睡魔法使いの世直し道中

真摯夜紳士

王都城下町ルドベキア

第1話 睡魔法使いの旅人

 無数にきらめく星々。その明かりに照らされた、石畳いしだたみの道を歩く。

 堅苦しい検問を何とか抜けたネロは、手頃な宿を探していた。


(今日こそは野宿なんざしてたまるか……!)


 長い旅路により、元は白いはずのローブも土気色になっている。道中で稼いだ路銀ろぎんは底を突きかけようとしていたが、宿に泊まるという意思だけは固いようだ。


 ネロにとって睡眠は、人生の醍醐味だいごみに等しい。

 寝ていられる間は、俗世のことなど忘れていられる。この世は生きていくだけでも苦労が絶えない。ならばせめて、眠っている一時ひとときだけでも、安らかでありたい――常々、そう考えているのである。


(ふかふかの布団! 寝床!)


 ギラついた目に入ったのは、『安眠荘』と書かれた看板だった。古き良き木造二階建ての宿屋で、その外観は他の民家と区別がつかない。しかし店内かられ出ている明かりに、不思議と温かさを感じた。


 高級な宿場は、旅人であるネロにとって論外である。むしろ、こういったたたずまいの方が薄くなった財布にも優しいだろう。

 これ幸いと、ネロは木製のドアを開けた。


「ごめんください」

「――あ゛ぁ?」

「ごめんなさいっ!」


 ネロを出迎えたのは、強面こわもて達によるにらみだった。思わず尻込みをしてしまう。むろん一風変わった接客ではない。

 本来なら笑顔を向けてくれそうな年頃の女性店員は、顔を赤くした三人の男達に囲まれていた。


 赤茶色の給仕服は水に濡れ、後頭部の高い位置で留めている黒髪は震えている。へなへなと、彼女は地面に座り込んでいた。


 どうやら間の悪いことに、だったらしい。


「んだ、てめぇは」


 ひときわ背の高い男がネロに凄みを利かせる。まるで丸太のような腕に、低く焼けた声。その口から吐かれた息は、濃い酒気を帯びていた。


「……一応、お客のつもりなんだけど」

「兄ちゃん、悪いが他所をあたってくれや」

 女性店員を取り囲む一人が言った。こちらは線の細い体格だ。

「なぁおい見たら分かんだろ。空気読めって」

 口元にヒゲをたくわえた男も便乗してきた。


「いや見ても分かんないから。読めないからね、俺そういうの」


 第一声に驚いてしまったものの、既にネロは、いつもの調子を取り戻していた。一切合切が面倒だとでも言わんばかりに――そのローブに隠れた眠そうな半目を、男達へと向ける。


「なに、どうしたの。怖がってるじゃん彼女。寄ってたかって囲んじゃって。儀式か何か?」

「あ゛ぁ!? ふざけてんのか、てめぇは」

「そう言われてもな。事情を話してくれないと衛兵呼んじゃうだけだよ? 空気読めないだけに」


 わざとらしく聞こえるようにして、ヒゲ面の男は舌打ちをした。


「ざけやがって。こちとら酒でも飲んでねぇと憂さぁ晴れねぇってのに、こいつが止めてきたから悪いんだろうが!」

「う、うちは……酒場じゃ、なくて……」


 ようやくにして、縮こまった女は声を震わせた。精一杯の反論だったようだ。しかしそれが男達の火に油を注ぐ。


「ぅるっせぇ、こちとら客だぞ、客! 客に言われたんなら出すのが商売じゃねぇか、なあ!」


 ひょろい男の言葉に他の連中が頷くと、揃って下卑げびた笑い声を上げた。

 それとは対象に、店員は涙ぐませながら「助けて」と弱々しく呟く。


 またか、とネロは溜息を吐いた。

 弱者は強者にしいたげられ――そして強者も、どこかでは弱者と成り下がり、またしいたげられている。


 王都の城下町でさえ、この有り様なのだ。こういった不条理は、世界中のあらゆる場所で蔓延まんえんしているだろう。


 人は、魔族に負けてしまったのだ。が、そうであったように。

 今では交易からまつりごと、ひいては武具の管理までもを魔族に委ねられている。


 霊長類としての地位や名誉、そして尊厳は、地の底にまで落ちてしまった。


 その絶対的な支配からは逃れられない。に背く禁忌を犯せば、それ即ち重罪となる。

 魔族によって与えられた平和。人は心にわだかまりを残しながら、それに甘んじてきた。


 ――だが。


「あ~、うっさい。これじゃあ、おちおち寝てられねぇぜ」


 ここに、そんな人々の目を、覚まさせる者がいる。


「……聞き間違えか? なんか言ったかい、兄ちゃん」


 筋骨きんこつたくましい男の一言に、他の二人は口をつぐんだ。女性店員は押し殺した悲鳴を上げる。この威圧感が漂う中で、今もって喋れてしまうのは、ただ一人。


「夜中に近所迷惑なんだよ、お前ら。もう家に帰って寝ちまえ」


 背荷物を降ろし、ネロは頭に掛かったフードを取った。


 水色の髪の毛は、まるで寝癖のように跳ね返っている。加えて、やる気のない半眼――その瞳は深い青に染まっていた。


「喧嘩、売られてるんだよな、俺ぁ」

 熊のような男は、青筋を浮かべながら仲間に訊く。

「あっちゃあ、死んだぜ、兄ちゃん」

「身ぐるみがされるだけで済めばいいがなぁ」


 パキポキと指の骨を鳴らす男達。誰もがネロの敗北を悟っただろう。背丈こそ変わらずとも、圧倒的に筋力が違う。ネロのような優男では、おそらく拳一つで昏倒こんとうするに違いない。数であっても負けている。多勢に無勢だ。助けを求めていたはずの女性店員でさえ「や、やめて」と懇願こんがんしていた。


「へ、おっかねぇ」


 そう口で言いつつも、しかしネロは逃げようとしなかった。腰から一本の杖を引き抜き、指先で一回転させ、いかにもな構えを取る。道端で拾ったような木の棒だったが、杖は杖。

 それを見て男達の顔色が変わった。


「こ、こいつ」

「魔法使いか……!」


 そう、腕力で敵わない差は――魔力でくつがえる。よほど才能に恵まれない限り、個人差はあれど、人は魔術か祈術きじゅつ、そのどちらかを使えるのだ。


 今や人と魔族の生活に、それは欠かせない。一般的な教養を受けているのなら、成人となる前に魔術の何たるかは知っているだろう。


「怖気づくな」強面の大男は言った。「魔法使いだろうがピンからキリだ。こんな見すぼらしい格好の奴が、まともな魔術を使えるわけがねぇ」


 握り拳を作り、男は腰を低くした。


「術なんざ使われる前に、殴った方が早い。それに、こっちは三人がかりだしな。囲んじまえば、こっちのもんよ」


 考えなしの突進。力任せに突撃あるのみ。

 魔法は練れば練るほど術の効力を増すが故に、大抵の魔法使いは、そうしている間にやられてしまう。どれだけ魔力があろうとも、術者自体は生身の人間なのだ。それも学に努てきた非力そのもの。ネロはもとより他の術者だろうと、それは同じで――


「ご託はもういいっての。さっさと来い」


 プツン、と糸の切れる音がした。


「……な、めやがってぇえええええええ!!」


 ネロの淡白な一言が、男の堪忍袋を切れさせる。


 言葉通りに、強面で筋肉質な男が猛牛のように駆け出した。ネロは相変わらず無気力なまま、杖の先端を迫り来る巨漢きょかんへと向け――


「ほい」


 接触の間際、女性店員は思わず目をつむった。続け様にバタリと倒れる音が聞こえ、さらに強くまぶたを押し付けた。


 乱闘騒ぎは、この酔っぱらい達が落ち着くまで収まらないだろう。母と二人、仲睦まじく暮らしてきた店が、たった一晩で滅茶苦茶にされる。絶望に顔が青ざめていった。


「て、てめぇ!」


 こうして、また店が荒らされる。彼女にしてみれば、酔っぱらいだろうが魔法使いだろうが同じことなのだ。どちらにしても、店の物を壊すことには変わりない。


 たとえ魔法使いが高名な人物だろうと、男達へ反撃すれば、それだけ店の被害も出るだろう。火術であれば店が燃える。水術であれば水浸し。治安が悪化してから、もう何度目になるのか分からない争い事。


 こんな生活が、一体いつまで。


「な、何しやがった!?」


 しかし今宵こよいは、何かが違った。


「なにって、眠ってもらったんだけど」


 場違いに落ち着き払った声が、彼女の固く閉ざした目を開かせる。


 ネロの足元には、熊のような大男が倒れていた。ピクリともせず、うつ伏せで。まるで死んでいるかのように。


 そして皆の視線が集まる中で――魔法使いは、高らかに天へと拳を掲げる。

 噛み締めるような小声で、さも難敵を打ち負かしたかのように。


「勝った……!」


「納得いくかボケェ!!」


 残ったヒゲ面と痩せた男が次々に襲いかかる。今度は二人がかりだ。これを対処するには、詠唱なしの即応性が求められる。その分だけ威力が弱まってしまうのは言うまでもない。まして人間を無力化させるほどの魔術ともなると、尚更なのだが。


「ほい、ほい」


 わずか二振りで、事は終わってしまった。

 突如、男達は足を止め、その場で魔法使いに対し、疑念に満ちた眠気眼を送る。


「か、体が」

「……なに……しや、がった、こらぁ……」

「いやだから、眠らせたんだってば」


 またしてもネロは指先でクルリと杖を回転させ、元あった腰の後ろへと横差しにした。


「お前らには、わざと手加減しといたよ。こいつ重たそうだしな。二人で運んで帰らせてやってくれ」

「ん、だと」

「それが嫌なら――」


 瞳孔どうこうの青色が、静かににごる。


「永遠に眠りたいってか?」


「……ぐっ。おい行くぞ」


 さながら徹夜明けで泥酔した人間を引き摺るように、酔っ払った男達は『安眠荘』を後にした。

 ネロはそれを見送ると、へたり込んでいた女性店員の所へと赴く。


「宿を探してたんだ。もう色々あってクタクタだぜ。一晩だけでも泊めてくれないか?」


 一部始終、余すところなく見ていた店員は、慌ててポケットから宿泊名簿を取り出し、恐る恐る口にした。


「お、お客さん、お名前は?」

「ああ、俺は――」


 今にも寝そうな魔法使いは、あくび混じりに、こう名乗った。


「ネムイ=ネロ。しがない旅人さ」

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