第8話 黄金博物館で流しちゃいけないトイレ初体験 二日目その3 2009年7月初台湾

 運転手の施さんはこの間に休憩するとのことで、ガイドの王さんと私とあおやんだけが博物館内へ。

 博物館ではちょうど工芸展や写真展も開催中。

 入場はチケットを買わなくても、台湾で何かを買ったレシートを見せればそれで入れるという!

 慌てて財布を探り、昨日のコンビニのレシート二枚発見。現地の人も外国人旅行者も、一人一枚のレシートで入場可能。更に額面がどんなに安くても関係なし。素晴らしい!

 ただし、このサービスは今はなくなってしまった模様(2010年にはレシートなしでも無料入場可になったりしていたようなので、年ごとに流動的なのか?)。入場料金、ただいまは80元。


 これも今はどうなのかわからないが、この時は緑の入場スタンプを右手の甲に押してくれて、これが入場証だった。台湾ではこの、手の甲に入場スタンプ、が同人誌即売会とかでもよく使われている。

 ここで見学前に入ったトイレが、台湾の流しちゃいけないトイレ初体験。

 トイレが流せないのは基本的には下水管の太さの問題だそうで、台湾で下水が整備された日本統治時代、まだトイレは汲み取り式が主流で水洗トイレが一般化していないため、トイレットペーパーを流す事態が想定されていなかった。

 その後、台湾を支配した軍事独裁政権な國民党は、中国大陸にそのうち戻る気満々だったため、仮住まいに過ぎない辺境の島国台湾のインフラ整備に金を掛ける気が基本的になかった(ただし國民党が台湾に来た時の台湾の都市部のインフラ整備は、たぶん当時の全中国の中で最高レベル。下手すりゃ日本よりちょい上)。

 その結果、延々と使い続けられてきた日本統治時代のインフラ設備が時代に合わなくなっているということらしい。


 流しちゃいけないトイレは、「馬桶(便器)の中に衛生紙(トイレットペーパー)を投入するな」ということが便器に座った時に絶対見える場所に書かれていて、個室の中にバケツとか袋とかのゴミ入れが設置されている。

 ただし、日本人はどうしてもついうっかり、拭いた後で紙から手を離してしまいがちだ……。

 一度目のポロリくらいはギリギリセーフらしく、やらかすたびにスリリングな思いで水を流しているが、今のところ逆流してきたことはない。しかし、推奨は絶対にしない。

 気持ちに余裕を持って、常にゴミ箱を睨みながらであれば、受かりは発生しにくい。なおかつ紙を握った手に力を込めておけば、つい指から力を抜きかけてしまった時にも我に返っての再キャッチが可能だ。


 最近、「衛生紙は馬桶の中に投入してください、でも衛生用品は投入しないでください」という新パターンが出てきて、一瞬、目が戸惑う。

 

 あと、たまに紙が設置されていないトイレがあるので、台湾についたら「衛生紙」のパックを一つ買って持ち歩くのが便利だ。台湾のこのペーパーは、トイレットペーパー兼ティッシュ兼ペーパータオルという感じで、日本のトイレットペーパーと違って水気で溶けにくいので日常での汎用性が高い(その分、流す時に溶けにくいんではないかという気はする)。

 台湾でこれを買う方が、日本からトイレに流せるティッシュを担いでいくより楽だし安く済む。


 さて、黄金博物館見学は、まず敷地に入ってすぐに「四連棟」という、当時の職員住宅が。

 これは日本式の長屋で、中の造りも日本式。長屋といっても一軒一軒、門と塀で囲まれた庭付きで、なかなかいい感じだ。ただし、当時はこの四軒長屋に20人の職員が住んでいたらしいので、そうすると社宅というより寮のような感じだったのだろうか?

 床の間には防空壕も掘ってある。


 この家、実はこの数年前に放映された台湾アイドルドラマの「ホントの恋の見つけ方」で主人公の家としてロケに使われていたところ。ドラマの中では士林辺りにある設定だったが、番地はここのプレートを通り名だけ変えて使っていた模様。リビングが畳敷きだったので(主人公のおばあちゃんとかは正座して、遊びに来た友達だとかのキャラはクッションに腰掛けていた)珍しいなあと思っていたら、元々日本人用だった住宅がロケ地だったのだ。

 台湾にはなんかかんかで日本家屋が残っているので、ドラマの中のように日本式の建物で本当に暮らしている場合もあるのではないだろうか。ただ問題は、当時の日本人サイズなので、たぶん今だと男性はあちこちに頭をぶつけることになると思われる。


 煉金樓という施設は、2009年7月はまだオープン前。この日、この建物には大きな赤いリボンが掛けられていて、午後に誰だか偉い人がやってきてオープニング式典をする、というところだった。馬英九総統が来るんだったような気がしなくもないが、いまいち覚えていない。なにせその式典前に博物館を後にしていたので。

 ここは元々は来客用の宿泊棟だったそうで、煉瓦壁に上げ下げ窓の西洋館。おかげで赤いリボンがなかなかに似合っていた。


 その奥に環境館という建物があり、金瓜石の地誌を学べるようになっている。山の地形ができる過程だとか、「悲情城市」のロケ地紹介などもあって、周辺の地理と地学的な知識が得られる展示館、だったのだが、今、この建物は金属工芸館に変わっているらしい。

 ちょうど2009年7月には金属加工の工芸展が開催中で、あちこちにオブジェが飾ってあったので、あれを常設展にしたような感じなのだろうか?

 環境館の展示内容は、今後場所を移して再展示する予定なようだ。


 環境館を出ると今は当時の建物が色々整備されて見学できるようになっているようなのだが、2009年は確かそんなに見学できるところはなかったような。

 この時は工芸展と写真展開催中で、山の生き物や植物、鉱夫などをモチーフにしたオブジェが外に飾られていた。高価な材質のものは建物の中での展示。残念ながら写真は撮ってはいけないものが大半だった。撮っていいなら撮りたいものが山ほどあったのだが。


 皇太子時代の昭和天皇来台時に作られた宿舎の「太子賓館」までの道筋は、山の植物が色々と生えている。

 金瓜石に見学に来る予定があったので宿泊所として建てられたのだが、残念ながら来訪はなかったという無念の建物だ。目的が目的なので、外からガラス越しに覗いただけでも、細部のこだわりがすごく、その分結果を考えると実にもったいない。


 ここから少し奥へ進むと、坑道見学ができる「本山五坑」。別に新たにチケットを買うなどはしなくても中に入れるらしい。残念ながら今回は、中に入る時間はなし。


 その隣の黄金館は、三階で砂金の選別体験ができる。

 小さなお皿に土が入っていて、これを水槽の水に浸しながらそろりそろりと揺すっていると、土は水に浮きあがって除去されていき、鉱物だけが残るのだ。

 いっぱいキラキラしている、と思ったのは残念ながら「愚か者の金」と呼ばれる黄銅鉱。でももっと鮮やかな金色の砂金もちゃんと入っていた。

 これは小量の水と一緒に、コルク栓付きのビンに入れ、更に口がチャックになっているビニール小袋に入れてくれる。日本にお土産として持ち帰りが可能だ。


 黄金館の一階と二階は、台湾人と金との関わりのわかる展示。子供が生まれた時に金のアクセサリーをプレゼントする風習などと共に、実際のアクセサリー類が展示してある。そして目玉はなんといっても、巨大な金塊。

 時価がデジタル表示されている巨大金塊に実際に触れるコーナーだ。

 ただし、巨大なだけでとにもかくにも塊なので、あまりありがたみはないような気がする。周りの展示品のアクセサリーや、工芸品展示コーナーで見た作品が繊細で綺麗な分、どでんと塊な黄金には、うん大きいね、くらいな感想しか持てないのだ。

 これがもらえる、となっても、さて換金するか、くらいしか思えないんではないか。実際にもらえばどうだかわからないが。


 黄金館隣の金采賣店では、鉱夫弁当が買える。この売店傍にはガジュマルの樹があって、初めてガジュマルの樹を生で見た。


 王さんとはここから別行動。

 王さんは私たちの分のお弁当を買って、今来たルートを引き返し、博物館入口の駐車場で待っている施さんと合流して、勸濟堂がんじんどう前の駐車場に移動。

 私たちはここからトロッコ道を歩いて勸濟堂前の駐車場まで行き、そこで王さん施さんと合流。

 一本道だから大丈夫。


 時刻はだいたい12時半。どんなに遅くても1時には駐車場で合流できるでしょうということで、王さんと別れ、トロッコ道を歩きだす。

 道の脇には台湾風の金属のドアの付いた建物があったりして、それも面白い。

 途中に分かれ道があって、そっちにはカフェがあるらしくメニューが書いてあったりする。この時に見た「焦糖豆花(キャラメルトウホア)」というメニューは今でも気になっている。食べに行きたい。


 勸濟堂がんじんどうは關帝様の廟。大抵武器を構えていることが多い關帝様だが、ここの巨大像な關帝様は、椅子に座って読書しているスタイルだ。

 何事もなく勸濟堂の駐車場に到着。私たちの方が到着は少し早かった。駐車場で待っていると、ぽつりぽつりと雨が降ってくる。

 車に乗り込み、またさっきの瑞金公路に戻る。同じ道だが、峠を越えたのでここから道の名前は「金水公路」にチェンジ。「水」は麓の地名「水湳洞(すいなんどう)」の「水」だ。


 山からどんどん海の方へ下っていくと、少し離れたところに何だか遺跡のようなものが見えてくる。「水湳洞十三層遺址」。

 金と銅の精錬所跡地ということなので、鉱石から先に銅だけを精製し、残りの沈殿物から金を抽出して精製する方法(粉砕した金鉱石を水銀と混ぜることで金アマルガムにし、加熱して水銀だけを蒸発させ金を抽出、という方法より環境汚染が少なくなる。その代わり、費用は高額になる)だったのではないかと思うのだが、詳しいことは不明。

 建物内部は崩落の危険もあり、更に重金属汚染がひどいので立ち入り禁止になっている(しかし廃墟マニアはやはり来るらしい)。

 この日は曇り空の下、灰色の海をバックにして本当に神殿か何かの遺跡のように見えた。

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