第15話 南海路ぶらぶら。幻の書店(たぶんもうない)の情報求む! 四日目最終日その2 2009年7月初台湾

 外へ出て、南海路を中正紀念堂駅へ向かって引き返す。

 途中、いかにも夏休み中の中高生な感じの女の子が二人、キャラクターグッズの缶バッジをたくさんつけたリュック背負って信号待ちしているのを見掛け、なんともほっこりした気分に。オタクに国境はないねえ。

 この交差点はたぶん、南海路と南昌路の交差点だろうと思う。

 そして、たぶん、ここから南昌路を少しだけ南下して、南昌路の一段9巷か31巷辺りに入り、また南海路へ戻るというようなルートを取ったんではないかと思うのだ。

 というのは、写真にもなんにも残っていないのだが、この交差点から南門市場に到るまでの間に本屋に入った記憶が確かにあるので。

 店名も何も一切覚えていないのだが、角地にある路面店だった。割と小ぢんまりとした書店で、一階二階だったような気がしなくもない。

 時刻は11時半過ぎで、店はまだ開いたばかりのような印象だった。今回も威向のBL小説の有無を訊ねたはずだ。漫画類も取り扱っている書店ではあったが、在庫はなかった。やはり二フロア使っていたかもしれない。階段の傍に平積みコーナーがあった気がするので。

 平積みになっていたのは是枝監督の「歩いても歩いても」の小説版だった。是枝監督作品は台湾でも人気があるのかと思ったのと、あと好きな映画だったので、本があるということは台湾でも上映があるんだなと単純に嬉しかったのを覚えている。

 「歩いても歩いても」は台湾でのタイトルが「橫山家之味」で、2009年の春に台湾では封切られたらしい。ちなみにこの時、小説版の翻訳を担当したのは「太陽の子」の鄭有傑監督だったそうだ。

 店を一旦出たところで、角の窓に面す形でたぶん漫画だと思う単行本がシリーズで平積みになっているのに気付いて、外からそれを眺めたはずだ。台湾人の著者による漫画(ラノベかも知れない)だったはずだが、どうも日本の鎌倉時代辺りが舞台らしく、鎧やら十二単が驚くほど正確に描かれたいた。

 着物関係は日本のイラストレーターでもあの頃意外といい加減で、特に平安鎌倉時代なんかだと広袖のはずの衣装が小袖になっていたりするのなんてざらだったので、台湾でもこういうの好きで勉強して描いている人がいるんだと胸が熱かった。

 そんな思い出のある書店なので、ぜひまた再訪してみたかったのだが、この十年南門市場周辺に近付く機会がなかった。去年、この辺りをそれこそ路地一本一本歩き尽くす機会があったのだが、この書店には出会えなかった。

 たぶん閉店してしまったのだと思う。だが、せめて名前が知りたい。この書店が本当にそこに存在していたのだと確認したい。

 誰か、この辺りに2009年7月に存在していた小さな書店を知らないだろうか。そんな書店があったなと記憶していたりしないだろうか。


 あおやんが米粉を買って帰りたいというので、食材なら南門市場で手に入るはずだと市場に足を踏み入れる。

 最初に入った地下一階部分は生鮮食品コーナー。日本では見かけない魚やら、羽をむしられてつるんとした状態になったまるごとの鶏やら、豚の顔面やらが並んでいる。

 米粉が買いたい、と店の人に訊ねると、乾物の販売は三階だった。今いるフロアは地下だが一階扱いなため、建物二階に上がればいいということらしい。

 階段を探し、二フロア分上って三階へ。

 この三階では、なんとこの年の大河ドラマ「天地人」のテーマ曲が流れていた。いったいどれだけ日本のドラマが好きなんだと度肝を抜かれた瞬間だ。

 リップサービスでもポーズでもなく、ほんとに台湾の人たちは日本のドラマやら映画やら漫画やらラノベやらBLやら大好きなんだと実感した。

 天地人を聞きながら、米粉を扱っている店を探してフロアの奥へ。おじいさんが営んでいる乾物店で米粉を買う。

 枕のような巨大袋に入っているのでぎょっとしたが、少量パックもあった。他に「出汁を取るのにいいよ」と干し海老を勧められ、これも少量パックで購入して、市場の外へ。


 MRT入口へ向かおうとしたところで、市場入口で死者へのプレゼント用にお焚き上げするための、紙で作ったあれこれを売っているのに気付き、ついついこれを物色してしまう。

 携帯電話とかあって、なかなかにいまどき風だ。

 この数年前、日本でひっそりと封切られた香港映画で、これらの副葬品が大量に出てくるアクションコメディがあって、以来この日本にはない風習がものすっごく気になっていたのだった。

 なお、この手のものは台北の行天宮に隣接した葬儀場の周囲の商店街が専門店街になっている。メイドさん付きの豪邸やら衣装セットやら色々売っているので、興味がある人は買い物に行って、自分の葬儀を台湾風にするというのもありだと思う。


 12時20分くらいに駅の中へ。ここからは急いだ方がいい。

 雙連駅からはタクシーでホテルへ戻り、その後まだ少しだけ時間があったので、ホテル傍のセブンイレブンでドリンク購入。私の荷物はまだ店内にある。

 更にあおやんをロビーに残し、一時までには戻るから、とカメラを手に路地を走って、ホテル周辺の昼間の景色を撮影。

 この時撮った写真には、吉林路123巷が松江路184巷に名前を変える辺りにあった、2009年当時の台北福興宮の姿が写っている。

 駐車場の一角に、赤く塗られた鉄骨の躯体とトタン屋根、一面だけ組まれた煉瓦壁、というなんとも言えない廟だった。

 今はこの駐車場にあったモルタル木造バラックみたいなのが全部なくなり廟も移転して、この部分は普通の時間貸し駐車場になっている。

 ちなみに吉林路123巷から松江路184巷は、このブロックの中で唯一斜めに走ってY字路を形成している路地。路面をよく見ると暗渠だとわかる道の一つだ。

 栖木ひかりさんの「時をかける台湾Y字路」で№12の「オアシスY字路」を形成しているのがこの路地で、かつて廟があった駐車場はオアシスY字路のちょうど向かいにあたる。


 吉林路123巷から吉林路に出て陽春麺屋を撮り、豆花屋も撮影。今はもうない豆花屋の名前は「大稻埕豆花」だった。

 お汁粉屋は南側にもう少し行ったところだったので、この店の写真はなく店名ももはやわからない。

 檳榔屋台の店先を撮り、「阿房宮」というマッサージ屋の「全身の指マシサーミ゛」という残念日本語看板を撮り、割包屋を撮ってホテルへ駆け戻る。

 ガイドの鄭さんと合流。チェックアウト手続き中なのでホテル傍なら写真撮っていてもいいですよとのことで、角の弁当屋台やホテルのレストランから見える道の向かい側の店などを撮影。


 1時10分にホテルを出発し、空港へ向かった。

 車内で今回の旅の感想を訊かれる。

 大満足ですとしか言いようがない。そしてもっともっとここにいたいという思いに、朝、雙連駅に向かって歩いていた時から駆られていた。


 台湾に一度旅行で来た人の何パーセントかは確実に、リピーター以上の「何か」になる。

 日本から近くて旅費も安くて、というのも理由の一つだとは思うのだが、それだけでは説明のつかない「台湾中毒症候群」としか言いようのない感じで台湾にはまる人というのが一定層出てくる。

 これに罹患した人を日本に置いておくと、ほぼフランクフルトに連れてこられたアルプスの少女ハイジな感じで、重度な欠乏症を発症する。何を見ても台湾を思い出し、寝ても覚めても台湾を思うようになるのだ。欠乏症なので、治療法はただ一つ、台湾に行くしかない。

 保険適用してくれてもいいのにと思うこの病に、私はこの時の旅で完全に罹患した。


 いつ罹患したのか。

 三日目に二二八和平紀念館を「次回こそ」と思いはしたが、あの時はまだ「また観光に来よう」くらいな気分だった。

 だが空を見上げながら雙連駅まで歩いていた時に私の中に込み上げてきたのは「ここから離れなきゃならないのは間違ってる」みたいな感情だった。

 たとえば夜に星が見えたり、歩いていて道が静かだったり、そんなごくささやかな要素が積み重なって、なんだかものすごくフィットする場所になっていた、それが私にとっての2009年7月の台湾だったのだと思う。

 居心地がいいというよりは、パズルのピースみたいにすぽんと正しい場所にはまり込んだような感覚。肩を竦める必要も首を竦める必要も背伸びする必要もなく、収まるところに収まった感覚。


 せっかくはまったピースを、なぜわざわざ外してよそへやらねばならんのだ、というのがこの時の私の気分だ。

 そんな理不尽な話があってたまるかい、と。

 どう考えても理不尽なのは私の方だ。

 しかしもはや叶うならばこのまま定住したいくらいの執着心が湧いていた。

 魂の故郷というのがあるなら私のそれは絶対台湾だ。前世のどっかで台湾にいたに違いない。というか、台湾に生まれるつもりがちょっと座標を間違えて日本に生まれたとかなんじゃなかろうか。本来生まれるはずだった場所に30年(ややサバ読み)の時を超えてようやく戻ってきたのになぜ日本に帰らにゃならぬのだと声を上げて訴えれば定住権がもらえるなら、あの日の私は絶対やっていたと思う。大王椰子にしがみ付いて新種のコアラにだってなっていただろう。


 絶対また来ます。

 そう答えて桃園空港に着いた。

 チェックインを済ませ、出国手続きをし、搭乗前に昼ご飯。

 ここでようやく牛肉麺を食す(醤油&五香粉スープタイプ)。台北駅傍で行きたかった店も、次回は行ってみたい(と思っていたところ、そのルートを通る機会が全然なく、10年くらい経ってようやくあの店と再会できた)。

 帰りもチャイナエアラインだが、今日は普通に離陸してくれたおかげでそれほど怖くはない。機内で出てきた夕飯(確か海鮮あんかけご飯的なメニュー)も、この日は普通に片手で容器、片手でスプーンを持って食べられた。

 あおやんとおしゃべりしつつ機内雑誌を読んだり、機内にお土産販売が回ってきたのでフライトアテンダントフィギュアを購入してしまったりしながらのんびりとフライトし、帰国。

 さしてトラブルもなく日本の日常へと戻った。


 そしてその週末に、運命の出会いが待っている!!



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