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 その日の夜、我われはフィゲイレド師から府内の学院コレジオの様子などを聞いた。私が高槻の神学校セミナリヨでで接している学生も、卒業したら府内の学院コレジオに進む者もかなりいるであろうと思われるので興味深く私は聞き、いくつかの質問もした。

 そしてフィゲイレド師到着からすぐに待降節アドベント第二主日で、久々に私も都の教会で主日のミサに与った。もはやナターレ(クリスマス)まで、あと二十日を切っている。

 その第二主日のミサで、当然と言える顔を私は見かけた。

 あの小西屋のドン・ジョアキム夫妻だ。ミサの後、わざわざつかまえなくても、二人はすぐに帰ったりはしない。かつても司祭館に必ず寄っていろいろと世間話をし、我われはそれで世間の動きをつぶさに知ることができたのだ。

 ドン・ジョアキムは私がいるのを見て、かなり懐かしがってくれた。私はそこでパシオ師を紹介した。フィゲイレド師はミサも寝たままの参列だったので、すでに担架で司祭館の部屋の方に運ばれている。

「よく覚えていてくださいました」

 私が礼を言うと、ドン・ジョアキムは声をあげて笑った。

「そない忘れろいわれたかてよう忘れません」

「時に息子さんが」

 私はこのジョアキムの次男の弥九郎殿が、ドン・アゴスティーノとして洗礼を受けたことの祝いの言葉を告げた。もちろん、その知らせはすでにこの両親の元へは届いていた。

「いや、もう、ほんま、やっと、やっとでっせ。ありがたいこってす。なんでもせがれは小豆島に南蛮寺を建てるいうて意気ごんどります。でも、そうなるとどなたかバテレン様に行ってもらわないとあきまへんやろ、そやさかい息子にも頼まれて、わしはここのバテレン・セスペデス様にお願いしとるところですわ」

 その場にちょうどセスペデス師もいたので、私は彼を見た。

「はい。私はかまいませんが、私が決めることではありませんので、バテレン・ウルガンにも伺いを立てているところです。そうそう、それよりもドン・ジョアキム」

 セスペデスは日本語でそう言ってから、さらに重要案件へと話題を変えた。

「実は今都に豊後の国からフィゲイレドというバテレンが来られています。病気で寝たきりです。それを治せる医者が都ならいるのではないかとわざわざ豊後から来たのです。お心当たりはありませんか?」

「それなら啓迪院の道三先生がよろしゅうおす」

 ジョアキムは即答だった。

「なんせすごい医者どす。お弟子が八百人ほどいてます。医者というよりむしろ学者でんな。ものすごい仰山勉強しはって、医学の奥義を極めてはるいうても過言ではありませんわ。多くの大名の病を見てはるし、なんと今では宮中に出入りして帝のおそば近くにも仕えてはります。そうそう、信長殿も診ていただいたことがありましたな」

「ほう」

 信長殿の名前が出ただけで、もう決まりという感じだった。

「その方には、いつでも診ていただけるのですか?」

 セスペデス師が身を乗り出す。

「いやあ、難しいかもしれへんどすなあ。第一に、道三先生はかなりのご高齢でして」

「おいくつ?」

「七十八でしたかな」

「なんと」

 皆、驚きの声をあげた。それでまだ現役の医者だというのである。

「ですから、来ていただくいうわけにはまいりません。診ていただきたい方を連れていかねばならん。そのバテレン様は寝たきりなんどっしゃろ?」

「その点は、なにせ豊後から寝たきりの状態で来たのですよ。同じ都の中なら何の問題もないでしょう。また治療費も、修道会は決して出し惜しみしません。どうか一つ、紹介してくれませんか?」

「ま、それはよろこんで」

 それで話は決まった。まずはドン・ジョアキムといっしょにセスペデス師と私が、曲直瀬マナセ道三ドーサンというその医師の元へ向かった。教会からまっすぐ北へ三十分ほどで、まさしく真北だった。

 東に目をやると広大な敷地にある帝の宮殿の、その塀といくつかの建物の屋根が間近に見える。

「ここどす」

 商家の豪邸ともいえる大きな屋敷の門の前に、我われは立った。

 まずはジョアキムが中に声をかけ、出てきた医師の弟子という感じの若者に来意を告げた。

「ああ、あきまへん」

 その弟子は、即答だった。

「うちの先生は畏れ多くも帝の奥医師でもあります。そないな先生が異国の僧などを診るはずもありません。どうぞお帰りになって、ほかの医者をお探しなされ」

 ドン・ジョアキムからその旨を聞いて私は、すぐに輿の中のフィゲイレド師に伝えた。

「やはり、ほかの医者を捜した方がよろしいのでは?」

 ここで押し問答して長居しては、いくら輿の中の布団の中だとはいえ、寒風吹きすさぶ外にフィゲイレド師をいさせるのは忍びなかった。

「いえいえ、どうも私はここの先生に診てもらわねばならない気がします」

 フィゲイレド師はそう言う。もしかしたら、フィゲイレド師にそう啓示めいたものがあったのかもしれない。

「とにかく、先生はこれからお出かけですさかい、お引き取り下さい」

 道三先生の弟子と思われるう若者が、もう一度中へ入って行ったドン・ジョアキムに大声で言っているのが聞こえた。

「なんの騒ぎどすか?」

 玄関の中から、しわがれた声がした。弟子は慌てて頭を下げるので、私もセスペデス師も気になってのぞいてみた。

 見ると、かなりの老人が草履をはいて、これから出かけるというふうに玄関から出てきた。それを護衛するかのように、ほかの何人もの弟子もついている。

 最初に出てきた弟子が、ことの次第を告げているようだ。

「何?」

 老人は慌てて門から出てきて、フィゲイレド師が寝ている腰のそばまで来た。顔かたちは老人なのに腰も伸びていて、足取りもしっかりしていた。

「私が曲直瀬道三どす。異国のバテレンとはあなたですか?」

 輿の中に話しかける。

「そうです」

 フィゲイレド師はしっかりとした日本語で返事をした。

 道三先生はすぐに立ち上がり、弟子の方を向いて叫んだ。

「ご病人をこないなところで待たせるなんて、何を考えとるんや。すぐ中に入れて差し上げんかい!」

「先生、お出かけの方は?」

「はあ!?」

 足腰はしっかりしていても、さすがに耳は遠いようだ。弟子は道三先生のすぐそばまで来て、その耳元に口を近づけた。

「お出かけなさるのでは?」

「中止や、中止!」

 道三先生のその声も大きかった。そしてフィゲイレド師を中へと導き入れると、自分もまた玄関へ入って草履を脱いだ。

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