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 そしてその夜、珍しくコエリョ師とフロイス師は大坂の教会に泊まっていった。

 翌日の日曜日は聖霊降臨ペンテコステの祝日で、翌週は三位一体の祝日、聖体祭と続くので、そのへんの行事をどうするかということを話したいと、オルガンティーノ師が持ちかけたのである。

 ただ、日比屋のディオゴの屋敷を間借りしている堺の教会の主任司祭であるパシオ師が聖霊降臨の祝日にいないというのはまずいので、パシオ師には堺に戻ってもらった。堺にはドン・フランシスコもまだいるはずだ。

 そんな聖霊降臨の前夜の夕食後の聖務日課の後で、フロイス師がオルガンティーノ師に持ち出したことがあった。もちろん大坂の教会の司祭はすべてそろっていたし、コエリョ師も同席の上でだ。

「今までこの発想がなかったのが不思議なのだが、かつて信長殿がおられた時は、信長殿より布教の許可証をもらっていましたね。かれこれ十七年も前のことですが、あの時はまだ和田殿がおられてその仲介ででした」

「ああ、たしかにそう聞いています。まだ私が日本に来る前ですが」

 オルガンティーノ師も、そのような話を聞いていたのを思いだしたようだ。

「関白殿下は我われの教会の福音宣教には極めて好意的で協力的ではありますが、形としての許可証はやはりあった方がいい」

「それならばなぜもっと早く」

 思わず私が口をはさんだ。

「準管区長が関白殿下にお会いした日、その時にお願いするのがいちばん手っ取り早かったでしょう」

「あの時は、まだその考えを聞いていなかった」

 ぶっきらぼうにコエリョ師は言った。

「では、今後どうやってそれをお願いすればいいのか」

 オルガンティーノ師も思案顔だった。

「先ほども申しましたが」

 フロイス師が顔を挙げた。

「前に信長殿からその許可証を頂いた時は、和田殿が仲介でした。今、その和田殿に相当するような立場にある人といえば」

「ジュスト、それとドン・ジョアキム」

 オルガンティーノ師の言葉に、フロイスはうなずいた。

「和田殿は受洗の意志がありながらも、その直前に惜しくも戦死されてしまった。でも、このお二人ならすでに立派な信徒クリスタンです。適役でしょう」

「明日の聖霊降臨ペンテコステのミサにはお二人とも教会に来られるでしょうから、ミサの後にでも相談してみましょう」

 オルガンティーノ師の発案で、とりあえずこの問題は明日に持ち越しとなった。

「ところで豊後のドン・フランシスコは堺の教会にお泊まりで?」

 私が気になっていたことを、フロイス師に聞いた。フロイス師は苦々しい顔で、首を横に振った。

「それを勧めたのですがね、ドン・フランシスコお一人ならそれも可能でしょう。でも、おびただしい数のお供の武士サムライたちを連れていますから。しかも堺の教会はあくまでディオゴの日比屋さんのお屋敷を間借りしているのが現状、日比屋さんにも迷惑がかかるということで、地方の殿が都や大坂に来た時の慣例通りに寺に泊まりましたよ」

 だから、フロイス師は苦々しい顔をしていたのだ。彼に言わせればまた、悪魔信仰の偶像崇拝の場所に信徒クリスティアーノの殿が泊まらなくてもという感じなのだろう。

「ま、仕方ないことです。ドン・フランシスコはまだしも、お供の武士サムライたちは皆が信徒クリスタンというわけではありませんから、それを全部教会に泊めるというわけにもいかないでしょう」

 内心とは裏腹に表面上はそう言って、コエリョ師もうなずいていた。

「まあ、確かにそうだ」

「どちらの寺に?」

 オルガンティーノ師が聞くと、フロイス師はオルガンティーノ師を見た。

「妙国寺です」

「ああ、あの寺なら堺でいちばん大きい。どんなに大勢の武士サムライたちでも容易に宿泊できるでしょう。たしか法華宗の寺ですね」

「それに教会からも近くて、歩いて十分もかからない」

 私も日比屋の大邸宅の周辺の風景を思い出してみると、たしかに海とは反対側に塔と大きな屋根がいくつも並ぶ寺があったのを思い出した。

 そういえば、あの信長殿が亡くなった本能寺屋敷の事件の時に、三河の徳川殿は堺にいたというが、その徳川殿がこの寺に泊まっていたという話も聞いたことがあるような気もした。

 そのままコエリョ師とフロイス師は大坂教会に泊まり、翌日の聖霊降臨ペンテコステのミサはこの教会で初めて準管区長が司式した。

 ドン・フランシスコも教会と至近距離に宿泊しているのなら、堺の教会でミサに与っていると思う。

 そのミサの後で、我われ司祭団はジュストとドン・ジョアキムを司祭館の方へ招いた。

「お二人に今日は、折り入ってお話があります」

 フロイス師が旧知である二人に、かつて信長殿から布教許可証をもらった時のように、関白殿下からも布教の許可証をもらっておいた方がいいのではないかという考えを簡潔に伝えた。

「どうなのでしょうか」

 ジュストが首をかしげた。

「もはや関白殿下はキリシタンを保護し、とても好意を寄せてくださっております。今さらそのような形をとらなくてもという気はしますが」

「難しゅうおすな」

 ドン・ジョアキムも顔を曇らせていた。

「信長様は他の寺社への安堵と同様に、妨害に対する禁制の書状を下さったわけですさかい」

 フロイス師がそれを聞いて、意外な顔をした。

「十七年前、信長殿から布教の許可証をもらった時は、和田殿がいちばん尽力してくれましたけれど、その和田殿を引き会わせて下さったのもあなたと、それからこちらのジュストの父上のダリオだったではないですか」

 たびたび名前が出てくる和田殿という人は、私が日本に来るずっと前に亡くなっている方なので私は全く知らないのだが、高槻にいた時に、高槻の城はもともと和田殿の城で、高山殿のダリオとジュストはその和田殿の家来だったということは聞いていた。

 かなり手厚く我われの教会を庇護してくれて、自らも洗礼を受けることを志願していたが実現する前に亡くなってしまったというのは前に聞いた通りだ。

「フロイス様、あの時とは状況が違うてます」

 ドン・ジョアキムは力なく言った。本来コエリョ師への通訳の任にあるフロイス師が主だって二人の殿と話をしているので、例によってオルガンティーノ師が要所要所をかいつまんでコエリョ師に通訳して伝えいていた。

「あのときは信長様はまだ美濃と尾張の二カ国の領主にすぎず、都を制圧したいうても、都にはまだ足利の公方様がいてらした。信長殿はまだ天下人やなかったです」

「私はあの頃はまだ十代の若者でしたし、都にはいなかったのでよく分かりませんが」

 ジュストは遠慮がちにそう言った。フロイス師はオルガンティーノ師を見た。

「あの時の信長殿の布教許可証は?」

「こちらへは持ってきておりません。都の教会で保管してあるはずです」

「そうですか。それがあればそれを関白殿下にご覧にいれ、これと同じものをくださいと言えたのですが。確かちょうどあの頃関白殿下は都の警備を任されていたとおっしゃっていましたから、信長殿のこの許可証についてはご存じだったでしょう」

「しかし」

 ドン・ジョアキムはまた顔を曇らせた。

「まあとにかく、我われにあの時の和田様と同じような仕事をせいと言わはるんどしたら、それは我われにとって荷が重すぎます。あの頃の信長様と和田様との間と、今の我われと関白殿下との間は全然違います。あの頃の和田様が信長様に話を持ちかけたようには、我われは関白殿下にはそのようなことはよう言いません」

「うーん」

 フロイス師は少し考えていた。そして顔を挙げた。

「では、あの頃の和田殿と同じような感じの人はおりませんかね? 関白殿下の秘書のドン・シモンは?」

「安威了佐殿ですか? いえいえ、あの方はそういう感じではありませんな」

「関白殿下の軍事顧問のドン・シメオンは?」

「黒田様はまだキリシタンになってから日も浅うございます。蒲生様も同様」

 しばらく沈黙が流れた。私もいろいろ考えてはいたが、どうもいい知恵が浮かばない。

「いや、実は」

 しばらくしてから、ドン・ジョアキムは口を開いた。

「いや、これ、言うてよろしいのかどうか……。実は、関白殿下には弱点がおありどす」

 皆が一斉に身を乗り出した。

「関白殿下が唯一頭が上がらない存在がおす。その方の言うことなら、逆らうということはあり得へんようどす」

「誰ですか? それは」

 フロイス師はじめ、誰もが驚いた顔でドン・ジョアキムを見た。ジュストでさえ意外そうな顔で目を見開いている。

北政所きたのまんどころ様どす」

「ああ」

 つまり、関白殿下の奥方様である。関白殿下はこの国の風習に従って多くの妻を持っているが、その中でも最初に結婚したいわば本妻である。我われは誰も会ったことはないが、この間の関白殿下とコエリョ師のとの会見以来、我われに好意的になったという話は聞いている。

「そして北政所様のいちばん近くに仕えておりますのが、うちの家内のわくさどす」

「マリア・マグダレナ」

 フロイス師もオルガンティーノ師も、そして私もセスペデス師もよく知っている人だ。なにしろ都の教会では毎週日曜日にはドン・ジョアキムとともにミサに与っていた。

「うちの家内から北の政所様に話を持ちかけ、北の政所様から関白殿下に申し出てくだされば、関白殿下は逆らえません」

 そう言って、ドン・ジョアキムは少し笑みを浮かべた。

「しかし、北政所様は異教徒で、我われの願いを聞いてくれるでしょうか」

 フロイス師はまだ怪訝な顔をしている。ドン・ジョアキムはうなずいた。

「うちの家内に任せてみましょう」

「その前に」

 コエリョ師が直接話に入った。

「来週、聖体祭の行列がありますよね。ジュスト、かつて高槻ではかなり盛大に行われたと巡察師ヴィジタドールからも聞いていますが」

 フロイス師が通訳するまでもなく、ポルトガル語の分かるジュストはすぐにうなずいた。

「はい。私が高槻におりました頃は、毎年盛大にさせていただいていました」

 ジュストもポルトガル語で答えた。彼がポルトガル語に精通していることをこの中で唯一知らなかったコエリョは、大いに驚いていた。

「ほう。ポルトガル語を話すのですか」

「は、少し」

「それは話が早い。実は来週の聖体祭コルプス・クリスティの行列を、この大坂で大々的にと私は考えている。あなたの高槻でのそれよりも、はるかに盛大に。そしてそれを関白殿下はじめ、お城の方たちにも見ていただく。その許可を関白殿下から頂きたいのだが、それくらいはあなたが言ってくれますね?」

「はい。それでしたら喜んで」

 今度は話がポルトガル語になったので、私がドン・ジョアキムの耳元で日本語に通訳した。これまでも例年小規模ながら行列は行っていたが、やはり大々的にとなると関白殿下の許可をとっておいた方がいい。

「ドン・ジョアキムの奥さんを通じて北政所様にお願いするのは、それから後でいいでしょう。大坂の町の信徒クリスタンやお城の中の信徒クリスタン、それに堺、高槻、河内のあちこちや都の信徒クリスタンも、全員大坂に集めましょう」

「高槻はかなりの数になりますよ」

 自信ありげに、にこやかにジュストは言った。

「久々に高槻の皆さんにも会えるのですね」

 ジュストはうれしそうだ。

「堺にいるドン・フランシスコにも参列してもらいましょう」

 オルガンティーノ師も乗り気だった。皆が浮かれて来たところで、とりあえず相談はまとまった。

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