第16話2分の攻防

 2人の間に出現した分厚い氷の壁。それは吸血鬼でも破ることはできない強度を持っていた。

 結城へと伸ばしていた腕ごと氷付き、腕を引き千切るしかなかった安満地は、久しく感じなかった痛みを感じる。


「懐かしいな。そうだった。これが痛みだったな」


 千切れた腕は通常なら既に再生しているのに、氷結で再生能力そのものが死んでいるのか戻ろうともしない。

 だが、体の一部を損失したというのに安満地は焦らず、冷や汗すら流さない。それどころか、顔を上げたその表情は怒りで満ちていた。


「殺す」


 吸血鬼の怒りに満ちた殺意。それを身に受ければただの人間など一溜りもないだろう。本気の殺意は気を失わせ、金縛りのように体を硬直させる。それを受けて無事にいられる者は余程の腕の立つ者だけだ。

 殺意を肌で感じ、冷や汗を流しながらも、結城は拳を握り締める。


『先程の大氷壁はもう出せんぞ。それに余の能力を使える時間は3分程度だ。サポートはできるだけするが、2分を切れば、余がお前を逃がす。倒すのならば、2分で殺せ』

「……分かった」


 ルスヴンの言葉に短く返事をし、拳を掲げて北條は地面を蹴った。

 腹の傷は癒えていない。能力は時間制限付き。そして、相手は中級吸血鬼。

 普通に戦えば時間はあっという間に過ぎていくだろう。時間を無駄に使うことなどできない。


「ラァッ!!」


 人間の頃とは比べ物にならない速度で拳が放たれる。

 左右を氷の壁で阻まれた安満地の逃げ道は上か後ろ。下がれば、更に助走をつけた一撃を与え、上に逃げれば能力で確実に仕留める予定で放ったブラフの一撃。


「君、演技が下手すぎるよ」


 だが、北條の想像通りにはいかない。カウンターとして放たれた蹴りが顔面に突き刺さり、北條が仰け反る。

 口の中に鉄の味が広がり、鼻からも血が噴き出す。感触的に鼻が折れたことを北條は感じ取った。


「それにしても、君はさっき吹き飛ばした人間だったよね。吸血鬼だったのかい?」

「ォオオ!!」

「無視か。まぁ、別にいいけど」


 興味深そうに紅い瞳を見る安満地だが、問いかけを無視して北條は殴りかかる。時間は刻一刻と迫っているのだ。北條に無駄話をしている暇などなかった。

 下段蹴り、飛び膝蹴り、肘打ち、裏拳、頭突き、正拳突き。あらゆる技を吸血鬼に繰り出す。だが、全てカウンターで返され、北條は消耗していく。

 大きく北條が吹き飛ばされ、コンクリートの壁を突き破り、戦場は工場の中に移る。戦闘が近くで始まったことに恐怖を抱いたのか、そこに人の姿はいなかった。


『どうした? アイツを倒すのではないのか?』

「倒すよっ」


 煽ってくるルスヴンの声を背に地面から跳ね起き、再び突進。これまでの氷で狭まれた狭い場所とは違い、遮蔽物の多い工場での戦闘。

 後ろか前の動きしかなかった北條の動きのパターンが変化する。工具を投げつけ、視界を妨げると同時に一撃を入れ、反撃が来る前にその場から離脱する。ヒットアンドウェイのような戦法。

 相手を様子見する戦法で、時間がかかってしまい悪手に見えるが、北條には考えがあった。

 一撃を入れ、離脱。一撃を入れ、離脱。軽めの一撃で相手を損傷させることはできないが、これを続けることによって油断を誘う。これまで打撃のみを使っていたことで安満地は北條は素手でしか使わないと刷り込まれている。そして、強化されても圧倒されることで生じる油断――そこに付け込む。

 背中に隠し持ったプラスドライバーを握り締め、北條は脳を破壊するために接近する。

 高速で首位を飛び回り、加速を続けた北條の速度は今や音速に達そうとしている。衝撃で棚が、照明が砕け落ちるよりも早く吸血鬼の後ろに回り込み、プラスドライバーを振るう。


「――っ」


 刺されば最悪銃弾で撃たれるよりも悲惨なことになりかねないが、それはあくまで刺さればの話。

 安満地は油断していた。だから、確実に決まるはずだった。だが、この工場にいるのは安満地だけではない。少なくとも安満地に近い実力を持つ吸血鬼が、一人。遠くから戦いを感じ取っていた。

 彼女の命令によって動き出した一体の理性なき吸血鬼が、北條と安満地の間に割り込む。

 北條が目を見開き、ルスヴンが舌打ちを零す。

 最初で最後の隙が第三者によって潰された。北條には詳しい事情など分からなかったが、自分が好機を逃したことだけは分かった。

 割り込んできた下級の吸血鬼の体を貫いて、拳が北條の腹に突き刺さる。傷口の上から叩き付けられた拳。それは想像以上に重く、激痛が体に奔る。それでも体を動かしたのは、腹を貫かれたにも関わらず、襲い掛かろうとする吸血鬼に対応するため。

 内臓を零しながらも首筋に噛みつこうとしてくる。腹を貫かれ、吹き飛ばされた衝撃で上と下がお別れしても腕の力のみで北條に迫ってくる姿は正にホラー。力で勝る北條でも恐怖を感じる。


「(くそっ――チャンスがなくなった)」


 下級の吸血鬼の頭を潰し、戦闘不能にすると近くにあった扉を開けて走り出す。ルスヴンの力を借りていてもこの体たらく。自分の力の無さに歯噛みする。


「どーこーにーいーくーんーだーよっ」

「ガァ!?」


 だが、そんな北條に対して安満地は容赦などしなかった。近くにあった加工機を片手で掴み取り、投げる。

 野球ボールを投げるような軽さで投げられた加工機は、扉を破壊し、アスファルトの壁を削り、逃走していた北條の背中を傷つける。

 幸運だったのは前垂れであったために、直撃は避けられたこと。もう少し頭が高い位置にあったら、背骨は砕かれていただろう。

 勢いが止まることのない加工機は壁を破壊し、その奥にあった巨大な焼却炉にぶち当たり、火花を散らした。

 爆発音、そして警報が鳴り響く。


『おい、大丈夫か?』

「――――っ」


 背中が熱く、呼吸が辛い。背中の傷はどれほど深いのだろうか。骨まで見えているのか、それとも掠り傷なのか。どちらにしろ背中が酷く痛み、急に立ち上がることはできない。

 煩く警報が鳴り響く中、頭の中にルスヴンの声が鮮明に聞こえるが、返事をする余裕はない。二発だ。腹と背中に一撃決められただけで虫の息になっている。

 明らかにあの工場で交戦した吸血鬼よりも格上だ。

 油断していたのは安満地ではなくこちらの方だったと北條は今更気付く。だが、もうどうすることもできない。立ち上がることも困難であり、敵はもう北條を殺すつもりだ。


「いやぁ、本当に君はどっちなのかな?」


 地面に這いつくばる北條に安満地がゆっくりと歩を進めて距離を縮める。

 人間離れした身体能力、紅い瞳。これだけ見れば吸血鬼だと分かるのだが、どうにも違う。そんな気がするのだ。何もない場所から氷を出現させたことから、以前からあった吸血鬼の殺害事件はこの男が犯人なのだろう。


「人間にしては強いと言えるのだろうけど、吸血鬼にしては弱い。何で、小道具何てものに頼るんだい? 素手の方が殺せるのに、わざわざそんなものに頼るのが分からないよ」


 本当に不思議そうに安満地は首を傾げる。

 人間と吸血鬼では認識が違う。人間が肉食獣の首を斬り落とせる大剣を脅威だと感じても、吸血鬼にとってはペーパーナイフと同じなのだ。それは人間から吸血鬼になった者でも同じだ。


「あ、もしかして――人間だって言うのを忘れないためかな? 自分は弱いです、非力です。道具がなければ戦えませんって思い込みたいのか!?」


 なるほど、と手を叩き答えてもいないのに一人納得する安満地。煩わしいその声に黙れと叫びたくなるが、上手く声が出ない。


「う~ん。返事がないな。おーい、もしかして死んでる?」

「うるっさい」

「何だ、生きてるじゃないか。なら返事をしておくれよ」


 苦しむ北條の姿を見て、安満地は牙を見せて笑う。

 血反吐を吐き、睨み付けるものの意味はない。蛇が蛙を睨めば蛙は身を震わせ、動かなくなっても、蛙が蛇を睨んでも何の効果もないのと同じ。弱った北條が睨みつけた所で意味はない。


「君は僕の蜜月の時間を邪魔したんだ。報いは受けて貰うよ? まずは、僕と同じ姿にしてやるよ」

「変態野郎がっ」


 だが、その蛙が激毒を持っていたのならば、話は別だ。

 北條の腕を抑えつけ、その爪で腕を切り落とそうとしていた安満地。顔に出る恐怖の表情をよく見るために、楽しむために顔を覗き込んでいた。覗き込んでしまった。


『――失せろ』


 その時、安満地亮は最強の吸血鬼に遭遇した。

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