第2話

―――ぬるま湯のような平和と眠たくなるような地味さの国、リハル。


この国には、瑞々しく咲きだした大輪の花のように美しい、国民に至宝と愛される姫君が二人いた。


―――そして、けして凡庸ではないのに妹姫の狂気的な人気のためにあまり目立たない皇太子も、いた。


堅実な皇太子、ハイロンはこの日も執務机の上に山と積まれた書類を黙々と片付けていた。


と、そこへ、軽やかに扉を叩く音が響く。


ハイロンは困ったようなまんざらでもないような曖昧な笑みを浮かべ、手を止めた。


ハイロンは侍従に目配せし、扉へ向かわせる。


両開きの重厚な扉が開けられるなり、二人の美しい少女が滑るように入室した。


部屋の空気は瞬時に華やかになる。


「お兄さま、休憩のお誘いに参りました。」


背の高いほうの少女、まるで崖の岩間に凛と咲く清廉なユリであるかのようなクロエが、にこやかに言った。


ハイロンは最上級の微笑みをクロエに向け、軽く頷いて見せた。


いっぽう、もう一人の少女、シロナはふかふかのソファに真っ直ぐ向かい、遠慮も断りもなくどかりと腰を下ろした。


「兄さま、仕事ばっかりじゃ干からびるって。休憩、休憩!」


…それでもその姿は極上の大花が花びらを開く瞬間のように見えるといい、高貴な身分らしからぬ物言いも妖精の戯言に聞こえるというのだから、まったく不思議なものである……。


「シロナ…、お前を見ているとヒヤヒヤさせられるよ。…頼むから、人前ではくれぐれも気を付けてくれ。」


唐突にぐったりした様子の兄に向かい、シロナは適当な相槌をうった。


ハイロンがシロナの持つ一種の魔法のような目くらましにかからないことが、良いのか、悪いのか、本人すら悩むところだ。


いっそ自分も、シロナの言動を妖精のようだと盲目的に信じ込めたなら…、無駄な心労などかかることがなかっただろうに…。


ハイロンはため息を吐き、用意された香り高いお茶を口に運んだ。


「ねえ、兄さま、私もう婿選び会に行くの嫌!兄さまの権限で無しにしてよ。」


突然のシロナの主張に思わずお茶を吹き出しそうになったのを、ハイロンは必死で堪えた。


「我儘を、言うな…。」


「そもそも何だ、婿選び会って…。公の場に顔を出すのは大事な務めだろう。」


と、ここで、話題の内容から、妹たちに伝えるべき事柄があったことをハイロンは思い出した。


「そうだ、お前たち。近々、アキサザ国から賓客がいらっしゃることになっている。」


妹たちは少し驚いた表情を見せた。


それもそのはず、まともに到達できる入国ルートがほぼ荒海の船路だけに等しいリハル国に、わざわざ大変な労力をかけて来る高貴な客人は珍しい。


この辺鄙な国に来るのは物好きな商人か冒険家気取りの旅行者くらいだと思っていた。


―――しかし、その物好きたちの戦利品が、辺境の美姫たちの思い出話くらいだったからこその結果だろう。


「お前たちの噂を聞いて、はるばる会いに来られるそうだ。」


ハイロンがさらりと言ってのけると、クロエは驚きに息を呑み、シロナは露骨に嫌な顔をして見せた。


正直なところ、ハイロンだって頭が痛いのだ。


つい先頃にも、万が一にも娘を海外に嫁がせることになっては嫌だと拗ねる父王と、ひと悶着あったばかりだ。


そうは言っても邪険に扱えるわけがないし、精一杯もてなすしか道はないだろうに…。


「…くれぐれも、失礼の無いようにな。」


ハイロンは白目をむいて嫌だと主張してくるシロナを呆れた目で見ながら言った。


―――そして、準備は着々と進んでいった。


王宮内では料理人が食事のメニューをあれこれ試行錯誤し、普段より豪華な花飾りがいたる所に置かれた。


楽師や芸人たちも何だか気合の入り方が違う。


そして、主役である姫君たちはというと、優秀な侍女たちに取り囲まれ、細やかな前準備を施されていた。


「お出迎えの際のお召し物はこちらにしましょう。」


「こちらにはこれを合わせて…」


「髪飾りにはこの花をご用意しますね。」


「ご挨拶の際の履物はこちらです。」


服装、装飾品類、髪型や化粧のイメージにいたるまで、侍女たちはテキパキと準備を調えていく。


好きにしろとばかりに身を任せているシロナに対し、クロエはそわそわと落ち着かない様子だった。


やがて、意を決したように侍女たちを見る。


「…ねぇ、私のドレスもこれと似たもので用意してちょうだい。」


クロエはシロナ用に準備が進められている淡い桃色のフリルやドレープの多いドレスを指差し、注文をつけた。


侍女たちが用意するものは、シロナには淡い色合いでふわふわしたもの、クロエには原色系のややタイトなものばかりである。


それは、小柄で見た目は柔らかな印象のシロナと、背が高くはっきりとした印象のクロエとでは、それぞれをより引き立てる色合いとデザインがそうなるからだ。


しかしクロエ的な好みでいうと、シロナに用意されているような淡い色のフリフリを身につけてみたいのだ。


…ちなみにいうと、クロエは淡い色のフリフリだって似合わないわけではない。


シロナとクロエほどの美しさならば、どんな装いも美しく着こなす。


だというのにお許しが出ないのは、侍女たちの美意識が高すぎて妥協を許さないという理由からだった。


「クロエさま」


侍女たちは鉄壁の微笑みでもって対応する。


「こちらのネイビーと白は満天の星空をイメージしております。こちらを身につけたクロエさまは、きっと星の精霊のように見えることでしょう。」


「こちらはバラの花園のように、花に埋もれるご様子を…」


「こちらは風にそよぐ木々のように…」


優秀な侍女たちは、ドレスにこじつけられためくるめくストーリーへと巧みにクロエを誘導し、興味関心のベクトルをクロエ用の衣装類へと調整していった。


いつ見ても、見事である…。


もうクロエは、喜んで淡い桃色のフリフリを諦めることだろう。

 

侍女たちの口車にすっかり乗せられて目を輝かせるクロエに、シロナは憐れみの眼差しを向けた。


つまり、リハル国の女性たちが釘付けになる憧れの姫君ファッションは、侍女たちの磨き上げられた美意識と見事な手腕によって生み出されていた、というわけである。




―――そして、良く晴れた爽やかな日のこと。


ついに、リハルの人々が待ちに待ったアキサザ国御一行が港に到着した。


その日はずっと、色とりどりの花びらが舞い、歓声が鳴り止まなかった。


港から王宮までの道は民衆たちが大挙して押し寄せ、今までにない大規模なお祭り騒ぎとなった。


きらびやかな迎えの馬車に乗り、多くの従者と宝物反物珍獣など様々な貢物を引き連れて王宮へとやって来たのは、アキサザの第三王子だという。


頬の下あたりで真っ直ぐ切り揃えられた黄金の髪と今日の日の青空のような瞳。


洒落た羽つきの帽子と長いマント、袖の膨らんだ見たことのない服装。


出迎えた二人の姫君は思った。


(クロエの)理想の王子さまだ、と―――…。


その時である。


アキサザの王子が連れてきた白鹿が、見知らぬ土地での出来事に興奮して暴れ出し、押さえていた供の者たちを蹴り飛ばして姫君へと突進した。


言うまでもなく、場は騒然となった。


しかし、真っ直ぐ向かってくる鹿をクロエが落ち着き払った静かな眼差しでもって迎え、あわや衝突かと思われた瞬間に素早く横に回り込み、タイミングよく蹴り上げた。


鹿は空中で華麗に一回転を決め、直後、音を立てて地面に落下する。


鹿が地面に転がったまま状況をつかめずにいる内に、慌てて追いかけてきたアキサザの従者によって無事お縄となった。


―――一件落着、とはいえ…、その場は奇妙なほど静まりかえっている。


大事に至らなかったことを素直に喜んでいる妹に対し、シロナは内心でそっとため息を吐いた。


…もう少し、控えめでも良かったんじゃない…?


もちろん、口になどは出さないが…。


ところが予想に反し、アキサザの王子の反応は多くの人々にとっては意外なものだった。


「…何と、素晴らしい…!」


感動に打ち震えた様子でクロエを熱心に見つめる王子は、すぐさま優雅な動きで挨拶を述べた。


「私はアキサザの第三王子、サロメロットと申します。まずはこちらの失態を見事に収めてくださり、感謝申し上げます。」


そしてその後はクロエを、美辞麗句を尽くして褒め称え始めたのである。


シロナがそっと妹の様子を覗うと、クロエは瞳を潤ませて喜んでいた。


それからは、驚くほど上手く事は進んでいった。


サロメロット王子がクロエに惚れ込んでいるのは誰の目にも明らかだった。


王子を見かけるとたいていクロエのそばに寄り添っており、時間の許す限り仲睦まじく談笑しているようなのである。


ふと周囲を見回せば、貴婦人令嬢らが寂しそうな目でクロエを見つめ、野性味を帯びた男らが寂しそうな目でクロエを見つめ、玉座から父王が寂しそうにクロエを見つめ、兄ハイロンさえもが少し寂しそうにクロエを見つめていた。


シロナはというと、渦中の二人に人々の注目が集まったことで蚊帳の外となり、初めてといっていいほど珍しいことに静かで居心地の良い時間を過ごせていた。


またシロナは、サロメロット王子に挨拶した際、彼女の淡々とした受け答えを冷気を感じるほどの気品ですねと王子が例えてきたのも、気に入った。


なかなか良い義弟になりそうだ―――。


シロナは満足げに目を細めた。


クロエを寂しげに見つめていた人々もしばらくすると、…あなたが幸せならば……と、言外に言っているような様子で、ひとり、またひとりと、諦めの表情を浮かべて遠巻きに去っていった。


ひとり、父王だけが恨めしげにサロメロットを見つめていたのだが、それを見咎めたハイロンが父王のそばに行って厳しい表情で何か言うと、リハル国王は両手で顔を覆ってイヤイヤと頭を横に振っていた。


誰もがお似合いの二人の幸せを願い、祝福している様子だった…。




―――しかし…。


「…残念です……。」


これがサロメロットの去り際の言葉となった。


クロエはずっと、俯いていた。


いつもの日常に戻り、庭園の気に入りの場所に調えられたお茶とお菓子を前にして、姉妹はしばし無言であった。


いや実は、シロナは状況を理解していなかった。


サロメロット王子の滞在中、邪魔をしてはいけないという思いから、ひとり好きなように羽を伸ばしていたのだ。


「…何が、あったんだ……?」


この世の終わりのように沈んだ表情の妹に、シロナは恐る恐る尋ねた。


しばらくの沈黙の後、クロエは小さな声で何かぽつりと呟いた。


「……え?」


シロナは耳を疑い、思わず聞き返してしまった。


「…ですから、サロメロット王子に妻となって毎日でもお尻を蹴って欲しいと請われたんです……!」


とうとう、妹は突っ伏して泣き出した。


「…ですので、私は…っ、貴方の、…お尻は……蹴れません、…と、お答えしました……!」


クロエが嗚咽混じりに訴えてくる。


「………。」


「あ、…あ〜……。そう……。」


…そういう輩か……、と、シロナは妙に納得してしまったのだが、妹に何と言ってあげればいいのやら。


理解のある優秀な侍女たちでさえ、おろおろとするばかりだ。


極めつけに、サロメロット王子が置いていった孔雀がこの場に尾羽を引き摺って優雅に登場した。


侍女の一人が孔雀の鼻先に菓子をチラつかせ、十分に惹きつけてからそれを遠くに投げた。


孔雀は見事に菓子を追いかけて去って行った。


それを見届けてから、シロナはひっそりとため息を吐いた。


…憐れ、なり……。




緑美しい庭園に、妹姫の嘆きの声が響きわたる。


リハルの至宝と謳われる姫君たちの尽きせぬ魅力は、本人たちすら振り回し、悩みは悩みのまま、解決の糸口さえ見出せぬまま今日に至るのであった…―――。

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かわいそうな月花の麗姫と鋼輝の剛姫 虫谷火見 @chawan64

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