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 やがて、大広間という感じの部屋の手前の廊下で、我われは止められた。

「こちらでしばらくお待ちください」

 案内の武士はそれだけ言うと、ここまで一緒に歩いてきた前田殿、長岡殿、そしてジュストもともに広間の中へと入って行った。

 すぐにまた、案内の武士が戻ってきた。

「これより関白殿下の御前にお入りいただきますが、まずはお一人ずつお入りになってお立ちになり、そこでお名前が呼ばれますので、関白殿下に礼をなされて、そのままお下がりになって広間の後ろの縁側にお座りください」

 何とも仰々しい作法である。その内容をフロイス師が、逐次コエリョ師の耳元で通訳して伝えていた。

 前にオルガンティーノ師とともにこの城に招かれて関白殿下にあった時はこのような作法はなかった。それもそのはずあの時はまだ関白殿下は関白ではなく、ただの羽柴筑前守だったのだ。

 すぐに案内の武士が、まずコエリョ師から部屋の中へ入るように促した。コエリョ師はフロイス師から伝えられたように部屋の後ろに立ち、関白殿下の横に座っているドン・シモンに名前が呼ばれると立ったまま一礼して後ろに下がり、部屋の外の縁側に座った。

 次がフロイス師、そしてオルガンティーノ師の順で、私、マリン師、ディアス師、パシオ師と続き、最後のロレンソ兄が我われの後ろに座った。

 広間と縁側の間の神の扉であるフスマは開け放たれていたので、縁側といっても広間とつながっている空間だった。だが、関白殿下は遥か上座に座っているのでその顔は全く分からない。ただ、服装は前に会った時とは比べ物にならないほどきらびやかな赤っぽい貴人の服であった。

「バテレン様方、どうぞ近くに」

 その遥か上座から、聞き覚えのある関白殿下の声がした。

 その言葉を小声でフロイス師がコエリョ師に告げると、我われはコエリョ師を先頭に立ちあがってゆっくりと部屋の中央まで進みまた座った。

「今日は、ご苦労さでござるのう」

 座って頭を下げたままの状態から顔を挙げると、もう関白殿下の顔の表情が分かる位置にまで来ていた。

「そなたがキリシタンの大僧正か」

 フロイス師から伝え聞いたコエリョ師は、また頭を下げた。

「本日はお招きに与り、光栄です」

 コエリョ師のポルトガル語でのその言葉を、フロイス師が日本語で関白殿下に告げる。関白殿下はにこにこしてうなずき、広間の脇に並んでいた先ほどの殿たちを見た。

「右近殿、そなたはキリシタンゆえ、バテレン様方と同じ側に座るがよいぞ」

 関白殿がジュストにそう言うので、ジュストは頭を下げた。

「ありがたき幸せ」

 ジュストは立ち上がって、我われの列の後ろに座った。

 そして関白殿は首をひねって部屋の外へ大声で呼びかけた。

「大谷刑部! 例のものを」

「は!」

 部屋の外から大きな返事が聞こえた。すぐに二人の殿が金の盆を持ってい入ってきて、我われの前に進んだ。

 みると二人とも首に十字架をかけている。たしかに、毎週教会に来ている殿たちだ。私がまだ大坂に来る前に洗礼を受けた人たちのようで、私は顔はしょっちゅう見ているがその名前は知らなかった。

 その二人の殿がコエリョ師をはじめ、我われの前に盆を置いた、盆は黄金に塗装され、長い一本の足がついていた。その盆の一つには干した果物、もうひとつにはなにやら日本の菓子が乗っていた。

「美濃の干し柿でござる。秋には美味の柿が採れるのだが、今の季節はこうして干したものが出回っておる。さ、さ、バテレン様方、どうぞ遠慮なさらず」

 その言葉をフロイス師を通して聞いたコエリョ師は、まずその干し柿に手を伸ばした。

「そなたらもキリシタンゆえ右近と並べ」

 関白殿下にそう言われて、干し柿を持ってきた大谷刑部と呼ばれた殿ともう一人の、二人の信徒クリスティアーニの殿は我われの後ろのジュストの隣に座った。

 すると関白殿下は一段高くなった台の上の自らの座を立ち、我われの方へ歩いて来て、コエリョ師のすぐ前に座った。コエリョ師は驚いたような表情を見せていた。

「遠路はるばるご苦労でありましたな」

 関白殿下はまたもやにこにこしている。信長殿も我われには愛想がよかったとはいえ、ここまでではなかった。

 これまで私が訪ねたことのあるどの城も、こういった殿と会見するような部屋はたいてい板張りで、こんなに広い広間であるにも関わらずそのすべてに畳が敷かれているというのは初めてであった。

「本日はお目に書かれて光栄です」

 フロイス師の通訳を通して関白殿下の言葉を聞いたコエリョ師も、関白殿下に言葉を返した。それをまたフロイス師が日本語で関白殿下に伝える。その間、どうしても間延びしてしまう。

 それにしても、またもやコエリョ師はほとんど笑顔を見せない。我われほど顔の表情を重視しない日本人相手であるとはいっても、このコエリョ師の無愛想ぶりはまずいのではないかと私も思ったが、口をはさめる余地はない。その言葉を伝えるフロイス師もまた、愛想がいい方とはいえない人だ。

「今回ははるばる九州から起こし頂いたのは、何かご用事でもおありですかな」

「私はこの日本の準管区の上長を拝命しておりますので、定期的に日本準管区を巡察しなければなりません」

「日本の準管区とは」

「私どもの修道会はそれぞれの国をいくつかの管区に分けております。もともとこの日本は天竺テンジク(インディア)のゴア管区の中のマカオ管区に属しておりました」

「マカオとは?」

 この質問はコエリョ師には伝えることなく、フロイス師が直接答えた。

「日本では天川てんかわなどと称している明の地名です」

 さらにコエリョ師は話を続けた。

「しかし五年ほど前に、日本はゴア管区から独立した管区にしようと話になりましたが、今はその全段階として準管区となっています。私がその日本の準管区長です」

 フロイス師からの通訳を聞いた関白殿下のまゆが、少し動いた。

「キリシタンは自分の国ではないほかの国も、勝手にそう区分けしておられるのか」

「いえこれはキリシタンというよりも」

 また、フロイス師が直接返答した。

「あくまで我われのイエズス会が、その布教活動のために分担を分けているというだけです」

「ならよいが、日本準管区長などと名乗られても、この日本で帝の次に長になるのはこのわしでぇあも」

 関白殿下も少し笑ったので、聞いていた私も安心した。

「そなたは日本に来てから何年になる?」

「もう十四年になります」

「ほう。で、その間、こちらの都の方へは?」

「初めてです。ずっと九州におりました」

「それにしても十四年もいて、全く日本語が分からないのか」

 最後のひと言は会話というよりも関白殿下のひとりごとのようなつぶやきだったので、フロイス師はあえて通訳してコエリョ師に伝えることはしなかった。

 少し間が空いた。コエリョ師のあまりの仏頂面に、関白殿下もおもしろみを感じなかったのだろうか、急にフロイス師に直接話しかけた。

「通訳殿もかなり日本には長そうですな。日本語も大変お上手で流暢だ。前にはずっと都にいらして、信長様とも御懇意にされていたとか」

「はい。親しく接して頂きました。ただ、信長様の突然の訃報に接した時、私は九州におりましたので大変驚きました」

「そうよのう。ウルガン殿もたしかもう日本には長くて、ずっと安土にお住まいだったのでしたよな」

「いかにも。信長様がお亡くなりになるまで、ずっとお膝元の安土におりました」

「皆さんは何度も信長様にはお会いしていたようですが、私はその場に同席していたことはありませなんだな。それでもお名前はよくうかがっておりました」

 フロイス師か関白殿下と直接日本語で話を始めてしまったらコエリョ師がまるで蚊帳の外になってしまうのを気遣ってか、話の内容はオルガンティーノ師がコエリョ師の耳元でかいつまんで通訳していた。

「ときにコエリョ殿といわれたか、今回は巡察のためにこの大坂に来られたと言われたが、そもそもバテレン殿たちがこの日本に来られたのはどういう目的か。本国からの何か司令でもおありか」

「ございません」

 フロイス師の通訳を聞いて、コエリョ師は即答した。

「あくまでキリストの教えを述べ伝え、それを広めるためでございます」

「キリストとはキリシタンの教祖の耶蘇ヤゾのことか?」

「左様でございます」

「そなた方が『デウス』という本尊を信仰しているのではないのか」

「はい。キリストはその『天主デウス』がお遣わしになった御ひとり子で、御父『天主デウス』とは一体の方でございます」

「うん、わしもキリシタンの教えのあらましは聞いておる。そなたたちはその教えを広めるだけのため、万里の波頭を乗り越えてやって来たというのは称賛に値する」

 我われは皆、頭を下げた。

「日本全国にキリシタンの教えを広めたいというのだな」

「はい」

 コエリョ師が力強く答えた。

「それは素晴らしい。まさしく称賛に値する。わしもなんとかこの日本の総てを手に入れたいと思っているし、それももうあと一歩だ」

 なぜか関白殿下までもが、急に調子づいて得意顔になってきた。顔に多くのしわを寄せて笑っている。私が初めて姫路で会ったときは、こんなにも顔にしわがあったという印象はなかった。

「間もなく日本全土がわしのものになる。そうしたらな、わしはこの国をそっくり弟の美濃守に譲り渡そうと思っている」

「そのあと殿下は、どうなさるのですか?」

 フロイス師の通訳を聞いた後で、コエリョ師は少し首をかしげて関白殿下に尋ねた。しかし、その目には鋭い光があるのをも私は見た。オルガンティーノ師も見たかもしれない。

 だが、それをよそに関白殿下はしゃべり続けた。

「この国は弟に譲って、わしは朝鮮、そして明国へと攻め入るつもりだ」

 私は息をのんだ。オルガンティーノ師とて同じで、私とオルガンティーノ師は思わず顔を見合わせていた。オルガンティーノ師の顔も引きつっていた。

「これはまずいのでは?」

 オルガンティーノ師は私に、小声のイタリア語で言ってきた。私は黙ってうなずいた。

 かつて信長殿の前で、カリオン師がその故国のスパーニャのインカ侵攻のコンキスタドーレスの話をし、信長殿におかしな野望を抱かせてしまったことが頭に甦る。しかもあの時は、オルガンティーノ師不在の間にどうもフロイス師が信長殿に何か焚きつけたような気配さえあった。

 今は我われの方からその話をしたわけではないが、同じことを関白殿下は話し始めている。つまり、関白殿下も信長殿と同じ野望を抱いているようだった。

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