Episodio 3 豊後の戦乱(Shimonoseki)

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 そうして私は、従来通り神学校セミナリヨで学生たちとともに過ごして一週間が過ぎた。

 次の日曜は復活節第四主日だがその翌日、つまり二十日の月曜日に私とロケ兄はいよいよ九州に向け出発することになった。関白殿下の出陣の十二日後となる。

 長崎は信長殿の死を伝える任務で遣わされた時以来だから、長崎もまた私にとって五年ぶりだ。

 五年の間に、世の中は全く変わってしまった。あの頃の安土城は跡形もなく、大きさではそれをはるかにしのぐ大坂城が、かつては織田家の一大敵勢力であった一向宗の本願寺の跡地にそびえている。

 本願寺の小さな門前町にすぎなかった大坂も、今では都に匹敵するくらいの大都市だ。そして、織田家の一武将にすぎなかった羽柴筑前殿が、今や天下に君臨する関白豊臣秀吉となった。それもわずか五年の間の出来事である。

 地球の裏側でも、あれほど拮抗して世界で覇を競っていたスパーニャとポルトガルが今や実質上は一つの国になっている。

 さて長崎は、この五年でどのように変わっているか……私はあまりいい予感はしていなかった。

 五年前は情報伝達の役目を終えればすぐ戻ってよかったが、今回は関白殿下が大坂に戻るまで、すなわち九州での戦争が終わるまで向こうにいなければいけないのだから長引きそうだ。

 嫌な予感は、この時も続いた。復活祭バスクアの前からもうひと月以上も、あまりにも頻繁に地震が起こるのである。ほぼ毎日といっても過言ではない。地震自体はそれほど大きくなく、立っていたら気付かない程度の時も多い。それでもこう続けばあまりいい感じはしない。


 そんな中を我われは出発した。

 すでに関白殿下の大軍とは別に海路で海軍の艦隊とともに出陣していた小西殿ドン・アゴスティーノの計らいで、堺から小舟で瀬戸内の海を旅することになっていた。

 関白殿下の軍は陸路を行軍していると聞く。風向きにもよるが、船で行けばもしかしたら我われの方が関白殿下の軍を追い抜いていく可能性もある。

 出発の当日、四月も下旬だというのに朝に木の実くらいの大きさのひょうが降った。前日の日曜日の朝などは、まるで雪かと思うくらい、教会の庭には一面に霜が降りていた。

 なんだか季節もおかしくなり始めている。

 オルガンティーノ師とセスペデス師、そして多くの修道士や神学校セミナリヨの学生たちに見送られて、我われはまず堺へと出発した。堺へ行くには天満橋は渡らず、お城の脇を南下する。

 久々に近くで見る大坂城の天守閣は、今はあるじが不在だとはいえ相変わらずの狂気を感じさせていた。

 堺では教会が間借りしている日比屋で一泊した。

 翌日の朝早く、今が風がいちばんいい時だということで、私とロケ兄は船に乗り込んだ。日比屋の主人のディアゴは娘婿のルカスが昨年あんなことになってから一気に老けたようだが、そのディアゴと息子のビセンテ、そして娘たちもパシオ師とともに皆で我われを見送ってくれた。

「あのコエリョ神父パードレ・コエリョには私もいろいろ言いたいことはある。私もいっしょに行きたいところだけど、私には堺の教会がありますからね。それに尾張にも行かねばならない」

 別れ際にパシオ師はそんなことを言っていた。リスボンを船出してゴアまでの船旅を共にした数人のうち、今一緒に日本にいるのはこのパシオ師だけなので私にとっても心強い相手だ。

 そのパシオ師の尾張行きも、間近に迫っているとのことだった。


 船は春の東風を帆にいっぱい受けて、穏やかな瀬戸内の海を心地よく滑った。

 もはや海賊もドン・アゴスティーノによって一掃されている。船は淡路島、小豆島と停泊し、かつてヴァリニャーノ師らとともに初めてこの瀬戸内の海を航行した時には、恐ろしい水軍の本拠地として生きた心地もせずにやっとの思いで通過した塩飽しわくも、今では関白殿下の御用水軍としてドン・アゴスティーノの配下となり、この九州での戦争に参加することになっている。

 だから昔と違って、今は我われの船を護衛してくれる存在に百八十度変わっていた。

 ほかにかつて我われが恐れた村上水軍も、三つの家のうち一つの家の頭目は関白殿下に臣従しており、あとの二つの家は従来通りに毛利家の家臣だが、昔は毛利家が織田家の敵だったから恐れたのであって、今は毛利家も関白殿下の配下の武将であり、いわば味方であるから何ら恐れることはなくなっている。

 それから何泊か泊まり、風待ちに滞在することもなく翌日には出港して、一週間もかからず二十五日の土曜日、聖マルコの祝日には毛利家の領地である下関しものせきに着いた。今はここに司祭館レジデンツァもあり、関白殿下も同じくこの地を目指して進軍しているとのことなので、オルガンティーノ師もまず下関に行くようにとの指示を下していた。

 船はずっと左右に陸地を見ながら巨大な川かあるいは湖のような瀬戸内の海を進んでいたが、やがて船は陸地に向かっていくようになった。だが

「もうすぐ下関や」

 船べりに出て景色を見ていた私とロケ兄に、船頭が言う。私はこのまま船が前方の陸地にぶつかり、そこが下関の港だと考えていた。

 ところが進む行く手の陸地には太い川が注いでいるようで、船はその川へと入っていく。ただ、どうも普通の河口という感じではなく、大きな湾が段々と狭まって内陸へと続いているという感じだ。ちょうど、長崎に着く間近の湾のようだ。

 だが、長崎の湾はこんなに狭くはない。やはり湾ではなく川なのかとも思う。

「下関は、この川の上流にあるのですか?」

 私は船頭に尋ねてみた。船頭は笑った。

「これ、川とちゃいまっせ。海です」

「では湾になっている?」

「いやいや、陸と陸に挟まれた海峡でっせ。左岸が九州の豊前、右が毛利様の長門。このままこの海峡を進んだらまた外海に出て、そこは九州の北の玄界灘ですがな」

 なんだか私にはピンとこなかった。本土と九州は、なんとこんな狭い海峡で隔てられただけだったのだ。海峡の左右とも山がちの土地だが、山はさほど高くはない。

 やがてその海峡の右側に港が見えてきた。行く手を見ても海峡は湾曲しているので、その向こうの外海は見えない。

 港の周辺だけ少し平らな土地があり、そこに町があった。町の向こうには山がないので、そのままそこが外海なのだろう。

 その町に港がある。そこにはおびただしい数の軍船が停泊していた。ドン・アゴスティーノの海軍のふねのようだ。

 いよいよ下関に着いたらしい。

 船がゆっくりと港に入ると、すぐに十字架のある建物が見えた。あれが司祭館レジデンツァのようだ。本当に港ぎりぎりの海沿いに建っている。

 私とロケ兄は上陸後数秒で、司祭館の扉を叩くことができた。

 扉が開いて出た顔を見て、私は身を固くした。私にとっては苦手なフロイス師だ。

「ずいぶん早かったですね。昨日知らせをもらったばかりです」

 我われが来るという知らせはもう半月も前に、オルガンティーノ師はドン・アゴスティーノに託していたはずだ。我われが早かったのではなく、手紙が着くのが遅かったのだ。

 とにかく私とロケ兄は、荷物を運びながら中へ入った。

 司祭館といっても建物は日本式の小さな屋敷だ。この司祭館レジデンツァは最近設けられた新しいものであるはずだが、建物自体は新築ではなく、前からあった古い屋敷を手に入れて司祭館にしたようだ。

 その小さな屋敷に結構人はたくさんいた。修道士や司祭もいる。床は板張りだった。椅子もない。そこに日本式に座った。

 私たちを出迎えるかのように、司祭たちを我われを囲んで座った。一通り名前を聞くと、ゴンサルヴェス師、モンテ師、ラモン師、プレネスティーノ師、そして前にコエリョ師とともに大坂に来たディアス師、マリン師などだった。

 中には初対面の人もいたが、そうではない人は皆豊後の府内か臼杵のどちらかで会ったことのある司祭たちばかりだ。

「長旅ご苦労でしたね」

 ラモン師が最初に声をかけてくれた。この人は会ったことがある気がするが、会ったとしてもなにしろ五年も前である。はっきりと記憶にない。

「すでにドン・シメオンの働きで、山口とこの下関には教会を造る準備も進んでいる。土地も手に入れてます」

 ラモン師がそう説明してくれる。

「ドン・シメオン、つまり黒田殿ですね」

「そうです。教会の予定地はもっと見晴らしのいい高台ですよ、起伏が二つもあったのですけれど、ドン・シメオンの兵たちが人海戦術であっという間に平らにしてくれたそうです。その兵たちもほとんど信徒クリスタンスだったということですよ」

 ドン・シメオン黒田官兵衛殿は、まだ洗礼を受けていないころから私はよく知っている。関白殿下の軍事顧問だ。関白殿下よりもずっと前から、この下関に来ているのは知っていた。

 それにしても、この狭い司祭館に司祭が多すぎる。私がそう思ったのが顔に出たのか、表情も変えずにフロイス師は言った。

「みんな、豊後から避難してきた人たちだよ」

「避難?」

 私は何も知らないので、軽く言ってしまった。戦争はこれから起こるのだろうくらいにしか、私は考えていなかったのだ。

コニージョ神父パードレ・コニージョ、豊後はもうおしまいだ」

 そういうラモン師は泣きだしそうだが、ゴンサルヴェス師が遮った。

「そのような言葉を口にするものではない。『天主デウス』に委ねようではないか」

「その話はあとで詳しく」

 フロイス師が、また無表情で言った。

 私は気づいたように、荷物の中から大きな包みを二つ取り出した。北政所様から賜った着物である。

マリン神父パードレ・マリンディアス神父パードレ・ディアス。あなた方がわざわざ大坂まで来られて関白殿下に準管区長の進物を届けられたその返礼だそうですよ」

 これを届けに行くというのが今回の私とロケ兄の長崎への派遣の表向きの理由だ。まさか、準管区長と関白殿下の接触がおかしな方に行かないように見守り牽制するなどというオルガンティーノ師の真意を言うわけにはいかない。だから、表向きの理由が必要なのだ。

「お二方ともお忙しかったようで、大坂の教会には来られなかったようですが」

 二人ともばつが悪そうにうすら笑いを浮かべた。もちろんこの二人に悪意や落ち度があったわけではないことは私は知っている。ただ、フロイス師だけが冷たい顔をしていた。

「何もこのいちばん大変な時に、このような使いで来なくても」

 吐き捨てるように言うフロイス師の言葉に、やはりこちらは何か大変なことになっているという気がした。

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