第18話後日

「…………気に喰わない」


 そう口にしたのは頭に包帯を巻いた結城だ。先程目が覚めたばかりだというのに彼女は既にベッドから起き上がり、北條達の目の前にあるパイプ椅子でムスッとした表情を作っている。


「何が気に喰わないんだよ? 腹が立つことでもあったのか?」


 そう尋ねたのは結城よりも手厚く頭部を保護されている加賀だ。

 吸血鬼によるデコピンで1発ダウンした彼だが、誰も責める者はいない。むしろ、アレを受けてよく無事だったなと普段は彼を叱るばかりの朝霧にすら称賛されたぐらいだ。


 工場での任務から丸1日。

 無事にあの場から逃げ出すことができた北條達は、戦いで受けた傷を癒すために支部で療養中だった。

 最後の爆発。アレで安満地は死んだことは確認できていた。だが、勿論、そのことを北條は伝えてはいない。目が覚めたら氷使いによって安満地は殺されていた。と伝えている。

 結城や加賀よりも先に安満地の一撃を喰らっていたことが幸いした。おかげで、報告を聞いた全員が違和感を持つことなく北條を信じた。

 読みかけの漫画から視線を外さず尋ねる加賀。その態度に結城は青筋を立てる。パイプ椅子から勢いよく立ち上がり、加賀の読んでいる漫画を引っ手繰る。


「——あっ!? ちょっと何すんだよ!? 今良い所なんだぞ!!」

「何が良い所だ!! あんな目にあっておきながら!!」


 引っ手繰った漫画を加賀の顔面に叩き付けた。それでも苛立ちを抑えきれないのか鋭い視線が北條と加賀に突き刺さる。


「悔しくないのか。お前達は……あの安満地とかいう奴に散々やられたのに、目を覚ませばそいつは死んでいました何て言われてッ」

「いいや、全く」

「————」

「だーー!!!! ちょっと待てって!? 無言で漫画を振りかぶるな!! 俺が悪かったよ!!」


 目に光が無くなった結城が無言で漫画を加賀の頭に振り下ろそうとする。流石に頭は不味いと感じた加賀が謝罪を口にするがそれだけで結城が止まるはずがなかった。


「お前は毎度毎度吸血鬼に殺されかけるのに何も思うことはないのかッ!!」

「仕方ないだろ!? 俺異能なんて持ってないし!? それに命があって良かったじゃん!!」


 ギャアギャアと騒ぎを大きくしていく2人。

 殆ど一方的にやられることに憤りを感じ、強くなりたいと願う結城に対し、できることはやるができないことはしないというスタンスの加賀。そりが合わないのも仕方がない。

 ひと悶着した後、肩で息をした2人は体を休めるために元いた位置へと戻って行く。


「——チッ。あの氷の吸血鬼。いつか私が殺してやる」

「えぇ。吸血鬼殺してくれてんだからいいじゃん。つーか、吸血鬼って決めつけてんだな」


 不満をありありと出す結城が勢いよくパイプ椅子に腰を下ろし、舌を打つ。


「当たり前だろ。そもそも氷の異能なんて持ってる人間。こっちのデータベースにはいないんだぞ?」

「そうなんだ。まぁ、俺は別に上の命令に従うだけだけどな。なぁ、北條?」

「——お、おう」

「……どうした?」

「いや、何でもない」

「ふぅん……そっか」


 言葉に詰まった北條に首を傾げる加賀だが、特に深く考えることもなくグシャグシャになった漫画を再び手に取る。

 それを目にしながら、北條は内心胸を撫で下ろした。

 嘘です。何でもあります。と言えればどれだけ良かったか。正直、結城にぶっ殺す発言から自分の表情が崩れていないか心配していたが、どうやら加賀と結城の様子を見る限り、ボロはでなかったようだ。


「はぁ……」


 思わず北條は溜息をつく。

 自身の表情が崩れなかったことへの安心。もあるが、同時にそれは簡単にルスヴンの力を借りてもアレだけの被害を出してしまった自身の情けなさも含まれていた。

 毎度のことだが、ルスヴンの力を使用すると大きな被害が出る。一つの建物を氷漬けにしたり、高層ビルにも引けを取らない氷の壁を出現させたりと——。

 その力は圧倒的だ。なんせ、最古にして最強の力なのだから。だが——それを扱う人間が未熟であれば話は変わる。

 力を上手く使えば、数秒で片が付く。異能を意のままに操ることができれば無駄に被害を出すこともない。力を使うための血の消費だって抑えられる。

 なのに——自分が未熟なばかりに守れない者がいた。余計な被害を出してしまった。

 全ては自分の至らなさ故の結果——それへの情けなさからくる溜息。

 しかし、そんな北條の内心など他の者が知るはずもない。


「何よ。人の顔を見て溜息ついて」

「え、いや……これはそういうんじゃないんだが……」


 案の定、勘違いをした者が1人。

 自分の顔を見て溜息をつかれたと勘違いした結城が北條へと突っかかる。結城からしてみれば吸血鬼討伐への強い思いを嘲笑されたに等しく無視できないもの。

 ルスヴンのことを口にすることなどできないため言葉に詰まる北條だったが、それを救ったのもまた勘違いをした者だった。


「ふっ——ようやくラブコメが始まったか」

「「ちげぇよ馬鹿」」


 見当違いのことを言い出す加賀に2人がツッコム。


「何だよ。人の顔を見て溜息ついてから始まるラブコメ、しないのか?」

「何だ……そのラブコメストーリー」

「三流の作品でもなさそうなタイトルだな。それに長い」

「はぁ? これ何て序の口だぞ!! 過去には長文タイトルが流行った時期もあったんだからな!!」

「そうなの?」

「いや、俺は知らん」


 結城の問いに首を横に振って答える。

 残念ながら漫画や小説何て殆ど手に取る機会なんてないのだ。そういった娯楽は殆ど吸血鬼達に取り上げられてしまっている。人間の街に出回ってくる機会などそうはない。むしろ、それなのに大量の漫画や小説を持っている加賀が可笑しいのだ。


「何だよ、じゃぁ、何で結城の顔を見て溜息ついたんだ?」

「だから、顔を見て溜息ついたんじゃないっての」


 話が逸れなかったかと残念に思いながら、何度目かの訂正を行う。

 しかし、加賀は取り合わない。ニヤニヤとしながら北條を問い詰めていく。これで訂正することを止めればラブコメに無理やり結び付けそうである。

 結城の方へと目を向ければ、鋭い視線とかち合った。どうやらまだ勘違いをされているようだ。溜息——をしそうになるのを抑え、北條は深く後ろの壁に凭れ掛かる。


「別に、自分の力の無さに呆れただけだよ」


 話を逸らすこともできないと判断し、素直に北條は口を開く。

 自分の力だけでは吸血鬼には勝てず、ルスヴンの力を借りていても中級吸血鬼に辛勝する程度。

 力がないことを悔やまない日はない。


「強くならなきゃなぁ——」

「…………」

「…………」

「駆けだしたい時なんていつもあった。だけど、それができなかったのは俺の力不足のせいだ。だから、俺は強くなりたい」


 静かに本音を口にし、願いを聞いた加賀と結城は押し黙る。

 ただ、願うだけでは2人は嘲笑しただろう。そんなの誰もが思っていることだと。けれど、2人は知っている。この男が何度も力がないのに自ら危険に身を置こうとしたことを。誰かを助けようとするために前に出ようとしていたことを。

 そして、願うだけではなく、本気でそうなろうとする意志があることを。


「ふん——」

「…………」


 一方が気まずさに耐え兼ね鼻を鳴らし、もう一方は北條の性格を理解し、笑みを浮かべる。

 そこに至るまでの過程に違いはあっても、強くなりたいという思いは皆が一緒だった。

 苛立ちをぶつけても何にもならない。言い訳をしていても始まらない。そう言われた気がしたのだ。


「それじゃ、いい加減起きて訓練でもしますか?」

「そうだな。行動するなら早い方が良い」

「だったら、訓練室の準備をしてくる」


 最も怪我の軽い結城が直ぐに動き出し、それより少し遅れて北條達が動き出す。目指す先は、いつも使っている訓練室だ。

 暫くして、その訓練室からは鈍い音が響き始める。その日——街の電気が全て落ちるまで、その音がなくなることはなかった。





 暗く、冷たいレジスタンスの地下通路で金髪の少女が横たわっていた。服は土と埃で汚れ、髪は乱れている。浅い呼吸を続ける様子から見ても何らかの悲劇に見舞われたと考えるのは容易かった。

 だが、彼女を助ける者はここにはいない。

 ここは内部が複雑に入り組み、今尚拡大を続けている地下通路。それを全て把握している者はレジスタンスの中でも存在せず、入り口も秘匿されている。彼女がここに入れたのはただの運。工場を半壊させた爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされた結果、誰も使っていない入口に偶然転がり落ちたのだ。

 レジスタンスでもあまり利用しない通路に落ちてしまったのは彼女の不運だろう。なんせ、餌となるべきものがおらず、食事もまともに取れないのだから。


 少女がうっすらと瞼を開ける。そこには種族の特徴でもある紅い瞳が存在した。


「(おなか……へった)」


 襲撃者のせいで食事の機会を逃したこと、異能を長く使っていたこともあり、少女は空腹に満ちていた。

 そのせいで、体は重く、喉は渇きを訴えていた。

 辺りを見渡し、自身の飢えを満たせるものを探す。しかし、そう簡単には見つからない。ならば、見つかる所まで這ってでも進もうと手足を動かす。——が、それでも動ける範囲は小さく、目的のものが見つかるはずがなかった。


 空腹が酷くなり、もうだめかと思い始める。

 意識は朧気になり、指先にすら力が入らなくなる。


「(だれでもいい…………だれか、ちかくにこい。わたしは、こんなところで——)」


 死を間近に感じ、もう駄目だと思いながらも最後まで足掻く。最早、手足を動かすことはできていない。辛うじて指が動いているが、それももう覚束なくなっている。

 ここまでくればレジスタンスの一般兵でも少女を殺すことは可能だ。銃弾1発で死ぬことはないだろうが、殺すことはできる。少女の足掻きも、地下通路を進む者にとっては瀕死の誰かがいると教えているようなものだ。

 だが、それでもその足掻きが少女の命を終わらせるものではなかった。


 地下通路の闇からランタンを持った泥だらけの少女が現れる。

 自分の体よりも大きなリュックサックを背負った少女は、倒れ伏している少女を見つけると、少しばかり迷う様子を見せてから、表情を引き締める。

 そして、少女を引き摺って再び闇の中に消えるのだった。

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