第5話激励

 大きく体が空中へと投げ出される。

 言っておくがこれは自分のことではない。自分よりも先に突っ走って行った加賀のことだ。

 このまま走り続ければ、投げ飛ばされた加賀とぶつかり大きな隙を見せることになる。そんなことになれば、二人共マウントを取られてタコ殴りにされる未来しか見えない。


「――ォオオオ!!」


 そのため、勢いを利用してスライディングで加賀を躱し、前へ。後ろで地面とキスをする加賀がいたが、そんなことを目にする暇はなかった。

 目の前に立つ軍服を着た女性――朝霧友梨。

 レジスタンスで数少ない吸血鬼の異能を保有する人物。


 北條が危惧したように訓練という叩きのめしの罰ゲームが始まって以降(北條がそう思っているだけ)、何度も挑んでいるが体に触れることすらできていない。

 ルスヴンが力を貸してくれれば、身体能力だけでも並ぶことはできるが、恐らく身体能力を上げたとしても触れることはできないと試してもいないが予感する。

 一挙一動すら見逃さないという鋭い眼差しが北條を捉える。


「(――ヤバい)」


 スライディングから立ち上がり、前へ勢いよく走り出す瞬間――片足に重心が偏り始めた時を狙って朝霧は動く。

 両腕はだらんと下げた状態から、素早く北條の懐に入り、そのまま流れるような動きで北條の重心が乗った片足を払う。

 その見事な動きは目を離していなかったはずなのに目の前から消えたかのように錯覚させた。


「ブボオ!?」


 ――スパン!!と乾いたような音が戦闘訓練室の中に響き、北條は勢いもあり、固いアスファルトの地面に顔から落ちる。

 本日二度目の鼻への衝撃に思わず、涙したがまだ三度目が残っていた。


「――ちょっとストップ!! 降参、降参しま――バッ!?」


 容赦なく朝霧の拳が顔面へと叩き落され、北條の意識はそこでシャットアウトした。





「(イ、イタイッ――前々からっていうか、ずっと思ってることだけど、あの人容赦がねぇ!?)」

『当たり前だろう。愚鈍な豚が目の前で横たわっているのに逃がす道理はない』


 戦闘訓練室の隣にある男性更衣室。

 そこにある長椅子の上で北條は寝転がって悶えていた。

 彼の鼻は赤い風船のように大きく腫れあがっており、何重ものガーゼとシップが貼ってある。朝から鼻を強打され続けた結果だ。

 同じく訓練を受けていた加賀は先程フラフラと更衣室の外へと出て行った。赤羽も今頃、本隊の奴らと交渉をしているのだろう。従ってここに入ってくる人間はいない。

 そのためか、北條は素直に思ったことを口にしてルスヴンと喋っている。


「……前々から思ってたけど、お前ってホントに吸血鬼? 他の奴らは意気揚々とこっちを使って遊んでくるんだけど?」

『それは獲物が遊び相手になると判断した時だけだろう。奴らだって遊び相手にすらならんと思ったならすぐに殺すぞ…………そう言った点でいえばお主は遊び相手と認識されているのだろうな』

「何、その全く嬉しくない情報」


 ルスヴンから齎された推測にげんなりする北條。

 人間を獲物という認識から外すことはないのかと思う。こちらがどれだけ強くなったとしても奴らの中ではこちらは獲物のままだ。

 これまで対峙した吸血鬼も――そして、前回工場で戦った吸血鬼も止めを刺す瞬間までこちらを獲物として見ていた。

 その事実に歯ぎしりする。



「くそったれ」

『その言葉は力のない自分に対してか? それとも吸血鬼共に対してか?』

「長い付き合いなんだ。分かるだろ?」

『阿呆、お主との付き合いなんぞ余にとっては息を吸って吐くのと同じだ』

「そ、そんなに認識に違いがあるんだな」


 ルスヴンの存在を認識してから数十年。それだけ時間が経てば十分長い付き合いだと言っていいと考えていた北條は、ルスヴンとの認識の違いに言葉が詰まる。

 息を吸って吐く程度。ルスヴンはそんなつもりはなかったが、北條にとっては浅い付き合いだと言われたようで肩を落としてしまう。

 しかし、そんなことは気にしていないルスヴンは北條に言い寄る。


『そら、話せ。分かっていてもこういうことは続けなければ、いずれ途切れるものだ』

「あぁ、そうだな。 あ~~……俺がラーメン屋の店主になりたい訳だったっけ?」

『氷漬けにされたいのか?』

「…………………………冗談です」


 ちょっとした仕返しのつもりでふざけたことを口にした北條に極寒の温度にも負けない程の冷たい声がかけられる。

 北條が死んだ時は、ルスヴンも死ぬがそんなの関係ない。この体の中に潜んでいる吸血鬼は本気でやる。それを身をもって知っている北條は本気の土下座を繰り出す。

 ルスヴンが脅してからコンマ数秒――誰も居ない空間に向かってジャンピング土下座を行った北條を見て溜息をついた。


宿主マスター……さっさと立て。いつも言っておろう。余が憑りついているお主がそんな簡単に頭を下げるなと』

「いや、ほんとさっきは身の危険を感じたので咄嗟に……」

『はぁ……まぁいい。そら、話してみろ。今度はおふざけはなしだ』

「了解です」


 膝を擦りながらも立ち上がりる。

 やはり、ジャンピング土下座は膝が痛くなる。やるべきではなかったといつものようにやってから後悔するのだった。


 そして、北條が椅子へと座り直すとルスヴンの言われた通り、自分の心の内を曝け出す。


「俺は、強くなれてるのかな?」

『成長はしているだろうな。体力はついているし、筋力も幼子の時よりはついている』

「それはそうだろうけどさ。俺が言いたいことは、どれだけ力をつけても吸血鬼達は俺達を見ようとしない。まるで何時でも潰せるみないな感じがあるんだ」

『それが不安か?』

「あぁ」


 どれだけやっても届きそうにない。星に手を伸ばしているような、空気を掴めと言われているような感じ。

 相手が遥かな高みにいるせいで自分の今いる位置が分からない。


『それはそうだろうな』


 そんな不安をルスヴンは一蹴する。


『アイツ等は人間を脅威と思ってはいない。それは人間社会が崩壊した時の資料を見れば分かるだろう。そもそも種族が違う。お前達人間は家畜が歯向かったとしても家畜は家畜として扱うだろ? それと同じだよ』

「…………」

『吸血鬼は強い――それを常に頭に入れておけ。お前達がどんなに努力しようが一人では吸血鬼に勝てん』


 絶対の真実。天地がひっくり返ろうが、海と陸地が入れ替わろうが変わることのない事実を突き付ける。

 かつて人間が世界を支配していた時だってその裏には吸血鬼が絡んでいた。それはただのお遊び、人間をチェスの駒に見立てるような陣取り合戦をしていたに過ぎない。

 僅かだが人間に歩み寄ろうとした吸血鬼もいたのは確かだが、ただの遊び道具か食材として見ていた奴らが大部分を占める。

 飽きた――それだけの感情で世界盤石は蹂躙され、人間は奴隷とされた。

 それができるのが吸血鬼だ。

 それが今殺そうとしている敵の存在だ。


「――――っ」


 会議で情報を伝えられた時は皆がいたから大丈夫だったが、一人になるとこの通りだ。後から後から不安が心の中を支配する。

 覚悟が揺らぐことはない。しかし、本当に辿り着けるのか?そんな疑問が心の内を支配する。

 更衣室の中で項垂れる北條。


 ――そんな時だった。


『安心しろ宿主。お前達人間だけでは目的は達成できないのは事実。しかし、お前がいる。余を宿したお前がいる。この最強の吸血鬼であるルスヴンの魂をな』

「……ルスヴン」

『余がお前を強くしてやる。余がお前を勝利に導いてやる。故にお前は生きろ。 それがお前の一番意識するべき仕事だ』


 傲慢な言い方にふと笑みが零れる。

 誰にも言えないジョーカーカード。それを自分が持っている。

 自分の力の源、立ち上がる理由を作った存在。


「あぁ、そうだな」


 ルスヴンなりの激励に北條は小さく同意した。


 二人だけの静寂の時間――それを打ち破ったのは近づいてくる荒々しい足音だった。


「北條――行方不明者からの救難信号だっ」


 どうやら感傷に浸る暇はないらしい。

 そんなことを思いつつ、北條は立ち上がった。

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