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 それは甚だ危険なことだった。

 もしかしたら関白殿下は、織田家の武将時代に信長殿から朝鮮・明国侵攻の野望を聞かされていた可能性はある。

 だが、それを阻止しようとして明智殿は自ら汚名をかぶってまでも信長殿を誅した……もちろんこれも可能性の次元の話で、しかもそれだけではなく明智殿は自分の盟友である長宗我部殿と信長殿との不和という動機も併せ持っていたかもしれない。

 だが、関白殿下はそのことを知っていたのだろうか……いや、知っていたけれども故意に隠しているふうな感がある。関白殿下にとって明智は極悪非道な主君殺しでないといけない。なぜなら、自分の今の政治的基盤のもとは、信長を殺した明智を滅ぼし、主君の仇を討ったという大義名分が必要だからだ。

 それとて我われは事実を知っている。あくまで明智を滅ぼした戦争の総大将は今の関白殿下ではなく信長殿の三男のあの三七殿であり、実際に明智の城を落としたのは今ここにいるジュストなのだ。

 だが、今さらそれを蒸し返しても仕方がないので、とりあえずは私もオルガンティーノ師も口をつぐんだ。この場には、その明智殿の娘を妻に持つ長岡殿という殿もいる。

 だが、その次のコエリョ師の発言は、私もオルガンティーノ師も度肝を抜かれずにはいられなかった。

「それでは殿下が朝鮮や明国討伐のためには船も必要でしょう。我われの最新の船を、殿下に提供してもかまわないと思っております」

 フロイス氏は涼しい顔で、今のコエリョ師の言葉を日本語にして関白殿下に伝えようとしている。

 私はまずいと思った。すぐにそれを阻止したかった。だが、準管区長の言葉に私が口出しできるようなそんな組織ではない。

「お待ちください!」

 だが、私がしたくてもできなかったことを、おそらく同じ心であろうオルガンティーノ師はやってのけた。フロイス師が通訳しようとするところを、ポルトガル語でオルガンティーノ師は止めに入ったのだ。

 フロイス師の眉が動いた。コエリョ師も顔を曇らせた。

「そのようなことは、巡察師ヴィジタドールからも禁じられて……」

 血相を変えて食らいつくオルガンティーノ師を、コエリョ師はにらんだ。

「お静かに。関白殿下の御前であるぞ」

 低い声で、しかも一喝するような気迫でコエリョ師はオルガンティーノ師に言い放つと、その顔の前で手を広げ、一切の発言を禁ずるしぐさを見せた。

 オルガンティーノ師はまだ何か言いたそうに口を動かしていたが、たしかにこれ以上この場で我われの間でもめるのを関白殿下に見せるのは上策ではなかった。関白殿下は、我われが一枚岩ではないことを悟ってしまうだろう。

 もう、フロイス師は滔々と、今のコエリョ師の発言を日本語にして関白殿下に告げている。オルガンティーノ師は、もう何も言えなかった。

 確かに巡察師ヴィジタドールのヴァリニャーノ師は、この国のいかなる殿にも武器弾薬を我われが提供するのを禁じた。つまり、それはこの国の内政への干渉になってしまうからだ。だが、それはこの国の中での内戦に際してのことではあるが、ましてや外交戦争にとなると事態はなおさら深刻となる。

「その代わり、明の国が殿下の掌中に入りました暁には、かの国での我われの布教を保証していただきたい」

 さらにコエリョ師は、このようなことを言っている。だが関白殿下の顔を見ると、コエリョ師の申し出を喜ぶどころか、不快な顔つきまでしているのが見えた。

 これはまずい。いや、まずいどころの騒ぎではない。明らかに関白殿下は我われの軍事力に対する警戒心を持ち、それを懸念している様子が感じ取れた。だが、コエリョ師とフロイス師はどうなのか分からない、むしろ得意になっている。

 そもそもコエリョ師に、いや今の我われの修道会に、そのような関白殿下に提供できる軍事力があるのか……そういえばコエリョ師はかつてフィリピーノのスパーニャ総督府に艦船などの軍事力の提供を求める手紙を出したという話があったが、あの返事はどうなったのか私は聞いていない。私が聞いていないということは、オルガンティーノ師も知らないのだろう。

 実際のフィリピーナスからそのような艦隊が長崎い到着したという知らせは聞いていないし、実現はしなかったようである。だが、コエリョ師という元軍人の、元が軍人だからという理由だけで色眼鏡で見るわけではないが、そのコエリョ師とフィリピーノのスパーニャ総督府との間には、福音宣教というリヴェロ(レベル)を越えたどす黒いコンドゥトゥーラ(パイプライン)があるような気がしてならなかった。

 コエリョ師がイエズス会の宣教師であり、準管区長でなければ、仮にそのようなつながりがあってもスパーニャとポルトガルが一つの国になってしまった今では何の不思議ではないが、実際は聖職者が手を染めるべきことではない。

 だが今この場では、いや、この場を下がってからでも、私はおろかオルガンティーノ師ですらそのことをコエリョ師には言えないであろう。

 少し不快な顔をした関白殿下ではあったが、すぐに笑顔を取り戻し、そして立ちあがった。

「さて、バテレン様方には、この城の中のもっといろいろなところをお目に掛けよう」

 そしてジュストを呼んだ。

「右近。そなたがバテレン様方を奥御殿まで案内せよ。わしは天守の入り口で待つ」

 そう言って関白殿下はそのまま行ってしまった。

 案内を命じられたジュストは立ち上がり、われらの方を見た。

「それでは、ご案内いたします」

 ジュストについて我われはぞろぞろと、あちこちに黄金がふんだんに使われた屋敷の中を歩いた。窓は開け放たれていて、さわやかな五月の風が香りとともに入ってきた。

 すべてが絢爛豪華という言葉に尽きるものだった。廊下を歩きながらその途中に通過する襖が開け放たれたすべての部屋の中まで見ることができたが、黄金ばかりでなくさまざまな彩色が施された艶やかな絵画が描かれた壁や、この国では珍しくエウローパでもごく限られた高貴な宮殿にしか用いられないような絨毯など、、我われが目を見張るようなものばかりだった。

 全くエウローパの豪華な王侯の宮殿に劣らなかった。しかもこの建築もこの国における例外ではなく、すべて木造なのだ。

 さらにエウローパと違い、外に向かってはすべての壁が窓になっていて自然の光が十分に差し込み、エウローパの宮殿のような昼でも薄暗いということはなかった。

 やがて、渡り廊下は階段となった。

 先ほど見えていた高い石垣の上の、一段と高い場所へと登るようだ。このまま階段を登れば、靴を脱いだ状態のまま石垣の上へ行ける。

 石垣の上にも、また別の御殿があった。

「ここからは奥御殿でして、関白殿下が日常お住まいの場所となっています」

 ジュストが説明をしていると、そこへ我われにとっては実によく見知った顔が現れた。

「おお、ドン・ジョアキム」

 フロイス師はドン・ジョアキムに懐かしそうに声をかけた。我われは毎週主日のミサで顔を合わせているし、我われにとってこの国の政治的なことの総ての情報源であるともいえた。かつては都の教会で顔を合わせていたが、今は関白殿下にお仕えしているとのことで、この大坂に移り住んでいた。

 都にいた頃はあくまでも商人といういでたちだったが、今ではすっかりと武士サムライの格好である。そして、関白殿下の海軍総司令官であるドン・アゴスティーノの父親でもある。

「わてもご一緒するよう、関白殿下から仰せつかりましたさかい、よろしゅうに」

 恰好は武士サムライでも、相変わらずの商人口調であった。

「いやあ、お懐かしい」

 フロイス師にとっては何年ぶりかの再会ということで、珍しくフロイス師も相好を崩していた。

「フロイス様も九州からお戻りで、ほんに懐かしうおます」

 フロイス師はコエリョ師に、手短にドン・ジョアキムのことを紹介していた。

「ほな、いきまひょか」

 ドン・ジョアキムはジュストとも目で合図して、再び我われは歩きだした。

 目を見張るのは屋敷の内部ばかりではなく、窓から見える庭園もまた素晴らしいものだった。安土の城の庭園も見事だったが、小さな山の上の限られた面積の安土城に比べると、ここの庭園は規模が遥かに大きかった。大きな池とその中の小島、そして人工的に土が盛られた小山も緑に覆われ、たくさんの木々が植えられていた。

 さらには池の周りはちょうど一年で今がいちばん花が多い時期のようで、実に色とりどりの庭園となっていた。

 歩きながら気がついたことは、先ほどの表御殿ではたくさんの武士サムライが行き来していて、我われの一行とすれ違う時はさっと道を開けてくれた。だが、この奥御殿には武士サムライは全くおらず、行きかっているのは女官ばかりだ。

 そのことをフロイス師は、ジョアキムに尋ねた。

「へえ、奥御殿は男子禁制でございます。ここに出入りを許されているのは、この右近殿とわてだけどす。といってもいつでも自由にいうわけやのうて、限られた時だけどすけどな」

 この大坂の城で、信徒が特別扱いを受けているということにフロイス師は満足しているようで、そのことをコエリョ師にも告げていた。

 私がかつてこの城に来た時はまだ工事中で、多くの建物は足場の中であり、まだ完成には程遠い状態だった。今はその頃に比べればほとんど城としても屋敷としても立派な景観を備えてはいたが、だからといってもう工事は終わったというわけではなさそうで、屋敷の外は多くの工事夫たちが資材を引いたり作業を続けていたりした。

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