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 早速、道三によるフィゲイレド師の診察と治療が始まった。

 なにしろ普通に話したのでは、道三先生には聞こえないようだ。かなり大声で話したとしてもだめで、その耳元で話すしかないようだ。だがフィゲイレド師は起きられない。自然、道三先生の方から寝ているフィゲイレド師の方に耳を近づけてもらうしかない。

 いくつかの症状を質問し、そして実際にフィゲイレド師の体を触診てから道三先生は顔をあげ、フィゲイレド師と道三先生を囲むように座っていたジョアキムや私、そしてセスペデス師を見渡した。

「これは体の内部の胃の臓から来ておりまんな。無理に体を動かそうとはせず、まずは胃の薬と痛みをやわらげる薬を出しますさかい、それを飲んで様子を見なはれ」

 診察は長い時間ではなかったが、丁寧に見てもらったという感じだ。それで即座にこのような診断を下すのだから、さすがに目利きだと思われた。

 部屋の中には道三先生の弟子と思われる他の弟子たちもいて、しきりに冊子状に束ねた紙に筆で記録を取っている。

 そのうちの一人に、道三先生はいろいろと指示をしていた。おそらくは薬の処方について指示を与えているのであろう。

「時にバテレン殿はおいくつかな?」

「もう、五十六になります」

 フィゲイレド師は道三先生の耳元で話している形になるが、二人ともかなり大きな声で言っているので、二人の会話はこの部屋の中にいる人なら誰にでも筒抜けだった。

「私は七十八。そないな私から見れば、五十六のバテレン様はお若いお若い」

 そう言って、道三先生は笑った。はたから見ていると、申し訳ないけれど二人の老人が会話しているように思えてならない。だから、話も弾むのかとも思う。

「いえいえ、私から見れば、先生の方がはるかにお元気のように見える。病気を治すだけでなく、いつまでも元気を保つ薬というものもあるのですか」

「それは、ないことはありません。そやけど、それだけに頼って不養生をしておれば、それは本末転倒いうことですな。バテレン殿は、お国はどちらで?」

「私が所属する国は、ポルトガルといいます。でも、生まれはゴア、この国の皆さんが印度インドもしくは天竺テンジクと呼んでいる国です」

「なぜ、そのような所で?」

「ゴアはポルトガルの……」

 フィゲイレド師は言葉につまっているようだった。植民地コローニアという言葉を日本語でどう表現していいか、悩んでいるのだろう。

領地リョーチでいいのでは?」

 セスペデス師が助け船を出して、それでまた話が進んだ。

「天竺といえばお釈迦様の聖地という感覚ですがな、その天竺にキリシタンの国があるとは不思議な感覚やな」

「先生は、都でお生まれになったのですか?」

「いや、近江の国や」

「ああ、信長殿のお城のあった」

「安土よりは都に近い。ちょうど安土と都の中間くらいですか」

 話を聞いていて、それなら私は何回か通ったことのある場所だなと思っていた。

「私はもの心ついた時はすでに両親ともなく、叔母に育てられました。そして若くして相国寺いう寺の坊主となったのです。それからは漢籍や書と親しみ、学問に打ち込む日々が続いて、関東の足利学校にも通いましたよ。その頃、医学に目覚めて、都に戻って坊主をやめて寺を出て、俗に戻って医者としての修行をして今に至っております。妻はおりましたが、もうここ十七年も疎遠になっております。娘が一人おります」

 実によくしゃべる。耳はよく聞こえないようだが言葉ははっきりとしていて。それも弁舌さわやかによく通る声で、話をしやすい相手であった。

 相国寺といえば、禅の寺である。かつて巡察師ヴィジタドールのヴァリニャーノ師も、仏教の中では禅がいちばん親しみを感じると言っていた。ただ、禅は霊魂を語らず、死ねばすべて無に帰すと教えている。禅の修行の中心は、なんといっても座禅ザゼンであり、座ったまま瞑想のうちに祈ることである。

 私はそのことをかつて禅僧だったこともあるという道三先生に聞きたかったが、フィゲイレド師の枕もとに座る道三師の耳元でそのようなことを大きな声で尋ねるのは憚られた。

「キリシタンの方も、何か健康に気ぃつけはってることはあるんどすかえ?」

「まあ、特には」

 そしてフィゲイレド師はセスペデス師と私を見た。それから、ポルトガル語で言った。

「いい機会だ。この先生にもキリストの教えを話してみたいと思う。もちろん、露骨にキリストがどうの『天主デウス』がどうのとは言えないが」

 私も同様にポルトガル語で、この道三先生が所属していた寺は禅宗で、禅宗は霊魂については語らない宗派である旨を告げた。

「先生。我われは健康を得るために、注意と努力が必要だと考えています。ただし、それはこの肉体の健康ではなく、霊魂の健康です。人びとは肉体の健康を維持するために莫大なお金をかけ、細心の注意を払いますね。でも肉体はいつかは滅びるものです。でも、霊魂は不滅です。肉体の健康は、先生、それはあなたのような医者の方の仕事です。でも我々の仕事は、霊魂の健康を保つことです」

「ほう」

 耳元でフィゲイレド師の話を聞きながら、道三先生は目を細めた。

「これは不思議な話を聞きますなあ。そのような、肉体が滅んでも永遠に滅びない霊魂などというものが、ほんまに存在しますんやろか」

「存在します」

 はっきりと、道三先生の耳にも聞こえるようにとフィゲイレド師は言った。

「天には、永遠の命と光の源である天地の創造主がいらっしゃいます。霊魂はその創造主の恵みによって生かされ、その慈しみによって救われていくのです。その創造主は全智全能であって、万生と人に命を与えているのです。これはあなた方がいう内面的な仏性とは違います。それは生命も智慧も慈悲もない。自らが持たざるものを、被造物に与えることはできないでしょう?」

 さすがに府内の学院長だけあって、フィゲイレド師は奥が深いと私も感心してしまった。自分の、すなわちキリストの教えを一方的に相手に押しつけるのではなく、相手がこれまで培ってきたことをよく理解した上でそれに対する反論をしている。

 それを聴いた道三先生もまた反論するかと思いきや、なんと道三先生は苦笑めいたように笑いだした。

「まあ、私が寺におった頃の坊主たちが聞けば、青筋立てて反論するでしょうな。でも、私は仏教のいろんな宗派を一通り見てまわって来ましたけれど、どれ一つ満足できるものはありゃしまへんどした。そやさかい、どのお教えにも完全に浸ったことはない。自分で考えるところがあってそれを頼りにしてまいりましたさかい、禅にもとりあえず加盟していただけいうことでございます。だから、さっさと坊主も辞めてしまいました」

「そうですか」

 フィゲイレド師はなんだか肩透かしを食らったようで、少し考えていた。それから道三先生の耳元で言った。

「自分の考えだけを頼りに来られたとおっしゃいましたね。でも、今私は病気ですけれど、私が薬のことをただ考えただけで病気は治りますか?」

「いや、そりゃあかんでしょ」

「ですよね。医者であって学者でもある先生のお言葉を頼りにし、その指図に従わなければだめですよね?」

「いかにも」

「それと同じです。霊魂の救いに関しては、先生もご自分で考えただけではだめで、我われキリシタンのバテレンを頼りにしていただらなければならないのです」

 道三先生は、黙って聞いていた。

「我われは人々を救うため、遠い海の数千里の彼方からこの日の本に来たのですよ」

 道三先生は、微かにほほ笑みさえ浮かべていた。

「でも私はもうこんな年ですわ。今さら新しい教えを聞いて、もう一度自分のことを考えたところでもうすぐ死ぬんです」

「だからこそです」

 フィゲイレド師の声に力が入ってきた。

「人は死んだらそれで終わりではないのです。天国パライソに行く時が近づいているからこそ、これまでよりもなお一層キリストの教えを聞き、もう一度自分を考えてみる必要があるのではないですか」

「パライソとは、一向宗門徒が言う極楽のような所ですかな?」

「そうです。極楽のような所ではなく、極楽のことです」

「ほう、パライソへ行くとは、極楽往生のことでっか。ほう、バテレン様が一向宗門徒と同じこと言わはるとは、こりゃおもろいでんな」

 道三先生は少し笑って、それから何かを考えているようであったが、やがてフィゲイレド師に言った。

「これも禅寺の坊主やったら聞く耳もたんでしょうが、私は興味がおす。せやけど、バテレン様がこうして診察に通ってくださっている間はこの時間にお話を聞くこともできましょうが、もう年ですさかい南蛮寺へ出向いて教えを聞くなどということはようしません」

 フィゲイレド師にとってこの道三先生の口実は、想定内のことだったようだ。

「我われはこうして我われの教えを広めるために、全身全霊を尽くしております。遥か遠くの国からはるばるこの日本へやって来て、そしてここ出た多額の金を使うことも惜しまず、それでいて日本の方からは一文たりとも頂いておりません。命がけなのですよ。まあ、私なんかはそういった多くの宣教師の末席を汚しておるにすぎませんけれど、年若くしてこの日本に来て今はご覧のとおりの白髪しらが頭です。私は日本に来た時は若くて健康でしたけれど、全宇宙の創造主を御大切に思って奮闘するうち、年老いて病弱となってしまいました。我われの仲間の宣教師もこの教えを広めるために命を落としたものもおりますが、年をとって弱り果てても日本の各地で宣教に当たっているものも多数おります。これは一人でも多くの人の、霊魂を救うためなのです。もし先生が南蛮寺へいらっしゃることができないとあれば、我われは喜んでこちらからまいりましょう。そして、この家に滞在して先生に『天主デウス』様の教えをお伝え申し上げましょう」

 道三先生は黙っていた。だが、どうやらその目が潤んでいるのではないかと、傍で見ていた私には思えた。セスペデス師を見ると、同じように思っているようだった。

「この機会はまさしく、道三先生のため『天主デウス』が我われにお与えくださった時間だ」

 早口のポルトガル語で、セスペデス師はそう言った。私もうなずいた。

「たしかに」

 たしかにそうとしかあり得ないことは、道三先生の涙からも明らかだと私も思った。

「しかしバテレン殿」

 道三先生は、言葉をつづけた。

「やはり私はもう年老いとります。教えを聞いても、もはやあなた方の教えで定められた義務をよう果たさんやないかと、それが心配どして」

「いえいえい、ご心配には及びません。我われが説いております創造主は、正義と慈悲のお方です。その被造物に、その能力以上のことをお求めにはなりません。一人ひとりの能力は、『天主デウス』様はすべてご存じなのです。むしろお年を重ねておられるかたほうが、若い方よりも教えを正しく理解し、また戒律を守ることができると存じます」

「では今、簡単にあなた方の戒律の骨子だけでも教えてくださらぬか」

「はい」

 フィゲイレド師はゆっくりと十戒コマンダメンティの内容を話し始めた。

「第一、一体の『天主デウス』を敬いたっとび奉るべし。第二、貴き御名にかけて虚しき誓いすべからず。第三、祝日を勤め守るべし。第四、汝の父母に孝行すべし。第五、人を殺すべからず。第六、邪淫を犯すべからず。第七、偸盗すべからず。第八、人に讒言ざんげんをかくべからず。第九、他の妻を恋すべからず。第十、他の宝を妄りに望むべかず」

 道三は目を閉じて聞いていた。そして、何度もうなずいた。

「そう難しいことではありまへんな。第四は、私は生まれてすぐに両親を亡くしましたさかい、これだけは無理どすがな」

 さらには、そう言って少し笑った。

「いや、あなた方の熱意には打たれた。負けた。それなら、もっともっとあなた方の教えの総てを聞きまひょ。まあ、私は呑みこみは早い方ですさかい、バテレン様方もその点は楽なんちゃいますやろか」

 今度は声をあげて笑った。フィゲイレド師も満足げにうなずき、涙ぐんでいた。その思いはセスペデス師も私も同じだった。

「それに、一度やると決めたら、とことんまでやる性質たちどす」

 その時ちょうど道三先生の弟子が、薬の調合ができたと言ってそれを紙の袋に入れて持ってきた。

「では、この薬をまずはすぐに飲んでください。お茶と同じように、お湯で煎じて飲めばよろしい。今日の診察は終わりです。明日は所用がありますさかい、あさって私の方から南蛮寺に参ります」

「おお、本当ですか」

 布団の中でフィゲイレド師も顔を輝かせていた。

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