Episodio 3 関白と準管区長(Ohzaka)

1

 この日、空は曇ってはいたが、雨は降っていなかった。

 準管区長の一行は大坂の教会ではなく、まっすぐジュストの屋敷に行くことになっている。そこでまず待機し、案内があって初めて城に入ることになる。

 オルガンティーノ師と私、セスペデス師、ならびにロレンソ兄はミサの後の朝食を取った後、コエリョ師一行が到着する時間を見計らって、主日のミサに与っていたジュストに案内されてジュストの屋敷に行った。

 実は、高槻ではしょっちゅう高槻の城のジュストの住む屋敷に出入りしていたものだが、彼の大坂屋敷に行くのは初めてであった。だが、ジュストの屋敷は教会から歩いても数分のすぐそばだったのである。

 五月に入って気候は急に暖かくなり、まだ汗ばむほどではなかったがこの国では一年でいちばんさわやかな季節を迎えていた。もはや初夏であった。風が心地よい。折しも我われの進む目の前を、一匹の蝶が横切って飛んだ。

 我われがジュストの屋敷に着いた時には、コエリョ師の一行はまだ到着していなかった。だが、先に関白殿下に送るための多くの進物が、大坂城へ運び込まれる前にこのジュストの屋敷には届いていた。本人が行く前に、まず進物を先に贈るのが日本の習慣なのだ。

 進物は何であるのかは分からないが、多くのきらびやかな箱に詰められていた。恐らくは昔都の本能寺屋敷で信長殿に贈ったような、日本人にとっては珍しいエウローパの品々だろう。

 我われがジュストを交えて話をしているうちに、コエリョ師一行は到着した。すぐに、進物が大坂城中へと運びこまれていった。そこで我われは、城内からの案内をひたすら待つだけであった。

 日差しこそなかったが、初夏のさわやかな風の中をここまで着た我われだったが、コエリョ師やフロイス師の顔を見るとなんだか一気に気が重くなった私だった。

 その気が重いまま、我われはジュストの屋敷で小一時間ほど時間をつぶさねばならなかった。

 やがて案内の武士サムライが玄関に訪れ、我われはやっと立ち上がることができた。すでに時刻は昼近くなっていたと思う。

 そのまま、我われは歩いてジュストの屋敷を後にし、大坂城へと向かった。

 いつも教会の窓から眺めていた巨大な天守閣が、だんだん近くになってくる。

 まずは、幅の広い堀沿いに進み、教会からいちばん近い堀に架かる橋を渡って門をくぐる。案内の武士サムライがいるし、ジュストも同行しているので門番に全く止められることもなく、自由に門に入れた。

 門の中はまだ工事中の部分が多く、多くの人足が小さい石や木材を運んだり、巨大な石を転がしたりしていた。人足とはいっても、そのすべてがこの工事のために駆り出されてきた農民なのだ。

 そのわずかな地域の向こうにまたかなりの幅の広い堀があり、堀の向こうには石垣がそびえている。堀のこちら側よりも、全体的に土地が高くなっている。その高くなっている土地を見るとさらに高い石垣の壁が横たわり、その上に大きな屋根の建物がいくつも並んでいるのが下から見上げられた。その石垣の壁の左端にさらに巨大な姿を天にそびえさせているのが天守閣だ。

 近くで見ると、天守閣はますます威容を誇っている。各階の壁は上半分が白で下半分が黒だが、その黒い部分に黄金で巨大な文様が入っていた。屋根の三角の部分、日本語で「破風ハフ」というが、そこにもふんだんに黄金が使われている。最上階は赤い手すりが付いていて、その下にやはり黄金で何か動物の絵が二頭描かれていた。最上階の壁は安土城と同様に黄金だ。

 やはりこの城は狂気の城だと思う。

 内側の堀の外からそんな天守閣を眺めつつ、堀に沿って天守閣の方へ歩くと堀の内側に行ける橋があった。

 これには驚いた。真っ赤な橋で、屋根が付いている。屋根の中央には三角屋根の楼閣が一つ乗っている。屋根は茶色い木の皮で葺かれ、橋と屋根までは赤い柱に白い壁で、緑の枠の窓がいくつもあった。橋というよりも渡り廊下だ。私は都の東福寺という寺でこのような橋を見たが、東福寺のそれは屋根は柱で支えられているだけで、壁はなかった。

 この橋は極楽橋ゴクラクバシというそうで、「天国パラディーゾの橋」というような意味だ。内部もまた天国のようで、床の橋板は赤く塗られ、渡る人の影が映るほどに光沢を出して磨かれている。柱と柱の間の壁には、窓の他のところには極彩色の絵が描かれ、また天井もきらびやかな装飾がされていた。

 その橋を渡った堀の内側が天守閣のそびえる石垣に囲まれた地域よりは下になるが、そこにもまた巨大な屋根がいくつもあった。橋を渡った所の左側に門があって、それをくぐるとちょっとした前庭をはさんで建物の玄関があり、そこに我われは通された。

 案内された部屋までも幅広い廊下で、すべての髪の扉には色彩鮮やかな絵が描かれていた。それは風景であったり人物であったりした。

 見上げると、天井にまで絵が描かれている。天井に絵とはさながらエウローパの宮殿のようでもあったが、ここはそのすべてが木で造られている。

 やがて、一面に畳が敷かれた広い部屋に通された。

 我われはほとんど言葉を失い、思い思いに座りながらも、ほとんど会話はなさずにいた。

 だいぶ時間が経過してから、関白殿下の秘書であるドン・シモンが現れた。

「バテレン様方、今日はご苦労様です」

 そう言いながらも彼は、我われ一人ひとりの名前を確認した。まずは常に彼に接しているオルガンティーノ師やセスペデス師、そして私はいいにして、主にコエリョ師、フロイス師、ディアス師、マリン師、パシオ師の名前を確認し、顔を確かめてから何か紙に筆で記録していた。

 ドン・シモンと入れ替わりに、身分の高そうな殿トノが二人、入ってきた。我われと同行して、ともに座して話をしていたジュストは、すぐに威儀を正した。

「加賀の前田又左衛門と申します」

「丹後の領主、長岡与一郎と申します」

 二人の殿は座ってからそう名乗ったが、私はこの二人ともその名前だけは知っていた。

「実は私ども、ちょうど関白殿下の御前で殿下とお話をしておりましたところ、皆様方がおいでとのことで、皆様方の御進物が届けられました。そして、皆様をただ待たせても申し訳ないと、我われ二人が関白殿下より皆様方の話相手をするよう仰せつかりまして、まかり越した次第でございます」

 そう言って頭を下げた前田又左衛門殿という殿は四十代後半であろうか、長くあの今の関白殿下との戦争で亡くなった柴田殿とともに北の地方を治めていた殿で、信長殿の頃は織田の家の中でも重鎮に近かったはずだ。

 もちろん、実際に会うのは初めてである。オルガンティーノ師やフロイス師でさえ初対面の様子だった。今では能登という国の他に加賀という国も治めているらしい。

 そしてもう一人、まだ二十代と思われる長岡という若い殿は、はっきりいってすぐには思い出せなかった。だが、どうしてもどこかで聞いたことのある名のような気がしていた。

 はっと思いだしたのは、前田殿が主にフロイス師と信長殿の思い出話をしている時だった。

 その信長殿を倒した明智日向の何番目かの娘で、かつて安土の地でオルガンティーノ師に我われのキリストの教えについていろいろ知りたいと言ってきた若い女性がいた。名前はすぐに思い出せなかったが、たしかタマとか言っていたとようやく思い出した。その珠が、自分は長岡与一郎の妻と名乗っていた。

 つまり、あの珠という女性の夫である。あれ以来、珠とは会っていない。あのあとすぐに例の本能寺屋敷の事件が起こってしまったのだ。

 本当ならば奥方と会って話したいことがあるし、その奥方は今もお元気かなどと話題に出したいところだ。だが、そのようなことを話題に出せる状況ではないことは明らかだ。

 なにしろ今のこの国では。明智日向という男は主君殺しの反逆者ということになっており、いわばその珠は反逆者の娘なのだ。あの事件のために、今もこの長岡殿の奥方でいるのかどうかは分からない。微妙な問題だけにここで話題に出すべきではないことは分かっていた。

 オルガンティーノ師があの時の明智の娘の夫がこの殿だと気が付いているかどうかは分からないが、主に前田殿がフロイス師と話しているので、オルガンティーノ師も長岡殿も黙ってそれを聞いているという形だった。

「こちらの長岡殿は、今でこそ長岡姓を名乗っておられますが、実は公方であった足利家の重臣の家柄、細川家の血を引く方なのです」

 前田殿は、長岡殿をそのように我われに紹介してくれた。もちろん、その妻につては触れられることもなかった。

 やがて小一時間ほどそこで雑談をいているうちに、案内の武士サムライが我われを呼びに来た。

「関白殿下がお出ましでございます。どうぞこちらへ」

 関白殿下との会見は、どうも別の場所のようだった。我われは立って、その案内の武士に従う形でまた広い廊下を歩いた。

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