かわいそうな月花の麗姫と鋼輝の剛姫
虫谷火見
第1話
大陸の東端に、深い森と山、そして大海とに囲まれた小国、リハルがあった。
リハルは他国との地形的な隔たりが深く、交易はそれほど盛んではない。
そのため、大きな発展が見込めない代わりに大きな波風も立ちにくく、良く言えば平和であり悪く言えば貧相な国であった。
さて、のどかな暮らしに暇を持て余した国民の楽しみのひとつが、リハルの姉妹姫の話題である。
小さな田舎の国とはいえ、姫君二人はどの国の美女にも負けない、いや、美女が怖気づいて真っ青になるほどの美しさを誇る、国民の自慢だった。
姫君たちの、赤みの強い明るい長い髪は陽の光のように艶やかで、宝石のような深緑の瞳、陶器のように滑らかな肌、バランスの良い体型。
それは遠目から一目見ただけでも心奪われるほどの見目麗しさ。
姉姫のシロナは十七歳。
この世の者とは思えぬ美貌を持ち、月か花の妖精と例えられる華奢で儚げな雰囲気は、見る者を魅了してやまないという。
妹姫のクロエは十六歳。
武術に長け、スラリとした長身とまるで磨き抜かれた鋼のように怜悧な雰囲気で、特に乙女たちの心を掴んで離さないという。
どちらも年頃ということもあり、近頃は公の場にお出ましになる機会が増え、人々はますますの熱狂を見せていた。
姫君たちは華やかな美しさで人々に眼福を振りまくだけではなく、髪型やファッションの流行の先端を、そして、どの貴公子が姫君の心を射止めるか、など、話題という娯楽をもリハルの人々に授けていた。
―――しかし、である。
民からの憧れと称賛の熱い眼差しを欲しいままにする姫君たちであったが、王宮内では少し様子が違っていた。
リハル王宮は海側の少し高台になった場所にあり、白壁の大きな建物は周囲の景色と調和して壮麗な美しさで佇む。
門をくぐれば、職人が手を掛けて造り上げた庭園と建物が優美に広がり、自然美とはまた違った趣きがあった。
この広い庭園の奥に花園と東屋があり、姫君たちは空いた時間をよくここで過ごす。
この日もちょうど、お茶を楽しもうというところだった。
「お姉さま、昨日出席された催しはいかがでしたか?」
妹姫のクロエが柔らかな微笑みを浮かべて尋ねる。
美しい姉妹を少しでも愛でたいと、この頃はいっそう、リハルの有力者たちが機会を設けるために様々な催しの企画を考え巡らせていた。
その数が多いために姉妹共に訪うだけではこなしきれず、別々に参加することすらあるほど。
姉姫シロナは目を細め、口の端を歪めて精一杯のうんざり顔を浮かべた。
しかしこの表情ですらも、姉姫の恐ろしいほどの美貌と華奢で可憐な見た目の前では、周囲の人々から憂いを帯びた物思いに耽る様子に見られるらしく、気遣いがあるどころかうっとりと眺められてしまうのだ。
幸い、今この場には心を許せる妹姫と理解のある優秀な侍女たちしかいないため、シロナは噛み合わない遣り取りで気分を害することはない。
シロナは連日蓄積された苛立ちを隠すことなく、今だからこそ、自らの顔を使って存分に表現した。
「そのご様子では、あまりお気に召さなかったようですね。」
クロエは姉の様子を見てそよ風のように笑い、侍女たちは余計なことは口にせず、もくもくと給仕に勤しんでいた。
と、この時、たまたまシロナに向かって木の葉が落ちてくるのを、クロエが目の端に捉え、鋭く素早い動きで指先で攫い、そっとテーブルの端に置いた。
流れるような所作で超人的な技を見せた妹に、シロナは軽い羨望の眼差しを向け、ふてくされたように焼き菓子を手に取り口に放り込んだ。
シロナが十歳でクロエが九歳になった頃、二人は護身用に剣術と体術を嗜むこととなった。
大喜びで騎士よりも強くなる目標を立てたシロナが長い期間の努力の末ようやく護身の術を体得したのに対し、クロエは驚異的な才能で短期間の内に下手をすればリハル国一の強者になっていた。
シロナは深いため息を吐く。
「…お気に召すわけがないだろ。もうどこに顔出しても婿選び会になってるぞ。」
…シロナの姫君らしからぬぶっきらぼうな言葉遣いは、もちろん場を選んでのこと。
気の許せる相手の前だけでの口調では、ある。
ただし、公の場でも無表情無愛想に徹し、淡々と二言三言そっけない言葉を発するのみ。
だというのに、やれ麗しい月の精霊だの花の妖精だのと、人々にもてはやされるのだ。
それがまた、シロナは気に食わなかった。
「お姉さまは、人気がおありでいらっしゃるから…」
クロエはにこにこと微笑んでいたのをじわりと曇らせ、ふと遠い目をする。
―――武の才に恵まれ、罪深くも婦女子の心を占領してやまないと囁かれる、眉目秀麗な妹姫。
しかし何の因果か、クロエは澄んだ青空のように純粋で極上の砂糖菓子のように繊細な乙女心を、誰よりも深くその身に宿していた。
そもそも、超人じみた強さを誇ることとなった原点にしても、かよわく愛らしいものを守れるくらいの強さは持ちたいから、というよく分からない理由。
分かりやすく言えば、木の上で鳴いている子猫を助けるくらいの力を求めて、なぜか一国の軍隊を率いれるほどの力を手に入れた、といったところである。
そこらの騎士では太刀打ちできないくらい頼もしくなっておきながらも、クロエはいつか自分だけの王子さまが現れるはず、と、夢見ていた。
「実は…、昨日私が出席したお食事会で、お姉さまにお目にかかりたいという方がいらしたの…。」
このとき、姉であるシロナだからこそ分かったのだが、いつも穏やかさをたたえるクロエの声が微かに沈んでいた。
…シロナは少し、嫌な予感がした。
「とても素敵な方で、美しい長い髪と淡いブルーの瞳をされていたわ。」
「…以前、王宮にご挨拶に来られた際に、お姉さまをお見かけして心を奪われたそうよ……。」
ああ…また、このパターンか…。
シロナはうんざりした。
よくあることなのだが、シロナの可憐な見た目に懸想したどこぞの坊ちゃんが、凛々しいクロエのどこか男性上司か同僚らに似た接しやすさに甘え、厚かましくも搦手で攻めようと、まずは妹姫からお近づきになろうと接近してくるのだ。
そしてそれが、たいていクロエの好みの男だという。
毎度、毎度…。
いや、口には出さないのだが…。
クロエもなぜ学習しないのかと、思ってしまわないこともないのだが…。
クロエはいつも、声を掛けられたことを素直に喜び、すぐに相手がシロナを想っていることを理解し、深く落ち込んでしまう、というわけである。
「クロエ……」
シロナは力なく名前を呼ぶことしかできなかった。
ちなみに、シロナとしてはそんなナヨナヨした男、当然願い下げである。
「……それで、その時一緒にいらした…、く、熊みたいな体格の良い立派な髭の方が…、今度…」
クロエは息継ぎをするように空気を吸い込んだ。
「今度…武芸披露会を開かれるそうで、…お姉さまと一緒にぜひ、と、誘われました…」
「……クロエ…」
…もう、いい。…嫌なのに無理をするんじゃない…。
必死に言葉を絞り出す憐れな妹を、シロナは心の中で気遣った。
繰り広げられた光景が、この目で見てきたことのように想像できる。
クロエ好みの弱々しい男はシロナに紹介してほしいふうを匂わせ、そばにいた熊みたいな男とやらはクロエにぐいぐい積極性を見せてきたのだろう。
そして、その熊みたいな男の暑苦しくもギラギラした雰囲気に、クロエは思い出すだけで恐怖心を抱くほど、怯えきっている、と…。
―――いつも通りの、展開である。
いつも、たいていの場合、こうなるのだ。
クロエ好みのナヨナヨした優男は頬を染めてシロナに求愛し、クロエが苦手とする鍛えすぎて謎の傷をたくさん持つような屈強な男は憧れの眼差しを向けてクロエに求愛する。
更にいえば、そういった場面では決まって、やる気のないシロナがほとんど無言のため、クロエがひとりで―――、人見知りで上手く会話を回せないなりに、自らの誇りと気概でもって精一杯品行方正に対応する。
…それがまた、クロエにとっての悲劇だった。
ちなみに、シロナはどちらのタイプの男にも興味がない。
「断ってくれ。私は、行かない。」
シロナがきっぱりと断言すると、クロエは安心したような表情を浮かべ、溺れかかっていた子犬のように大きく空気を吸い込んだ。
「……はい…。」
弱々しい笑顔を見せたクロエは心なしか涙目だった。
「クロエ、これを食べなさい。この焼き菓子はなかなか美味しい。」
シロナは焼き菓子の乗った皿を手のひらで指し示す。
クロエは力の抜けた様子でゆっくりと頷き、焼き菓子を手に取り両手で小動物のようにかじり始めた。
シロナはそれを優しく見守る。
ここですかさず、理解のある優秀な侍女のひとりがポケットから包みを取り出し、中身を芝生にばら撒いた。
すると、周囲で様子を伺っていた小鳥たちが、遂にきたかと次々に芝生に舞い降りる。
「まあ…、うふふ。」
シロナが嬉しそうに笑う。
芝生に撒かれた餌に群がる小鳥たちは丸々と肥えていた。
もうすでに、餌付け済みといっていいだろう。
「…後で、お断りの手紙を出しておきます。」
少し元気を取り戻したクロエの言葉に、シロナは大仰に頷いて見せた。
何とも、ままならないものだ。
姉の視点から見て、クロエは十分かわいい。
きっと今のような様子のクロエであれば、好みのナヨナヨ男の一人や二人、モノにできないはずはないだろうと、シロナは思っている。
しかし人見知りであがり症のクロエは、人前では厳格ともいえるほどお堅く気高い雰囲気を鎧のように纏ってしまう。
その結果、クロエが苦手とする屈強な男たちが、何か色々と、勝手に惚れ込んでやってくるというわけである。
―――クロエが泣いてしまいそうなので絶対に口にはしないのだが…、正直、シロナはそれが羨ましかった。
一度でいい。
クロエのように他者を圧倒する強さを持ち、その強さに心酔した猛者たちを引き連れ、肩で風を切って歩いてみたい―――。
そう、思ったことは、一度や二度ではない。
しかし実際には、どんなに冷たい態度を貫こうと、うっかり雑な言葉をこぼしてみようと、シロナは月や花の精霊に例えられた。
そして、どこをどうしてどう脳内変換されたのか見当もつかないが、儚く麗しいシロナを我こそが守りたいという優男が後をたたないのだ。
二人の姫君はほとんど同時に大きなため息を吐いた。
―――こうして、リハルの人々を魅了してやまない姉妹姫の尽きせぬ魅力は、本人たちすら振り回し、悩みは悩みのまま、解決の糸口さえ見出せず今日に至るのだった…―――。
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