第7話男達の一日


「あぁ、くそったれめ。ついに駄目になりやがったなこのポンコツめっ」


 青い作業服を着た中年の男が苦い顔をして頭を抱える。

 彼の前には古びた焼却炉があった。所々が錆びており、年季を感じるが、つい先程まではしっかりと動いていたのだ。それなのに限界に来たのか、もううんともすんとも言わなくなっている。


「やべぇ……くそっ。動きやがれっ」


 焦る気持ちが苛立ちを生み、男をものに当たらせる。

 ガツンッ――と鉄の鈍い音が工場の中に響いた。

 動かない焼却炉を蹴りつけたとしてもそれで動くようになることはない。叩いて直るテレビではないのだ。男もそれは分かっている。分かっているが、感情を自制できるかは別の問題だ。


 突然だった。ある日突然、社長が現れ、「今日でこの会社は終わりだ」と告げられてから職なしとなった。理由は聞いていない。だが、一体の吸血鬼の逆鱗に触れたということを耳にしている。

 ふざけるな、何様のつもりだ!!――そんな状況になれば、誰もが思うこと。しかし、その言葉は胸の中にしまい込んだ。何故なら、無意味だから……。

 吸血鬼の力を知っている。恐ろしさを知っている。まだ、自分は幸運な方だっただろう。

 何故逆鱗に触れたかは知らないが、その吸血鬼と顔を合わせることはなかったのだから。出会っていれば、命はなかったはずだ。


 そして、それからは、生きていくために職を探す日々。この街でまともな職など少ないし、吸血鬼の逆鱗に触れた企業の男を雇おうと思う者はいなかった。

 何とか食い繋げていた日々から、食事も、寝る場所もない生活に堕ちてしまった男。これまでのように危険のないものばかりを選んでいたが、ついに仕事を選ぶ余裕もなくなった。命の危険もあるものにも範囲を広げ、様々な場所を歩き回り、ようやく見つけたのがここだ。


「――――っ」


 もう一度、蹴りを入れる。

 触れれば火傷するほどの熱を残しただけの焼却炉は動きはしない。その事実が男をますます焦らせた。


「(何でよりによって俺が当番の時に……)」


 不幸続きだ。そう男は嘆く。

 失業からこれまでの日々、そして、下級の吸血鬼が周りにいる毎日。従業員は襲わないようにと命令されているらしいが、人間を素手で真っ二つにできる存在がいるのは恐ろしく、精神が擦り減る思いで過ごしている。

 もし、自分の役割を果たせなかったら、アイツ等の餌になるのではないか。いつもベルトコンベアの上で繰り広げられる惨劇を思い出し、身震いをする。

 こんな不幸があったんだから、少しは良いことがあっても罰は当たらないじゃないかと運命を呪うが起きた出来事をなくすことはできない。かといって、目の前の鉄の塊を直す知識も技術もない。結局の所、男は現状を嘆くことしかできなかった。

 だが、そんな男にも幸運がついに訪れる。


「ふぁあ~ねむっ――ん? お前、何やってるんだ?」


 後ろから聞こえた声に急いで振り返る。すると、そこにはここにはいないはずの同僚がいた。何故ここにいるのか、今日は非番ではなかったのか、色々と疑問が浮き上がってくるが、今はそんなことはどうでも良い。

 頭を抱えている男を見て首を傾げていた同僚の足元に全力ダッシュ。からの両手を合わせて祈るポーズで同僚を見上げた。


「おぉ、神よ!!」

「あ、ごめん。俺ちょっと用事思い出したわ」

「待って待って!? ほんの少しでいいから願いを聞いてくれよ!? 頼れるのはお前しかいないんだってば!!」


 神に祈るように縋り付いてきた男に嫌な予感を覚え、早々にこの場を後にしようとする。面倒ごとには関わらない方が良いというのがこの街の人間の暗黙のルールだ。だが、男の方も自分の今後が関わってくる問題を抱えているのだ。それは一人ではどうすることもできないし、この職に詳しい同僚の方が解決できるかもしれない。

 ここで逃がしてしまったら、次に解決のチャンスが訪れるのが何時になるのか分からない。最悪、永遠に訪れないかもしれないのだ。

 服をがっちりと掴み、ここから逃がさないとにわかに伝える。


「何だよ!? お前の問題だろ!! そっちで解決してくれよ!?」

「それができないからお前に頼んでるんだっ」

「悪いが吸血鬼に目を付けられるのは御免だ!!」

「ちょっとでいいんだ。アドバイスさえくれれば、後はこっちでやるから!!」

「お前が良くてもあっちがどう思うかが重要なんだよっ!!」


 引き剥がそうとしてくる同僚に負けじと引っ付きながら助けてくれと懇願し続ける。涙と鼻水が垂れ流しになっているが、男は構わずに続ける。


「頼むよ!! 機械を直すだけなんだ!! まだ、誰にも見つかってないから、今の内に直せば、良いだろう!?」


 特大の涙を流して懇願する男の姿は滑稽かもしれない。しかし、それが自分だったらどうするか。

 人を助けるのにはリスクがある。この男に手を伸ばそうとして、自分も引っ張られるようでは本末転倒だ。見て見ぬふりをするのは簡単だ。手を振りほどいて、この場から立ち去ればいい。だが、同僚はこの街で過ごすには少しばかり優しすぎた。


「分かったよ……」

「――――ホントか!? もう撤回とかなしだぞ!? 言質取ったからな!!」

「はいはい、それよりも早く見せてみろ。 何が悪くなったんだ」

「焼却炉だよ!? アレ全く動きやがらねぇんだっ」

「マジかよ、面倒くさいことになったな。 最悪、停止させなきゃならなねぇかもな」

「えぇ!? これから仕事なんだぞ!! どうにかならないか!?」


 この世の終わりを迎えたかのように男が顔を真っ青にして同僚に詰め寄る。詳しい人物から齎されたのが、吉報ではなく悲報だったので、焦りに焦っているのだろう。

 頼む、どうにかしてくれ――と言葉には出していないが、表情がそう物語っていた。


「安心しろ、そうなった場合を考慮して幾つもの焼却炉があるんだ。他の焼却炉の担当に連絡して、こっちのコンベアに流れてくるものを一緒に燃やして貰え」

「そ、そんなことできるのか」

「あぁ、というかもう連絡した方が良いな。修理だって時間がかかるんだ。もしものために連絡しておいた方が良い」

「……大丈夫なのか、それ? 壊しやがって!!とかで殺されたりしないか?」

「大丈夫だ。正式な手続きやってれば文句は言えねぇ。修理に時間がかかれば別だけどな」


 男が不安の声を上げるが、同僚は一蹴して作業に取り掛かるために、焼却炉とは逆の方へと歩き出す。

 最後の不安要素は男に聞こえないようにボソリと口にした。彼だって不安なこともあるのだ。


「お、おい!! どこ行くんだよ!?」


 焼却炉とは逆の方向へ歩き出した同僚に男が声を荒げる。裏切られると思っているのか、男の額には大粒の汗が流れている。

 そんな男に向かって同僚は顔だけ振り返り、呆れたように口を開いた。


「何言ってんだよ。さっき、他の焼却炉にゴミを燃やして貰うって言ったろ。それの手続きに連絡もしに行かなきゃならないんだ」

「あ、あぁ……そっか。そういうことか」


 納得がいったというように胸を撫で下ろす。今更ながらに汗が大量に出ていることに気付く。作業服が汗に濡れ、ベッタリと肌にくっつくのを気色悪いと感じながら男は同僚の後へと続いた。


「ったく……」


 休日なのに働くことになってしまい、気を落としそうになるが、関わってしまった以上本気でやらなければ吸血鬼に目を付けられかねない。

 早く修理が終わればいいな、切実な願いを胸にしまい込み、休日出勤の手当ても出ない工場に勤める同僚は、溜息を尽くのだった。

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