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 その日の夕食後、聖務日課の終課コンピエタの後で、フロイス師が私とロケ兄のために状況を説明してくれた。

「私と準管区長が去年関白殿下に対面し、その帰りに山口に行った。知ってのとおり山口はかつてザビエル神父パードレ・ザビエルが布教した場所だけれど、信長殿の敵国の毛利殿の領地となって教会もなく司祭もいない状態で、信徒たちクリスタンスは置き去りになっている状態だった。でも今、毛利殿も関白殿下の味方となり、黒田殿ドン・シメオンの尽力で布教もできるようになったから、その山口にも司祭館レジデンシャができた。そして準管区長が山口を巡回している時に豊後は大変なことになったのだ」

 聞いている誰もが、悲痛な顔だった。コエリョ師がシモから連れてきたこのフロイス師やマリン師、ディアス師のほかは、皆豊後にいた司祭たちなのである。

「今、豊後は大いなる試練の時を迎えている。とりわけ豊後布教区にとっては、これまで体験したことのないような厳しい状況になっている。そんなわけで準管区長も私もすぐには長崎に帰らずに、しばらく山口に、そして豊後により近いこの下関に滞在してきた」

「詳しくは、私から話しましょう」

 その「厳しい状況」を実際に体験したであろうゴンサルヴェス師が話を受け継いだ。

「昨年から薩摩の島津殿が激しく豊後を襲うようになったのです。豊後の殿の大友殿の軍にドン・シメオンと毛利殿の軍、それに長宗我部殿の軍も加わって島津と戦ったのですが、苦戦していたようです。すでに臼杵で隠居されていたドン・フランシスコが大坂まで出向いて関白殿下に援軍を請うたのはご存じですよね」

 私はうなずいた。うなずいたが、あの時は直接ドン・フランシスコとは話はしていない。ドン・フランシスコは堺に滞在していて、関白殿下との対面後はそのまま帰ってしまった。だから、詳しい状況を大坂にいる我われは分からずにいた。

 ただ、わざわざ老齢のドン・フランシスコが自ら大坂くんだりまで来るということは、よほど事態が切迫しているのだろうくらいにしか思っていなかった。

「去年の秋ごろから薩摩の軍は豊後の府内を包囲して攻撃を加えてくるので、我われは生きた心地がしませんでした。そして今年になってから大きな戦争があり、それに勝った薩摩の軍はついに府内を占領しました。もちろん穏やかに入ってきたわけではありません。略奪と放火など、薩摩の軍は乱暴の限りを尽くして町の大半は焼かれました。府内にいた大友の殿、つまりドン・フランシスコの長男は府内から逃げて、府内の城には島津の殿の弟が入りました」

「あのう、府内の教会や学院コレジオは?」

 私は思わず口をはさんだ。ゴンサルヴェス師は悲壮な顔で、黙って首を横に振った。私もロケ兄も、息をのんだ。そして、もう一つ私は聞いた。

「ドン・フランシスコは?」

「ドン・フランシスコは臼杵の城にいます。あの城は持ちこたえています」

 たしかに、私は実際に臼杵の丹生城というあの城に行ったことがあるが、海に突き出た巨大な岩山の上に築かれた城だ。塀に囲まれただけの平地の屋敷にすぎない府内の城と違って、ちょっとやそっとでは陥落しないだろう。

 臼杵にいたラモン師が話に入った。

「臼杵では司祭も修道士もドン・フランシスコがその城の中に入れて保護してくださいました。彼はそれだけではなく、臼杵の一般の住民たちをもできる限り城の中に避難させたのです」

「教会は?」

 同じようにラモン師も、黙って首を横に振った。

「ドン・フランシスコは住民が城に入ると、市街地に敵が潜むのを恐れて街を全部焼き払ったのです。でもその時は、教会や修道院は無事でした」

「それがいつごろですか?」

ゴメス神父パードレ・ゴメスが臼杵のお城に入ったのが、待降節アドベントの最初の金曜日でした。十二月の五日くらいでしたか」

 つまり、三河の徳川殿と関白殿下が和解の会見をし、我われも徳川殿と面会していたちょうどあの頃だ。まさかこの豊後がその頃そんなことになっていようとは、その時は全く知らなかった。

「そして次の日曜日、待降節アドベント第二主日で聖アンブロジオ司教の祝日に教会の財宝は全部お城に運びましたよ。いや、全部じゃない。有馬にいるニコラオ兄イルマン・ニコラオが描いた昇天の聖母マリアの絵は大きすぎて運べなくて、残念ながら残してきました」

ニコラオ兄イルマン・ニコラオ……」

 私にとっては安土でともに過ごした懐かしい名前だ。

「で、今では教会は?」

 ラモン師は言う。

「古い教会や修道院はすべて焼かれましたけれど、新しい教会は建物自体は焼かれていません。でも内部は破壊されて、今では豊臣方の兵士の宿舎になっています。もう教会ではない」

 私は胸が割かれる思いだった。あの臼杵の新しい教会の献堂式には、私も立ち会っていたのだ。

「豊臣の兵がもう臼杵にいるんですか?」

「順を追って説明しますね」

 私の問いに、またゴンサルヴェス師が答えた。

「準管区長のコエリョ神父パードレ・コエリョが所用があって長崎に帰られたのが、今ラモン神父パードレ・ラモンが言われた教会の財宝の搬出から一週間後の待降節アドベント第三主日の頃だったと聞いています。そうですよね、フロイス神父パードレ・フロイス

「ああ」

 フロイス師はうなずいた。するとさっきから姿が見えないと思っていたけれど、コエリョ師は今はこの下関にはいないのだ。なんだかほっとした気分になる。

 コエリョ師は自分の代行者として、フロイス師をここにおいていったのだろう。

「その三日後くらいに、府内も臼杵も完全に敵の薩摩軍に包囲されました。府内や臼杵の司祭や修道士は、黒田殿ドン・シメオンが手配してくれた船で豊後を脱出してこの下関と山口に分散しています」

「布教区長は?」

「ゴメス神父パードレ・ゴメスはそれからずっと山口におられました。ただ、昨日中津に行きました。信徒クリスタンスが多い場所です」

 私は実は豊後の布教区長のゴメス師とは会ったことはないが、その名前はよく聞き知っている。私が以前府内や臼杵にほんの少し滞在した時には、ゴメスすはまだ日本に来ておられなかった。もう五十歳を過ぎておらっる方だそうだが、以前私がゴアにいた時になんとなくそのような名前を聞いたことがあるような気がしたけれど、記憶に定かではない。もしかしたら、ゴアで顔は会わせているかもしれない。

「では、今は府内にも臼杵にも司祭はいないのですか?」

 ラモン師が答えた。

「臼杵にのお城の中にはラグーナ師が一人で残っています」

 ゴンサルヴェス師が言う。ラグーナ師……また懐かしい名前だ。マカオでともに叙階を受けともに日本に来た、いわば私の同期である。

「府内にはもう誰もいません。ただ、つい先ほど届いたばかりの知らせなのですが、三日ほど前に関白殿下の弟の美濃守殿が小倉に到着し、その後の戦争で豊臣方が府内も臼杵も奪還たそうです。もはや島津の軍は豊後から撤退したということです」

「それで臼杵に豊臣の兵士がいるのですね」

 私は納得した。

「臼杵から敵の軍が撤退した後にお城の門が開いて、避難していた人たちが一斉に外に出た様子はすごかったらしいです。でも、古い教会と修道院はその時に豊臣の兵によって焼かれたということです」

 私はため息をひとつついた。

「そういえばフィゲイレド神父パードレ・フィゲイレドは?」

 かつて病気療養のために都に来た府内の学院コレジオの院長だ。ベルシオール曲直瀬道三先生の受洗のきっかけともなった人だ。

「あの方はもう日本にはいない」

 フロイス師が口をはさんだ。

「すでに昨年の定期船でマカオに渡った」

 なにしろ老人だし、やはり病気も完治というわけにはいかなかったようだ。

「では、府内の学院長は?」

 ゴンサルヴェス師が私を見た。

「一昨年日本に来られたカルデロン神父パードレ・カルデロンという方です。今はゴメス神父パードレ・ゴメスとともに山口にいます」

「前に都にいたモレイラ神父パードレ・モレイラは?」

「あも方も山口です」

「皆さん、大変な思いをされていたのですね」

 あまりに私が悲痛な顔をしているので、ゴンサルヴェス師が少し笑って私の肩を叩いた。

「こんな試練の時だから、心を合わせて祈りましょう。教会という建物がなくなっても、それで共同体がなくなったわけではありません。私たち兄弟は離れ離れになっても信仰で結ばれていれば、それでキリストの体を形づくれるのです」

 まるで私の方が逆に私を元気づけられた感じだった。

「さて、神父パードレはこれからどうするかだが」

 フロイス師がまたもや無表情のまま、私を見た。

 とりあえず今準管区長のコエリョ師はここにはいない。正直ほっとしたのも束の間、しかしながらコエリョ師の監視というとおこがましいが見張り役のような感じでオルガンティーノ師から派遣されたのだから、不本意でもコエリョ師のそばにはいないといけない私である。

 もちろんそのようなことは今ここで、特にフロイス師に向かっては口が裂けても言えないのだが。

「準管区長が長崎なら、私も長崎に」

「いや、それは必要ない」

 フロイス師の言葉に、一瞬だけ体が硬直した。もしかしてフロイス師は私が来た真意に気付いたのだろうか。

「間もなく準管区長はこの下関に来る。もうすぐ関白殿下の大軍が来て、必ずこの下関は通過する。その時に関白殿下はここでお準管区長を会いたいと言っていた。そうですな、マリン神父パードレ・マリン

「あ、はい。大坂でそのように言われてきました」

 この人たちはもうこそこそと、関白殿下とそのような約束までしている。油断もできない。

 もしかしたらこんなこともオルガンティーノ師には想定内のことで、だからこそ私を遣わしたのだろうか。

「間もなく関白殿下は下関に来る。だから間もなく準管区長も下関に来る。だから、神父パードレはここで準管区長を待っていればいい」

「狭いですけれど、なんとか譲り合ってみんなで生活していますから、神父パードレもどうぞ」

 そう言って、ゴンサルヴェス師も笑顔で迎えてくれた。

 ただ、ここでの滞在がどれくらいになるのかは私にはわからない。とにかく、関白殿下とコエリョ師がここで会う以上、私もここにいないとまずい。

「わかりました」

 私はフロイス師に、それだけ言っておいた。

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