Episodio 4 黄金の茶室(Ohzaka)
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そんなことがあってから約十日後の五月十五日が、今年は主の御昇天の祝日だった。季節はだんだんと初夏の色を増してきて、さわやかな晴天が続いていた。
その間も、コエリョ師とフロイス師は堺にこもったままで全く大坂には姿を見せなかった。
そんな堺のパシオ師から、大きな知らせが届いたのは御昇天の翌週の月曜日だった。
同宿がもたらしたパシオ師からの手紙によると、堺の港に船団が現れて、一人の殿が大勢の家来たちとともに堺に上陸し、まっすぐに教会ともなっている日比屋の屋敷を訪れてきたというのだ。
しかもその殿は、日比屋の屋敷の屋根の上で輝いている巨大な十字架を見て驚き、迷うことなくやってきたのだという。その屋敷が教会にもなっていることを知った殿は、バテレン様がいるのなら会いたいというので、パシオ師とフロイス師で応対に出て、その殿の顔を見て驚いた様子が手紙には細かく書かれていた。
あの豊後の臼杵の城にいた大友宗麟ドン・フランシスコだったというのだ。
「ええっ!」
私もその手紙の内容をオルガンティーノ師から聞いて、驚きの声を挙げた。堺ではフロイス師はドン・フランシスコとは昔からの顔なじみだし、ドン・フランシスコもこのようなところでフロイス師に再会するとは思っていなかったようなので驚いていた様子だったという。パシオ師もかつてフィゲレイド師を送って豊後まで行っているし、そこでドン・フランシスコとも会っているだろうから顔は見知っていたはずだ。
「ドン・フランシスコは関白殿下に会いに来たようですね」
全員が手紙を回し読みし終えた後に、オルガンティーノ師は言った。それにしてもあの遠い豊後からわざわざ関白殿下に会いに来るなど、これは尋常なことではないと思われた。
「やはり薩摩との関係が悪化しているのでしょうか」
私は思いつくままに、そのようなことを言っていた。
「たしかに」
オルガンティーノ師もうなずいた。
「あちらのことはよく分かりませんが、やはり危惧したように信長殿が亡くなってから豊後と薩摩の関係は以前の敵対関係に戻っているのかもしれません」
「そういえば」
私は、パシオ師が長崎からこの都地方に来たばかりの頃に話していたことを思い出した。
「
「そう。でも、ドン・プロタジオと手を組んだとはいえそれは一時的なもので、やはり薩摩はこれまで何度も福音宣教が失敗しているし、教会にとっては脅威だと
「あのう、実は」
我われのポルトガル語での会話をなんとか聞きとっていたヴィセンテ兄が、日本語で言った。
「実際に薩摩は豊後の大友様にとっても脅威のようで、かつて激しく敵対し、戦闘も繰り広げていた薩摩と豊後をとりなして均衡を保たしめたのが織田様でした。今、織田様亡き後、そして竜造寺も亡き今、薩摩は豊後に対する野心を丸出しでたびたび襲いかかっているそうです。昨年、関白殿下は薩摩に対しても停戦を命ぜられましたけれど薩摩は聞く耳を持たないようで、今や大友様は最大の窮地に立たされております」
やはり日本人には日本人の間での、我われの知らない情報の網が張り巡らされているようだ。ヴィセンテ兄の父のパウロ兄も、まだ豊後にいる。父からの情報も入ってきているのだろう。
「ドン・フランシスコが自ら大坂に来て関白殿下にお願いするなど、よほど事態は差し迫っているのだろう。もはや手紙や使者では間に合わないくらいに」
オルガンティーノ師はそう言って、ため息をついた。
「でも」
私は口に出しかけたけれども、やはりやめた。
よりによってドン・フランシスコは大坂ではなく堺に着いた。まだ大坂に町や城が築かれる以前は瀬戸内の海を航行してきた船が付く港は堺だったので、その慣習で堺に着いたのだろう。
だが今堺には、ちょうどコエリョ師とフロイス師がいる。そこにドン・フランシスコは合流してしまったのだ。どうもよくない予感がしていた。
案の定、その四日後の金曜日にドン・フランシスコは堺を発って、住吉を経て大坂に向かったという。そして、そのまま大坂城に入ったという知らせも、様子を見に行かせた同宿から聞いた。
すでにドン・フランシスコは城中で関白殿下に会っていると思われる。
そしてその日の夜、ドン・フランシスコはこの大坂の教会には来なかった。素通りである。おそらくはまた、堺に戻ったのであろう。
ドン・フランシスコはこの大坂にも教会があることは知らないかもしれない。だから、コエリョ師なりフロイス師なりが案内しなければ、ドン・フランシスコはこの大坂の教会には来ようがないのだ。
もしかしてコエリョ師が故意に大坂の教会のことを教えなかったのか……。
「明らかにここを避けているな」
オルガンティーノ師は苦笑していた。
「ドン・フランシスコに教えないばかりか、準管区長自らも堺からこちらに顔を出そうともしない」
オルガンティーノ師がまだ日本に来たばかりの頃に、布教区長の座を巡ってあのカブラル師と確執があったらしいことは私も小耳にはさんでいる。今はもうカブラル師は日本にはいないが、その息のかかったコエリョ師である。あまりオルガンティーノ師とは顔を合わせたくないのかもしれない。
もっともそんなことがなくて、もしコエリョ師がずっとこの大坂の教会に滞在していたとしたら……あの人と毎日顔を合わせる……考えただけでも背中が寒くなる。
イエズス様は弟子たちに「あなた方は互いに愛し合いなさい」と仰せになった。そして、この日本という異教徒が大多数を占める国での福音宣教には、こちらが一枚岩にならなければいけないことは理屈では分かっている。でも、それはあくまで理屈だった。
そんなふうにしてドン・フランシスコが堺に帰った翌日の土曜日、大坂のお城から関白殿下の使いと称する
なんと、ドン・フランシスコをもてなすために例の黄金の茶室を組み立てたので、先日は見せられなかったため今が機会だからと、我われ司祭にもそれを披露したいというのだ。
当然、関白殿下の誘いは準管区長であるわけで、それに対して大坂の司祭だけでのこのこと城に行って、その茶室を拝ませていただくわけにはいくまい。
知らせは堺に走った。なんとその折り返しで、コエリョ師とフロイス師は大坂の教会にやってきた。
「とにかく、お城に行きましょう」
関白殿下から指定された時刻が近かったので、コエリョ師とフロイス師、パシオ師を含めて、大坂の教会の司祭、修道士は列をなして大坂城の城門へと向かった。
例の屋根付きのやたらと派手な極楽橋の麓で、ジュストが出迎えてくれていた。ジュストに案内され、我われは今日は橋を渡りきった所の左手に玄関がある表屋敷には寄らず、そのまま石垣の上へ続く坂道を登って、直接奥座敷の入り口んへとたどり着いた。
靴を脱いで奥屋敷に上がった我われだが、その屋敷は廊下を歩いただけで素通りで、前にも来た天守閣の入り口まで来た。そこに、関白殿下がにこにこしながら、立って我われを待っていてくれた。
「さ、どうぞ、どうぞ。この前は組み立てていなくてお見せできなかった茶室だけど、今日はまだ組み立ててあります」
我われは関白殿下に促されて、天守閣の中へと入った。
前回と同様に急な木の階段を上って、フロイス師が黄金の茶室を見せてくれと懇願した階に至った。
「おお」
誰もが驚きの声を発した。前に来た時は大きな木の箱に収納されていた組み立て式の茶室が、今日は天守閣内のある広間に組み立てられてある。そこのところは大きく窓が開かれて、外からの光を受けて茶室の側面は黄金に輝いていた。茶室自体はそれほど大きくはない。ここにいる全員が入った座ったら、かなり窮屈だろう。それ以前に入りきれるかどうかも心配だ。
中は昼間なのに燭台がいくつも置かれ、内部を煌々と照らしていた。
当然、中もまた壁といい柱といいすべてが黄金である。正確には黄金で作られているというよりも、この天守閣の随所に見られる黄金細工と同様に、黄金を薄く紙のように伸ばしたものを木材の上に貼ってあるだけだ。それでも本物の黄金に引けを取らないまばゆい茶室であった。床面は赤い絨毯が引かれ、奥には床の間があって掛け軸がかかっていた。
「これがワビ・サビびでしょうか?」
私は小声のイタリア語で、オルガンティーノ師に聞いた。オルガンティーノ師も苦笑いをしていた。私は茶の湯の文化の特徴は、「ワビ・サビ」すなわち
だが、ここのは違う。
「さ、どうぞ、お入りなさい」
関白殿下に促されて、我われはひしめき合って中へと入った。関白殿下が湯の湧いた茶釜のそばに座り、自ら茶を立ててくれるようだ。
「バテレン様方は、茶の湯は初めてですかな」
「いえ」
フロイス師が即答した。
「今大坂に来られている豊後の殿の大友様のお城で何度も茶の湯には呼ばれましたし、豊後の我われの南蛮寺には茶室もあります」
「ああ、大友殿も茶の湯には精通されているようでしたな。それになんと素晴らしい名器を土産にと持参してくれた」
関白殿下はそれがかなり嬉しかったらしく、満面の笑みでにこにこしていた。
フロイス師も私も豊後で茶の湯は経験済みだし、フロイス師に並んで日本通のオルガンティーノ師が茶の湯の席に呼ばれたことがないわけがない。ただ、フロイス師の通訳を聞いたコエリョ師だけは、首を横に振っていた。
関白殿下が
ただ、関白殿下は我われのうち特にフロイス師とオルガンティーノ師のみごとな茶の作法に、ただただ目を丸くして驚いていた。コエリョ師だけは見よう見まねという感じだったが、この席にあまり乗り気ではないようで、早く帰りたいという波動がひしひしと伝わってきた。
「時にその大友殿だが、何やらまた薩摩が豊後の境を冒しているということで、その窮状を訴えてきた」
その話を聞いても、フロイス師らは驚きもしなかった。おそらく堺に滞在している大友殿ドン・フランシスコからすでに直接聞いているのだろう。
「わしの停戦命令にも薩摩はどうも言うことを聞かん。と、いうことで、これはもうわしが直々九州まで出向くしかないなということになった」
「おお」
これにはさすがにフロイス師も驚きの声をあげ、すぐにコエリョ師に通訳していた。
「おお、九州に来られたら我われの本拠地の長崎にも、ぜひいらしてください」
そのコエリョ師の言葉も、すぐにフロイス師によって関白殿下に伝えられた。
私はオルガンティーノ師と、思わず顔を見合わせていた。
コエリョ師は何か含むところがあってそのようなこと言ったのか、あるいは単なる社交辞令として軽く言ったのか……だが、その言葉はとてつもなく思いものになるような予感が、私にはしていたからだ。
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