Episodio 8 娘五十人火薬一樽(Hirado)

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 博多への出発は六月も下旬になった二十四日の水曜日。その頃はもう本格的に雨季に入ったようで、雨の日が多かった。だが櫓を漕いで進むフスタ船は、よっぽどの荒天でない限り航行に支障なないとのことだった。

 この日は私の保護聖人であるバプテスマのヨハネ生誕の祭日で、そのミサにあずかってからの出発だった。

 博多はかつて竜造寺殿によって破壊されて今はかなり荒れ果てており、関白殿下はその博多の町を再興するために大坂に帰る前に寄るのだそうだ。

 かつては堺などと同様に商人の町、貿易の町として大いに栄えた町だったと聞いているし、教会もあったはずだ。今はその教会も焼けて跡形もなく、司祭もいないという。


 いくら高速のフスタ船とはいえ当日に博多に着くのは無理で、来た時と同じように平戸で一泊するようだ。

 船はゆっくりと島の西側を回って、北部にある港に向かった。天草もそうだが、言われないと島だとは分からないくらい、その面積は大きな島だった。ただ、天草よりはかなり小さいようだ。

 ちょうど島の西を航行中に、不思議な光景を見た。稲の水田は普通は平らな平地に作られるものだが、ここでは山の斜面に階段のようにだんだんと水田が作られている。ほとんど平らな土地がないための、苦肉の策のようだ。それでも稲を作らなければならないほど、日本人にとって稲、そして米は大切なものらしい。

 不思議な光景はそれだけでなく、その山の麓の集落の人々はこのフスタ船を見ると、大勢で海岸まで駆けてきて我われに手を振るのだ。

「この島は、この西側の部分に信徒クリスタンが集中しているのです」

 聞きもしないのに、甲板で島の景色を見て人々の振る手に振り返していた私の隣に、いつの間にかフロイス師が来て勝手に解説している。

 やがて船は島の北側の岬を回り、東に面した平戸の港へと滑りこんだ。港は九州本土と島が接する狭い海峡にあった。

 やはりフスタ船は早い。その港にはナウ船が二艘、停泊していた。ポルトガルからの定期船は、チーナのジャンク船で来る場合は二艘のこともあるが、ナウ船の場合は一艘だ。

 つまりは一艘がポルトガル船、もう一艘はスパーニャ船であろう。この二つの国の船が並んで停泊している光景も、やはり時の流れを感じる。実は今は二つの国ではないからだ。

 その港から町を抜けて少し高台に登ったところに司祭館レジデンツァはある。今は日本にもスパーニャの商人は来るようになったが、イエズス会以外の他の修道会はまだ日本には来てはいない。それを拒否する旨は、すでにヴァリニャーノ師がまだ日本にいた時から決めていたことだ。

 司祭館レジデンツァからは小さな湾になっている港と、海峡の対岸の九州の土地がよく見渡せる。

 本当にこの国は海岸線が複雑で、川のような海峡も多い。こんな狭い海峡がなかったら、平戸は島ではなく地続きの半島になってしまうところだ。

 船の中では嫌でもコエリョ師やフロイス師と接していなければならないが、ここでは同期のサンチェス師もいるので心強かった。

 ここで一泊して翌日は博多に向けて出港と思っていたが、翌日の朝のミサが終わっても、コエリョ師は一向に出発する気配を見せなかった。それどころか、フロイス師と二人でどこかに出かけていったのである。

「あの二人はどこへ行ったのですかね」

 私は何も聞かされていなかったので、不審に思ってサンチェス師に聞いた。

「たぶん、イスパニアの商館でしょう」

 今は昔とは違う。準管区長がイスパニアの商館に顔を出しても別に不思議はない。ましてやそこにはマカオのカピタン・モールも滞在しているのだから、むしろあいさつに出向くのが筋だとさえいえる。

 それでもポルトガル人のカピタンモールがスパーニャの商館に滞在していること、それ以前にスパーニャ人が日本にいること自体が以前には考えられないことなので、まだ違和感があった。

 二人の帰りはかなり遅かった。

 そして翌日もミサの後も、また二人は出かけた。私は司祭館レジデンツァにいてサンチェス師と語らいながら、聖務日課をこなす何事もない生活をしていた。

 そこで私は聞いてみた。

「この島は、殿がキリスト教の宣教には協力的ではないということで、一時はこの島の聖職者は皆追い出されたこともあると聞きましたけれど、今信徒クリスタンスは?」

「この司祭館レジデンツァの周りや港のある町にはほとんどいません。松浦の殿が目を光らせてますからね」

 サンチェス師は少し残念そうだった。

「ただ、島の西側やそこにある別の小島の住民はほとんどすべて信徒クリスタンスです」

 そういえばフロイス師もそんなことを言っていた。

「そこの小領主が信徒クリスタンなのですよ。行ってみますか?」

 もちろん承諾だ。

 だが、一応コエリョ師の許可がいる。勝手に行ってしまって、その間にコエリョ師は博多に行ってしまったなんてことになっても困る。だが、どうも気が重い。

「私からそれとなく聞いてみますよ」

 サンチェス師がそう言ってくれたので助かった。


 翌日の朝、サンチェス師がそっと耳打ちしてきたことによると、私がその信徒クリスタンスの多い地域に出向くのは構わないとのことで、それに加えてコエリョ師はまだここに居座って当分博多には出発しないつもりだということであった。

 そもそも帆船だったら、航行に適さない風向きや潮の流れである場合、一つの港で風向きが変わるまで何日も停泊するということはよくある。しかしフスタ船は帆船ではあるけれど櫓を漕いで推進もできるし、今回もほとんどその方式で進んでいる。風の向きなど関係ないはずだ。

 とにかくよく分からない人だ。

 こう毎日スパーニャ商館へ通っていると、カピタン・モールへのあいさつだなどという口実はあり得なくなる。そもそも今の国勢からポルトガル人の準管区長がスパーニャ商館へ行くというのも問題はないのだけれど、ただほかならぬコエリョ師だ。何を考えているのか、何を企んでいるのか、はっきりいって怪しいのだ。

 もちろんそんなことを、たとえ気心の知れたサンチェス師にさえ口に出して言えるわけがない。

 とりあえずそれは置いておいて、私はサンチェス師とともに信徒クリスタンスのいる村へ行ってみることにした。

 雨季であるにもかかわらず、よく晴れていた。日本でいう梅雨の中休み、もしくは五月晴れ《サツキバレ》だ。

 その村までは、歩いて三時間ほどだということだった。我われは馬で行ったので、もう少し早く着けた。

 あの船の上から見た段々となっている水田は、陸地で間近に見ると本当に壮観だった。

 斜面いっぱいに上から順に水田は広がる。今はちょうど稲の葉が青々と伸びている時期だ。それが海からの潮風にそよいでいた。

「これを造るのは大変だったでしょうね」

 私はサンチェス師につぶやいた。畑ならちょっとくらい傾斜があってもいいのだが、水田は水を張るのできれいな平らでないといけない。そのきれいに平らな水田を斜面に階段状に作っているのだから、並大抵の苦労ではなかったはずだ。

「あ、バテレン様!」

 そんなことを話している我われを見つけた村民たちは、驚き、大喜びで、皆他の村人を呼びにいたりして急遽集まった。

 村全体の人が集まっても百人には満たないくらいの小さな村だ。

「今日は遠い大坂の後から、若いバテレン様が来ましたよ」

 笑いながらサンチェス師が私を紹介した。たしかにサンチェス師から見れば若いかもしれないが、もう四十近くになる私だけに、そう言われて少しくすぐったかった。

 段々の水田と海を見下ろす丘の上に広場があって、そこに村人たちは集まってくる。そして丸くなって座った。私とサンチェス師がそれに囲まれて立っている形だ。

「皆さん。皆さんはこの美しい島で毎日、『天主デウス』様の懐に抱かれているような生活をしているのですね」

「そげですばい」

 村の代表格のような老人が言った。

「ほんにありがたかこつです。ミサの日以外はここで朝晩集まって、祈りば捧げとっとです」

 見ると、広場の中央には日本の田舎の村にはよくあるようなほこらがあった。だがその上には石で造った十字架が立っており、中は聖母マリア像だった。

「キリシタンはこの村だけですか?」

 私は尋ねてみた。

「いえ。この春日の村と、ここからすぐの生月いきつきしまだけばい。ばってん、この村と生月島は全員がキリシタンですばい」

 なんだかこの丘の上にいて、海を見ながら話していると、イエズス様のガリラヤでの山上の垂訓の場所もこんなだったのかなと思ってしまう。

 私はそこで村人たちと小一時間交流し、一人ひとりに祝福を与えて村を後んしいた。しばらくは海沿いの道など美しい風景を楽しみ、そのまま海岸にそっていくとたしかに島があった。

 小さな島といってもそんなに小さいわけではなく、またこちらの陸地ともあまり離れてはいない。

 島へは渡し船があって、人がくると船を出してくれる。私とサンチェス師もそれに乗って、島へ渡った。

 島は縦に細長く、東半分に平らな土地があった。西半分は丘陵地帯だ。

 ここで同じように我われが行くと、村人たちはすぐに集まってきた。同じようなやり取りと祝福を与え、我われが平戸の港の司祭館レジデンツァに戻ったのは、もう夕暮れだった。

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