第13話 永康街ぶらぶら 肉鬆との出会い 三日目その3 2009年7月初台湾

 誠品信義店を出て、市政府駅へ向かう。今日は土曜日なのでそれほどラッシュアワーな感じはなく、普通に繁華街の最寄り駅として混雑している感じだ。

 ここから昨日の忠孝新生駅へ向かい、そこからタクシーで南下して向かったのは永康街。

 永康街はこの頃既に「台北のおしゃれスポット」「台北最先端の街」として知られていた。お土産買うならここ、という感じの、いわゆる竹下通り的な捉え方をされていたが、この時点ではまだMRT駅がなく、観光客にとってはタクシー必須な場所(今は東門駅ができている)。

 街の入口でものすごくいい匂いがしてきて、早速二人、パン屋に捕まる。


 「聖瑪莉(聖マリー)」(要するにマリア)というこのパン屋さん、台北中心に増えつつあるチェーンのパン屋さんで、パン以外に洋菓子やパイナップルケーキも売っている。

 せっかく台湾まで来たら、三食中華と市場で、という人も多いだろうが、そこそこ長期滞在したり、何度も台湾を訪れるようになったらパン屋さん、洋菓子店(カフェ含む)、洋食店もお勧めだ。

 特にパンと洋菓子は、普通の価格でクオリティの高いものが多い。このパン屋さんも、バターの香りをたっぷりと道に漂わせていて、思わず惹きつけられる。

 中に入るとデニッシュ類も多い。

 あおやんはパイナップルケーキと葱焼パン、私もパンを一個買って店を出た。


 ちなみに信義路を渡った向かい側に「聖比德(聖ピーター)」(ペテロ)という店もある。ここも以前は「聖比德蛋糕」という店名でデニッシュとケーキを色々売っていたのだが(蛋糕=ケーキ)、いつの間にかヌガーとクッキーの店になってしまった。


 ここから次はあおやんが行きたかった台湾茶店「沁園」へ。

 店内の大きなテーブルではお茶教室の最中だったようだが、奥のコーナーで色々見せてもらえる。

 ここで買い物した後、周辺をぶらぶら。一軒の店で蝉の形に石を彫ってあるストラップを買った。これは今も私のキーホルダーについているのだが、何という店で買ったのかが思い出せない。日本語を話せる髪の長い若い女性の店員さんがいた、ということしか覚えていないのだ。


 9時過ぎに買い物を終え、夕飯の店を物色し始めるが、この辺りは割といい値段の店が揃っている地域。

 だったらいっそ台北駅傍の、目をつけていた牛肉麺屋に行こう。という訳で、MRTに乗るため、忠孝新生駅へ向かって歩き始める。

 ちなみにホテル前を走っている松江路を南下して、市民大道という道路まで来ると、道の名前が新生南路に変わる。新生南路というからにはもちろん新生北路もあるのだが、こっちはなぜだか市内を斜めに北上していき、南京北路からようやくまっすぐに北上し始める。


 なお、新生南路を忠孝新生駅に向かって北上していくと、途中の大通り「仁愛路」の交差点に警察の「大安分局」がある。

 「示見の眼」シリーズのメインキャラの勤め先がここなので、聖地として写真撮りに行くような人が現れてくれると嬉しい。


 歩きながらどうにもお腹が空いてきて、さっき買ったパンを取り出す。

 この時私は「ミートソースパイ」を買ったのだと思い込んでいた。このため、中身がドロッと溢れ出してくることがないように大きくかぶりついた。が、まだ中身に到達しない。

 若干疑問に思いつつ、あおやんに渡して、あおやんも一口齧りまた私のターン。

 ガブリ。

 とその次の瞬間、中身がボロッと零れ落ちてきたのだ。

 ボロッと。つまりミート―ソースというにはあまりにも湿り気に欠けた、そして味も絶対ミートソースではないものがボロボロボロッとパイの中から出てくる。

 それは「ミートソースパイ(肉醤派)」ではなかった。一字違いがえらい違いな「肉鬆派(ロウソンパイ)」だったのだ。

 「肉鬆(ロウソン)」。それは肉で作った「でんぶ」である。

 主として戦後の台湾で栄養不足を補うために給食を実施した際に、たんぱく質摂取のために頻繁に給食に添付され、ある程度の年齢層からは郷愁を誘う思い出の味になっているらしい。

 今でも普通に作られていて、街角でなんだかフライドポテトみたいな香ばしい匂いがしてくると、近くに肉鬆を手作りしている場所がある。お粥に掛けたりすると白粥が急にリッチな味わいになる素敵トッピングだ(なお、口蹄疫と豚コレラのせいでただ今、日本へはお持ち帰りができない……)。

 だが、なぜそれをパイに、コッペパンとかならともかくバターたっぷりなパイに入れようと思った??

 日本人二人は夜の新生北路にしばし呆然と佇みながら、それでもとにかく肉鬆派を食べ、忠孝新生駅へ向かってさらに歩いてMRTに乗った。

 なお、肉鬆の正体がわかったのは帰国した後である。


 台北駅に着き、これまで昼間にしか来たことのない道をほぼ勘で歩いて、行きたかった店を見つけ出す。

 しかし、残念ながらこの店は意外と閉店時間が早く、十時近い今は既に閉店済みだった。

 実は、台北駅周辺は意外と夜が早い。たぶんオフィス街だからだと思うのだが、朝10時くらいに開いた店の大半がやはり夜10時には閉まってしまう。

 台湾自体はけっこう宵っ張りなのだが、場所によっては店は意外に早く閉まるのでご用心。

 仕方ないので、ホテル近くで食べることに(場合によっては、ホテルのレストランで食べることに)し、タクシーでホテルまで戻る。しかし、幸いホテルへ戻る途中の吉林路では、まだまだ店が開いている(この辺りはマンションなども多く、住宅率が高い)。

 ホテルで、HISからの伝言について訊ねた後(結局、帰国後にHISへ赴くことになった)、部屋に荷物を置いて外で夕飯。

 初日の夕飯を食べた陽春麺屋が、10時半過ぎだがまだしっかりと営業中だった。


 台湾での最後の晩餐。

 青菜炒めと羹麺、それに傍の冷蔵庫から烏龍茶と黒松沙士も取って、パカパカ食べる。

 青菜炒めの皿にはビニール袋がかぶせられていて、これを剥がして新しい袋をかぶせれば、皿をいちいち洗わなくてもいいという店の知恵。 水とビニール、どっちがエコかはわからんが、少なくとも人件費の節約になるのは確かだ。


 ホテルに戻った後、朝のうちに荷造りしておいた箱に、今日買った地図を加えて別送品の発想準備。

 その後、別送品は郵便局からの発送しか認められなくなったのだが、2009年はヤマト運輸(黒猫宅急便)でもOKだったので、この時は黒猫にした。

 箱をいつどこで入手したかの記憶がどうしても出てこない。常識で考えるとセブンイレブンだと思うのだが、なんだかホテル近所の路地の中に黒猫の営業所があって、そこで昼間に入手したような記憶があるのはなんだこれは。

 だが、陽のある時間帯に路地を歩いてはいないはずなのだ。だから最終日辺りに写真を撮ろうとカメラを手に急いで路地を走っていた時に営業所を見つけ、次回はそこで買えばいいと思ったとか、そういうことかもしれない。現在、ホテル周辺の路地に黒猫の営業所はないし、2009年にあったかどうかも確かめようがないのだが。

 2009年に参考にしたサイトも既に消えている。

 はとこに頼まれて買った大量のDVDなど、軽めの壊れもの系をキャリーバッグに詰め込むことにしたので、箱には服をクッションに本をしこたま詰め込んだ。

 そして、地図を一番上に載せ、送るものの内容だけ空欄にした伝票とメモ、筆記用具、辞書を持ってフロントへ。


 この時、実は一番心配だったのが、台湾の地図って日本人が購入して日本へ持ち帰っていいんだよな? ということだった。

 気軽に毎日使っているが、地図は軍事機密だったりするので、国によってはヤバいブツとなる。そして台湾は徴兵制があったりする国だし、中国と睨みあっている状態だ。

 台湾に於いて、メイドイン台湾な地図を日本人が日本に持って帰るって、まさか大罪だったりしないよな?

 平成のシーボルト事件イン台湾になって、私が台湾に入国禁止になったり、ホテルや書店の人がスパイ容疑でしょっ引かれて拷問受けた上に銃殺刑になったりしないよな??

 ホテルのフロントで、「地圖可以送到日本? 没問題?」と何度も確認してから荷物に地図を入れ、伝票にも地図と書いて、ガムテで箱を閉じてもらう。

 

 数ヶ月後、台湾はグーグルマップに参加した……。

 今となれば完全に笑い話だが、2009年の私は完全に本気で心配していたのだ。

 初台湾直前に「悲情城市」を見て、白色テロに相当恐怖を抱いたせいもあったとは思うのだが、なにせ初めての「元軍事独裁政権」な国訪問な訳だし、民主化しましたと言われても徴兵制あるし、と、変なとこで警戒心が働いていた。

 あと、中国でちょいちょいそういう事態あるよね、というのも理由の一つだ。共産主義国と軍事独裁政権、どっちもヤバいことに変わりないじゃないか的な。


 似たような心配をする人が今後出てこないためにも書いておこう。

 台湾は確かにかつて「元軍事独裁政権」下にあって白色テロな国だったが、民主化後、市民はデモとかもバンバン起こして権利を獲得、言いたいことを誰憚ることなく口にできるとてもとても民主的な社会になっている。総統をネコミミ付けたり美少女化して描いたってなにも文句言われない、負の歴史にだって真っ向から向かい合うそういう国になっている。

 もちろん地図だって日本に送ってOKだし、それで誰かが捕まって拷問受けたり銃殺されたり家族が村八分になったり見張りがついたり労働キャンプに送られたりすることもない。

 安心して地図を買い、お土産にしよう。なお、古地図もお勧めだ。


 角のセブンイレブンへ荷物を運ぶ。夜中の11時半近くだというのもあり、ドアマンさんが荷物を持ってセブンイレブンまで付き添ってくれた。ありがたい。

 セブンイレブンで荷物を預け、私の荷物は窓際に置かれる。ガラス越しに段ボールが見えている。大量の本と地図、無事に日本についておくれ。

 ドアマンさんは日本語勉強中だそうだ。


 部屋へ戻り、あおやんが桃を剝いてくれて、これでお茶。

 荷物をだいたいまとめ、寝ようとしたところで、お世話になったホテルの皆さんにお礼状を書こうと思い付き、そこから一時間ほど四苦八苦して短い手紙を書く。

 お世話になりました。皆さんのおかげでとても楽しい台湾旅行になりました。次回もここに泊まりたいです。ありがとう。

 この程度の手紙でも、あの頃は辞書と首っ引きだったし、たぶん今見たら色々間違っているだろうと思う。それでもまあ、あの時の精一杯だったのだ。

 就寝時間は確か2時を過ぎていた。



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