第2話 成田発からホテルまで 初日その1 2009年7月初台湾

 まず、謝っておきます。すみません。

 旅行一日分を一話でとか、到底無理でした。思い出すこと多過ぎるよ!



 いよいよ出発。

 7月2日は雨だった。


 なんで旅立ちが2日なのかというと、仕事の都合で1日は休むわけにいかなかったのだ。

 当時の勤め先が出版系。そして私は元々編集系スタッフとして働きだしたのだが、勤め先の吸収合併やら、その後のスモハラやらそれに端を発したパワハラやら色々あった挙げ句、紆余曲折を経て(ぶっちゃけ騙されて(笑))営業補助系の部署に回されていたので、棚卸がある1日に休むのは到底無理だったと。


 荷物は結局、手荷物サイズのキャリーバッグとリュック、肩掛けバッグの三つにまとめ、キャリーバッグを預けることに。

 この時の飛行機はLCCではなく(この頃、そもそも台湾行くLCCってまだなかったような気が)、チャイナエアライン(中華民国、リパブリック・オブ・チャイナ、つまり台湾の国営。コロナの影響以前からタイワンエアラインとかに名称変更を希望しているも、今うっかり名前変えると世界の航空網から締め出されかねないので、この名前で運航中)。

 格安航空でないため、荷物の個数は増えても問題なかったので、帰りはバッグが1個増えた。サブバッグとして荷物に入れておいた布バッグに服を移して、お土産をキャリバッグに詰め込むというのが可能だった。

 とにかく日数が少ないのと、割といいホテルなので着換えとガイドブック数冊に延長コードくらいの荷物で済む。


 離陸予定は朝10時過ぎ。成田までは成田エキスプレスで向かった。これに乗るのは初めてだ。

 天気は、途中から雨。成田に着くとけっこう降っている。

 無事にチェックインを済ませ出国審査も終え、水平エレベーター(当時、成田にあった。2012年の旅の時にも会ったが、その時は利用してない)で大いにテンションが上がり(まだ出発してないのに写真撮りまくってる)、しかし機内に乗り込んだ辺りから徐々に緊張してくる。


 実をいうとチャイナエアラインというのは、ウィキペディアを見るとよくわかるのだが、それなりに事故っている。

 そして華航四年大限なんて言葉があったくらいで、1994年、1998年、2002年と四年ごとに大きいのをやらかしている。

 しかし、2006年にはそれらしいのがなく、2007年に炎上事故があった。この2007年で2006年予定がクリアされたのか、それとも死者が出てないってことでノーカウントなのか、いったいどっちなんだ?

 そして私は更に高所恐怖症。久々の飛行機(五、六年前に札幌に行くのに乗ったきりだ)というのもあった。


 雨の中、いよいよ飛行機が滑走を始め、ふわりと飛び立ち、そして次の瞬間、一瞬、機首が下がった。

 ヒイイイ!

 この瞬間から、私の緊張はピークに達してしまう。

 肘掛を掴んだ手が離せないまま、約三時間(でも台湾に着いたところで時差により一時間マイナスされる)のフライトとなった。シートベルトはもちろん外すどころでない。トイレは(元々行く気はなかったが)到底いけない。

 途中、機内食のランチが出た(確か親子丼だった)が、それだって左手は肘掛を掴んだまま食べた。足も床に踏ん張りっぱなしだ。

 食べ終わってしばらくしたところで、緊張と、ずっと肘掛を掴んでいるせいの肉体疲労とで一瞬だけ寝落ちできる。しかしそれはほんの一瞬で、また目が覚めてしまう。ひたすら枕を抱き締めて、一刻も早い到着を待つしかない。

 いっそのこと、どこかに自分で鳩尾をぶつけて気絶とかできないだろうかと、辺りに適度な高さの突起物を探したくらい、この時の私の恐怖はひどかった……。


 チャイナエアラインは割と操縦が荒い。そして軍のパイロット上がりなので悪条件に強く、普通のパイロットなら無理な条件でも飛んでしまえる。

 結果としてチャイナエアラインは、絶叫マシン大好きな人向けの航空会社になっているらしい。それは是非とも先に言っておいてほしい。

 スペースマウンテンで腰を抜かした経験のある私は、この旅行以来チャイナエアラインは避けるようになった。

 しかしなぜか、チャイナエアラインの子会社なタイガーエアでは、そんな絶叫マシンな思いをしたことがないんだよ、まだ。


 フライト時間が三時間を超え、ようやく台湾が近付いてくる。

 新型インフルエンザの流行っていた時期なので、空港に着いたらサーモグラフィーで検査があり、熱があったらそのまま隔離される旨が、座席前のモニターに、ミュージカル仕立てのアニメーションで流される。

 アニメーションといってもキャラデザは至ってシンプルで、ほとんどピクトグラムのようなお父さんとお母さんと子供が旅行中に、お母さんがサーモグラフィーに引っ掛かる、という内容だ。しかしそれがミュージカルになっていて、ピクトグラムなお父さんが「茉莉花」のメロディーで歌って踊る。力作なような力作でないような……。

 海の上に白いものが散らばっている。なんだろうと思ったら、雲の下に下りたところで初めて波頭だとわかった。船も徐々に大きく見えてくる。

 なぜこの時、こんな状態の癖に私が窓側に座っていたのかと思うが、たぶん、あおやんの方が機内でトイレに行く可能性があったからだと思われる。そして、海岸線が見え、それが砂浜になり、工場地帯に、と思ったらもう飛行機は台湾の大地に着陸していた。


 予定より少し遅れ、12時20分頃に台湾到着。

 半分腰が抜けたような状態で飛行機を降りるが、ボーディングタラップの窓から見える空港内には、成田には一機しか見掛けなかったチャイナエアラインの機体がどっさり駐機している。

 台湾だ、台湾に着いたのだ。チャイナエアラインの本拠地である台湾に着いたぜ。

 チャイナエアラインのお尻には、花の絵が描いてある。「何の花だろね?」、そうあおやんと話していたら、後ろからチャイナエアラインのフライトアテンダントさんが「梅の花ですよ。台湾の国花なんです。寒い季節に咲く花だから」と日本語で教えてくれた。「謝謝!」


 なるほど、逆境に負けずに咲く花なんだね。水戸藩みたいだ(この数年前、幕末の水戸藩というか芹澤鴨と天狗党や玉造党の関係について私が調べまくってた時に、あおやんもフィールドワークに付き合ってくれてたので、これで話が通じる)。

 そんな話をしながらサーモグラフィーの横を無事に通過する。入国審査もスムーズに済み(本名がひらがななので、ひらがな表記でいいのか不安だったが、問題なかった)、あとはターンテーブルのあるエリアに向かって荷物を受け取り、外に出るのみ。

 ここで、今日の気温その他が表示してあるのが見える。そこに書かれた文字が衝撃だった。

 『悶熱』。

 七月二日だし、日本だってそれなりに暑くはなっていた。それでも台湾はやっぱりじわっと暑いねというのは、あおやんも私も空港内で既に感じてはいたが『悶熱』。

「悶えるのか……」「悶えるんだね……」

 どのくらい暑いの? 人間ポップコーン?

 あとでわかったが『悶熱』は「蒸し暑い」だった。灼熱地獄な訳ではない。


 入国ゲートを出ると、「黒木さんとあおやんさんですか?」と声を掛けられる。ガイドの鄭さんと無事に合流。トイレに行きたかったので、荷物を見ていてもらい傍にあったトイレを目指す。

 紙を流してはいけない場合がある、というのは、この頃のガイドブックでは必ず書いてあった。

 初めての、流しちゃいけないトイレ、と思っていってみたのだが、さすがに空港は普通に流せる。この後わかったが、駅やデパートなら基本的に大丈夫だ。ホテルは規模による。街中の店舗(路面店)は、コンビニ含めて基本的に流せない。マクドナルドで流せなかったのはちょっと衝撃だった。

 しかし、問題はトイレから出た後に起きる。

 手を洗った後のペーパータオル。レバーを下げると適量の紙が出てきてカットされる仕組みだったのだが、それに気付かずに下から引っ張ったので紙が途中でちぎれてしまったのだ。

 直そうとしてはみるのだが、紙がそれ以上出てきてくれない。

 しばらく奮闘した後、次に来たおばさんたちに「對不起。我壊了(ごめんなさい、壊しちゃった)」と言うしかなかった。おばさんたちは「没問題没問題(大丈夫大丈夫)」と手を拭いている。


 トイレから出て、ガイドの鄭さんに「すみません、トイレのペーパータオルを壊しちゃって」と事情を報告し、空港のスタッフに伝えてもらう。ほんとにすみません。

 このトイレのペーパータオルは、その後、エアタオルに変わっていた。私のせいではないと思いたい……。


 車のトランクに荷物を入れ、早速市内へ移動。この時はまだグーグルマップとかなく(システムとしては存在していたが、台湾が参加前)、私の携帯電話も普通にガラケー(7年くらい使ってたJ-PHONEを、ようやく機種変したばかりではあったが)、このため今どこを走っているとかをリアルタイムで把握する術はない。


 車内で鄭さんが色々、注意事項を教えてくれる。特に言われたのが、バイクのマナーが悪くてすごく怖いよということ。これは、直後に実感した。

 あと両替はホテルでもできるが、レートは銀行とそれほど変わらない。そして、ホテルだと手数料が掛かるので、普通に銀行に行った方がいいそうだ。


 ホテルがあるのは松江路。日本人としてはとても覚えやすい名前なので助かる。民権路(迪化街の北側の端っこ)と民生路(迪化街の真ん中)とか、忠孝新生(光華商場の最寄り駅)と忠孝敦化(誠品書店敦南店の最寄り駅)と忠孝復興(紀伊國屋書店の最寄り駅)とか、ものすごく覚えにくいので。

 チェックインは鄭さんがしてくれる。鍵をもらい、鄭さんの案内で5階の部屋へ。

 この旅行の時は気付かなかったが、実は台湾、ホテルの階数とかで4を避ける!

 『四(スー)』と『死(スー)』の発音が同じなので、4階も4号室も、14号室もない。このため、1号室の向かいが2号室、3号室の向かいが5号室、だから3号室の隣は6号室、みたいな感じになる。

 この時は気付いてなかったのだが、だから私たちの部屋は実際には4階だけど5階。まあエレベーターなので何も差支えはない。そして、西洋式の2階が1階みたいなのよりはわかりやすいと思う。


 部屋に入ったところで鄭さんとはお別れ。最終日は午後1時に迎えに来て、その時にチェックアウト手続きもしてくれるとのこと(荷物だけは先にまとめてロビーに下ろしておく必要あり)。


 さて、部屋でまず驚いたのは、部屋の構造。

 ドアを入ると短い廊下があって、片側がバスルーム、反対側がクローゼット、奥がベッドルームという普通の造りなのに、なぜかバスルームとベッドルームの間の壁がガラス窓になっていて、ベッドルームからバスルームが丸見えなのだ。なぜだ??

 その後わかったこととして、台湾だと日本でいうラブホがなく、汽車旅館と呼ばれるモーテルと、そしてが普通のシティホテルがその用途でも使われるらしい(どっちも普通に泊まるだけの人もいる)、のだが、つまりこの窓はそういう用途の利用客へのサービスなのだろうか?? 次の旅行で使った高雄のホテルでもガラス張りだったんだよな……。

 とりあえずブラインドカーテンがついているので、カーテンを閉めて使うことにする。

 ホテルの正面は松江路だが、私たちの部屋は裏側。窓からはなんだか生活感のあるブロックの内側が見えて、これはこれで楽しい。

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