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 城は少し高い山の上で険しかったが、なんとか頂上の城に辿り着いた。ここは島津の城だったが関白殿下はたちどころに陥落させて、今その城に入っているという。

 我われの到着の知らせはすでにいっているようで、山の中の城門には多くの甲冑を来た武将が我われを出迎えてくれていた。

 城といっても本当に戦争のためだけの砦という感じで、きらびやかなものはほとんどなかった。そんな大きな城ではないが、その中には関白殿下の軍の兵士がたくさん詰め込まれている。

 もちろん、あの二万の軍勢がこの城に入り切るはずもなく、ここにはほんの身の回りの兵だけで、他の軍勢は分隊ごとに山の下の城下町で宿営している。

 木々の隙間から見える風景は、目下に昨日登ってきた川が横たわっている。かなりの水量だ。その向こうの正面は別の丘陵っだが、右手の方に平地がある。その向こうが海だけれど、海までは少し距離があるのでうっすらとしか見えなかった。川は右手の方で大きく湾曲して遠くに見える海に向かって流れていく様子が分かる。

 それほど大きくはない城の建物の一室で、関白殿下は鎧の上から陣羽織ジンバオリという袖のない戦争の時に着る上着を着て腰掛けに座っていた。今日は別に戦争の出陣はないはずだが、それでも鎧を着ているということはやはりここは戦争の陣中なのだ。

 我われはその間の木の床に座った。

「おおおお、おおおお、バテレン殿。こんな山奥までよう来られた。大坂でお会いしたコエリョ殿とフロイス殿だな」

 フロイス師の通訳を聞いて、コエリョ師は頭を下げた。

「おや、大坂の南蛮寺のコニージョ殿もか。こちらに来られていたのか。いや、ともに大坂に住んでいる者同士がこのような遠国の山中で会うなどとはおもしろいものじゃのう」

「はい。お久しぶりでございます」

 私は直接日本語で答えた。私に対する言葉までも、フロイス師はコエリョ師にその耳元で小声で通訳していた。そして一つ咳払いをすると、強引に私と関白殿下との話に割って入った。

「こちらはこのしもの地方の布教区長のバテレン・モウラです」

「モウラと申します」

 モウラ師も日本語であいさつした。それからポルトガル商館員を紹介した。

「おお、バテレン殿ではないいわば俗人の異国の人を、わしは初めて見た」

 そう言って関白殿下は立ち上がり、我われのそばまで歩いてきた。

「やはりバテレン殿とは違ってきらびやかな服よのう。珍しい形をしておる」

 関白殿下は大笑いをした。そして目を止めたのは、彼らが持っていた盾と剣だった。

「その剣を見せてはくれぬか」

 フロイス師がその言葉を商館員に伝えると、商館員は自分の剣を関白殿下に鞘ごと差し出した。関白殿下はそれを抜き、珍しそうに眺めていたが、すぐに商館員に返した。

「なかなかなきらびやかで立派であるが、やはり日の本の太刀の方が美しい」

 そしてコエリョ師に向かって言った。

「日本の刀は美しいけれど、わしは見ての通り醜く小柄なじじいよ。だけど、このわしがこの日本で成し遂げた成功を忘れないでいただきたいものですな」

 関白殿下は声をあげて笑いながら、元の位置に戻って座った。それを見計らってコエリョ師が話し始めた。

「下関ではお会いする約束をしておきながら、到着が遅れて会えませんでしたこと、大変失礼をしました」

 その言葉をフロイス師から聞き、関白殿下は笑っていた。

「いやいや、気になさらないでくだされ。この秀吉にとってもまずは島津を降す戦が先決。バテレン殿方とゆっくり話すのはそれからでもいいのだが、せっかく長崎の近くまで来たので迎えを遣わした」

 関白殿下は愛想がいい。

「恐れ入ります」

 そこへ、小姓たちが背の高い器に盛った菓子を持ってきて、我われの前に並べた。

「さあさあ、美濃の干柿でござる。召しあがられよ」

 関白殿下が直々に勧めてきた。

「いやあ、実は豊前の秋月との戦も上々で、九州の北はほとんど制圧した。弟の秀長の軍も四日前に日向の根白坂で島津の軍を打ち破ったとの知らせがあった。わしはこれからだ。ここから南へ向かって、いよいよ島津との最終決戦になる」

 その言葉がフロイス師からコエリョ師に伝えられ、さらにコエリョ師の言葉がフロイス師にを通して関白殿下の耳に入る。

「ご武運をお祈りします」

 関白殿下は満足げにうなずいていた。

「まあ、力づくで兵で攻めて降伏させるばかりでなく、わしには一つ策略がある。そのため、一向宗の」

 そこまで言いかかけて、関白殿下は言葉を切った。

「いや、これはそなたたちに話していいことではない。忘れてくれ。それよりも、今回の九州征伐でわしは初めて豊前から筑前を通った。かつては羽柴筑前と名乗っていたのに、その筑前守の筑前の国を今回初めて見たのだからおかしなものよのう。大昔だったならば、筑前守というのはこの筑前の国を治める役人として都から筑前に実際に派遣されたものだ。今は完全に名誉職だがな」

 関白殿下は声をあげて笑った、何かごまかされた感じだ。

「そうそう、羽柴筑前といえば、ちょうどそんな頃にコニージョ殿とは姫路の城で会うたの」

「はい、懐かしうございます」

「あの頃は信長様もまだおいでじゃった。そうそう、フロイス殿が都で信長様と親しくされておったときは、わしはまだ小者だったから物陰から見ておった」

 またもや、関白殿下は高笑いである。

「島津がかたづけば、大方この日の本はわしの掌中に入ったことになる。あとは小田原の北条、仙台の伊達くらいだな。だが、徳川殿が我が配下になったから、今は徳川殿が睨みを機kしてくれておる。帰順してくるのも時間の問題だろう」

「それはおめでとうございます」

 コエリョ師の言葉を、またフロイス師が伝えた。

「日の本が完全に手に入ったら、次は信長様も果たせなかった明の制圧じゃ。その折にはコエリョ師のお国も援助してくれるんだったよな」

「はい、間違いなく」

 大坂でこの話が出た時は、オルガンティーノ師がなんとか話を止めようとしたけれど押し切られた。私は身がまえた。こういう時のために、オルガンティーノ師は私をよこしたのだ。

 かつて信長殿がチーナを攻略する構想を持った時、あの明智殿はなんとか阻止せねばと我われに語っていた。もしかして本能寺の事件は、明智殿が命を張って信長殿がチーナのコンキスタドールになることを阻止したのではないか。

 関白殿下にもコンキスタドールにはなってもらいたくない。だが、そのことに我われが首を突っ込むと、ヴァリニャーノ師が禁じていた内政干渉になってしまう。

 だけれども、コエリョ師がそれに加担するとなると話は別だ。阻止なければならないのは関白殿下よりもむしろコエリョ師ということになる。そのコエリョ師の腹の中は見え見えなのだ。私は焦った。

「話は変わるがのう」

 関白殿下は、少しだけまじめな顔をした。私は内心ほっとした。

「バテレン殿方を迎えに行かせたわしの手の者の話だと、長崎の町はほとんどそなたたちな南蛮寺の領地のごとくなっていたとか」

「いえ、違います」

 コエリョ師に伝えるまでもなく、直接にフロイス師が返事をし、話の内容はその後小声の早口でコエリョ師に伝えていた。

「長崎の町は大村の殿より我がイエズス会が寄進を受けた、いわば知行地でございます。寺や神社の知行地と同じです」

「そなたたちはあの地を領有する大名ではないというのだな」

 実質的にはそうなのだが、フロイス師は、

「さようでございます」

 というあいまいな返事をしただけだった。

 こうして、関白殿下との会見は終わった。

 明日はすぐにまた乗ってきた船で長崎まで送ってもらう。

「島津が降伏して九州全土が我がものになったら、わしが大坂に帰る前にもう一度会おう」

 関白殿下はコエリョ師にそいう言ったが、その顔は基本的に笑顔でもどこか厳しさが込められていた。

「さらに商館員たちからのお願いもございます」

 フロイス師が話に付け加えた。まずは商館員が自分の口でそれを述べ、フロイス師が通訳した。

「この者たちが申しますには、ポルトガル船が長崎や平戸に停泊中は、自由に日本の商人が来て貿易できるよう、ご朱印状を賜りたいとのことです」

「うん」

 関白殿下は大きくうなずいた。

「このたびも多大な進物を頂戴した。そのようなことはお安い御用だ」

 そして関白殿下はその場に控えていた秘書に許可証とその写しの二通を書かせ、朱印を押した。そして自ら立って商館員のそばに行って、それを与えた。

「そのポルトガルの船だがな、こんな西の果てではなく、堺にまで来て商いをしてほしい。バテレン殿、考えておいてくださらぬか」

 その言葉をフロイス師を通して聞いたコエリョ師は、輝かせた顔を挙げた。

「ポルトガルの船はかなりの水深を必要とします。瀬戸内の海や堺の港など十分に調査し、可能ということになればぜひ堺まで行けるようにしましょう」

 関白殿下は満足そうにうなずいていた。

 その後、我われは奥の茶室に案内されて、関白殿下から直々に茶の湯の接待を受けた。

 そのようなものはは初めての商館員に、フロイス師は細かく作法などをその場で教えていた。ところが彼らの目を引いたのは初めて接する茶の湯という日本の文化ではなく、その道具が総てきらびやかな黄金だったことであった。

 

 城内で一泊してから八代を後にした我われは再び口之津で一泊し、モウラ師と別れてて二日後の土曜日には長崎に帰り着いた。

 ところが送ってくれた武将は、前よりも丹念に長崎の町の観察を始めたのだ。しかも、迎えに来た時よりも少し多めの人員が、我われを長崎へ送り届ける船には乗っていた。

 長崎では町域の範囲、耕作地のありなし、広さなどつぶさに見聞しては記録していた。

 どうも関白殿下の内命を受けたのかもしれない。

「時にこの土地の安堵のご朱印状は?」

 帰り際に武将はフロイス師に聞いた。

「いえ、そのようなものはございません」

「知行地というからには、領主よりその所領を安堵する朱印状があるはずでござるが。大村殿からは朱印状は?」

「特には…」

 武将は少し首をかしげていたが、それでいいにしたようで八代へ帰っていった。

 私が気になったのは、武将たちはこの長崎の地に限らず大村へ行く船が出る時津の港へ向かう街道沿いの、湾になった海に北側から注ぐ川の東側の山の麓の一体の村をも調査していた。

 大村へ海路で行くときは時津の港に向かう時に必ず通る村なので私は何度か見た村だが、ロペス師に聞くとその浦上の村も今はイエズス会のこの長崎教会の知行地になっているという。

 ここは大村殿ではなく、有馬のドン・プロタジオからの寄進だそうだ。私はこの浦上という新しいイエズス会の土地も見てみたいと思ったが、ふと有馬という地名にも懐かしさを覚えた。

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