第56話観戦する女帝

 

 ゆらゆらとゆっくり。揺り籠のようなものに乗せられているかのような感覚。

 覚醒しきれていない意識の中で結城が感じたのはそのようなものだった。


「——んっ」


 意識がゆっくりと浮上する。

 視界に入ったのは黒い髪に首筋。どうやら背負われているらしい。と自分の状況を把握する。


「起きたか?」


 耳に届いたのはここにいるはずのない少年の声。

 自分は援護なんか頼んでいない。助け何か頼んでいない。なのに何故この男がいるのか。いや、想像はできる。顔も合わせたこともない死んだ人間でも、レジスタンスだからという理由で家族に形見を持って帰ろうとしたような奴だ。

 どうせ心配だからと援護に来たのだろう。


 ——弱い癖に


 そう言葉が口から出かける。

 弱いのは自分自身であるというのに。

 今、自分は誰の背中に乗っている?——北條だ。北條一馬の背中に乗っている。つまり、彼はあの吸血鬼から自分を助け出したのだろう。

 急いでいないことからあの吸血鬼は追ってきていない。すぐ傍にいないのだろう。もしくは倒しているのかもしれない。

 有り得ない。と考えるのが普通だ。

 だが、精神的に追い詰められ、自分を過小評価するようになってしまった自分とそんな自分を助け出した北條を見て理由もなくもしかしたら、と考えてしまう。


 北條は異能を持ってはいない。普通の人間だ。対吸血鬼装備で身を固めているとは言え、それだけで中級の吸血鬼を打倒することはできない。

 いつもならそんなことを思い浮かべることはない。だが、今の精神状態が結城の口を動かした。

 事実を確認するように。間違っていて欲しいという気持ちがあったのかもしれない。やっぱり杞憂だったと考えたかったのかもしれない。もしくは、自分はやはり身の丈が合わないことをしたと反省したかったのかもしれない。どうすれば良いのかを聞きたかったのかもしれない。

 ぐちゃぐちゃになった思考。でも聞きたいことは1つだった。


「北條……アイツは、どうした?」

「アイツ……あの吸血鬼のことか?」

「そう、そいつ」


 結城の問いかけに北條は言い淀んだ。

 実際に倒したのはルスヴンだ。策を考えたのもルスヴンだ…………アレを策と言って良いのか分からないが。

 まぁ、体を張ったのは自分だから協力したとも言っていい立ち位置なのだろう。尤も、そんなことを馬鹿正直に結城に答える訳にはいかない。

 体感にして10秒程度。ようやく北條は問いかけに対して答える。


「アイツは……何処かに行ったよ」

「何処かって?」

「分からない。俺が結城を助けようとしたら、何かを思い出したみたいに消えたんだ」

「…………そう」


 結城が短く答える。

 何か思うことがあるような頷き。分からないと答えた以上、深堀されても全て分からないと答えることができるが、ボロが出る可能性もある。

 あまり話がでないようにと思いながら北條は加賀から送られてくる位置情報へと歩を進めた。

 結城も特にそれ以上は何も問いかけはしなかった。

 思い出すのは偽りの記憶。

 まるで映画でも見ていたような気分だった。見せられている時は気付かなかったが、今ではアレが偽りだったと認識できている。

 トラウマは一度克服した。石上恭也と共に生活することで乗り越えることが出来た。今更泣きじゃくって震えることはしない。

 けれど——無性に人肌が恋しくなった。誰かに傍に立って欲しくなった。そんなことを考える自分に気が付き、結城は苦笑した。





 使い魔を通して飛縁魔はその光景を見ていた。

 楽しそうに。新しい玩具が見つかったように。常人が見れば凍り付きそうな笑顔を浮かべながら。


「何か、良いことでもありましたか?」

「あら、磯姫いそひめ。帰っとったん?」

「はい。少し前に——」


 飛縁魔の後ろにいたのは腰まで伸びた黒い髪が特徴の吸血鬼だった。

 すらりとした長身。腰まで伸びた美しい髪。服の上からでも分かるクッキリとした凹凸のある体。男でも女でも魅了できそうな容姿は正に大和撫子。その容姿には飛縁魔ですらうっとりと見入ってしまう。


「相変わらず、綺麗やなぁ」

「そのようなことは。飛縁魔様の方こそ太陽の具現。その美しさだけで世を照らせる程の眩さがあります」

「フフッ——」


 面白そうに飛縁魔が口元を緩める。

 他の者が口にしても飛縁魔は機嫌をよくしない。取り入ろうとする者、恐怖から頭を下げる者の言葉など面白くもない。

 だが、彼女は心の底からそう思っている。自分よりも飛縁魔の方が美しいと本気で信じている。

 その愚直さが面白くて噴き出してしまった。


「飛縁魔様?」

「フフッ。何でもないよぉ。何でもない」

「左様ですか」


 何か可笑しなことを言っただろうか。と思い出し、何一つとして思い至らない磯姫。そんな様子を見て飛縁魔は増々笑いを堪えられなくなる。

 磯姫は笑う飛縁魔を見て戸惑うが、それが悪い感情から来るものではないと分かると胸を撫で下ろす。


「それで、外はどうやった?」


 暫く笑った後、飛縁魔が問いかける。

 外、とは街を覆う暗い帳から外のことだ。外には常夜街のように太陽の光を断絶する幕を張り、檻とかした街が幾つかある。

 かつて日本と呼ばれていたこの土地にはこの常夜街しかないが、他の土地は3つ以上ある所もある。

 磯姫が赴いていたのはかつてアメリカと呼ばれていた国にある常夜街だ。


「はっ——特に気になるものはありませんでした。外交の方に力を注いでいたので」

「そうやったねぇ。それにしてもそこは誰の担当やったっけ?」

「ウボウル殿です。飛縁魔様」

「あぁ、ウボウル……あの突進馬鹿かぁ」


 嫌なものを思い出したと苦い顔をする飛縁魔。

 外交が上手く報告を受けるが、嫌な思い出が出て来たため、素直に喜ぶことができなかった。それを察した磯姫は無理やり話を切り替えた。


「そ、そう言えば!! 今はゲームをしておられるとか?」

「あぁっ、そうやった。何か面白い人間を見つけたんよ」


 思い出したように飛縁魔が映し出されている映像に指を指す。

 磯姫が視線を移すとそこには子供の姿があった。少年が少女を背負っている。

 面白い人間というのがどちらなのか分からない。話によると今回のゲームはレジスタンスの替えの効かない手駒を餌に地獄壺でRPGゲームをすると言った内容だったはず。と記憶を掘り返す。

 戦いがあり、面白い結果を出したから興味を持っているのだ。と予想する。

 飛縁魔に興味を持たれることに嫉妬を覚えるものの、飛縁魔が反応を待っていると分かると笑顔を浮かべる。


「そうですか。飛縁魔様のお眼鏡に掛かれて、この者達も大変栄誉でしょう。手元に保存致しますか?」

「ん~……確かにそれも魅力的なんやけどな。今は止めとくわ」

「分かりました。では、ペナンガランに殺さないように指示しましょうか?」

「いや、それもやらんでいいで。むしろ本気でやってって発破かけといてぇな」


 そう言って視線は少年の方へと向けられる。


「……(なるほど。飛縁魔様の目に止まったのはあの少年か)」


 飛縁魔が人間に興味があるのは知っている。

 その興味は玩具に対するもので決して種族を超えた友愛やら恋やらなどではない。色々と勘違いする吸血鬼も多いが、そこは確かなのだ。

 だが、少しばかり可笑しいと磯姫は目元に皺を作る。

 お気に入りや興味が湧いたら直ぐに手元に持ってこさせるのに、今回は見ておくだけに徹している。

 ゲームの途中だから。と言われてしまえばそれだけなのだが、どうにもそれだけではない気がする。


「(まさか——いや、でも)」


 色々と変なことに磯姫が思考を割いている間にも、飛縁魔の視線は少女を運ぶ少年——北條へと注がれていた。

 ラクシャサとの戦い。飛縁魔はそれを最後まで見ていたのである。

 これまでの下級吸血鬼との戦いとは違い、肉弾戦をラクシャサに仕掛ける蛮勇。

 それを見た瞬間は爆笑したものだ。だが、その後。無様にやられると思っていた少年は生き、死なないと思っていたはずのラクシャサは死んだ。——しかも、吸血されて。

 気配は人間だ。対して強そうにも見えない。

 そして、混じっている臭いもしないと使い魔が判断している。


「(やっぱり人間好きやわぁ。色々と楽しませてくれる。この遊びやったかいがあったわ)」


 吸血鬼の中でもこの考えは異端だろう。

 なんせ混り者の存在すら許容しているのだ。他の吸血鬼に聞かれれば訝し気な目で見られるか、侮辱と捉えられて牙を剥けられるだろう。尤も、その状況も楽しそうではあるが。


「(もっともっと、楽しませてな?)」


 ワクワクとこれから起こる悲劇と喜劇。予想外の出来事を期待して。

 童女のように飛縁魔は映像を見続けた。


 飛縁魔が視線を向ける映像の横。そこは先程までは地獄壺の外でこそこそと動くレジスタンスが映っていたのだが、今は何の面白みのない景色しか映っていない。

 使い魔がレジスタンスを見失ったのではない。レジスタンスが使い魔を発見し、捕獲。偽りの情報を流しているのだ。

 それを知っていても飛縁魔は何もしない。ペナンガランにも教えない。見るだけ。今回はそれに徹すると決めている。だって、その方が面白くなりそうだから。

 だから、次の瞬間。上層階——石上を捕らえている5層の光景を映し出す映像に有り得ないものが飛び込んできた瞬間に目を見開き、笑いを堪えきれなくなる。

 常夜街に酷い爆発音が響き渡った。

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