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私がまだ話を続けようとしたその時、教会の外で蹄の音が響いた。見ると、長崎の教会の日本人修道士が馬で駆けつけてきたようだ。日本人の修道士ならば、一人で外出してもイエズス会の規約に反しない。
「関白殿下からの書状が参りました」
彼は船ではなく、陸路を馬で飛ばしてきたようだ。
司祭館の一室で、コエリョ師やフロイス師の前にその修道士は座り、書状をまずはフロイス師に手渡した。フロイス師はその文面を読むと、内容をポルトガル語にしてコエリョ師に伝えた。
「豊前で秋月殿と戦ってそれを降した関白殿下は、すでに肥後の
「何?」
これにはコエリョ師も驚いていた。
「関白殿下からの船はいつ?」
「明日には着くのではないかと」
コエリョ師は立ち上がった。
「すぐに戻ろう」
日はまだ高い。陸路で馬を飛ばせば何とか暗くなるまでには長崎に着くだろう。そうでないとまずい。今の時期は月が出るのも遅い。暗くなって少したってからでないと、満月よりも少し欠けた月は昇ってこない。
後のことはルセナ師に任せて、コエリョ師をはじめ我われは馬上の人となった。
その時、教会からすぐそばに見えるお城の城門の方で、ものすごい騒ぎがしている様子だった。多くの人の群れがぶつかり合い、怒声が飛び交い、もみ合う姿も見られた。
大勢の領民たちと同じく大勢のお城の
我われはむしろ唖然としてしまった。
やがて領民たちは固まりとなって教会の方へ向かってくる。しかもなぜか殺気立っている。よく見ると、領民というよりもボロボロの服をまとっただけの、あまりきれいとはいえない人々であった。
「バテレン、出て行け! キリシタン、死ね!」
その人々は声々に叫んで、何人かはこの教会に向かって石を投げてきた。まだ遠いので当たらなかったが、お城の武士たちが刀を抜いてその人々と教会の間に入り、防御してくれている。
石がいくつか武士の頭に当たった。武士たちは刀を反対にして、刃がない斬れない方で暴徒たちの頭を殴って気絶させている。だが、お城の中から次々に暴徒は出てきて、その数は二百人ほどはいるのではないかと思われた。
「おまんら、大殿様の恩を仇で返すとね!」
武士たちが叫ぶと、暴徒たちは嘲笑した。
「なんが恩ね。恨みはよけいあるばってん、恩なんてなか!」
「そうたい! おらのお
「おらの娘も売られたと」
「おいらの村ではお寺が焼かれて、坊さんも大殿に殺された」
どうも彼らは
「ええい、黙らんね」
武士たちはそれに向かって一喝している。
「大殿様は天国に行きなさる前に、『
「当たり前たい。恩どころか、俺らはみんな大殿が憎か! バテレンが憎か! キリシタンが憎か! 南蛮が憎か!」
暴徒たちは武士たちに遮られながらもそれを押して、じわじわとこっちへ来る。日本語が分からないコエリョ師は、ただ茫然としたままだ。
その武士の中から馬に乗ったものがこちらへ駆けてきた。
「バテレン様方! 早うお逃げなされ! お護りば致す!」
その武士に促されて、我われは馬の尻に鞭を当てた。かなりの速さで駆け始めた馬につかまってその場を後にすると、いっしょに走っていた武士も併走してきた。
そして暴徒たちが人の足で走ってでは追いつけないであろうところまで来ると、とりあえず馬を停めた。コエリョ師もフロイス師も、馬上で肩で息をしている。
そして武士に向かって、
「あの騒ぎは何かね」
と、ポルトガル語で言った。フロイス師がそれを通訳する。武士は言った。
「あん者たちは捕らえられてお城の牢に入っとった捕虜ですたい」
私はそれを聞き、かつての竜造寺との戦争か今回の薩摩との戦争での捕虜かと思った。だが、そうなら我われの教会を恨んで攻撃してくるというのはおかしい。
「大殿様は間もなく天に召されなさることがおわかりになっとったみたいで、あの捕虜たちば許して釈放せいと命じられたのござる」
その話をフロイス師の通訳を通して聞いたコエリョ師は、あからさまに顔を曇らせた。
「なるほどあの暴徒は、奴隷として近々平戸へ護送する予定だったものたちではないか。ドン・バルトロメウも私に無断で勝手なことをしてくれたものだ。これでは平戸のイスパニア商館やポルトガルのカピタン・モールに対して私の面目が丸つぶれだ」
この言葉は、フロイス師は通訳しなかった。だが、私は何度も耳を疑った。
――この人は何を言っているのか……
私の聞き間違いだと、切実に思いたかった。
「あの襲ってきたものたちは、何の捕虜なのですか?」
私は少しとぼけたふりを装って、フロイス師に聞いてみた。
「何を今さら言っているのかね。ドン・プロタジオの領内で、洗礼を受けるのを断固拒否し、福音宣教を妨害したものたちですよ」
「その者たちを、奴隷として売り飛ばしていたのですか?
私は語気を荒くした。
「人聞きの悪いことは言わんでもらいたいですな」
コエリョ師が、ますます私を睨む。
「私は聖職者ですよ。奴隷を売ったりするわけがない。売っているのは
「ちょっと手伝いって、立派な仲介者ではないですか。かつてポルトガルの国王が、日本での奴隷貿易は禁止したはずでは?」
「もうその人はポルトガルの国王ではない。今はイスパニアの王がポルトガル王だ。それに、奴隷となった者にはキリストの教えと接する機会が与えらる。これは『
「そんなの詭弁でしょう」
「君はちょっと黙りたまえ」
フロイス師がきつい口調で私に言った。そんな会話を聞き取れないお城の武士は、我われが何を話してもめているのか気になっているようなので、とりあえず私は一度黙った。
「暗くなるといけない。もう行こう」
コエリョ師が立ち上がった。フロイス師いが武士には礼を言って、ここから帰らせた。
それからは、かなりの速さで皆で馬を飛ばした。
その間も、私はずっと気になっていた。
かつてリスボンからゴアに向かう船が、モサンビーケでかなりの数の現地の人を積み込んでいた。あれが全部奴隷だったのだ。ヤスフェもそんな中の一人だったはずだ。
我われが比較的快適に過ごしていた船旅の、その同じ船の船底にはそういった売り買いされる奴隷たちが、ひしめき合うように鎖で繋がれて詰め込まれていたのだ。
もうすっかり忘れかけていたが、あのモサンビーケで聞いた女の歌を今さらながら思い出した。
そんなことと同じことが、この日本でも行われていた。しかも、イエズス会がそれにかかわっていた。もちろん組織だってやっていたわけではなく、コエリョ師個人としてそれに手を染めていたにせよ、この人は準管区長である。誰も個人の行為とはとらないだろう。
フロイス師もまた
そしてもう一つ思い出したのは、マカオで日本からの敵船が着いた時にその船から鎖に繋がれた大勢の日本人が降ろされてきたことである。その時は何が何だかわけがわからなかったし、アルメイダ師に見るなと目を隠された。
切実にこの現状をヴァリニャーノ師に伝えたい、と私は思っていた。恐らくヴァリニャーノ師は激怒するだろう。だが、個人で海外に手紙を書くことはできない。手紙は総て準管区長が検閲する。カピタン・モールに内緒でことづけることもできなくはないが、それは定期船出航の時にその場にいなければ無理だ。
とにかく都に帰ったら、オルガンティーノ師には絶対に伝えようと思う。オルガンティーノ師もまた激怒するだろう。
それにしても、私が初めて大村を訪れた時に覚えた違和感はこれだったのだ。
家来だけでなく領民全員が
この仏教徒が多い日本で、領民を一人残らず改宗させるなど至難のわざだろう。豊後の府内や臼杵でも、領民全員が
だが、大村は違う。そこになんか不自然さを感じていたが、要はドン・バルトロメウの強制力だったのだ。
そしてそれでも改宗を拒んだ人々は弾圧、追放、挙句の果ては殺害、さらには奴隷として海外に売り飛ばす……そういうことだったのだ。火薬ひと樽を代価にして……。
私はうすら寒くなってきた。前を見ればコエリョ師とフロイス師の馬の上で跳ねる背中が見える。できればこんな背中はもう見たくなかった。
そうこうしているうちに、少し薄暗くなった頃になんとか長崎に着いた。真っ暗になる前には、間にあった。
「明日はもう出発だろう。疲れた。寝る」
コエリョ師は私を避けるように、司祭館の自室にさっさと籠もってしまった。
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