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 我われはドン・シモンとともに、またあの屋根のついたきらびやかな橋を渡り、渡った所の左手に入り口の門がある表屋敷に通された。天守閣からはちょうど真下に見降ろされる位置にある。

 昨日よりは少し小さい部屋で、私とロレンソ兄は待たされた。ここも内装は黄金を基調とした色とりどりの極彩色で飾られた豪華な部屋だった。

 あまり待たされずに、関白殿下は姿を見せ、我われのそばに座った。私は関白殿下が昨日のコエリョ師の発言に不快感を示したと聞いていたので、幾分緊張した心で顔を挙げた。

 ところが関白殿下は、昨日にも増してにこやかな笑顔で我われを見ていた。

「いやあ、わざわざまた来てくださって、むしろこちらの方が恐縮してしまうでぃああも」

 やけににこにこしている関白殿下の顔を間近に見て、我われも緊張が一気に解けた。

「どうです。あなた方のいちばん偉いバテレン殿、コエリョ殿は我が歓待を気に入ってくれましたかな?」

「それはもう、大変喜んでおりました」

 私はとりあえずそう答えておいた。ほとんど嘘である。

「そうか、そうか、それは何より。何か粗相があってはと心配しておったが、安堵致した」

 本当に満足そうに関白殿下は、満面の笑みでうなずいているのである。

 ドン・シモンが言っていた、コエリョ師の言葉に関白殿下が不快の様子を示したというのは、果たして本当なのかといぶかってしまう。

 私は関白殿下に、威を正して頭を下げた。

「むしろ我々の方が御礼を申すために、今日はまかり越しました。昨日は心づくしの御もてなし、忝くも有り難き幸せにございます」

 もちろん私の日本語の力では、まだこのような言葉が流暢に出てくるはずはない。出かける前にオルガンティーノ師が、このように言えばいいと教えてくれたのだ。それを丸暗記しての棒読みである。

 さらにはロレンソ兄が隣で助け船を出してくれる。

「関白殿下の我われに対するご厚情、まさしく痛み入り申します。またこの城の素晴らしさは、めしいである私めにも肌で感じさせて頂きました」

「またまたまた了斎殿、古い付き合いではござらぬか。そのような堅苦しい挨拶は抜きにして」

 関白殿下は大声をあげて笑った。

 そこへまた菓子と茶が運ばれてきた。

「ささ、珍味でござる、ご遠慮なく」

「頂戴します」

 私とコエリョ師は、その菓子を口に入れた。

 そして考えた。

 恐らくはこれが関白殿下の人心掌握の術なのだろう。信長殿は武力で天下を取ろうと考えていた。だが、この関白殿下は武力だけではなく、巧みな人心掌握術で天下人にのし上がったのではないかとも思われる。

「時に昨日、城内の女たちがバテレン様いにお会いしたでござろう。中にはキリシタンのくせに用もないのに駆けつけなかった女もいて、叱っておきましたぞ」

 私は苦笑するしかなかった。

「それで、キリシタンではない女たちもバテレン様方にお会いして、またそのものたちからも話を聞いて、ぜひ南蛮寺へ行って話を聞きたいという者もおりましてな、そのうち城内の女どもが大挙して南蛮寺に押しかけるかもしれませぬので、その時はよろしゅうに」

「願ってもない幸せでございます」

 確かに、これをききっかけに多くの人がキリストに出会ってくれれば、福音宣教も一気に伸びるはずである。

 これほどまでに我われに好意を持ってくれる関白殿下が入信しないのは、やはり十戒の第六戒が本当に関白殿下にとってそんないも大きな障壁なのだろうか。

「実は昨夜、うちのかかあにもバテレン様方の話をしましてな」

「カカア?」

 私が首をかしげていると、隣からロレンソ兄が耳打ちしてくれた。

「奥方様、すなわち北政所きたまんどころ様のことでございます」

「あいつはこれまでバテレン様に会うなどとんでもないって感じで、昔の長屋住まいの頃と違って天下人の妻たるもの、軽々しく男と会うなどできぬ、ましてや外国とつくにの僧となど会えませぬなどとぬかしておったくせに」

 関白殿下は、鼻毛を抜きながら話していた。きらびやかな服装にはおよそ似つかわしくない、身分の低いもののしぐさのようであった。

「それでな、昨日の夜にバテレン様方の話をしたら、どうして私も会わせてくれなかったのかって今さら言いよる」

 また関白殿下は高らかに笑った。

「ということで、うちのかかあもそのうちお目にかからせていただくやもしれぬので、よろしゅうお頼み申す」

「はあ、こちらこそ」

 私は頭を下げておいた。

「時に」

 今日の関白殿下はよくしゃべる。その点も、信長殿とは対照的だ。

「あなた方の南蛮寺に、なんと言ったか日本人の修行僧でヴィセンテとか申す者がおりませぬか」

「はい、イルマンにヴィセンテ修道士はおりますが」

 かつて私が都でともにベルシオール先生から仏教の教えを学んだものだ。

「今朝うちの家臣どもとも昨日のバテレン様のことが話題になった時、あるものからそのヴィセンテという人の話が出ましてな」

 大坂の教会きっての秀才で、それだけにこの城の中にまで名声は届いているのだろうか?

「前にヴィセンテ殿は禅を学ぶため寺を訪れたそうだが、その家臣はすぐにやめさせたという話をしておった。理由を聞くと、ヴィセンテ殿が禅の知識を持ってしまうと、それを盾にキリシタンの教えで禅を論破してしまうかもしれぬからとのことだったが、わしはそのものを怒鳴りつけておいたぞ」

 また関白殿下は、高らかに笑った。

「禅よりもキリシタンの教え方がはるかに優れている。そんな振る舞いは無用の長物だと言ってな」

 さらに大声で関白殿下は笑う。この我われに対する行為が本心からならばこれは我われにとって大いなる助けであり、またそうであることを祈らずにはいられなかった。

 こうして小一時間ほど会談してから、私とロレンソ兄は大坂城を後にした。

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