第15話吸血鬼、安満地亮

 まだ、人間が太陽の下で暮らしていた頃の話だ。その男は普通の両親から産まれ、普通の人生を送っていた。優しい両親に元気な妹の4人家族だ。

 やがて義務教育を受け、高校生活では彼女もできた。その彼女と一緒に大学に入り、めでたく結納の話もまとまった。しかし、突如として彼女が不倫。話はなくなり、そのまま社会人となった彼は、これまでの友人との付き合いとは違う人間関係に疲れ、早々に実家へと戻る。

 そんな彼を家族は責めなかった。両親はゆっくりと休息を取ればいいと言い、妹は兄を元気づけるために部屋へと毎日通った。

 何処にでもある幸運に不幸を経験した男の名は、安満地亮あまじりょう。人類が暗い牢獄に捕らわれる日に、一家全員をジドレーに襲われ、気まぐれによって血を与えられて吸血鬼になった男だ。

 吸血鬼――安満地亮は目の前にいる少女を見下ろす。

 小さな背丈で、触れただけで折れてしまいそうな細い腕。どこをどう見ても戦場に出てくるような者ではない。

 貫手が結城の張った障壁とぶつかる。本来ならば素手で能力を破ることなどできるはずがない。それなのに、鋼鉄とぶつかったような音が響き、火花が散った。


「(憐れだな。こんなに小さいのに戦場に出なくてはいけない何て)」


 歯を食いしばり、踏ん張ろうとしている結城に憐みの視線を向ける。人間達が集まり、吸血鬼の力を扱うことは知っていた。だが、このような子供にまで戦うように仕向けているとは思っていなかった。

 人間の見境の無さに、かつて人間であった頃の経験も相まって目を覆いたくなる。


「――グッ」


 貫手とは思えない程の威力に結城が歯を食いしばるものの、それで負けている力がひっくり返る訳でもない。

 結城の華奢な体が吹き飛ばされ、建物の壁に叩き付けられる。


「(可哀そうに……君のような子供が戦場に出る何て、見ていられないよ)」


 こちらにいれば護ってあげるのに……そんな呟きは誰に聞かれるまでもなく消えていく。

 結城の肺から一瞬で空気がなくなる。鍛えているとはいえ、である結城の体は人間よりも少し丈夫程度なものでしかない。近距離戦での戦闘では安満地亮の方に分があった。

 思考に空白が生まれた結城に安満地が襲い掛かった。


「「させるか!!」」


 だが、そんなことを黙って2人が許すはずがない。

 直線状に北條が体を割り込ませ、加賀が安満地の脚に狙いを定め、引き金を引く。互いに対吸血鬼用の改造弾。銀を織り交ぜ、再生能力を阻害する弾丸が安満地に降りかかる。


「やれやれ」


 直撃すれば下級の吸血鬼の命を刈り取る弾丸。それを安満地は臆することなく体で受ける。


「――!!」

宿主マスター!! 逃げろ!!』


 弾丸を真正面から受け、弾丸を肉体で弾き返した安満地が北條に迫る。

 効果は薄いと思っていたが、傷すらもつけられないとは思っていなかった北條が目を見開き、硬直する。ほんの一瞬の硬直だ。しかし、その一瞬は吸血鬼の前では致命的。ルスヴンの声も虚しく北條は振るわれた腕の一撃をまともに受けてしまう。


「ごぼっ――――」


 腹にめり込むのは本当に腕なのか。丸太か鉄骨の間違いではないのかと思うほどの衝撃が北條を襲う。

 それ以上考えることもできず、北條はノーバウンドで闇の中に消えていく。


「北條!? くそったれ!!」


 闇の中に消えて行った北條を視野の端で捉えた加賀が、仇を打つために引き金を再度引く。


「品がない」


 構えることすらなく肩を竦めて呆れた表情を作る。彼にとって興味を惹いたのは、結城唯一人。後ろに下がっていた男2人の相手をする気などないのだ。

 たん、と軽く地面を蹴る。それだけで十分だった。それだけで、10メートルは開いていた互いの距離が零になる。


「取り合えず、静かにしていてくれ」


 加賀の額を軽く人差し指で、所謂デコピンと呼ばれるもので弾く。瞬間加賀に襲い掛かったのは金槌にでも殴られたかのような衝撃。用意していた手榴弾すらも使う暇もなく無力化される。

 地面に仰向けに倒れ込んだ加賀。安満地は血を吸うこともなく放っておく。まだ、息はあるが、わざわざ止めを刺す必要もない。いずれうろつく下級の吸血鬼の餌になるだけの存在にそれ以上関心はなかった。

 邪魔者を排除した安満地が、壁に手をつく結城の元へと歩み寄る。

 捕食の対象としてではなく、まるで愛着のあるものに向ける粘ついた視線が結城を撫で回す。

 ギリ、と力強く歯を食いしばらせ、敵を睨み付ける結城。それを目にした安満地はますます頬を緩ませた。


「いいね。叫ばれるのは嫌だけど、その表情は取っても良い。力強い目線だ。僕の好みだよ」

「お前のっ――好みなんて知るかっ」


 視線を更に鋭くして睨み付けるが、安満地にとっては猫が強がっているようなもの。結城の傍まで近寄り、背の低い結城の頭を撫でる。ゆっくりと、壊れないように優しく撫でる仕草は不気味さを感じさせた。


「僕にはね。妹がいたんだ」

「――っ」

「優しい子だった。君みたいに小さくて可愛い子だった。あ、それにクマさんの人形が好きでね。君は好きかい? それなら嬉しいんだけど?」

「その質問に、何の意味がっ……」

「いやいや、何の意味もないよ。少し気になっただけさ」


 気楽に安満地が笑う。

 下を向いている結城にはその顔は見えない。分かるのは機嫌が良さそうだと言うことだけ。そのおかげで冷や汗が止まらない。吸血鬼の機嫌が良いことなど人間にとっては最悪でしかない。


「いいなぁ。欲しいなぁ」


 粘ついた声が結城の耳に届く。顔を上げることができない。殺意は吸血鬼にはない。だが、それ以上に恐ろしいものをこの吸血鬼は持っているように思えた。

 安満地の手が結城の首筋、そして背中へと這いずる。ゆっくりとこちらの存在を確かめるかのように撫でる手は気持ちが悪く、蛇を思わせる。先程まで安満地に向けていた殺意は消えてしまい、今は恐ろしさと不気味さが結城の体を支配した。

 しばらく、結城の体を撫でていた安満地は満足した顔を浮かべ、最後に再び頭を軽く撫でる。


「決めた。君を僕の妹にしよう」

「――え?」


 唐突の宣言に結城が固まる。顔を上げ――そして、同時に後悔した。

 顔を上げなければ良かった、下を向いていた方が良かった。後悔をするがもう遅い。歪な笑みを浮かべ、情欲的な目をした男と目が合ってしまったのだ。


「――ひっ」


 小さな悲鳴を上げて後退ろうとするもそこは既に壁際、逃げられるはずがない。横に逃げようとするが、肩をがっしりと掴まれて逃走を阻まれる。


「僕にはね。妹がいたんだ。優しい子だったのに、死んでしまった。家族がいないのはさみしいよ。分かるかい? 何十年と冷たく当たる奴らと一緒にいると死にたくなるんだ。明日が来て欲しくなくなるんだ。だから、僕は新しい妹を迎えたのに、その妹は僕に冷たくてね」


 爪が皮膚を傷つける。牙が歪んだ口端から姿を見せる。


「これから君は僕の眷属になるんだ。あんな妹とは違って本当の繋がりができる。だから、君は僕に優しくしてくれるよね?」


 頭一つ分小さい結城に、安満地が顔を近づけていく。

 死ぬ。人間として死ぬ。異能を発動することすら忘れてしまった。人が俄然に迫る脅威に対処するのを忘れてしまうように、何も行動できずにいる。

 走馬灯が頭の中を開け巡る。

 僅か17年の記憶。地下の研究室から始まり、レジスタンス、支部の人達との出会い。そして――。


『そうか。なら、背中を任せられるぐらいに強くなって見せろ。それまでは、俺がお前を守ってやる』

「!!――――はぁあっ!!」


 意識が覚醒する。

 能力を発動させ、無防備な安満地の腹に向けて念力をぶつけて距離を取る。対してダメージはない。しかし、拒絶されたことが何よりも効いたのか泣きそうな顔をして安満地は結城を見ていた。


「こんな所でっ――死ねるか!!」


 そうだ。こんな所では死ねない。

 次に会う時は絶対に強くなっていようと心に決めたのだ。最後には傍に行くと決めているのだ。吸血鬼になる気も死ぬ気も毛頭ない。


「僕の……妹にはならないのかい? 好きなものは何でも手に入るのに?」


 振り払われた手をもう一度繋ごうと、安満地が腕を伸ばす。それを結城は念力をぶつけることで拒否した。


「ならないよ。私は吸血鬼には絶対にならない。お前を見てそんな思いが強くなったよ。血を吸われた吸血鬼の特徴がよく出るとは聞いていたけど最悪だな。過去に執着し、他人を家族ごっこに巻き込む。吐き気がするよ」


 思考を働かす。まず考えるのはこの場から逃げ出すことだ。北條と加賀には悪いが置いていく。自分は正義のヒーローではないのだ。助けられない者を無理に助けようとは思わない。

 ここから地下の入口までは500メートル程、粉塵で視界を潰して逃げ切れるかどうか。


「そっか、そうか。君は僕の家族にならないんだね。優しく接してあげるのに――」

「私の仲間にしたことは優しい何て言えないと思うんだが?」

「よく言われたから、女の子には優しくしなさいって。彼らは男だし、大丈夫でしょ。でも、君も僕の優しさを無碍にするのなら……」


 そう言って安満地が初めて殺意を持って結城を睨み付ける。

 今度は殺しにかかってくる。死ぬかもしれない。それでも死ねない。相反する2つの思いを結城は抱く。

 そして、安満地が足を踏み出そうとした瞬間――――2人の間に氷の壁が出現した。

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