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 我われは輪になって座った。関白殿下も手が届く近さに我われとともに座った。ジュストとジョアキムは遠慮して、我われの輪の外側に座っていた。

「フロイス殿も久しぶりよのう、九州からこちらへ来られたのは何年振りか」

「最後に安土に参りましたのが信長様が亡くなられる前の年でしたから、もう五年も前ですか」

「そうか、その頃わしは姫路におったから、フロイス師にはお会いできなかった。それにしても、フロイス師と了斎殿がともにいると、あの時のことを思い出すなあ」

 そう言って関白殿下は、ロレンソ兄を見た。

「あれはいつだったか、都で了斎殿は日乗とかいう法華宗のくそ坊主と論争をしたことがあったよなあ。信長様の御前で。あの時の了斎殿は実に見事で、日乗は最後はたじたじだった」

「おや、あの時、いらっしゃったのですか?」

 ロレンソ兄が意外な声を発した。

「おったとも。わしもおったのだぞ」

 関白殿下はまた、高らかに笑った。

「あの頃わしは木下藤吉郎と名乗って、都の警備を任されておったからな。あれはまだ永禄の頃だったから、もう何年前か?」

「はい、私が都にいたときですから、十五年以上は前ですね」

 フロイス師がこうして関白殿下を話をしているので、代わりにオルガンティーノ師がその内容を小声でコエリョ師に伝えていた。

「あのときは日乗め、こと変えてなんと上様…、いや、信長様のお刀を持ちだしてきて抜いて、了斎殿に斬りかかろうとしたろう。あれにはたまげた。霊魂とやらがあるのならここで了斎を切り殺すから、その霊魂を取り出して見せてみろなんて屁理屈をほざいて」

 また、関白殿下は大笑いをした。そして急に厳しい顔つきになった。

「あの時は信長様が取り押さえて、その後で日乗を追放したにとどまったが、もしわしの面前で同じようなことをする輩がいたら、わしはその場でその曲者を切り殺すから安心いたせ」

 そしてまた、関白殿下は大笑いをした。

 そうして我われは酒を酌み交わし、関白殿下の昔の武勇談などを聞きながら、かれこれ一時間くらいはそこにとどまっていた。

「それではそろそろ、失礼するとしよう」

 コエリョ師が立ちあがったので、フロイス師がその言葉を関白殿下に伝えた。

「そうだな。バテレン様方もお忙しい身であろう、お引き留めして申し訳なかった。このあと、奥御殿を回っていかれるといい。実は何人かの女たちがバテレン様にお会いしたいと申し出てきたので、わしは許しておいた」

 関白殿下も立ち上がり、下の階に向かう急な階段を下りはじめた。

 その後、関白殿下に連れられて元の奥屋敷に戻ると、その一室で多くの女たちの来訪を受けた。皆奥屋敷で働く女官たちのようだった。

 そしてその先頭に座っているのは、私やオルガンティーノ師にとっては実に顔なじみの女性だった。ずっと我われと同行してきたドン・ジョアキムの妻、マリア・マグダレナだ。

「おお、商家の奥方がすっかり奥女中ですね」

 オルガンティーノ師が笑うと、マグダレナも笑っていた。ジョアキムがすっかり武士サムライなのだから、当然ともいえる。

「今では家内は、関白殿下の奥方の北政所キタノマンドコロ様の侍女をしています」

 実質上、この人は関白夫人の秘書であることはすでに私も知っていた。

「あらまあ、フロイス様。なんとお久しぶりで」

 彼女はしょっちゅう会っている我われよりも、やはりフロイス師との再会の方が新鮮なようだった。

 それからマグダレナは女官の一人ひとりを我われに紹介し、何人かの女官と一言二言問答があった。

 そこではあまり長い時間は費やさず、関白殿下もここで失礼するというので、我われは奥御殿を出た。

 驚いたことに、表屋敷の玄関で脱いだわれわれの靴が、いつの間にかこの奥屋敷の出口のところに運ばれていた。

 それから我われは、ジュストとジョアキムの案内で一度奥座敷のある本丸ホンマルと呼ばれている一番高い石垣の上のゾーナ(エリア)を下って、内堀の外へ出た。ジュストによるとそこに関白殿下の弟の美濃守殿という人の屋敷があるという。すでに我われの訪問は知らされており、我われもまたあらかじめ進物を用意していた。

 だが、その屋敷に至るまでの地域はちょうど石垣の工事の真っ最中で、多くの工事人たちでひしめき合っており、また彼らは我われが通ると好奇の目で一様に我われを見るので、なかなか前に進めなかった。

 ジュストとジョアキムが先頭でそんな彼らを追い払いつつ進んでいくと、向こうからこっちに向かってくる何人かの人が見えた。

「ええい、通せ、通せ」

 地を歩いているのが貴人で、そのほかはその従者らしい。その従者が工事中の人足たちを払いのけながら、貴人は間もなく我われの前に来た。

 それは一人の殿で、着物の上に戦争の時に着るような陣羽織ジンバオリという袖のない上着を着ていた。彼が我われの前に近づくと、ジュストとドン・ジョアキムはすぐにひざまずいて頭を下げていた。我われも同じようにするべきなのか互いに顔を見合わせていると、逆にその貴人の方が我われの前で膝を折って屈み、頭を低く垂れた。

「関白の弟、羽柴美濃守秀長と申します。今日、バテレン様方が我が屋敷においでになると伺い、お迎えに参上しました」

 その言葉をフロイス師を通して聞いたコエリョ師は、とにかくまず立つように言ってほしいとフロイス師に伝えた。

「どうぞ、お立ちください。こちらが我われの準管区長であるコエリョ神父パードレ・コエリョです」

 美濃守殿はそれを聞いて立ちあがり、それからもう一度コエリョ師に深く頭を下げた。

「そして私がフロイス。ずっと昔から信長様と親しくお付きあっしていましたから、どこかでお会いしたこともあるかもしれません」

 それからフロイス師はオルガンティーノ師や私をも紹介してくれた。オルガンティーノ師も私もずっと大坂におりながら、この殿と会うのは初めてだった。

「立ち話もなんですから、どうか我が屋敷へ。今普請中で、周りが立て込んでおりますが」

 それに対して、コエリョ師はフロイス師に耳打ちした。フロイス師は言った。

「実は私どもな関白殿下にお会いして、もうかなり疲れております。もともとほんのちょっとご挨拶をしに伺うつもりでしたので、今ここでお会いできましたから、お屋敷の方へはまたいつかあらためまして」

 さしずめ口実ではなさそうだ。関白殿下にお会いしてコエリョ師はたしかに疲れきっている様子であるし、それはオルガンティーノ師も私も同じだったので、その言葉に嘘はないと思う。

「そうですか。ではぜひお待ちしております」

 美濃守殿は深々と頭を下げて、我われを城の出口の門まで案内してくれた。

 その後、教会までは長い道のりではないが、確かに皆誰もが疲れ果てている様子だった。

 考えてみればコエリョ師もフロイス師もオルガンティーノ師も、皆五十歳を超えていた。だが、その疲れは年齢のせいだけではないだろう。まだ三十代半ばの私もへとへとなのだ。パシオ師やセスペデス師もそうだ。

 時刻はもう午後になっていた。

 教会で少し休んでからコエリョ師とフロイス師は初めて訪れるこの大坂の教会の聖堂でまずは聖体訪問をして祈りをささげ、それからオルガンティーノ師が司祭館や神学校セミナリヨの方を案内して回った。

「外見はあの砂の教会のままですけれど、だいぶきれいだ。移築の際に新しい建材を使ったのですか?」

 フロイス師はそのようにオルガンティーノ師に尋ねていた。彼はこの教会が河内の岡山の砂の教会を移築したものであることは知っているし、その元の砂の教会も何度も行ったことがあるはずだ。

 オルガンティーン師は移築の際に、ジュストからかなりの新しい木材を提供されたこと、そして神学校セミナリヨに至っては関白殿下から紀伊の寺院の木材の提供を受けたことなどを説明していた。

「今日は、こちらに泊まって行かれますね?」

 オルガンティーノ師は当然のように、コエリョ師に聞いただが、コエリョ師は首を横に振った。

「いや、疲れてはいるけれど、やはり堺に戻ろう。ここはどうも落ち着かない。初めての教会だというだけでなく、すぐ窓の外にあの関白の城が見える」

 だが、私はそれを聞いて、内心ほっとした。私が疲れ果てているのは関白殿下との会見ばかりでなく、一日中コエリョ師やフロイス師とともにいたという息詰まりからだとも思う。その息詰まりが、今晩一晩続くと覚悟していたのだ。


 そうして早々に、コエリョ師とフロイス師はパシオ師とともに、夕方までには坂へと帰って行った。もうだいぶ日も長くなっているから、暗くなる前には着くであろう。

 だが、オルガンティーノ師は不服そうだった。

「言いそびれた。あの関白殿下の御前での準管区長の発言、あれはまずい。私は止めようとしたのに、押さえられた感じだ」

 いつも陽気なオルガンティーノ師が、明らかな不愉快な顔つきをしていた。

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