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 世間のそのような状況をよそに月日はどんどん冬へと進んでいき、いよいよ待降節も終わってナターレ(クリスマス)を迎えた。

 今年は第四主日の翌日の月曜日がヴィジーリャ・ディ・ナターレ( ク リ ス マ ス ・ イ ブ )で、さすがに一万人以上も信徒がいる高槻だけあって、夕刻のミサの何時間も前から次々に人びとは教会へと集まり始めた。

 城の中にある教会だが、毎週日曜日のミサの時には城門も解放されて、一般領民も信徒クリスティアーノであれば身分に関係なく誰でも城内に入ることができるようになっている。

 だが、ナターレ(クリスマス)ともなるとジュストの治める領内の遠方からも、普段の日曜にはなかなかミサにあずかれな人々も続々と押し寄せるので、ミサの始まる二時間も前から教会の前の広場から本丸への城門の前まで人々でごった返した。

 私が日本に来てから三度目のナターレ(クリスマス)となる。

 最初は豊前の臼杵の教会で、そして二回目となる去年はシモの大村の教会で私はナターレ《(クリスマス)》を過ごした。

 毎年、ナターレ《(クリスマス)》を迎える場所が違うけれど、去年の大村でのナターレ《(クリスマス)》も圧巻だった。殿トノであるドン・バルトロメウの領内の領民すべてが信徒クリスティアーニになっているということで、ものすごい数だった。だが、高槻の信徒クリスティアーニの数は遥かにそれを上回っている。

 しかし、いつかジュストが話したことによると、これでも全領民の三分の二くらいにしか過ぎないというのだ。

 高槻が大村と比べて絶対的に人口が多いことにもよるだろうが、私が大村で全領民が信徒クリスティアーニであることに対して感じた何か違和感というか危惧というか、そういうものはまだ信徒クリスティアーノとなっていない三分の一の領民の存在によってここでは感じなかった。

 ジュストは領主として、決して領民に信徒クリスティアーノになることを強制してはいない証拠だ。

 ジュストも言っていた。

「信仰というものは強制するものではないでしょう。その人それぞれの魂がどのようにキリストと出会い、キリストを受け入れるかということですから」

 全くその通りだと思う。そうなると逆に、強制していないのに領民の三分の二が信徒クリスティアーノとなっているという方がすごいことである。

 大村は別としてドン・プロタジオの有馬、豊前のドン・フランシスコの府内や臼杵、そしてこの高槻と同じ摂津ではドン・ジュアンが治める岡山や明智に味方して追放されたドン・サンチョの三箇も、数だけでいえばかなりの数の信徒クリスティアーニがいるにしても、領民の総数に対する信徒クリスティアーニの割合はここ高槻ほどは多くない。

 やはりそれはジュストの人徳といえるだろう。「後ろ姿で導け」とはこのことなんだなと、本当に我われの方がむしろジュストから教えられることは多い。


 二十四日の日は没し、いよいよヴィジーリャ・ディ・ナターレ( ク リ ス マ ス ・ イ ブ )、すなわちナターレ(クリスマス)の前夜ミサが始まった。

 当然すべての信徒が教会堂に入りきれないので、城内の教会堂の前に当たる広場も人々で埋め尽くされた。

 私にとって胸が張り裂けんばかりに感動的だったのは、フルラネッティ師が祭壇の脇に、ほんの小さなものではあるがキリストが生まれた馬小屋を模型で再現したプレゼーペが設けられていたことだ。

 イタリア半島では教会はもちろん各家庭でも、このプレゼーピオはヴィジーリャ・ディ・ナターレ( ク リ ス マ ス ・ イ ブ )に飾られる。三百五十年ほど前の人でフランシスコ会の創設者のアッシジの聖フランチェスコの考案によるものだが、今やイタリア全土に普及している。これがないとやはりナターレ(クリスマス)という気分は出ない。

 この高槻の教会のそれはローマのものとは違ってマリア様もヨセフ様も羊飼いたちも三博士も日本の着物キモノを着た日本の人形だが、赤ちゃんイエズス様だけは信徒クリスティアーノの人が布を材料に手作りで作ってくれたようだ。

 この風習はイタリア半島だけのもので、まだ他の国にはそれほど広がっていない。だからゴアやマカオでももちろん、日本でも府内や大村ではこのナターレ(クリスマス)の習慣は見られなかった。

 だが、今や高槻の三司祭ともにイタリア人だ。他の国出身の司祭に遠慮することなく、堂々とイタリアの習慣をここに持ち込んだ。

 鐘が打ち鳴らされ、オルガーノ(パイプオルガン)がもう暗くなった夜空に響く。

 こうして静かに厳かに、ミサは進んでいった。これまで復活祭や聖体の祝日を高槻で迎えたことはあったが、当然のことながら高槻のナターレ(クリスマス)は私にとって初めてだ。

 司式は、まずはここの司祭の中で最年長のフランチェスコ師だ。

 そして夜半ミサと続く。このミサがナターレの中心ともなるミサで、司式はフルラネッティ師だった。年齢はフランチェスコ師が最年長だが、フルラネッティ師は私と同年代だけれどもこの高槻の教会の主任司祭なのだ。

 前夜ミサで御聖堂内に入れた人は入れ替え制で全員出され、外にいた人が中でミサに与った。翌日の早朝のミサ、日中のミサでも同じシステマ(システム)が採られることになっている。聖職者以外ですべてのミサに御聖堂内で与れたのは聖歌隊を務める神学校セミナリヨの学生と領主のジュストおよびその家族のみだった。

 ジュストは最初は一人でも多くの領民にミサに与ってもらいたいと自分が参列することは遠慮していたが、我われの方から頼んで聖堂内で参列してもらった。

 参列する会衆に背を向けてのミサが進行し、やっとフルラネッティ師がその顔を参列者に向けたのは、福音書の朗読を終えての説教になってからだった。

「フェリーズ・ナタル!」

 開口一番はラテン語ではなくポルトガル語だったが、すぐにフルラネッティ師は日本語で話し始めた。

「私の国では“ブォン・ナターレ”といいます。この国では“ナタル、おめでとうござる”となりますね」

 修道士は別として今高槻にいる司祭が皆イタリア人であるだけに、プレゼーピオだけでなくそういった話にも遠慮はいらない。

「今日、皆さんはいまここにこうして集まって、ナターレ、主のご降誕を祝っていますが、今日、世界のあちこちで言語は違っても同じ意味の“フェリーズ・ナタル!”という言葉が飛び交っています。なぜめでたいのか、それは『天主デウス様』からの最大の贈り物であり、最大の恵みを私たちは頂く日だからです。こちらをごらんなさい」

 フルラネッティ師は御聖堂の外にいる大群衆にも聞こえるようにということなのか大声で話しながら、祭壇の上の四本のろうそくを示した。

「『天主デウス様』からの恵み、それは具体的には何でしょうか? これらのろうそくが、それを表しています。これまでひと月にわたって、主日のミサごとに一本ずつろうそくに火は灯されていきました。最初に灯されたろうそくは希望の光です。今、この国は混沌を極めています。この国だけではありません。海の向こうの、私たちバテレンが生まれた国々でも同じように“乱世ランセ”です。でも、そんな混沌とした世にも、『天主デウス様』は御ひとり子をお遣わし下さった。それは何を意味しているのでしょうか? それは“大丈夫だよ。何も心配することはないんだよ。すべてうまくいくよ”、そうおっしゃりたいのだと私は考えています。すべてを『天主デウス様』にお任せして信仰を貫けば、今悲しいこと、つらいこと、苦しいことがあってもそれは一時的なもので、一切がよくなるための準備なのです。絶望する必要はない。絶望している人は、ただキリストに想いを向け、心を向ければ、希望は与えられると信じています」

 本当にこの声が御聖堂の外の大群衆にまで聞こえるのかどうか分からないけれど、人びとは静まりかえっているので、あるいは届いているかもしれない。

「そして二本目は平和。先ほども申し上げましたように、この“乱世”のどこに平和があるのかと思われるかもしれませんけれど、『天主デウス様』は必ず平和をもたらしてくださいます。必ず! なぜなら、イエズス様がお生まれになった夜、天使が歌うのを羊飼いたちは聞きました。“天のいと高き所には『天主デウス』に栄光、地には善意の人に平和あれ”と。今混沌としていても、いつか必ず平和は訪れる。今もこの国のあちこちでいくさが行われています。でも、真の平和を築くため、悪魔と戦うのだと、希望を持って戦っている方たちも多くいると信じています。しかし本当の目的は敵を殲滅することではありません。敵を滅ぼせば憎しみが残り、やがては自分が滅ぼされます。戦いの負の連鎖が繰り返されるだけです。そうではなく、真の平和は和解にこそあります。和解こそ恵みです。そしナタルのもうひとつの意味は『天主デウス』との和解です」

 フルラネッティ師の話は、普通の神学的説教とはどこか違うと私は感じ始めた。今のこの国のあり方に即しているようにも感じた。ジュストも、もちろん熱心に聞いている。

「そして希望を持ち平和がもたらされれば、皆さんの心には何が生じるでしょうか。それは喜びですね。三本目のろうそくはその喜びを表しています。今、悲しんでいる方、どうかこの三本目の喜びの光をじっと見つめなさい。『天主デウス様』は必ずや喜びをお与えくださいます。そして」

 フルラネッティ師は、一段と声を張り上げた。

「四本目のろうそく、それは御大切の光。希望も平和も喜びもすべてを無にしてしまうものはなんでしょう。それは恨み、憎しみです。人を恨み憎しみをもっている間は平和は訪れません。そのような心は、このナタルを機に捨てるべきです。どこまでも許すことです。許せばあなたの罪も『天主デウス様』は許してくださいます。許せないというのは、裁きの心があるからです。人を裁いてはならないと、イエズス様はおっしゃいました。姦淫を行った女を多くの市民が裁いて罰しようとした時も、イエズス様は“あなた方の中で罪が全くない人だけが、この女を罰するがよい”と言われたのです。誰も、その女を罰することはできませんでした。裁きは避け、人を許し、和解する、そこにすべての道が開けるのです。これらがナタルの意味であることを心に刻んで、ともに祈りましょう」

 それはまるでここにはいない誰かに向けて言っているようだった。我われ司祭がミサの説教で政治的な話をすることはまずない。だが、表向きはキリストの教えを述べているが、そこに内包されているのは明らかに政治的な意味合いを含んでいると私は感じていた。

 次の早朝のミサの司式は私だった。

 説教では少し意向を変えて、自分が子供の頃のローマの教会でのナターレのミサの話をしておいた。

 最後の日中のミサはフルラネッティ師司式に加えフランチェスコ師と私の共同司式となった。

 そしてその後、以前にここで復活祭パスクアを過ごし、ヴァリニャーノ師がまるでローマだと感嘆したあの時と同様に人びとの行進と宴が始まった。

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