。
「俺達だけでどうやる。あの血濡れ野郎を殺すことなんざ出来んのか?」
「彼が私達を病院に閉じ込めている張本人とは限らないぞ。匿名希望君」
「あ? どういうことだ?」
「そうだね。匿名希望君。中庭のことを覚えているかい?」
「あぁ? んなもん覚えてるよ。あの血塗れ野郎を見たときだろうが。それがどうした?」
「気付かないかい? 彼は私達と同様に吸血鬼にも襲われていただろう?」
「待ってくれ。それはどういうことだ?」
新しく出て来た情報に北條は目を丸くする。
「言葉通りだよ。君達を助ける際に、私達を追っている吸血鬼が追い付いて来てね。てっきり私達だけを狙うものだと思っていたら、私達同様に血塗れの男——と言えば良いのかな? 彼にも襲い掛かったんだよ」
「……つまり、あいつは吸血鬼じゃない?」
「その可能性は高いだろうね」
下級吸血鬼が同族を襲うことはない。つまり、それが意味するのはあの男は本当に吸血鬼ではなかったということ。
北條は男が口にした言葉を思い出す。
「そう言えば、あいつ吸血鬼って言われて怒っていた。それにあの姿も自分が望んだものじゃないって言ってたな」
「ふむ、他には?」
記憶を掘り返し、男の言葉を思い出す。
「矢切——そいつに力を与えられたって言ってた」
「………そうか」
「あ? 誰だそいつは?」
矢切。それはレジスタンスから追い出され、鮮血病院で異能持ちを作るための非道な実験を行っていた者の名前。
地下の部屋でそれを知った北條と鴨田は男の正体に気付く。
2人の横で矢切という名前に覚えのない金城だけが顔を顰める。
鴨田が金城に説明する。
「私達が探索した地下で見つけた資料に名前が書いてあった人物さ。どうやらこの病院で非道な実験をしていたようでね。恐らく、その実験の被害者が彼ということだろうね」
「ふぅん。そうか」
特に興味がないのか金城はそう呟くと大きく欠伸をする。
脱線した話を鴨田は修正する。
「話を戻そうか。彼が吸血鬼に襲われた以上、吸血鬼を御しているとは思えない。なら、彼以外に吸血鬼に命令を下せる者がいるはずだ。私はそれがこの病院の主だと思っている」
「その可能性については理解する。だけどな、それが分かった所でどうなる? 厄介な敵が増えただけだ。どこにいるかも分からねぇぞ?」
金城の言葉に癪ではあるものの同意を示すように北條は首を縦に振る。
「何、安心したまえ。場所なら分かるさ」
——が、鴨田は慌てることもなく金城の顔を見ながらさらっと答えた。
「君が言ったんじゃないか。何度も彼が出入りしている形跡のある部屋があるって。何もない部屋に何度も出入りする訳ないだろ?」
「もし、違ったら?」
「だったら、また探せば良い。下したとは言っても吸血鬼。何時でも見張れるような場所に捉えているはずだ。少なくとも血塗れの男の生活行動範囲内にある部屋で捉えられているだろうね。何度も出入りしている部屋の数十メートル以内にはいるはずだよ」
そう口にして鴨田は顎を指で撫でて考えるポーズを取る。
「それでどうするってんだ? 戦うってのか?」
「中級吸血鬼と戦う何ておすすめは出来ないんだけど」
金城が心底嫌だと表情を歪め、北條は眉間に皺を寄せる。
だが、次の瞬間鴨田が口にした言葉に北條は度肝を抜かれることになった。
「戦う? まさか、倒さなければいけないけど、戦うつもり何て毛頭ないさ。何、ちょっと取引をするだけだよ」
「はぁ?」
思わず北條が疑問の声を上げる。
戦うつもりはないが、倒すつもりはある。その言葉だけでも意味が分からないのにその後に続いた言葉——吸血鬼と取引する。それに北條は呆気に取られた。そんなものレジスタンスであれば鼻で嗤われる話だ。
一体何をするつもりなのか。北條は鴨田の考えが全く理解出来ずにいた。
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