第57話怪物

 

 誰もがその爆発音と光には目を見開いた。

 家の中にいた者も、道路を歩いていた者も、仕事を熟していた者も。手を、足を止めて音の発生源に目を向ける。


「なんだ。さっきのは……」


 全員が同じことを思っただろう。

 常夜街は暗い。市街地に行けば灯りがあり、ある程度視界を保てるが、人の寄り付かない場所に当然ながら明かりはない。

 地獄壺の周囲も同じだ。突然の光には誰もが目を細め、何があったのかを確認する暇はなかっただろう。

 光は収まった今、遠目から見ればボンヤリとした輪郭しか見えない。

 誰もが目を凝らすが、見えない。一部の者は気のせいだろうとつばを返し、勘の良い者はそそくさとその場を離れていく。

 もし、明かりがあれば誰もが目を見開いただろ。

 なんせ、今の地獄壺の壁には捩じり取ったような大きな穴があったのだから。





 粘土を捩じり切るように穴が開いた地獄壺の壁。

 穴の外には巨大なミサイルの残骸が散らばっていた。常夜街に響いた爆発音と光。それは地獄壺の壁にミサイルが叩き付けられたものだ。

 瞬間衝撃吸収壁が使用されている地獄壺にミサイルでは穴を開けることはできない。地獄壺に穴を開けるには、レジスタンス達が数時間かけてドリルで地下から侵入したように一枚一枚瞬間衝撃吸収壁を剝がしていくしかない。

 それはレジスタンスも百も承知だ。そもそもミサイルは地獄壺の壁を壊すためのものではない。とある1人の人物を送り届けるためだ。

 地獄壺にヘリで近づけば問答無用で叩き落される。地下から侵入しても1層から上まで登らなければならない。

 それでは時間も掛かるし、体力も無駄にする。

 上級吸血鬼がいることは分かっているのだ。万全を喫しても勝利が難しい相手に披露した状態で挑めば敗北は必須。無論、戦わないことが望ましいが、最悪なことも考えておくべきだ。

 ヘリ以上の速度が必要だった。万全な状態で上級吸血鬼との戦闘に望まねばならなかった。

 だからこそ、この作戦が決行された。

 地下から潜入する部隊は全て囮。下級、中級。そして、あわよくば上級吸血鬼の気を引き、上層から引きずり出す。

 そして、遠距離から高速で一気に突入した部隊が対象を救出。


 本来ならそうなるはずだった。

 そう上手くは行かないだろうと思ってはいたものの、面倒な相手をするのは嫌なのは確か。地獄壺の壁を捩じ切った人物は視界に入った上級吸血鬼を見て顔を顰めながらも5層に降り立つ。

 突入してきたのは1つの部隊。たった1人の軍隊。

 目の前には地獄壺を管理する上級吸血鬼。その後ろには牢屋に囚われる石上がいた。


「無作法ナ」

「敵に作法がいるかしら?」


 最強たる上級吸血鬼を前にして臆することなく挑発する。

 身に着けるのは戦闘衣ではなく黒の軍服。身に着けている装備に目立ったものはない。AAA突撃銃や結城が身に着けている対吸血鬼用投擲武器などを身に付けてはいない。

 身一つで彼女はペナンガランの前に姿を現した。

 彼女は下層へ続く階段を見つけると片手で床を引き剥がし、それを階段に向かって投げつける。

 枕でも投げるかのような気軽さがあった。

 下へと続く階段を床で塞ぎ、ペナンガランと向き合う。ペナンガランは何もしなかった。出来なかった訳ではない。目の前に敵がいる。ならば自分が叩き潰した方が速い。そう考えての事だった。

 ペナンガランが歩を進めると同時に女性も歩を進める。互いの距離が縮まる。

 ——戦闘の合図はなかった。


 ペナンガランが手にしていたのは巨大な鉄槌。

 ペナンガランの風貌も相まって鬼が金棒を持っているようにも見えた。

 それを歩いている最中に、鞄でも振るうかのように振るった。敵意も殺意もなかった。目の前に来た人間を潰す。それを作業のように熟した。


 粉塵が舞う。

 床に罅が走る。


「…………」

「————」


 だが、血は流れなかった。

 ベキベキッと音が鳴り響く。音の発生源はペナンガランが振るった鉄槌からだ。

 ほっそりとした指が鉄槌に食い込む。有り得ない光景だ。

 巨漢であるペナンガランの一撃を片手で受け止めている。有り得ない光景だ。

 だが、彼女はそれが出来る人間だった。


「その玩具を捨てたらどうだ?」


 左手で鉄槌を受け止め、右手で拳を握る。

 彼女の名前は朝霧友梨。保有する異能は——超怪力。

 がら空きの胴体に向けて、朝霧は固く握った拳を叩き込む。怪物同士の戦いが始まった。





 産まれた頃、自分はちっぽけな存在だった。

 見つかれば簡単に処理されてしまう。仲間はそうやって殺された。掴みかかってきて気持ちの悪い笑みを浮かべる者もいた。

 体が切れることもあった。他の者より生命力は強いので時間が経つと元通りになるが、それでも簡単に引きちぎられたのは事実だ。

 生命力が強いから、元に戻るからと言っても痛いものは痛い。怖いものは怖いのだ。

 だからなるべく人目に付かないように過ごしていた。

 屋根裏で。床下で。家具の隙間で。

 それが変わったのはいつだっただろうか。いや、変わっていない。状況は変わったが、怖いことには変わりない。


 捕まり、透明な箱に閉じ込められ、妙な薬を打たれる日々。


 あぁ、嫌だ嫌だ。

 自分が何をしたというのだ。いつものように隠れて過ごしていただけだ。何も傷つけてはいはしない。無駄に殺してはいない。

 生きるために、日々の糧として殺した生物はいたが、アイツ等とは全く別の生き物だ。アイツ等を害したこともないし、糧にした生物も食事以外で殺したことはない。

 なのに————。


 目が覚める。

 懐かしい夢を見た。

 色んな事があった。自分が捕らえられていた場所は研究所という場所だった。そこでは色んなものと戦った。

 戦いを重ねるたびに傷は増え、疲弊した。しかし、アイツ等はそれを許さなかった。逃亡も隠れることも許さずに執拗に戦いの場に追いやった。


 懐かしい記憶だ。苦い記憶だ。辛い記憶だ。

 あの頃とは似ても似つかない形相になった自身の体を見下ろす。そして、ゆっくりとそのを持ち上げた。


 視線の先には閉じられた天上。

 ここに来ても自分は厄介者。こうして自由な時もなく、狭い場所に閉じ込められている。この天井が開くのは餌が落ちてくる時だけだ。

 食事は様々だ。

 死体だったり、まだ生きていたり、赤い目をした言葉も通じない奴等。言葉が通じないというのであれば他の奴も同じだが、赤い目の奴等は言葉が通じない上に強いので怖い。最後には勝利して食べるが、怖いのだ。

 一度、こんな場所から抜け出そうと天井をこの巨体で体当たりして破壊しようとしたが、出来なかった。もっと怖いものが来て自分を抑えつけたのだ。

 あれからどれだけ時間が経ったかは分からない。

 あの時よりも強くなったとは思うが、当然ながらもうそんな気は起きなかった。

 ここは狭い。そして、生き辛い。けれども死ぬことはない。

 ここに押し込められることに不満はあるが、ジッとしていれば怖い奴らは来ないし、痛い目にも合わない。

 定期的に来る餌を食べて行けば飢えることもない。

 最近では、もう餌に手こずることもなくなった。

 もっと寄越せと言いたくなるけど我慢だ。怖い奴等に叩きのめされるのはもう二度とごめんだから。


 そんな時、ゆっくりと天井が左右に開く。

 急いで天井から頭を離す。あまり距離が近いと破壊を企んでいると思われかねない。過去にそういったことがあったのだ。

 その時は大きな——自分よりはかなり小さいけど、他の奴と比べて大きな奴が来て、手に持った棒で思いっきり叩かれたことがある。

 痛かった。あんなのはもうごめんだ。

 だから、頭を離して待機する。


 ————が、何時まで経っても餌は落ちてこない。

 首を傾げる。

 こんなことは初めてだ。まさか今日は餌抜きなのか。

 いやいやいや。それは嫌だ。こんな所にいるのにお腹を空かせたままだなんてあんまりだ。

 ただでさえ、落ちてくる餌は少ないのだ。それなのに天井は開けた癖に餌をくれない何て酷すぎる。

 けれど、ここから出れば怖い者が来る。それを覚えていたので暫く待つ。

 少し遅れているだけだ。そう思って。

 しかし、来ない。


 一体、どういうことなのか。

 出ても良いのか。もう自由なのか。

 色々と考えこむが、動けない。怖い者が外にいると思うと動けない。

 アイツ等は思い通りに動かないと直ぐに痛いことをするのだ。言うことを聞けと言わんばかりに。それに数も多い。あちこち噛まれると痛くて仕方がない。

 ——とそこまで考えて思いつく。

 もしかしたら、これはさっさと出てこいということなのではと。


 入口を開けて目的の場所まで移動させる。その先にあるものが何なのかは分からないが、時々同じようなことがあった。

 ならば、先に進まなければいけないのでは?そんな考えが浮かんでくる。

 いや、もう少し待とう。

 そう思って焦る気持ちを抑える。

 せめて後少し。それで何もなければ自分で動こう。

 怪物が動き出す時が、ほんの少し伸びた。

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