Episodio 6 関白との会見(Yatsushiro di Higo)
1
翌日、関白殿下の軍の船団は昼頃には長崎に着いた。
そのままそれに乗ってとんぼ返りで関白殿下のいるところに連れて行ってもらえばよかったのだが、コエリョ師は船に乗ってきた武将を案内し、教会やポルトガル商館、そして長崎の町を見せたりしていた。その武将は
「この町は大村の殿から寄進を受けて、イエズス会の所領となっております」
フロイス師の通訳を聞いた武将の顔が少し曇ったのを、同行していた私は見落とさなかった。
そしていざ乗船となって、コエリョ師とフロイス師は船に乗り込もうとした。私も当然のごとくそれにつき従おうとしたら、コエリョ師は不快そうに私を制した。
「
たしかに、私がともに行く必然性はない。だが、それはコエリョ師らにとってであり、私としてはこういう時に同席することこそが目的でオルガンティーノ師に派遣されたのだ。だが、それは彼らには言えない。
「でも私は、こちらではあくまで都布教区のオルガンティーノ布教区長の代理として振る舞うようにと、
「好きにするがいいでしょう」
意外とあっさりコエリョ師は認めたものだった。隣にいたフロイス師は不服そうな顔をしていた。
さらにはポルトガル商館から商館員が三名、平戸にいるカピタン・モールから関白殿下への進物を携えて同行することになった。
我われは船に乗り込んだ。ポルトガル商人とは別の船だった。と、いうのも船は一艘ではなく五艘の軍船だったからだ。
もちろんフスタ船のような大きなものではない。軍船の中でもいちばん小さな
しかもこの日は帆ではなく漕ぎ手が櫓を漕いで進んだ。ナウ船だと数時間で着く口之津まで日本の帆船だとその日のうちに着くのは無理だが、この船だと夕方までには口之津に着いた。
口之津で一泊というのはコエリョ師が出した希望だ。ここで有馬にいるモウラ師と合流して、ともに八代に行くことになっている。モウラ師は有馬の
関白殿下の武将と家来たちは停泊した船の中で寝てもらって、我われは口之津の司祭館に入った。モウラ師はすでに到着していて、私との久々の再会を喜んだ。ほかに口之津で私は、小ロペス師とも再会した。
さらには天草の教会のゴンザレス師もいた。ゴンザレス師は以前有馬の近くの有家の教会にいたので、ヴァリニャーノ師による長崎の協議会で顔を合わせたと思う。
今回は天草の殿である天草殿ドン・ジョアンの用件でコエリョ師を訪ねて来たらしいが、夕食の間も天草からここへ向かう途中に海賊に襲われてその城に拉致され、ドン・ジョアン直々に兵を出してくれて助かったという話で持ちきりだった。
コエリョ師、フロイス師とは食事と聖務日課の時以外はほとんど顔を合わせることもしなかったし、ほとんど会話もなかった。
コエリョ師はゴンザレス師と天草のことについて別室で話し込んでいたし、私はモウラ師や小ロペス師との再会に話に花を咲かせていた。。
そして翌日は早朝には、モウラ師も加えて出港した。口之津からまっすぐ南下する対岸は天草の島だが、船は少し東に進みながら南下したので、本土と天草の島の間の狭い海峡を通過する形になった。海峡といってもまっすぐではなく、大小さまざまな島の間を進むような形で、とても美しい景色だった。
その海峡を抜けてっもう一つの海を越えた向こうが九州本土で、まっすぐに進む対岸が八代だということだ。
その陸地に近づくにつれ、何カ所か広い範囲にわたって山火事のように煙が立ち上っているのが見えた。
「あれは関白殿下に攻撃されて炎上した敵の城です。もう二、三日もああして燃えたままです」
船で同行している関白殿下の武将が説明してくれた。
八代が近づいた。ここもまた風光明美である。ちょうど川が何本にもなって分かれて海に注いでいるが、船はその川をさかのぼっていく。ほんのわずかな平らな土地は水田で、稲がちょうど青々と波を打っていた。
川の上流はすぐに右に折れまがり、そこに港がある。港からすぐの山を登ったところが八代の城だという。
我われはとりあえずそのっ山の下にわずかに広がる城下町の中の、一つの屋敷に案内された。
屋敷といっても、明らかに寺だった建物に思われる。戦争の傷跡でだいぶ破壊されているようだった。だが今はその寺も、関白殿下の武将が接収しているという。
城下町の様子を見てもほとんどの家が焼かれたり壊されたりして、この八代の城を関白殿下が攻撃するためにかなり激しい戦闘が行われたようであることを物語っていた。
破壊を免れた家も住民たちはどこかに追いやられて、関白殿下の武将や兵士たちが自らの宿営にしていた。町は関白殿下の兵であふれていたのである。
我われを向かてくれた元寺であった屋敷の主は、なんと
我われの到着はもう薄暗くなり始めた頃で、部屋に通されてすぐに酒と食事が運ばれて、我われはかなりのごちそうに
我われ四司祭と数人の修道士、そしてポルトガル商館員の三人で話は盛り上がっていた。
我われは聖務日課を済ますと、特にすることもないのでさっさと寝てしまった。
翌朝は、うるさいほどの小鳥の鳴き声で目が覚めた。ここでは、大自然の営みに囲まれて生活しているのである。そこへ武将の小姓が、朝食について伺いに来た。我われはミサを立てねばならず、朝食はその後になる胸をフロイス師は告げていた。自動的に関白殿下との会見は午後になる。
この日は木曜日で、実は聖体祭なのである。ここで三人でミサを挙げることになるが、そのことは想定の範囲内で聖具とかは一応持ってきてある。もちろん、聖体行列などはできない。こんな山の中でこの人数でやっても仕方がない。
頃合いを見計らって、コエリョ師の司式で聖体祭のミサを始めた。
パウロの書簡ではキリストの最後の晩餐を伝える「コリント書」で、
私はまた、日本で初めて体験した高槻の、ヴァリニャーノ師をして「ここはローマか」とさえ言わせたあの盛大すぎる聖体行列を思い出した。そして都の教会で少しさびしい行列を体験したこともあったが、その後はずっと高槻だったし、ここ数年は大阪でそれなりの盛大な聖体祭を過ごしていた。
行列もない聖職者のほかは商館員三人が参列しているだけのこんな寂しい聖体祭は日本に来てからは初めてだった。
それから食事を持ってきてもらった。またもや朝からごちそうだった。屋敷といっても寺を接収したにすぎない。そんな場所でこれだけごちそうを出してくれるというのは破格の待遇である。
そして夕方近くになって関白殿下が会見をするということで、あの小姓が呼びに来た。我われは城に上がるべく、進物の荷物とともに屋敷を出た。
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