第2話


下ろしていいよと、男の子は言ったけど下ろしたくなかったし、そう言いつつも抱き抱えられたことの無いだろう男の子の顔はとても嬉しそうに見えたから下ろせなかった。



でもさすがに限界だな、と思っていると鞄が振動する。


誰かからの着信だろうが私は今それどころじゃない。



「おねえさん、なんか鞄変だよ」



男の子にそう言われては、取るしかない。


「ちょっとだけ下ろすね」


ちょうど公園もあり、中に入ってベンチに腰かける。男の子は初めて見るのだろうか。


「おねえさん!あれはなに!」


疑問文なはずなのに驚きのあまり、そう聞こえない話し方をする男の子が可愛く思うのと同時に悲しくもなった。


「ブランコだよ」


男の子の手を引き、ブランコに座ってもらい後ろから押す。



「わっ!え!」



「前に来た時に足を伸ばすの、そう、そうだよ。後ろに行ったら今度は足をおるの、こんなふうにね」


隣のブランコに座り、手本を見せる。


そうすると、上手に乗り始める。



「あまりにも高くなったらその動作を逆にすると収まるからね。」



一通り教えてブランコの塀に座り、携帯を取り出す。



"環"



母である美嘉さんすら連絡先を教えずに行方を経った私だったが、環くんにはSNSを通じて連絡先を教えていた。



折り返して電話をする。



「洋ちゃん!」



「うるさ…、環くん、どうしたの?」



「どうしたのって、洋ちゃんすごい剣幕で男の子抱っこしてどっか行くから心配になって!今どこにいるの?」



確かに、男の子の事でいっぱいで環くんの存在を忘れていた気がする。



「ごめん、今多分そこから近い公園にいるよ」




「迎えに行く」



「いいけど、パピーとマミーは?」



「洋ちゃんのことなら、心配してたよ。俺ら家族は洋ちゃんの味方だから!とりあえず迎えに行くから!」



待ってて!


そう言うと返事も聞かずに電話が切れる音が鳴る。


「おねえさん!みて!」



「え…ちょっと!!高い!」



携帯から視線をあげると、コツを掴んだ男の子は立って乗っていた。


あまりの出来事に、大きな声になった私に驚いて手を離した男の子が落ちる。



背中から落ちる男の子に両手を差し出し、滑り込んで受け止める形になった私。結果としては、受け止めることには成功したが、返ってきたブランコに後頭部を強打し、痛みにもがくことになった。


そして駆け寄ることに夢中になった私が落とした携帯は画面が割れた。



「…ごめんなさい」



男の子は私のもがく姿に、驚いて顔を青く染め、震えていた。



「大丈夫。怪我はない?」



「うん…でも、おねえさん」



「大丈夫大丈夫。でも危ないからあの乗り方は駄目だからね」



何度も謝る男の子は、悪い事をして謝罪しているよりも、怒られるのかもしれない恐怖で身体を震わせていたように思えた。



それからはベンチに座る私の隣で静かに座っていた。




さっきまであんなに楽しそうに目を輝かせていた男の子と打って変わった様子に私は笑わずにはいられなかった。



「え」



そんな私が、おかしくなったのかと心配する男の子の様子を片目に私は笑いが止まらなかった。



「ごめんね、あまりにも可愛くて」



「かわいいと笑うの?」



環くんが来るまでの数分間私はずっと笑っていた。




公園の脇に車を停めた環くんが駆け寄ってくる。



知らない人が近づいてくることに気づいた男の子は、私の後ろに隠れるように身を寄せる。



「洋ちゃん、お待たせ」



「来てくれてありがとう。早速で悪いんだけど私のこれからに付き合ってくれる?」



「え?」



「まずこの男の子、幸生のことで動かなきゃ。」



「え、この子名前あったの?」



「いや、名前じゃない二人称で呼ばれてたから私が今つけた」



「いやいやまってよ!」



環くんは、混乱したり慌てたりすると頭をかく癖がある。




「…ぼくのなまえ?」



私が名付けた幸生の方を見ると、頭に疑問符をつけたような顔をして私を見ている。



「そう。はっきり言うと、あんたは名前ではなく人を呼ぶ時の二人称なんだよ。だから幸生には名前がなかったの」



泣きそうな顔をしている幸生に対して、事実を突きつけるのは良いことではない気がした。



「ごめんね。本当は美嘉さんが付けるべきなのに、私が付けちゃった。」



「名前って何」



どういう意図の質問なのか。



「その人だけを呼びたい時に使う特別なものだよ」



「とくべつ?」



「そうだよ。おいで」



自分の膝を叩いて、幸生を膝に向かい合わせに座らせ抱きしめる。



「特別なものなの。本当はお母さんである美嘉さんが付けるもの。その名前を呼ぶ度に愛情が貰える魔法みたいなものなんだよ。だけど美嘉さんはもう居ないから」



"美嘉さんはもう居ない"


その言葉に、肩を震わせ、私の肩に顔をうずめた。私の肩が湿る感覚がした。



幸生は、私と違って本当に母からの愛情を期待して母を信じていたのだろう。そう思うと私もまた自然と涙が出た。



「幸生。幸生にはね、幸せに生きるって意味を込めたんだ。ベタだけど、幸生は私が責任をもって幸せになるための手伝いをするよ」



「おねえさんは、なんで僕を…僕のことを」



溢れた感情が止まらないのだろう。きっと幸生もどこかで分かってたんだね。だって子供が1番敏感な生き物だから、分からないはずがないんだ。


幸生の肩を掴んで、優しく押す。そうして顔を見合わせる。幸生の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。





「幸生、初めまして。私は羽島洋です。私は幸生のお姉ちゃんだったんだ。これからは頼りないけれどお母さんにもなる。


そしてごめんね、ずっと苦しい思いさせて。早く見つけられなくてごめんね。」





涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔を一生懸命手の甲で拭いながら幸生は話す。



「ありがとう…ありがとう、」







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