第19話身なりには要注意

 常夜街。第1区の外にある5つの区画。その内の1つである第4区。そして、その中でも更に特別な区画がある。

 所謂裕福層の街。吸血鬼が。裏切り者の街。特区。呼び名は様々だ。

 第4区の焼却工場の一件から1週間。現在、北條はとある理由でこの区画に忍び込んでいた。


「はぁ……時間を戻したい」


 休日を満喫する満々のラフな格好をした加賀が、足元に大きな黒い鞄を跨いで大きく溜息をする。その言葉は横にいる北條にも当然伝わる。加賀同様に休日向けのラフな格好をし、大きな鞄を足元に置いていた北條は、大袈裟に溜息をついた加賀に向けて怪訝な顔を向けた。


「どうしたんだよ。せっかくここに立ち入れたんだ。少しは楽しめよ」

「楽しむって……お前、これを買って何にも思わないのか?」


 そう言って掲げたのは先程露店で買ったドリンクだ。加賀の意図が分からず、北條は首を傾げる。


「それがどうかしたのか?」

「どうかしたのかって……これ、いくらしたと思ってんの?」

「いくらって、1500バルカンだろ? それがどうかしたのか?」

「……どうかしたって。高いと思わないのか!?」


 バルカン。それはこの街で発行されている紙幣だ。人間社会が崩壊した後、元々あった紙幣や単価などは意味をなくした。金は塵屑同然となり、欲しいものがあれば盗むか奪うかしかなかった所、吸血鬼が新体制を整え、新しい紙幣が出回ったのだ。

 首を傾げた北條に加賀が問い詰める。そこでようやく加賀の不満を知った北條は納得した表情を作った。


「まぁ、確かにな」

「だろ!?」


 同意を得られ、仲間が増えることを嬉しく思った加賀。しかし、次の言葉で顔を顰めることになる。


「でも、ここは富裕層が住む所だぞ。それぐらいは普通じゃないのか? それにまだ俺達が住んでいる区画でも高いものはあるぞ?」

「……お前なぁ」


 溜息をもう一度付いた加賀は呆れた表情を北條に向ける。そして、手にしたドリンクを北條に突き出す。


「これ、美味しいと感じるか?」

「え、美味しい……とは思うぞ?」

「何で疑問形なんだ。もしかして味音痴か?」

「知らないよ。普段は冷凍食品ばっかだし、飲み物だって水ぐらいだ」

「マジかよ。ならいい。俺が今から教えてやる」


 意外な所で北條の食生活を知ることになった加賀が顔を引きつらせるが、直ぐに表情を戻して口を開く。


「いいか。難しいことは多分分からないだろうから、味についてだけは言ってやる。これは不味い、とまではいかないが、1500も取る程のものじゃない。なんせ、味が薄すぎる。水で薄めたって言っても良いぐらいだ。これで美味しいって感じる奴は相当の味音痴だ」

「そ、そうなのか」


 妙に核心を持って告げる加賀。遠回しにお前も味音痴だと言われた北條は視線を外す。


「その通りだ。このドリンク……名前何だったかな」

「確か、ハーミットって名前だったと思うけど」

「あぁ、そうだった。それだけど、この味で価格を付けるのなら、400、あるいは500ぐらいだ。いくら何でも1500は取り過ぎだよ」

「本当か!?」

「本当だよ。こんなことで嘘なんて言うか」


 不機嫌そうにドリンクを啜る加賀。その様子を見て北條は嘘は言っていないと感じる。同時に、自分はそれほど美味しくもないものに高い金を払わされたことへの怒りも湧き上がってくる。


「あの野郎。詐欺か? この場所で?」

「その可能性はないだろうな。ここの連中は俺達と違って下は肥えてる方だろう。こんなことを常にやってたら直ぐに捕まっちまうよ」


 ギロッと露店のあった方角を睨み付ける北條。その横で加賀はやはり不味いのか表情を歪ませ、忠告する。


「言っとくけど、騒ぎは起こすなよ。相手は俺達が味が分からない野郎だと思ってこんなものを出したんだろうけど、ここで騒ぎを起こしたらはじき出されるのは俺達の方なんだからな」

「…………」


 不満そうな表情を出しながらも、北條は怒りを抑えようとする。

 ここは富裕層が住む区画だ。北條達が住んでいる場所とは違う世界であり。本当ならば他の区画の者が簡単に立ち入れる場所ではない。服をいつもより念入りに洗い、清潔を保ったとしても違う場所から来たというのは佇まいから分かるのだろう。特に警備員からの視線を北條は感じていた。


 警備員も見慣れない2人組がいることは分かっている。しかし、盗みなどを働くわけでも、その前準備をしている様子もない少年2人を追い出すことは立場上できない。取り敢えず、買い物をできるだけの金は持っていると判断し、北條達を放置しているのだ。


「そんなに俺達って見すぼらしく見えるか?」

「う~ん。まぁ、見えるんじゃないのか? だから、俺達を見てる警備員もいるみたいだし。でも、視線向けてくるのは少人数だけだからそれほど見すぼらしいって訳じゃないと思うけど」


 辺りを見渡し、自分に注がれる視線の数を数えて加賀は答える。

 加賀が言った通り、注がれる視線は少数。他の者は特に変わりなく日常を謳歌している。しかし、逆を言えば、少数の目に留まる程自分達の姿は目立っているということ。北條は心の奥底で新しい服を買うことを決意する。

 ふと、周りの光景を見ていた北條は道を歩く人々の姿を捉える。映し出される立体映像を見て楽しみ。買い物を楽しみ、食事を楽しんでいる光景がそこにはあった。


「俺達の住んでいる所とは全く違うな」

「ま、そりゃそうだわな。そもそも本来ならここに俺達が足を踏み入れることすらできないんだし」


 夜の街を照らす照明の光。そのおかげでライトを持たずに移動することができ、警備隊のおかげで犯罪を心配する必要もない。歩道を歩く人達の顔には笑顔すら浮かんでいる。

 北條達が住んでいる場所とは全く逆の光景だ。

 本来ならばここは北條達が出入りできる場所ではない。正面から入ろうとしても門前払いをされるだけだ。ならば、どうやって入ったのか。というと簡単な話——地下通路を使った侵入である。


「……ここの奴らは外のことを知っているのかな」

「どうだろうな。でも、ここの連中は大昔——あ~、まだこの街が出来上がる前のことだけど、吸血鬼に人間を売り払って地位を得た奴らの集まりだとか聞いた気はするからな。そんな奴らの子孫だ。知ったこっちゃねぇとか思ってるかもよ?」

「それって何処からの情報だ? 初めて聞いたぞ」

「——ただの噂だよ。知らないか? 結構皆知ってるぞ。真実かどうかは別としてな」

「……そ、そうか」


 皆が知っている。その言葉に衝撃を受ける。

 噂、ニュース。それらに耳を傾けた方が良い。そう言われたばかりの北條は僅かに言葉に詰まる。

 同時に、自分と同じく噂などには興味がないと考えていた加賀がそんなことを知っていると知ると、自分も積極的に集めるべきかと考え始める。丁度、その時だった。


宿主マスター。道草も良いが、いい加減仕事にかかったらどうだ?』

「(おっと、起きてたのかルスヴン。今日はまだゆっくり寝てていいんだぞ?)」


 思考を遮るように語り掛けてきたルスヴンに反応して、地面に向けていた顔を上げる。

 表情には出さないものの、北條の声には驚きが含まれていた。


『ふん、あんな不味いものを味わってしまえば流石の余も目が覚めるわ』

「(そんなに不味かったか?)」

『あぁ、本来ならばよくもあんなものを食してくれたなと罰する所だ。味音痴もいい加減にしろと言いたいな』

「(ご、ごめんなさい)」


 ルスヴンからの苦情に苦笑いを浮かべる。どうやらドリンクの味が相当気に喰わなかったようだ。それに対して謝罪を口にする。


『全く。命令だ。いつも食べているものより上等なものを買え。それで口直しをする』

「(……ぼられたばかりなのに買う気にはなれないんだけど)」

『騙されているようなら余が忠告してやる——が、舐められるのも気分が悪い。だから、まずは服を買え。ここなら、いつもの服装よりもまともな物が買えるだろう。そして、さっさと口直しをしろ』

「(資金、そんなのに使っても良いのかな)」

『少数とはいえ目に留まっているのが気になっているのだろう? 密談の前に目立ってどうする?』

「(…………確かに、そうだな)」

 

 遠慮なく使え。そう言われて惜しむことなく出された資金600万。慣れない大金をここで使っても良いのかと戸惑う北條だが、仕事に差し支えると言われてしまえば逆らうことはできない。

 これは仕事のため。そう自分を納得させて、横に座る加賀へと声を掛ける。


「加賀、そろそろ時間だ」

「ん?————少し時間には早くないか? あ、もしかして口直しか? なら——」

「その前に服を買う」

「え? 何で……あぁ、そういうことね。良いと思うぞ?」


 唐突に服を買うと言い始めた北條に怪訝な顔を見せた加賀だが、それがどういう意図で言われたのかを察すると同意を示す。


「確かに身なりは大事だな。でも、どこで買うんだ? ハッキリ言って俺はファッションセンス何てものはないぞ?」


 そう返されて北條が言葉に詰まる。自分でもそのことを考えていなかったからだ。

 ここは初めて訪れる場所。そんな場所で何の情報もなしに良い衣服を見つけるには時間がかかる。

 時間もそれ程ある訳ではないのだ。こんなことなら真っ先に服を買いに行くべきだったかと北條が頭を抱えそうになる。


『安心しろ。それについても力を貸してやる』

「(本当か!?)」

『こんなことで嘘を言っても仕方がないだろう。宿主が舐められるのも余は我慢ならんからな。取り敢えず、ここら辺を一通り歩け。余の目を持って余の宿主に相応しい服を見つけてやろう』

「大丈夫だ。こっちには自信がある!!」

「……え、そうなの? なら、お任せするけど良いか?」

「任せろ!!(任せたルスヴン!!)」

『任された』


 実際に選ぶのはルスヴンだが、そんなことを口にできる訳もなく、自分には良いものを選ぶ自信がありますと虚勢を張る北條。


「よし、なら行くか。時間も限られてるし、急ごうぜ」

「あぁ」


 そう言って2人は空になったカップをゴミ箱へと放り投げ、歩道を歩き出す。暫くして、ルスヴンの目に留まった店は無事に見つかり、衣服を獲得することに成功するのだった。

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