第14話 目指せ台北植物園 四日目最終日その1 2009年7月初台湾
最終日も6時起床。本日もいい天気になりそう。
今日は植物園に行く予定なので、シャワーの後、2階のパソコンで植物園の開園時間をチェック。
開園は4時、入場無料で温室への入場も無料。
朝食ビュッフェ食べつつ、今日の予定を相談。
基本的には植物園見学の後、1時までにホテルに戻ってくればいい。ただしチェックアウト自体は本来12時なので、出掛ける前に荷物をロビーに下ろし、部屋は空けておく必要がある。
それと、今回の旅で買った傘は、荷物に入りきらず持って帰れないので、昨日書いた手紙にもう一つ、使ってくださいのメモを足してホテルに残していくことに。今日のこの晴天なら、傘はいらないだろうし。
ついでに昨日買って冷やしてあるライチを剝いてお弁当代わりに持っていって植物園で食べようということになり、ライチを入れるビニール袋を、食事の後にフロントでもらうことにする。
今日の朝食メニュー、蛋白質は焼きハム。卵も今日は目玉焼き(タンオーバースタイル。台湾の目玉焼きは早く火を通すためなのかタンオーバーが多い)。中華メニューは焼きそばと大根餅。
本日のプリンはパンプティングだ。フランスパンに卵液が沁みとおってふんわりジューシー、そして超新鮮な卵&牛乳味。
台湾朝ごはん店に心惹かれなくもないが、このプリン様の存在には負ける。このプリン様さえあれば、毎日ホテル朝ごはんでかまわない。
フルーツは今日は西瓜で、テンション上がる。
2日目の記事でも書いたが、蔡明亮監督の映画で「西瓜」という邦題の付いた映画があって、この邦題の通りにこれでもかというくらい大量に西瓜が出てくる。
設定としては、物語中の夏はものすごい渇水で断水が相次ぐため(だからヒロインは勤め先の故宮博物館へ毎日大量にペットボトルを運び込み、トイレの水道から水を汲んではボトルを外へ投げ、帰りに回収していく)、喉の渇きを癒すのにスイカジュースが推奨されている状態。
つまりスイカジュースはやむを得ず飲んでいるアイテムで、そのため主人公がこっそり窓から捨てたりしてもいるのだが、それでもヒロインがジューサーになみなみと作って主人公に差し出す出来たてのスイカジュースは文句なしに美味しそうに見える。
そんな訳で台湾で食べたいフルーツの筆頭は、実は西瓜だった。金瓜石行きの車の窓から見えたトラック山盛りで憧れが募っていた西瓜を、ようやく最終日に食べられた。西瓜万歳。
朝食を終え、あおやんは部屋へライチを剝きに、私はフロントへビニール袋をもらいに。
これはなかなか目的が通じず、長時間の遣り取りになった。
果物を入れるビニール袋が欲しい、だと当然向こうは「皮の付いた果物」を包むんだと思うわけだ。
しかしこっちは、「剝いた果物を入れて、果汁を零さないためにビニール袋が欲しい」訳で。
清潔なビニール袋、と言い、皮つき果物が皮なし果物にチェンジするのをものすっごくへたくそな絵で描いて示し、ようやく意図が通じてフロントのチーフ風のお姉さんが透明なしっかりしたビニール袋を出してくれた。
今回、お世話になったホテルのスタッフ(顔馴染になった)は7人ほど。
フロントは女性スタッフ3人、若い女性2人に、お姐さま風チーフ。ドアマンが2人。昨日、荷物を運んでくれたおじさんと、もう一人おばさんドアマンがいる(制服が男性と同じなので、男装ぽくてかっこいい)。それからロビー担当のおじさま男性スタッフ(パソコンで調べるのとか手伝ってくれた)。食堂のウエイターなお兄ちゃん。
今もみんないるだろうか? 台湾はけっこう転職が激しいからもういないかも知れない。でもホテルの前を通る時にはいつも目を凝らしている。
担ぎおろした荷物をロビーに預け、8時半過ぎに出発。
初日に通った幼稚園の路地を適当に歩いて吉林路まで抜ける。とにかく西に向かってブロック内を歩いてさえいれば吉林路に出るとわかっているので、ちょっと冒険。
松江路188巷を入って幼稚園横を通る。
途中、公園前の紫雲大廈というビル(といっても要するにフロア数が六階以上でエレベーターがついているマンション)の壁に貼り紙があって「防空避難處所」と書いてある。管理人の名前とか、住んでいる人の人数とかが記載されているこれは、つまりこのマンション内に自宅避難する人の人数? このマンションが爆撃とか受けたら、中には57人いるはずだと捜索するのか?!
かえすがえすも「防空演習」を見逃してしまったことが悔やまれる。いったいどんなことしてるんだ。市民全員が防空頭巾をかぶって防空壕に避難したり、バケツリレーとかやるのだろうか。ああ気になる。
この、「防空演習」にリアル参加できたのは2018年6月になってからだった。リポート請うご期待!
188巷に戻って公園横を抜け、少し北へ進んで松江路194巷へ入る。これを直進し、T字路になっている民生東路二段90巷を進んで行く。
このT字路突き当りは、いまは「台北福興宮」という廟が「入居」していて、外から見える柱などもキラキラにカスタマイズされているが、2009年7月時点のテナントは「正點租書城」という貸本屋だった。
廟がテナント入居しているアパート物件というのは別に珍しくないらしい。日本の感覚からすると度肝を抜かれるが、ちょっとおめでたいご近所さんくらいな認識でいいんだろうと思われる。まあ、お稲荷さんかお地蔵さんが近所に引っ越してきたと思えばいいのだろう、たぶん。
この辺り、基本的に四階建てくらいのエレベーターなしアパートが多く、もう大胆不敵なまでに壁は鳥籠窓だらけ。そこからはみ出す植物と洗濯もの。日本で言ったら昭和の二階建てアパート的に生活感が溢れていて、まさに台北で山田洋二な世界。
プードルを描いたシャッターの店があり、何だろうと思ったらペット美容室だった。「中華民國愛犬美容協會」「台灣愛犬」と看板がついていて、トイプードル型の飾りも下がっている。表通りに動物病院があったし、なかなかいい配置なのかもしれない。
しかしこの時、この路地で、カメラを構えた私にストーカーされていたのは猫。
台湾の猫は日本の猫に比べて耳が大きい(たぶん熱放出の効率のため)。このため、なんだか頭の上にリボンが載っているように見える猫が多い。なんとなく美少女アイドルチックなムードが漂っている。
残念ながら写真は撮らせてもらえなかった。
ここからは普通に民生東路を駅まで歩く。途中、宝石屋さんの看板犬に遭遇。
顔のぶちがなんとなくのらくろっぽい(ただしぶちは茶色)この犬とよく似た子が、去年この辺りを歩いているとパン屋さんの店先にいた。10年経っているのでたぶん本犬ではなく、子供とかだと思う。
今日もたっぷり一時間近くかけて到着した雙連駅からいつもの淡水線に乗った。
しかし今日は台北駅では降りない。目指すはもう二つ先の「中正紀念堂」駅だ。
中正紀念堂駅は、この時はまだ淡水線はここまでで折り返し。信義線が開通していなかったので、使っていないホームがある状態だった。
そして、永田町的ポジションな駅なので、全体的にキラキラしている。
壁は大理石だし、駅名も他の駅はプラスチックパネルに蛍光灯なのに、ここだけ大理石の浮き彫りにゴールド塗装。ついでに使っていないホームへの立ち入り禁止ロープも、赤いシルクっぽいロープ。
なんだか原宿駅特別ホーム的なムードが漂っている。
ちなみに出来上がったのは1998年なので、民主化から10年以上経っている。人の意識ってヤツぁ……。
ただまあこのキラキラ仕様のおかげで、駅名が見えない位置に乗っていても中正紀念堂駅だと把握できるのは便利だ。
9時半過ぎ、中正紀念堂駅を出て、植物園に向かって歩き始める。
林森南路と羅斯福路一段の交差点から、南海路を進む。この南海路はこれを書いている今2020年はMRTの新しい路線「万大中和樹林線」が通るので工事中だが(開業予定は2015年末)、2009年はまだそんな気配は欠片もない(計画だけは立案中だった)。
この南海路の南側は日本統治時代には日本人街だったところで、通りを歩けばその頃からの低層で窓が縦長の住居がちょいちょい残っているし、路地に入れば瓦屋根の日本家屋がボロボロになりながらもちらりほらりと見受けられる。
その時代にこの辺りに住んでいたはずの人物の家を探して去年(2019年)にこの辺りを歩き回った。これもそのうちにリポートにまとめるつもりだが、たぶん今後MRT駅開業に向かって地価が上がれば再開発も進んでしまうはずだ。古い街並みを辿れるのは今だけのことかも知れない。
古い街並みを辿れるのは台湾の貴重な一面だし、できるだけ残しておいてほしいと、残しておくことで生まれる価値があると思っているが、こればかりは当事者の意識次第だ。
南海路と重慶南路二段が交差する部分には郵政博物館と、台北市警の中正第二分局がある。
南海路の南側、重慶南路の一本東側にある牯嶺街には古書店が多いが、南海路沿いには古切手店が多い。
もう一つこの角に建つ二二八國家紀念館は、2009年7月はまだ修復工事中(2011年2月28日に開館)。
2009年7月にはこの交差点には大きな歩道橋があったが、今回のMRT工事のため撤去されたらしく、今は郵政博物館と二二八國家紀念館を結ぶ一辺しか残っていないようだ。
この日は日曜日なので、ちょうどミサの終わった台北市基督徒聚會處から信徒が出てくるところに遭遇。台北というか台湾には教会もけっこう多い。
その教会の隣にはなんだかやたらと中華風というか、北京の天壇みたいな建物がある。
と思ったらここが「南海學園」と呼ばれるエリアの入口で、ここを入っていったところに植物園はあった。
「南海學園」は、中華民国政府が台湾に引っ越してきた後で造られた「中華文化を感じるためのエリア」。
基本的にそれまでの台北における文化施設は、「日本文化を感じさせるための物」ばかりだったので、これじゃいかんと思って造られたそうだ。
植物園自体は日本統治時代の割と初期の頃に林業試験場として作られ、その後に台北が都市化されていく過程で大規模公園の一つとして整備されたもの。
戦後も林業試験場として活用され続け、今に至っている。
門を潜ると、まず割と浅めの池があって水蓮などが咲いている。
そして植物園内に入ると、広い蓮池があって、薄紅色の蓮がビルを背景に咲き誇っていた。
この蓮池には魚も泳いでいる。
園内には金瓜石で見た花びらがとても細い蘭なども咲いていて、台湾中の植物が全部ここに集まっているような感じだ。
朝4時から開いているというので、なんでそんなに早いのかと思ったが、体操をしたりする人が朝早くからここに集まってくるらしい。
台湾はやはり日中が暑いので、運動などは早朝もしくは夜が適しているらしく、公園の運動器具なども夜に使っている人を良く見掛ける。
面白いのはこの園内、確かに植物には違いないのだが稲が育てられていたり野菜が育てられているコーナーがあった。更にはドリアンが実っていたりもする。
園の入口に禁止項目が幾つか書いてあって、その中に「キャンプ禁止」「バーベキュー禁止」というのがあった。見た時には首を傾げたが、なるほど、ここでならキャンプすれば少なくとも数日は食いつなげる。
稲に野菜、フルーツ。蓮池に泳いでいる魚は油断しきった感じだったし、いざとなればここでサバイバルは可能なはずだ。
なお、台湾リスがいると聞いて楽しみにしていたのだが、全然出てこない。ガイドとかでは人を全く恐れない感じのリスが縦横無尽に辺りを走り回っている感じだったのに、まったく姿を見掛けない。バーベキューにでもされてしまったのだろうか?
この日はとにかく暑く、着いた早々蓮池を見ながらライチを食べて一休みした。そしてその後園内をのんびり見て回るも、暑すぎてダウン。
そう、我々は傘を持ってくるべきだったのだ。日除けとしての傘を。
つむじが焼け焦げそうな太陽の下、日陰に逃げ込んで昨日の葱焼パンをかじり一休みした後、引き上げることにする。
温室に興味はあったが、この暑さの中で温室に入る気には到底なれない。カンカン照りの日差しの中、植物園を出るゲートを潜ると、そこには自販機が。
ブラウンおじさんの缶コーヒーを買ってあおやんとシェアする。相当に糖度が高そうな味だったが、この暑さの中では糖分大歓迎だ。
台湾、飲み物やデザートで甘いものが多いが、炎天下を歩いた後ならむしろ糖分は摂取した方がエネルギー補給になって身体のためだと思う。
暑い季節にガンガン歩き回っていれば、体重だってそれほど増加はしない。ここ数回はむしろ台湾に行くと痩せて帰ってくるようになった。台湾ダイエットというのは意外とあり得るものだ(ただしホームステイとかするとてきめんに太る。あくまでもフィールドワーク好き限定なダイエット法)。
大王椰子の並木の下を歩いていると、園のスタッフが掃除中。その手に持っている箒が、よく見ると竹ぼうきじゃなくて、ヤシの木の葉っぱ!?
園内で椰子の樹の下に「落葉注意」と貼り紙があった。「落枝」の間違いかと思っていたのだが、こんな葉っぱが落ちてくるというなら「落葉注意」にも納得だ。
長さ2メートル以上ある、直径10センチの孟宗竹を柄にしたような巨大葉っぱが、10メートル以上の高さから落ちてくるなら、それは充分命に関わるだろう。ヘルメットが必要な世界だ。
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