編集済
幼い頃ですがまだ「戦後」が身近にあった世代なので、作中の言い回しの端々から厳しい時勢の空気が生々しく感じられました。あえて長々と語らない結末の余韻がまだ尾を引いています。
理想と現実であるとか、余裕を持って語れるのも平和ゆえかもしれません。いずれの生き方にしても、当人たちは皆必死なのだと思います。それでも、まずは生き延びることを最優先に、と願って止みません。
追記
コメント直後に、朝吹様のレビューを読んで己の浅はかさを悔いました。何故に大田様が本作に「泥中の蓮」と名付けられたのか、その想いを失念しておりました。
我々創作者が作品に込めて残そうとしているのも、きっと朝吹様がレビューでおっしゃるところの「精神の花」の種なのですね。
追記2
紛らわしい書き方をしてすみません! 自分が小さい頃に親世代から戦後の話を直接聞いたという意味です。
作者からの返信
感想ありがとうございます。「しらみつぶし」が比喩ではなく、実際の体験として身にしみている世代というのは切ないものだと思いますし、私の世代でもかろうじてそういった生々しい体験談を見聞きする機会がありました。
私が受け取って感じたものをこれからも小説の形で伝えていければと思っています。
追記確認しました。丁寧にすみません。
編集済
全話拝読しました。ありがとうございました。
「サザエさん」の実写ドラマは恐らく同じものを私も見た覚えがあります(結局波平さんとカツオくんが買い出しに行って戻ってくるんですけど、子沢山の家族の父親に大半を持ち逃げさてしまったものの、最後はその家族を見逃してあげるといった話でしたか)。
愛する人を守るために時には清濁併せ呑むことも必要、と言うのは易しですが、守らなければならない「ポリシー」もある。しかし、それを貫こうとして大切な人を失う結果になったとすれば、そこまでして守らなければならない「ポリシー」とは何なのか。私からすれば「どのような事をしてでも大切な人を守る」ことが至上と思ってしまいますが、そんな簡単な問題ではないのでしょうね。
これからも新しい(お蔵出しの)作品を楽しみにしています。
作者からの返信
ドラマの内容は今全く覚えていないのですが、当時視聴した自分の心に残るものがあったからこそ、あとがきに書いたのではないかと思います。確かに正解がない問題で、この話も読む人の解釈でハッピーエンドにもバッドエンドにも見えると思います。
お蔵だし、今後は未発表作品になるのでしばらくかかるかと思いますが、よろしくお願いします。
死に場所と死に方を求めたために、家族を不幸にしてしまうという、なんとも言えないお話ですが、当時としては少ないながらもありふれた話だったのかもしれませんね。
死に損ねた帰還兵が、毎日日本刀を振り回していたり、機械音がすると「空襲だ!」と言って大騒ぎする人もいたそうです。
命を賭す事を決断してしまうと、そこに善悪や命の軽重という概念が抜け落ちてしまうというのはよくあることなのかもしれません。
リタイアした老夫婦が、棒を持って乱暴に振り回し物を壊して回っている小さな孫を喜んで褒めそやす光景を見たことがあります。
自分の信じる大切なものが、社会通念から外れているのを感じ取れなくなるとき、正義は暴走するのではないでしょうか。
戦争が、理性を奪ったと言えばそれまでですが、同じ状況でも必死に人間たらんと生きていた人もいるのです。
兄を、せめるわけにはいかないのかもしれませんが、やはり方法としては間違っていたのでしょう。
以前ノートに引用した特攻兵の詞があるのですが、
特攻隊と言っても
大したことはなく
誉れでもなんでもないですが
お母さんだけは誉めて下さい
惜しんで下さい
市造は一足先に
天国に参ります
天国に入れてもらえるかなぁ
詞の彼は、これが正義でも誉れでもないことを理解していたのだと思います。
一方の羊太郎のそれは、死んでいったものを羨み、死ねなかった自分を呪い、生というものに価値を見出だせなくなった者の末路なのでしょうか。
心に刺さる物語、しかと心に刻みました✨
作者からの返信
感想ありがとうございます。
当時、羊太郎のように戦争によって自らの生きる意味を見失った人々は大勢いたのだと思います。死ぬことができずに生き延びて、苦しんだ末に亡くなった方もいれば、新たな目標を見つけられた方もいらっしゃったでしょう。天川さまの引用された詩の作者様のように、自らの気持ちを殺してでも、周りに望まれた役割を演じて亡くなられたされた方もいらっしゃるでしょう。
こういった選択が起きるような世界にしないようにするために、私もできるかぎりがんばりたいです。