第129話心の支え

 

 鴨田を先頭に通路を進んで行った北條達は金城達と合流する予定地点まで足を運んでいた。

 目の前にあるのはロープ式のエレベーター。故障しているのか、レバーを引いてもうんともすんとも言わないが、ロープを伝っていけば上に登ることが出来るようだった。


 後はここの下に誘導してきた金城達が登って来るのを待つだけ。人1人しか通れない狭さしかないため、登って来るのにはかなりの時間を有するだろう。しかし、金城の報告を聞いた限りでは、敵の姿は周囲にはないとのこと。

 故に——安心して全員が登れるはずだった。地震が起きたかのように大きく建物が揺れるまでは。


 全員が立っていられなくなる程の揺れ。音を立てて北條達の姿を隠し通していた壁も罅割れ、崩れ落ちていく。

 視界が晴れた瞬間に見えたのは赤黒い泥だった。

 ゾッと寒気が走る。それは北條だけではない。鴨田もミズキも下にいる金城も、その泥に対して嫌悪を抱いた。

 泥は波のように蠢き、金城達を飲み込もうとする。


「北條君‼ 下にいる者達を引き上げられるか⁉」

「ッ精々出来ても1人か2人だ‼ 全員を引き上げる何て——」


 出来ない。そう言いかけた時、後ろからミズキが響く。


「ロープよ‼ これはロープ式のエレベーター。エレベーターは動かないけど、ロープだけ切り離せば、重りで勝手に引き上げられる‼ ロープを下の連中に握らせて‼」

「ッ匿名希望君‼ エレベーターのロープに全員を掴ませろ‼」


 ミズキの言葉を聞いて弾かれたようにそれぞれが動いた。鴨田の叫びに金城が反応し、全員をエレベーターの上に投げ飛ばし、ワイヤーロープを掴ませ、かご室とワイヤーロープを切り離す。


「う、動かないぞ⁉」


 エレベーターとロープを切り離しても動かない様子に1人の男が焦った声を上げる。

 狭い隠し通路にあったエレベーターだ。元々多くの人数を運ぶことを想定してはいない。精々、1人か2人。今下にいる人数を一気に運ぶのには無理があった。


「重りを‼」


 だが、それはこのままであったらの話。

 重りの重量が足りないのならば、加えてやれば良いだけのだ。

 ミズキと共に北條が動き出す。天井を蹴り、勢いを付けてワイヤーロープにぶら下がっている重りを上から踏み付ける。

 戦闘衣バトルスーツによって強化された脚力が重りに加わり、ピクリともしなかった状況が動き出す。

 ワイヤーロープを掴んでいた者達は一気に上に、代わりに重りを踏み付けた北條とミズキが下へと移動する。


「よく思いついたなこんなこと」

「力になるって言ったでしょ?」

「全員速く奥の通路へ‼」


 すかさず鴨田が全員を奥へと誘導する。狭い通路に一気に群がり、通れなくなるがそれを後ろから金城が蹴り飛ばし、少しでも早くこの場から逃げ出すための脱出路を確保する。

 一旦下に降りた北條とミズキも赤黒い泥が迫ってくると慌てて跳躍して回避する。壁を蹴り、ワイヤーロープを掴み、上へと昇る。

 それを捕らえようとしているのか。腕を伸ばすかのように赤黒い泥は北條を捕まえようとするが、ミズキが落ちて来た瓦礫を蹴り飛ばしてそれを阻み、間一髪難を逃れる。


「危なかった‼ 何なのあの泥? もしかして、吸血鬼が消えたのってアレが関係してたりするの?」

「分からないよ。ただ、嫌な予感がする」


 手を掴まれ、引き上げられた北條はミズキと共に蠢く赤黒い泥を見下ろす。

 ウネウネと動き、こちらの様子を窺っているようにも見えるそれは1つの生命。泥と言うよりも加賀が呼んでいる漫画にあったスライムという怪物と言った方がシックリ来た。


「——ッ」

「ね、ねぇ。今の見た?」


 ザワザワッと鳥肌が立つように蠢いた赤黒いスライム。それを見た瞬間、北條は思いもよらないものが目に入り、言葉を失った。その隣では同じものを見たミズキも表情を青くした。


「あぁ、


 悲痛な顔。嘆き、悲しむ顔。苦しむ顔。ありとあらゆる苦痛を受けたような表情をした人間の顔が大量にスライムの表面に浮かび上がったのだ。

 あの中に囚われた人間なのか。それともその怨念染みたものがスライムのようになったのか北條には分からない。

 しかし、加賀が読んでいた漫画にあった女騎士の鎧を溶かしたり、捕まえて○○〇なことをするようなスライムではないことは確かに理解出来た。


「北條君‼ 匿名希望2号君‼ こっちだ‼」


 後ろから鴨田の声が聞こえ、2人は急いでそれに従った。

 赤黒いスライムはこちらを狙っている。そう直感で誰もが理解出来た。そして、触れれば碌なことにならないだろうことも。

 戦えない者達を抱えて、まして武器も持たずにあんなものと戦うなど誰もが御免だった。

 鴨田の誘導に従い、急いで隠し通路の奥へと入り、先にいた者達と合流する。

 これで、あの赤黒いスライムは追って来ない。そう誰もが思ったが、それは甘かった。

 再びの揺れ。

 壁に罅が入り、ガラガラと崩れる音が響く。そして——


「おいおい。マジかよ」


 そう呟いたのは誰かはハッキリと北條は分からなかったが、その言葉には同意出来た。人が3人並べるかどうかの狭さの通路。先程までいた通路に下にいた赤黒いスライムが侵入して来ていた。


「全員奥へ‼ 着いて来い‼ 匿名希望君。君は中央へ。北條君、匿名希望2号君。君達は殿だ‼」


 迫って来るスライムから逃げるため鴨田が素早く指示を出す。我先にと逃げ出す者もいたが、まだ冷静に判断出来る金城、北條、ミズキがそれをサポートする。


「くそッ。何やれば良いんだ。そこら辺の鉄屑でも投げつけるか⁉」

「止めといた方が良い。無駄に体力使うだけだしね」


 全員が通路に入った後、北條とミズキもそれに続く。

 追い掛けて来るスライムに圧倒的速度はないが、全力で走らなければ戦闘衣を着ていないものはあっという間に飲み込まれるに違いない。加えて進む度に周りの壁や天井に罅を入れている。いつ、この通路全体が崩れても可笑しくはなかった。


「ま、前からも来たぞ⁉」

「ッ。右の通路に入れ‼」


 後ろからだけでなく前からもスライムはやって来る。

 悲鳴が響き、次に鴨田の指示が飛ぶ。足を止めた者達の背中を、尻を蹴り飛ばして直ぐに行動に移させる。


「これ、一体何処に向かって来るのかなッ」


 何処を進んでいるのか。スライムに追い掛け回されながら、時に道を塞がれながら——右に、左に進んで行く一行に不安を覚えたミズキが後方を気にしながら口を開く。


「それは鴨田しか分からないだろうな。地図を持っているのはあの人しかいない‼」

「正解だったら良いんだけどねッ」


 確かにその通りだ。と北條は思う。

 今どの部分を進んでいるのか。状況が良いのかも悪いのかも北條には分からない。当初はこの隠し通路にはスライムは入ってこないと考えていた。だが、それは既に覆されており、前方からも来ることがある。

 先行きの見えない不安が北條を襲う。


「危ねぇッ⁉」


 思考に陥った北條の隙を突くように後ろから追って来るスライムが新たな行動を起こす。表面から幾つもの触手を飛ばし、北條を絡め取ろうとする。

 首を振って躱すと代わりに触手は後ろにあった電子盤を絡め取り、本体へと引きずり込む。

 その光景を見てミズキは表情を歪めた。


「何アレ⁉ カメレオンじゃあるまいしあんなの無しでしょ⁉」

「現実逃避しても始まらない。ミズキ、俺の前にいろよッ。何か、瓦礫でも何でも良い。防げるものを‼」

「もうッ。殿なんて任命しやがってあのクソアマ‼ 金分捕るってやる‼」


 次々と触手を伸ばしてくるスライムに対し、北條達はそこら中にあるもので対応する。ケーブルや配管。落ちてあるゴミ。罅割れ、落ちて来た瓦礫。

 唯一の救いはどんなに小さなものでも捉えたら一度触手は本体の方へ戻ることだろう。そのおかげもあって触手を防ぐことはそれほど難しいことではなかった。


「部屋があるぞ‼」


 視線を前に向ければ、至って普通の扉が1つ。左右に別れた道の真ん中に存在していた。全員の表情が明るくなる。人間が全速力で走るのは数分が限界だ。戦闘衣を着ている北條やミズキ、肉体改造を施している鴨田は兎も角、普通の体しか持たない一般人達は閉じ籠って休みたいのだろう。

 だが、それを許す訳にはいかない。何故なら、あの扉は閉じられているからだ。


「右だ‼」


 鴨田の指示に幾人の表情が曇る。全員、体力の限界に近い者達だ。彼等にとって鴨田の指示は地獄はまだ続くという宣告に近かった。

 表情は見えずとも、ペースが落ちていることに気付けた北條は焦りを感じる。


「(後ろからは相変わらずにスライムが追って来てる。このままじゃ本当に捕まっちまう)」


 打開策を授けてくれる存在は今はいない。ミズキを目の前の人達を助けるために、自分が考えなければならない。行動しなければならない。

 必死に頭を回し、状況を打ち破る方法を考える。

 それでも時間はあまりない。手札もない。残っているのは自分の体1つぐらいだ。自爆覚悟で突っ込むしかないのか。

 物騒なことを考え始めた北條だが、脇腹を思いっきり抓られ、顔を顰める。


「また1人でやろうとしてる」


 抓ったのは横を走っていたミズキ。

 不満げな表情で北條を見上げていた。


「打開策はない?」

「ッあぁ、思いつかない」

「ルスヴンって奴はこんな時どうしてた?」

「いつも的確な助言をくれたよ。命を懸ける時はあったけど」


 それが今関係あることなのか。訝し気な視線を北條はミズキへと送る。その視線を受けたミズキは冷や汗を垂らしながら北條へと提案した。


「アタシに1つだけ案があるけど。乗ってくれる? 命の保証は出来ないよ?」


 目を見開き、驚く。

 しかし、ミズキは金城達を救う時に最も早くアイデアを出していた。あの時と同じように型破りな方法があるのかもしれない。と北條は考える。

 このまま走っていてもいずれ体力が尽きてしまえば、後ろから迫るスライムに全員が呑まれてしまう。それに触手まで飛ばしてくるのだ。それを避けながら逃げるのは更に体力を消費してしまう。

 何処かで、確実に後ろのスライムから距離を取る方法を取らなければならなかった。

 迷いを見せた後、北條は決心して口を開く。


「教えてくれ」


 その言葉を聞いて、ミズキは口を真っ直ぐに結ぶ。それは覚悟を決めているようにも見えた。


「やることは簡単。一緒にやってくれる?」

「危険なら、俺がやるぞ」

「別に良いよ。失敗したら全員が死んじゃうかもしれないからね」

「それは——決心する前に聞いておきたかったなぁッ」

「ハハッ。それじゃあ行くよ‼ さっきも言った通り、やることは簡単‼」


 目の前を走っていた者達が右の通路へと入って行ったのを確認してから、ミズキは走り出す。北條の手を取り、一気に加速。北條もそれに合わせた。

 そして、ドアノブに手をかける。

 何をするのか。その時点で北條には理解出来た。


「正気か⁉」

「勿論。ギリギリで開くよ‼」


 この鮮血病院にある閉じられた扉。それは開けてはならない箱パンドラだ。ロッカーの扉ですら開けば地下に繋がっていたのだ。地下にあった扉を1つ開ければ大量の吸血鬼が飛び出して来たと金城も口にしていた。

 そんな扉を開くのかと正気を疑う視線をミズキへと向けるが、ミズキの決心は硬かった。

 震えながらも、ドアノブを握り、スライムへと視線を向けるミズキ。恐怖に負けないためか。もう片方の手で北條の戦闘衣を握っている。

 歯をグッと食いしばる。

 今更止めることは出来ず、北條も覚悟を決める。そして——スライムが最も近づくタイミングで同時に扉を開いた。


 扉を開いて出てきたのは、新たな通路でも、吸血鬼でもなかった。飛び出して来たのは大量の水。

 目一杯に溜められた水が開け放たれた扉から勢いよく飛び出した。

 数十秒——大量の水が流れ出ていき、ようやく水が流れ出て来なくなった頃には、既に赤黒いスライムは遥か向こうへと押し流していた。

 勢いよく飛び出て来た大量の水にドアごと壁に押し潰されそうになった北條とミズキもそれを視野に入れ、賭けに勝ったことに頬を緩ませる。


「上手く行ったッ」

「よし。それじゃ、早く俺達も前の奴等と合流を——」

「あ、ちょっと待って」


 これで後ろとの距離は開いた。その間に距離を稼ぐ。そう考えていた北條だったが、ミズキが部屋の中を覗き込んでから待ったをかける。

 部屋の中へと入っていくミズキを見て、北條も慌てて部屋の中を覗き込んだ。


「何やってるんだ⁉」

「何かの役に立つかもしれないでしょ? ほら、見て。色んな薬品がある」

「早くしてくれ‼ 置いていかれるぞ。それに、あのスライムもいつ来るか分からないんだぞ?」

「分かってる。2分、いえ3分待って‼」


 部屋の中は薬品が置いてある倉庫のようだった。

 ミズキは部屋にあった花柄の可愛らしいバッグを見つけるとその中に目に付く薬品を片っ端から詰め込んで行く。

 ハラハラと後ろの様子を確認しながら、ミズキが作業を終えるのを待っているとキッチリ3分でミズキは部屋から飛び出してくる。


「待たせた」

「掴まってくれ。飛ばすぞ‼」


 ミズキと一緒に走るよりも抱えて走った方が速いと判断した北條がミズキを抱えて走り出す。

 強く地面を蹴り、加速する。既に前を走っていた者達は小さくなっている。それでも、戦闘衣によって強化された脚力は普通に走る者達よりも強力だ。

 直ぐに狭い通路で追いつく。だが、広けた場所へと入った瞬間に全員の足が一斉に止まった。

 何故、ここで止まるのか。何故鴨田は指示を出さないのか。文句を言い掛けて——止める。全員の足が止まった理由。その答えは目の前にあった。

 そこら中を埋め尽くす赤黒いスライムの群れ。それが待ち構える様に一行を待っていたのだ。

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