第2話 噂話

 ベランダから見下ろす景色は四季折々の姿を見せてくれた。木々の葉が紅葉に色付く季節。外に出ると心地良いが、風が吹くと一層本格的な寒さの訪れを感じさせた。もうすぐ彼らの中学校生活が終わりを迎える。


 洋風なデザインの袋を破って、一心は昼ごはんのパンを頬張る。人工的な味もするが、そんなもの友人と一緒に過ごしていれば気にならなかった。一心はぼうっと空を眺めていた。その脳内は先日、鮮烈な出会いをした少女に埋め尽くされていた。


「おーい、一心くん。ボーッとしてどうした?」

「………。」

「コイツ朝もボーッとしてなかったか?」

「何、具合でも悪いの、一心?」

「………。」

「なあ、マジで心配になってくんだけど」

「おい一心、どうしたんだよ」


 脳内にあの少女が埋め尽くされている一心には、友人が自身を心配している声など当然入ってなどいなかった。もしあの時、自分が屋上にいかなければ、あの少女はあんなに儚くも美しい笑顔を見せることなく、空に羽ばたこうとしていたのだろうか。そう考えると、改めてぞっとした。

 そこで佐野に肩を叩かれ、ようやく意識が二人のもとまで戻る。いつになく怪訝な顔をしてこちらを見ていた二人に、一心は「悪い」と一言謝っただけだった。


「何だよ、らしくねえじゃん」

「何か考え事でもしてた?」


 二人にそう尋ねられ、一心はあることを思いつく。


「なあ、原田って女子、知ってるか?」


 自分と違い、普段から女子に目を輝かせている二人ならば、例の少女のことを知っているかもしれない。

 すると彼らはまさかあの一心から、女子の話題が振られるとは思わずに固まってしまう。そんなこと分からない一心は、二人が中々答えないことに少し苛立ちを覚え眉を顰める。一心は少しばかり短気なのであった。


「原田って、何人かいるけど、何組?」

「……いや、それは知らん」

「てかさあ、俺らもう三年だよ?同じ学年の女子くらい覚えようよ」

「もういい、当てにならん」

「おいおい、何不貞腐れてんだよ」

「あ、噂をすれば、原田の一人」


 ベランダの下に広がるのは中庭だった。そこを歩く一人の少女の姿が見える。残念ながらこの位置からは背中姿だけであったが、一心はその後ろ姿だけであっても、見覚えがあった。あの柔らかなベージュの髪、そして華奢な体。あの後ろ姿は間違いなく、一心が衝撃的な出会いを果たした少女で間違いなかった。


「…あいつだ」

「えー!一心あの原田沙織に興味なんか持ってどうしたの?」

「別に興味なんか持ってねえ」

「けど分かるよ、一心。なんか惹かれるよな、原田さんって」

「佐野は好きだもんな、ああいうタイプ。けど、まあ良い噂聞かねえよ?」

「それは一心もだろ?」

「あぁ!?」


 まだ二口程度しか食べていないパンを他所に、一心は少し身を乗り出して彼女の歩く姿を見つめる。そこに数人の女子がやってきては彼女を取り囲むようにして、道を塞いだ。


「原田さんって、入学当初から色々言われててさ。先輩の彼女だとか、違う先輩の元カノだ、とか。付き合ってないけどヤッたとかヤッてないとか。嘘か本当か分からないけど、そういう噂ばっかりで、正直みんなあんまり寄りつこうとしねえんだよな」

「しかも、本人それ分かってて自分からは何も言わないから余計に、噂がねじれて広がりまくってるよね」


 その頃には彼女を取り巻く女子たちが、彼女に何か言っているのが分かった。大勢でたった一人の少女に食いつくなんて、悪趣味にも程がある。一心とてつい先日出会っただけで、彼女のことを深くは知らなかったが、少なくとも一心はそんな噂信じようとはしなかった。


「他校の生徒に絡まれて手上げたとかも聞いたし、先生たちに対しても反抗的なんだって」

「そりゃあんだけ好き勝手やってりゃ、周りからは孤立するわな」

「そんな言い方しなくたって良いじゃん」

「悪ィ…」


 佐野は仮にも自分のタイプである女子を悪く言われたことに気を悪くしたのか、徳島を睨みつけていた。苦笑いで謝る徳島の声を聞きながら一心は、初対面したあの時を思い出す。


「そりゃ学校も嫌いになるはずだわ」

「え?」

「一心、今なんか言った?」


 ちょうどその頃、彼女は大勢でやってきた女子たちを、言い負かして退散させていた。女子の一人が捨て台詞のようなものを言っていたが、残念ながらここまでは届かない。だが、一心が言い負かしたと判断できたのは、彼女が薄らと微笑み、ざまあみろと言わんばかりに舌を出していた。

 彼女のあの発言から、おそらく自身と同じように内に秘めた様々なストレスがあるのは明確だった。だからこそ、何も知らないクラスの連中が、彼女のことを好き勝手に噂立てるこの小さな社会に辟易した。


「原田のことよく知りもしねえのに、そんな噂間に受けてんのかよ」


 一心のその発言は、二人にとってもあまりにも意外すぎるものだった。あの女子嫌いの一心が、特定の女子に興味を持ち、あろうことかその子を庇うような、味方するような発言をしていたからだ。

 しかし、ここで徳島が会心の一撃をかます。


「言ってることは立派だけど、そもそも原田のことよく知らないのは一心じゃね?」

「あ?」

「フルネーム、知ってんの?」


 徳島からの一撃は見事一心に的中した。

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春の彗星 如月 サイ @rosetta212

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