Episodio 4 ベルシオール先生(Miyako)
1
その待降節第一主日の翌日、つまり十一月の最後の日、私は主任司祭であるフルラネッティ師に呼ばれた。二人きりの時はイタリア語で会話だ。
「大坂の
「え? それは異動ということですか?」
私は焦った。それでは
一瞬私の頭に、この日のミサの福音書の朗読箇所が甦った。
――全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣べ伝えよ――。
都は初めての土地ではないけれど、自分にはそこに派遣されるみ意なのか……。
「いえいえ、そういうことではないようですよ」
そんな思いは一瞬だけで、すぐにフルラネッティ師の言葉で打ち消された。、
「あなたは豊後の府内の教会の
「府内ですか」
たしかに府内で何人かの司祭に会ってはいるが、名前までは覚えていない。
「まあ、顔を見れば分かるかもしれませんが」
なにしろ私が府内に行ったのはヴァリニャーノ師とともにであるからもう四年も前だ。
「府内の教会の主任司祭であるとともに、府内の
「ああ、はいはいはい」
やっと記憶の糸を手繰って、顔が浮かんできた。たしかもう五十くらいの年配の司祭だった。
「その
「実は」
フルラネッティ師は、少し声を落とした。
「重い病気で、今は寝たきりになっておられます」
「え?」
一度は驚いた私だが、五十代になったばかりの大坂のオルガンティーノ師よりも年長で、もう五十代後半であることを思えば、あり得ることかもしれなかった。老人と呼ぶには少し早いが、そろそろいろいろと弱ってくる年代でもある。
「それで、
「そんな寝たきりなのに長旅を?」
「もちろん輿に乗って寝たまま運ばれているのでしょう。その輿を、同宿の若者が数人がかりで担いできているようですよ、もっとも行程の大部分、豊後から堺まで船旅ですけれど」
「はあ」
「それで、そろそろ、都に着くと思うので、都の教会の
「わかりました」
そういうことならば、オルガンティーノ師の意に従うしかない。
「それと、同行者ですが」
たしかに規約上、私が一人で都に行くわけにはいかない。
「堺に来られた
「おお、それはありがたい」
大坂で会った時はほとんど会話もできなかった。都までなら道中ゆっくりと話もできる。
私はいい意味で胸騒ぎがしてきた。
都で私を待っているのがそのフィゲイレド師だけであろうか……。なにしろこの日はフランシスコ・ザビエル師の祝日、つまりチーナの
ザビエル師の生涯と今日の福音朗読箇所を思う時、都で何か大きな福音宣教上の出来事が待っているような気がしてならなかった。
ただ、都布教区の中でいちばん宣教が伸びていない都の教会だけに、気を引き締める必要も感じていた。
その話があってからすぐその翌日、十二月一日にはパシオ師はペレイラ兄に案内されて高槻へとやってきた。安土の修道士だったペレイラ兄はあの本能寺の事件のあとともに都まで逃げ、その後ずっと都の教会にいたが、昨年から大坂の教会に移っていた。
初めて高槻に来たパシオ師は、教会が城の中にあることにただ驚いていた。
「いやあ、これはエウローパの町みたいですな」
町の建物の外見はなんら日本のほかの町と変わらないが、住んでいる住民がほとんど
領主の一族も領民も
領主が
「いや、これでもまだ足りないのですよ」
「主日のミサでさえ会衆は入りきりません。ましてや
「可能なのですか?」
「はい。ここの殿であるジュストが全面的に協力してくれますから」
「うらやまし限りですな」
パシオ師はそう言って笑っていた。
「今のこの教会も、建材の材木はすべてジュストの計らいで新しい木材を使わせてもらっています」
「ほう。日本の教会は、仏教の
「確かにそういう所が多いのですけれど、『
「私も早くそのジュストという殿にお会いしたい」
考えてみればパシオ師は、まだジュストとは会っていないのである。
翌水曜日には、ペレイラ兄を残して私とパシオ師で都に向かった。私が留守の間の
我われ二人はこうして、寒風吹きすさぶ川沿いの道を馬で都へと向かった。
道中話し合ったのは二人の共通の思い出であるリスボンからゴアへの船旅、そしてゴアでのこと、さらにパシオ師がマカオまでともに旅してきた我が親友のマテオのことなどであった。今は私がマカオまでともに旅したルッジェーリ師が、マテオとともにチーナにいる。
そんな話をしているうちに、あっという間に都に着いた。
私にとって二年半ぶりの都だが、パシオ師には初めてなのである。我われは鴨川と桂川の二本の川の合流点からまっすぐ北上して、都に入った。
道の右側に広い敷地の塀越しに大きな寺の巨大な屋根がいくつも並んでいるのが見えたら、いよいよ都に入ったことになる。
この寺には昔、都でいちばんの高さを誇る塔があったけれど二十年ほど前に落雷によって焼失したままだという話もかつて聞いたことがある。
さらにはその寺にさしかかるあたりに、大昔は都の入り口であることを示す巨大な二階建ての門があったとも聞くが、今はもちろん跡形もない。
そんなことをパシオ師に説明しながら歩いていると、パシオ師も感心してあたりをきょろきょろ見回しながら進んだ。
「さすがに都、つまり日本のローマに当たるだけあって大きな町ですね。しかも道がどこまでもまっすぐで整然としている」
「そうですね。ローマはたしかに巨大だけれど、なんだかごちゃごちゃしてますからね。リスボンも」
「ただ、今の日本のほかの町は日本が
私が初めて都に来た時は確か夜だったからよく見えなかった。昼間の光の下でこの都市の様子を見ながら初めて都に足を踏み入れるパシオ師がうらやましくもあった。
都に入ってからも教会に着くまでかなり歩くので、そのこともパシオ師は驚いていた。確かに都の入り口の巨大な門があったというあたりから教会まで一レグワ、歩いて一時間ほどかかる。
これだけ歩いても、まだ都の中なのである。どこまで行っても、都がなくならない。
そしてようやくたどり着いた教会の周辺は、なんら変わってはいなかった。
それ以前に、都の様子も激動の世の中とは何の関係もないように全く変わってはいなかった。名目上の皇帝である
だいたい羽柴殿がそれになりつつあるけれど、まだ予断は許さない。羽柴殿は御本所殿や徳川殿と、にらみ合いとはいってもまだ戦争の真っ最中だ。
都の教会も、何も変わっていなかった。
ただ、私はここには短い滞在をしたことがあるだけで、そんなに長く住んだことはない。だがここでの滞在中にあの本能寺での事件が起こったので印象も深いのだ。
そうして、我われが都の教会に着いてから二日後に、多くの同宿に担がれた輿に乗ってフィゲイレド師が到着した。意識もしっかりしていて熱もないようだが、ただ腰が痛くて起き上がれないようだ。
かつてのヴァリニャーノ師も腰を痛めていて、輿で移動していたことがあったのを思い出す。
「ああ、あなたは一度府内にも来られましたね。たしかあのときは、
布団の中から私を見上げて、フィゲイレド師は目を細めて言った。覚えていてくれたようだ。
「あの時の全身が黒い大男はどうされました?」
「ああ、ヤスフェですね。あのあと洗礼を受けて
「そうですか」
フィゲイレド師はにっこりと笑う。たしかに気力だけはしっかりとしているようだった。
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