第5話 オプションツアーの急遽予約と初のコンビニキャッシング。ホテル近所で初めての台湾飯。 初日その4 2009年7月初台湾

 ホテルの部屋で、パイナップルタルトとさっき買ったドライ水蜜桃、そして凍頂烏龍茶でお茶して一休み。この間、雨はザンザン降っている。ゲリラ豪雨かというくらい降っているのだが、一応ごく普通のスコールな夕立だ。


 夕飯前に明日のことをJTBに確認しておこうと、台北のJTBに電話。しかしここでとんでもないことが起こった。

 明日、私たちの行動はフリー。つまり、何の予定も申し込まれていないというではないか。

 はい???

 急ぎ、渋谷のHISに電話を掛けてみる。だが、台北は七時過ぎだが、時差があるので東京は八時過ぎだ! そしてタッチの差で閉店してしまっている!!

 しかし、明日は八時に出発して一日郊外を回る予定を組んできた。今回の旅のメインは、今日の買い物二つを除けば明日の遠出なのだ。それが今になってぽしゃるのは痛すぎる。

 というわけで、もう一度、台北のJTBに電話。話し合いの末、今から大至急、ガイドさんと車を押さえてもらうことに。

 行きたい場所は主にこの辺、というのを伝えると、やはり郊外メインな分、移動時間がけっこう掛かるとのことで、四時間コースを二セットの予約になった。

 四時間6500元のコースを二セットなので、13000元。これを明日の朝、ホテルに迎えに来てくれるガイドさんに現金払いすることになる。

 そしてなにせ急な予約なので、手配がほんとにできるかどうかまだわからない(特にガイドさん)。

 決まり次第また連絡してくれることになり、更にガイドさんの手配用に、行きたい場所を全部伝えることに。

 明日行きたいのは金瓜石の黄金博物館と黄金瀑布。それから七公祠、あと鄭南榕の墓。


 JTBからの連絡を待つ間に、今日の書店に書籍の予約を入れてくれた曉彦さんにメールして、無事に本をゲットした旨伝える。

 当時、威向文化ウェイシアンウエンホアは「架空之都」というサークル名(威向文化のBLのレーベル名)でコミケやコミックシティ、JGARDENに参加していた。で、曉彦さんはサークル「架空之都」の日本でのイベント申込みとかを一手に引き受けていたので、「黒木さんという人が近々台北のお店に行くから、今度出た新作全五巻を取り置きしておいて」と、お店に連絡入れておいてもらったのだった。


 そうこうするうちに、JTBから折り返しの電話があって、無事にガイドさんと車が予約できた。

 ざっと四万円のツアー費は、とりあえずは私たちで払うことになるので、これから用意しなければならない。多少は多めに持ってきているが、いきなり四万円も出費が増えるのは想定外。

 幸いと言うか、現金が掏られた時にはどうする、みたいなマニュアルをチェックしておいたので(割と石橋を叩く性質ではある)、手持ちのカードでセブンイレブンでキャッシングができるというのはわかっていた。

 しかし、初めてのキャッシング、ついでに1000元札で13枚の札束。知らない街で一人で夜に持ち歩きたい金額ではなかった(今は全然平気。いや、持ち歩いてないよ?)。


 という訳であおやんをボディガードにして、二人でセブンイレブンへ。昼間に傘を買ったあのセブンイレブンだ。

 そして、店の奥にあった機械を前に、ネットの情報と首っ引きでなんとかキャッシング。セブンイレブンのATM、今は日本語に切り替えられるのだが、当時はひたすら中国語だったと思った。

 そして、札束をそそくさとバッグに詰め込み、ホテルへ戻る。

 なお、ボディガードのあおやんより私の方が身長も体重も上だ。戦闘力は、私が剣道、あおやんが弓道なので、なかなかにいいコンビ。ちなみに素手で戦える人もいるが、基本同行しない。


 ホテルでお金をセキュリティボックスに収めた後、とにかく夕飯を食べに行くことにした。

 今いる松江路は割とオフィス街っぽくて食べ物屋が大きな店しか見当たらないのだが、ブロック北側の民生東路二段、そして西側の吉林路には色々食べ物屋さんや面白そうな店が、というのは昼間の移動とガイドブックで把握している。

 せっかくなので部屋の窓から見えるブロックの中側をちょっと冒険してみようと、ホテルを出てすぐに横の路地へと折れてみる。

 ホテルの窓から見えていた路地は、松江路188巷。ここにはモンテッソーリ教育な幼稚園があった。その向かいには、風水師さんの家。

 ここはインテリア風水の事務所兼自宅らしく、ブランコとか置いてあってドアや窓のカラーリングもまるで童話のようですごく可愛いのだが『写真撮影しないでください』との貼り紙が。撮りたくなる気持ちはわかる。

 横のマンションには鳥籠窓がびっしり。しかもいろんなデザインがある。あれが好き、これがいいと評論しながら公園横を抜け、松江路170巷へ。

 この辺はけっこう幼稚園や託児所、子供向け塾などが多い。ついでに小児科もあって九時までやっている。松江路側はすごくオフィス街なのだが、中側は子育て向き? さっきのマンションにはピアノ教室の看板も出ていた。

 

 そして吉林路へ出て少し歩いたところで、マンションの庭先みたいな場所にある「陽春麺」の店を発見。

 店名は超ストレートに「陽春麺店」。スタッフが着ているTシャツの背中にも「陽春麺店」。キッチンは道に面していて、換気扇がばんばん回っている。

 店と道との境は基本なく、夜になったらシャッターが閉まる感じ。そして、歩道にも並べられたテーブル。

「我們可以坐嗎?((ここ)座っていいですか?)」

 歩道の空きテーブル指差して訊いてみて、席確保。

 お姉さんが伝票を持ってきてくれる。伝票にずらっとメニューが書いてあって、横の空欄に鉛筆でオーダー数を書き込む形式。

 見慣れない料理名だが、伊達に中華街に通ってはいない。食材関係の文字なら何とかわかる。ついでにあおやんは調理関係の免許持ちで、鶏捌くとこから始める中華料理を学校で習ってたりする人だ。

 肉が食べたかった私は肉羹飯ロウガンファン、というのを、あおやんは海老の羹麺、を頼む。

 初めて聞く料理だが、「あつもの」というからにはスープっぽいものがご飯と麺に掛かっているはずだ、という推測は当たっていた。

 運ばれてきた、あんかけ飯と麺のスープの上には、最初から香菜が散らしてある。

 実は、この時まで私は香菜は苦手だった。あの清涼感は余計なものだとしか思っていなかった。

 しかし、クーラーなしの路上で、凪の時間が終わって流れ出した風(夕立後なので少しひんやりしている)に吹かれながら、熱々のあんかけ飯を食べていると、その清涼感がすごく気持ちいい。

 香菜は、クーラー効いた中で食べても意味がないのだ。自然の風と暑さの中で食べて、初めてその必要性と美味しさがわかるのだ!!


 「ガン(あつもの)」はどうやらひき肉とかつみれのお団子を指すらしい。そんなに綺麗には丸めていない、スープの中にぼとんと種を落とした感じの大きな肉団子がいっぱい入っている。

 ワン丸子ワンヅ、と書いてあるお団子だと、もうちょっときめ細かいミンチを使った、つるんと丸められたお団子になり、その分弾力がある。日本でいうつみれとはんぺんの違いな感じ。

 そして値段は麺も御飯も50元。日本円で150円(この時はけっこうレートが良くて、10000円両替すると3300元くらいになった。最近はなかなか3000元越さない)、カップ麺な値段でこんなに贅沢にお腹いっぱいになれるだと!?

 空芯菜炒めも頼んで、これも35元。135元で、たった400円で二人分の夕ご飯が食べられるとは!


 初めての台湾でのご飯に大満足して店を出る。

 隣は動物病院で、店頭には迷子犬を探すチラシが貼ってあった。

 そして豆花屋さんがあったので、一杯購入。トッピングは、杏仁豆腐と草苺(自家製の苺ジャム)をセレクト。

 トッピングがサーティワンみたいな感じでバットに入ってずらっと並んでいるのだが、名前から内容がわかったのが、当時の私の語彙力ではその二つだけだった……。今ならもっと色々頼めるのだが(今なら絶対芋圓頼んでる)、いかんせん、その店がもうないっぽい。

 シロップたっぷり入れてくれて、器のサイズも日本だとほぼカップ麺の紙容器くらい、つまりどんぶりレベルにたっぷり入って、これも40元。つまり120円。

 天国か、ここは。


 10時くらいなので、商店はだいたい閉店済み。食べ物店は、イートインできるタイプの店はまだやっているところが多い。

 豆花ぶら下げての帰り道、また雨が降ってくる。

 民生東路と吉林路の交差点には、どうやら北京ダック店らしい大きな店があって、壁にはドクターダックと店名が書いてある。北京ダックになるダックは、むしろドクターに診てもらった方がいいと思う。この店はどうやらもうなくなってしまったようだ。

 民生東路を東の松江路に向かって歩く。雨は降っているけれど、アーケードがあるので歩くのに問題はない。


 亭仔脚ていしきゃくというこのアーケード、元々台湾では暑いんで、日本でも暑い地域はそうだが、家を建てる時には軒を深く取っていた。

 で、都市ができてくる段階で、たぶん耐震性確保の意味もあって、台湾の家や店は日本でいうウナギの寝床式に、間口を狭く、奥行きを深く取り、なおかつ隣家と境の壁を共有したテラスハウス形式になる。

 そうすると、この深い軒先も幅が狭くなり、その代わり、共有壁でみんな繋がっているので、共有壁にアーチ状の通り抜け穴を作っておいて、そこを行き来する形になった、これが亭仔脚の誕生。


 マニアックな話をすると、大体ここまでは、土角と言われる日干し煉瓦(高温多湿で雨も多い台湾で日干し煉瓦かよ!? と思うが、湿気を吸収してくれるので意外と気候にあっていたらしい)か、それを焼いたで焼成煉瓦が建材のメイン。

 柱と梁は、日本統治時代に近付いた辺りから木材が使われるようになる。ただし基本的には、柱はなしで、梁には竹を使っていた。

 これはなんでかというと、台湾で家づくりに使えるような樹が生えている山は、原住民のテリトリーだったから。手っ取り早く手に入る建材は、台湾では竹と石、日干し煉瓦だった。

 清朝末期の頃から山の原住民のテリトリーに武力で侵略して、山の資源を入手することが割とよく行われるようになり、日本統治時代に入ってそれは加速する。

 都市部の土角で作った古い商店などでも、梁部分は木材が使われるようになってくる。


 ただし、日本統治時代に入ってしばらくしたところでコンクリートな20世紀が到来すると、柱と梁は木材から鉄筋コンクリートに変わった。特に都市部では耐震性と土地の有効利用の意味で、鉄筋コンクリートの柱と梁を使った煉瓦壁の二階建て三階建てが増えていく。

 で、この段階で、大通りに面して建物造る時には亭仔脚を設けるのが義務化。コンクリートの柱と梁の上に二階が載っている20世紀スタイルな亭仔脚が台湾の都市部に、日本人街でも台湾人街でも広がっていった。


 これは現代でも引き継がれているので、台湾では都市部の大通り沿いなら雨の時でもほとんど濡れずに歩ける。

 ただし、アーケード下の歩道はつまり、その建物の一部。だから商店なら商品を並べるし、食堂だったらテーブルを並べる。ついでにアーケードの高さも歩道の高さも建物のオーナーに任されているので、台北辺りはだいたい平らな歩道を歩けるが、桃園の駅前商店街辺りだと一軒ごとに歩道が上がったり下がったりし、商品ラックに行く手を阻まれることもしばしば。

 

 アーケード下を歩きつつ、民生東路沿いに美味しそうな店を発見。明日はそこに行こうと思う。

 スターバックスの角で曲がると松江路。

 さっきのセブンイレブンであおやんはフルーツゼリーを買い、他に明日の水分補給用に烏龍茶ボトルとジュースも買う。

 お茶は無糖と書いてあるのを探さないと甘い、とガイドブックに書いてあった。本当に無糖は無糖とわざわざ書いてある。

 途中、昼間に弁当屋の屋台だった場所で、店番してたおばさんがぐうぐう寝ていてびっくりする。風邪は引かないと思うけど、セキュリティは大丈夫?


 ホテルではフルーツゼリーと豆花で真夜中のお茶会。

 明日の朝が早いのと、割と疲れていたこともあって、今夜は早めに就寝することにした。

 ちなみにベッドは、これも謎だったのだが、片方がシングルで、もう片方がセミダブル……。タテヨコともにあおやんより大きい私がセミダブルを使用する。


 寝る前に窓から外を見てみると、台北の夜空は意外と暗く(見たのが西側でブロックの内側だったからかもしれないが)、上空には星がしっかりと見えている。

 ビルの上に輝くネオンが割と少ないなという印象は、この頃から変わっていない。

 あと、店舗から道に溢れているBGMみたいなのがほとんどなくて、道が静かなのだ。もちろん個々の店舗内では流れているのだが、ドアが閉まれば聞こえなくなる。店の外に向けてのべつ幕なしに垂れ流されるアナウンスもない。

 だから道を歩いている時に、余計な音に割り込まれることなく自分のペースで歩ける。これが私にはすごく居心地がいい。台湾で変わってほしくないと思う部分の一つだ。





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