Episodio 7 聖母マリアの地(Arima)
1
これからの日々は関白殿下が一日も早く島津を滅ぼし、この九州のどこかで落ち着くのをひたすら待つ毎日となる。
だが、この長崎の教会で何もすることなく日々を過ごすのも退屈だし、何よりも毎日コエリョ師やフロイス師と顔を合わせて暮らすのも疲れる。
一度、ロケ兄をつれて浦上へと行ってみたが、そこは農民が暮らすただの村だった。教会もない。ただ、領民はここでも全員が
五年前に初めてこの村のそばを通った時に、その時はイエズス会の知行地でも何でもなく
今こうしてイエズス会の土地となったわけだが、あの予感めいたひらめきはそんなことで済むようなものではなかった。
ただ、今はこの浦上には教会も何もない以上そうちょくちょくとは行っていられないし、また歩いてすぐのところでもあるから領民たちはこの長崎の教会に来ようと思ったらいつでも来られる。
そこで私はやはり、有馬に行ってみたいと思った。コエリョ師にそれを言うと、やはり「好きにしなさい」との返事だった。
私はロケ兄とともに、陸路で有馬に向かうことにした。馬だと二日で着く。
まずは長崎から東へと向かっていくと、半島を横断して海に出る。あとは海を右手に見ながら海岸にそって東へ進むことになる。やがて海岸線は大きく湾曲するので、さらにそれに沿って今度は南下だ。
そのあたりに信徒の家があるという情報があったので、ロケ兄が聞きこんでくれて探し当て、泊めてもらった。
「いやあ、難儀ですわ。このへんの人の言葉はようわからんです」
都生まれのロケ兄は、言葉の訛りに苦しんでいるようだった。
翌朝は海から離れて山に入り、ちょっとした峠道を超える。そうすると口之津は経ないで直接に有馬に着く。海とは反対側から有馬の町に入ることになる。
私は懐かしい
さらには修道士で、安土でともに過ごしてあの事件をともに潜り抜けてきた画家のニコラオ兄とも再会できた。
私はいてもたってもいられず、
それにしても、若い学生はやはりいいものだ。私がどうもこちらに来てから気分がいらいらして落ち着かなかったのも、学生たちと接する機会がなかったからかもしれない。
お城にも上がってドン・プロタジオにも挨拶がしたかったが、モウラ師の話ではこの有馬の殿のドン・プロタジオは関白殿下の軍の一員として戦争に行っていて不在だとのことだった。
「ドン・プロタジオは関白殿下の軍なのですね?」
私が思わず念を押してしまったのは、前に少し聞きかじったところだと、三年くらい前にドン・プロタジオは島津と同盟して竜造寺と戦ったという話だった。竜造寺隆信はその戦争で戦死したが、つまり有馬の殿は薩摩の島津と同盟関係にあったはずだ。
それが今は関白殿下の軍の一員として島津と戦っているという。
「大坂の方から関白殿下の海軍の司令官が来まして、説得していたようですよ。その人、
「ああ、ドン・アゴスティーノですね。私はその方をよく知っています。大坂の教会によく見えていますから。お父さんはドン・ジョアキムといって、
「そうなんですね。だからわざわざこの
「ドン・プロタジオはもうおいくつに?」
「二十歳ですよ」
計算すればそうなるのはすぐ分かるが、どうも感覚的にピンとこなかった。初めて会ったときはまだ少年だった。一年半後に再会した時は少し青年の面影が見えていた。
「もう立派な大人です」
モウラ師は笑った。
私はもうひとつ、気になっていることがあった。
「するとあの、ヤスフェも?」
「ああ、いっしょに戦争に行っています」
私はがっかりだった。もちろん状況的にそれは予想はしていたけれど、有馬でヤスフェに会うのも楽しみの一つだったのだ。
ただ、とにかく元気ならばそれでいい。
そしてもう一つ、今さらながらに気付いたことがあった。
「
そうだ、この有馬は聖母マリア様のゆかりの深い地なのだ。そう思うと、なんだか私は嬉しくなった。
私はこうして長崎にいるよりもずっといいので、有馬で数週間を過ごした。何よりも学生たちと接するのが楽しかった。典礼も年間に入っている。もう六月も中旬だから気候はどんどん暑くなり、雨季である梅雨が来るのも間近に感じられた。
そんな時お城の方から、留守の
私は慌ててロケ師とともに長崎に戻った。
降り出した小雨の中、蓑という日本式の雨具を着て馬で急いだ。コエリョ師は戦争が終わったらまた関白殿下と会うことになっている。ここでのんびりしていてコエリョ師に置いていかれたら大変だ。
私が長崎に戻ると、コエリョ師はまだ長崎にいた。
「ああ、帰ったのですか。私は博多に行きます。帰ってこないようだから、そのまま置いていこうと思っていたけど」
笑いながらいえば冗談だなと思うけれど、それをコエリョ師はにこりともしないで言うからもうそれが本心だろうとしか思えない。ここでまた自分も博多に連れて行けなんて言うと、いやな顔をされるだろう。
そこで私は考えた。
「そろそろ大坂に戻ろうと思います。ですから、博多までご一緒させていただけませんかね」
「好きにしなさい」
最近のコエリョ師の答えは善これだ。どうも私の行動については、まじめにかかわろうとはしていないようだった。
私と彼らもともに主キリストをぶどうの木としする枝同士で、一つの主の体である同じ教会共同体の聖職者だ。頭ではそう思おうとしても、互いに愛し合いなさいと言われても……やはり苦手なのだ。
「フスタ船で行きますよ。大坂までの時間が短縮できます」
それもまたにこりともしないで言うから、もう間違いなく皮肉だ。
だが私は、大人しく大坂に帰るつもりはない。いや、関白殿下が九州にいる以上、まだ私は帰れないのだ。
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