第135話情報提供

 罅の入った壁。砕かれたアスファルトの床。人影のない建物の中を石上は歩き回る。

 何らかの隠蔽がされていても必ず後は残るもの。石上の魔眼はそれを見逃さない。例え、異能であっても同じだ。


「(流石に痕跡は消されているか)」


 しかし、流石に10年以上前までの出来事の痕跡を見つけることは出来なかった。

 隅々まで捜索した結果。視界に怪しいものは見当たらず、石上は痕跡探しを諦める。だが、石上の表情に曇りはない。元々、痕跡が残っていることは期待していなかったのだ。

 瞳を閉じ、魔眼の効力を切るとその場から立ち去る。

 用事を済ませた場所に留まる理由が無かった。報告を行い、次の手を考える。そう決断して街の中へ戻って行く。


「………」


 建物から出た石上を1人の少女が待っていた。何処かの学校に通っているのか制服を着ている。

 当然ながら石上は1人で行動していた。ここまで誰かに同行を許したこともなければ、尾行されたこともないし、学生が近づくような場所でもない。


「誰だ。お前は——」


 警戒をしながら尋ねる。

 女性はニヤリと笑うと——ドロリとその姿が溶けた。

 いや、溶けたのは少女の外見のみ。中から出てきたのは誰もが見惚れる程の美貌を持つ長い黒髪の女性だった。

 美しい女性を見て大抵の男は鼻の下を伸ばす。しかし、石上が鼻の下を伸ばすことはない。むしろ、警戒を限界まで引き上げた。

 なんせ、彼女と会うのは初めてではなかったからだ。


「こんな所で何をしている吸血鬼」


 そこにいたのは地獄壺跡地周辺で石上と真希が戦った相手。飛縁魔の第1の忠臣である磯姫だった。


「黙れ人間。私も貴様などに会いたくはなかった。だが、飛縁魔様からの命令であれば仕方がない」

「へぇ、消して来いとでも命令されたか」


 体を僅かに動かし、戦闘態勢を取る石上。そんな石上を嘲笑うかのように磯姫は軽く息を吐く。


「そんな訳ないだろうというかむしろ今すぐにでもこの私が貴様を消してしまいたいぐらいだあぁ何で飛縁魔様はこんな人間のことを想っているのかこんな弱くてダサくて汚いドブネズミのコソ泥野郎があの方の心を少しでも占めていると思うと胸が張り裂けてしまいそうになるのにこんな人間のこと何て放っておいて私を見て下されば何時でもこの体を差し出す準備が出来ているそれなのに何故あぁぁっもう本当に何故あんな命令を出されたのですか飛縁魔様ぁいや違うそうじゃない飛縁魔様の命令に逆らうつもりはないのですただ私の心が未熟なあまりにこんな感情に流されてしまうのですお許しくださいでも何故本当に——」


 息も付かぬほど勢いで言葉が次々と飛び出してくる。

 呆気に取られた石上の視線に磯姫が気付き、取り繕う。


「兎も角、本当ならば八つ裂きにしたいが、それは禁じられている。私が来たのは貴様に情報を与えるためだ」

「情報だと?」

「あぁ、貴様等が探している鮮血病院に関してだ」

「…………」


 当然のように狙いを当てて来る磯姫を石上は睨み付ける。不満げな様子を感じ取った磯姫は得意げな顔で語り出した。


「何だ? もしかして隠しているつもりだったのか。それは残念だったな。あの御方は貴様等のことなどすべてお見通しだ。そもそも貴様等が使っている基地の位置もあの御方は把握してされておられるようだからな。残念だったな」


 だが、石上は慌てずに顔を顰めるだけに留める。

 隠しているはずの基地の場所がバレているというのは、鮮血病院が初めて出現した頃に予想されていたこと。今更慌てることもないのだ。


「そんな能力があるのに何で襲って来ないんだ? 俺達にやられるのが怖いのか?」

「調子に乗るな人間。貴様等が我らに勝てると本気で思っているのか? 襲わないのは貴様等で飛縁魔様が暇潰しをされているからだ」


 紅い瞳が更に紅く光り、磯姫の怒りを現す。


「そうか。それじゃあ、さっさと本題に入ってくれ。お前も俺と会話を楽しみたいとは思っていないだろう」


 殺気が体に突き刺さるものの、臆することなく毅然とした態度を取る石上。

 生意気な態度が戻ってきたことに磯姫が舌を打つ。早く殺してしまいたいと本能が訴えかけてくるが、それを飛縁魔への忠誠心で抑え込み、一呼吸置いてから口を開いた。


「飛縁魔様からの言伝だ。『いつまで時間を掛けとるんや。居場所は教えたるからはよう殺しにいかんかい。これはお前達の問題でもあるんやからな』とのことだ」

「…………」

「ふん、その様子だと心当たりはあるみたいだな」


 そう吐き捨てて磯姫は1つの束ねた紙を石上へと投げる。


「だが、少なくとも今回の一件は飛縁魔様が望まれてはいないということだ。だから、貴様等に原因の排除を命じたのだろうな——私に命じて下さればいいものを」


 最後の一言を聞き流しながら、石上は束ねられた紙を受け取る。広げる前に異能で中身を見通した石上はそれが地図だと気付いた。その地図には石上が最も欲しい鮮血病院が現在潜伏している場所の情報も記載されている。

 あっさりと手に入った情報。そして、それを持って来た吸血鬼。怪しさ満点であり、疑うなという方が無理だった。


「何故、手を貸す」

「質問を許した覚えはないぞ人間。と言っても貴様等は従わんだろうな。なんせ300年も前から無駄なことをし続けているぐらいだ」

「いいから話せ。それとも無理やり話させてやろうか」

「出来もしないことを口にはしないものだ。人間。言っただろう。この一件は飛縁魔様の望みではない。そして、貴様等の組織が関わっている。だから飛縁魔様は貴様等に原因の排除を命じた」

「可笑しな話だな。鮮血病院がこの街に害を及ぼす程のものだと言うのか。それならそれで、あいつは楽しみそうだが」

「次に生意気な口を開けば、その手足を根元から千切って取り換えてやる。確かに飛縁魔様は狂乱を楽しむ御方だが、その舞台に登場して欲しい人物がいれば目を掛ける御方でもある。貴様のようにな」

「……それは」

「言伝は伝えた。もう行く。さっさとこの一件を片付けるんだな」

「待て、せめてその人物の名前ぐらい教えろ」


 踵を返した磯姫の背中を石上は止める。面倒くさそうな表情をした磯姫は仕方がないといった様子でその人物の名を口にした。


「北條一馬。そんな名前だったはずだ」


 それだけ口にして磯姫はさっさと姿を晦ます。

 一方、石上はその名前を聞いて呆気に取られていた。


「北條一馬? 第21支部の……えりが気にかけてる奴が、あの飛縁魔に気に入られているだと——?」


 その名前は結城えりが口にした名前。

 今日耳にしたばかりの名前だ。忘れるはずが無かった。

 第21支部に所属する少年があんな災禍の化け物に一体どうやって気に入られたのか疑問は尽きない。しかし、どちらにしろ碌な苦労を背負っていない人物なのは想像することが出来た。

 止まっていた足を動かす。

 その速度は先程よりもほんの少し速かった。

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