武蔵野鉄道に乗る

Garanhead

武蔵野鉄道に乗る

「聞かせてもらえるかい。その『幻の鉄道』のことを」

 薫は老人から話の続きを促されて頷き、池の前のベンチに座って口を開いた。

「現在の中央本線が走る一部区間は、甲武鉄道という鉄道会社が運営していた。ここまでは良いよね。その立川から柏木のルートは、武蔵野を横断するように長い一本の線路で結ばれていたんだ。柏木から新宿を経て都心へと線路を伸ばしていた」

 早口になると瞬きまで速くなるのは薫の癖だった。まるで目の前の世界に存在する曇りを取り除こうとするように、執拗にぱちぱちと瞼を開閉させる。

「甲武鉄道の国分寺から川越にまで至る線路があるんだ。今は西武鉄道だね、昔は川越鉄道と呼ばれてた。明治二十八年に開業。川越で集めた荷物を都心まで運ぶ。でも、大正十二年に川越より少し西の飯能から池袋まで至る鉄道が出現した。それが武蔵野鉄道」

「川越鉄道と武蔵野鉄道」

 老人は頭の中で地図を描いているのか、宙を見上げて述べた。

「川越から都心に出るためには、川越鉄道で国分寺まで出てから、甲武鉄道に乗り換える必要があった。けれど、武蔵野鉄道の開業で利便性は増した。それに危機感を抱いた川越鉄道は村山線という支線を敷いて、東村山から高田馬場までを通した。で、この村山線、ちょうど武蔵野鉄道の線路と並ぶように敷設されたのさ。ここに武蔵野鉄道と川越鉄道の争いが始まった」

「どうなったんだ」

「結末は面白くない。最後は全て西武鉄道になった。でも、僕の追う『幻の鉄道』はそんな鉄道戦争の最中に生まれたと言われてる。武蔵野鉄道と川越鉄道。この二つの鉄道会社は利用客の奪い合いをした。村山貯水池という景勝地ができれば、そこへアクセスできる線路を作ったり駅を作ったり。運賃も安値競争が行われた」

「村山貯水池はこの横田公園からも近いのう」

「謎はここからだよ」

 ぱぱぱぱぱと薫は瞬きを繰り返して声をうらがえす。

「僕たちのいるこの横田公園にも武蔵野鉄道はどうやら支線を伸ばそうと計画していたようなんだ。ただし、実際に列車を運行した事実はないし資料もない。ただ、近辺の住人たちからこんな写真が集まっているんだ」

 早口で捲し立てると、スマホを操作して画像を出す。白黒で画面全体が掠れたような写真であった。

 野原に梯子のようなものが横たわった画像に、男たちがつるはしと思しき道具を振るって地面を砕いている画像。

 ある風景が共通して写り込んでいる。老人もそれに気づいたらしい。

「村山貯水池が見える」

「しかも、迂回するように撮影されているんだ。つまり、線路は横田公園を目指して作られている」

「興味深いな」

「だから、僕は謎を追っている。命題は『武蔵野鉄道多摩湖線、延伸計画の謎』だよ」


「面白いだろう? 武蔵野鉄道は多摩湖より先へ線路を通そうとした。理由は分かるかい」

 薫は首を横に振る。

「都心の人たちを武蔵野の自然に案内したかったんだ。鉄道は橋だ。かける人たちの思いを忖度すれば目的は自ずと見える」

 横田公園で老人に説明したことは、数週間前に父から聞かされたことであった。

 闘病で痩せこけた父は、いつも薫と病室ではなく病院内の庭なり回廊なりで会っていた。

 薫が物心ついた時から父は入退院を繰り返していた。だから、治療によって父がどんな姿になっていようとも、いつかは家に帰ってくるものだと思っていた。

「薫はどうして世界にはこんなにも謎が満ちていると思う?」

「謎なんてないよ。パソコンで検索すれば大体のことは誰かが知ってるし、そうでなかったら面倒だけど本を読めばいい」

「じゃあ、薫に出した問題の多くはどこかに答えが書いてあったかい?」

 一寸、薫は考えた。

 父は薫が見舞いに訪れる度、何かしらこの世界に関する謎を提示した。

 何故学校が存在するのか。何故お金が存在するのか。どうして富む人と貧しい人がいるのか。愛される人と愛す人がいるのか。

 薫はこれらの事柄をネットに尋ねたが答えは多岐に渡り、十歳の彼には理解できない言葉で書かれていたものもあった。

 答えは自ら突き詰めるしかなかった。苦し紛れでも解答を用意して父に提出した。

 どの答えに対しても父は褒めも責めもせず頷くだけであった。子が成長したのを見届け、その事実に満足しているようだった。

「世界の謎に挑むんだ。道を行けば必ず迷う。でも歩き続ければどこかに抜ける。なあ、薫。武蔵野鉄道の謎を頼んだぞ」

 父はそう言って病棟の中に戻り、そして二度と出てこなかった。


「お父さんのくれた最期の謎が、君をこうまで駆り立てる訳だな」

 薫の話が全て終わると、二人は林の中へと謎を追いかけて進む。

 横田公園から多摩湖の方角へ続くルートはそれこそ無限にあったが、父がヒントとして遺した写真から推測するに、線路は田畑を避けて敷設されている。原野を突っ切るような道を選んだに違いない。それならば、田畑とそれに接する民家がある場所は除外される。問題は後に住宅地となった場所だ。古い地図でもあれば除外できるのだが、あいにく手に入らなかった。なので、薫は雑木林と原っぱの境を中心に調査を進めた。宅地がほんの数十年で出現することはあれど、林はそうもいかない。

 落葉樹に縁取られた野こそが、謎を最も明るく照らしている。

 公園付近からしばらくは初夏のすずかけの木やエゴノキの中を鳥類の囀りが世界を彩るのだが少し歩くと舗装された道路に出てしまう。

「候補は無限にあれど自分の足で調査できる場所は一、二カ所か」

 現実に横田公園から離れれば道路が張り巡らされているから、歩ける場所は林の中しかなく、そこにはきっと線路の跡はない。

 それでも薫は諦めなかった。謎に向き合う時、必ずその側には父がいるような気がしたからだ。

 しかし、今の薫には懸念があった。これまでがむしゃらに迷って来たのは、いつも謎の先に父がいたからだ。その安心感が薫の足を前へ進めたのだ。

 今はもう父はこの世にいない。

 このまま迷い続けて自分はどうなってしまうのか。薫は胸を騒つかせながら懸想する。

 林を抜ける気配がして、またもや道路に阻まれるのかと思った。

 だが、薫の眼前には別の林が存在している。それはすなわち「林と林に挟まれた原野」があるということだ。

「おいっ、危ねえぞ!」

 老人の制止を無視し薫は野に降り立つ。

 荒野だった。草木よりも崩れた方形の石が目立ち、何十年もの歳月により踏まれ続けた草は控えめに散見された。

「バラストだ。線路が近くにある」

 膝をついて地面に手を伸ばせば、萱の隙間に形の整った石が見つかる。枕木の下に敷かれ、線路を固定するバラストと呼ばれるものだった。

 薫は五里霧中、興奮して先へ先へと進んでいく。

 やがて、不自然に凹んだ地面と、その断面に根をさらけ出しているすすかけの木の付近に線路の断片を認めるのだった。

 これこそ、武蔵野鉄道が横田公園の付近にまで延伸していたという証左になる。

 薫は幻を眺めるように足下の線路の一部を見やっていたが、さらに林を進めばまだ新たな発見があるのではないかという期待に胸が震えた。喉が詰まるほど渇いている。駅の跡も見つかるかもしれない。

 その予感に薫は呼吸を荒くした。そして、土をかき分けるようにして走り出す。

 梢を揺らす初夏の風に横っ面を押されながら疾走すれば、幾度も足下の感触が変わる。

 やがて、薫の目の前には本当に駅舎が現れたのだった。木造造りで日陰の中にある駅だ。一つのホームに一つの線路。列車までもが停まっている。

 薫は目を疑った。

 ホームに人が立っていたからだ。

 しかもそれは薫のよく見知った人物、この世界の謎を彼に提示し続けた父親であった。

「間に合ったか。もうすぐ列車が出るぞ。切符は買ってあるから早く乗ろう」


 横一列の座席に薫は父と並んで座っていた。乗客は彼らだけであり、乗り込むと同時にゆっくりと発車し始めた。室内には電灯がなく、発車時に体を大きく跳ねさせた揺れがあったので、恐らく電化されていない車両だろう。

 薫は縮こまっていた。何を話して良いのか分からない。父は薫の肩を叩くと、窓の外を見るように指を差した。

 武蔵野の大地を走る鉄道からの風景が広がっていた。

 山桜の真っ白な花弁が辺りを白く染め上げ、発色の良いレンギョウが野に輝きの線を描く。動脈の広がりのように萌黄色の草花が張り巡らされ、風が吹けば風景は一瞬でかき混ぜられて乱反射していく。

 色つやのよい和菓子のような紅葉は、愛おしく尖り、太陽の輝きを透かしている。野鳥の声に、深き緑は無風の時でさえ深く重い低音で葉を擦らして枝を軋ませて呼応する。

 熟れた森は暗い。真っ赤な紅葉の鮮やかさが出血のように映る。野分がそれらの葉を落とし、枝を切り折り破壊し、豊かな土を作る。銀杏の並木は早くなった日暮れに明るさを足す。

 寒々しくなった梢の集まりに、残された色彩は欅やクロマツの葉ばかりとなる。寒空を迎えるように傘を閉じて森は呼吸を楽しむ。落葉樹の細身は次の季節を待つかのように清く沈黙する。

 薫は列車の窓からこれらの景色を目まぐるしく見た。

 その様子に父は笑うと、力強く薫の手を取るのだった。

「迷うことを恐れるな。世界はこの景色のように移ろい謎は満ちる。それを最後に伝えたかった」

 父の声を聞きその真意を探ろうと沈黙していた。しばらくして頷いてみせると、薫の意識はそこで途絶えるのであった。


 薫は老人の声で目が覚めた。

 どうやら切り株の上で寝かされていたらしい。聞けば、薫は傾斜から足を踏み外して頭を打ったらしかった。とにかく立ち上がると老人は薫の背中に声をかける。

「もう謎は良いのか? 武蔵野鉄道の謎は解けたのか?」

「大丈夫だよ。これからは自分の足で迷うことにするんだ」

 薫はそう告げると、老人と共に横田公園の方角へと戻って行くのだった。

 それからどこかではぐれたのか、元の池の所へ戻る頃、老人の姿は見えなくなっていた。どこか遠くから列車の走り抜ける音が聞こえてくる。


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