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 よく晴れていて、木々の隙間から火の光が意思の階段の上に落ちている。まだまだ残暑厳しいが、ほんの少しだけしのぎやすくなっている気もする。たしかにひところよりも蝉の声が少なくなっていた。

 いつもの通り我われは黙って歩いているだけで、この顔を持て門番は難なく通してくれる。むしろ丁重な礼をもって接してくれるのだ。ただ、同行しているヤスフェには、誰もが怪訝な顔を向けていた。

 屋敷の広間に入ると、待たされることもなくすぐにドン・プロタジオは姿を見せた。

「どうぞ、お顔をお上げください」

 これまで通り、優しくドン・プロタジオは語りかけてくれた。

 顔を挙げて驚いた。前に会った時も、初めて会ったときに感じた子供から成長したことに驚いたが、会うたびにさらに成長を重ねている。もはや子供ではなく、青年と呼ぶのにふさわしいくらいになっていた。

「遠路ご苦労様です。都に行かれたバテレン様ですよね」

「はい。お懐かしゅうございます」

 私はそう言ってから、初対面であろうニコラオ兄を紹介した。だが、ドン・プロタジオの目はヤスフェにくぎ付けになっていた。

 しかしその好奇の目は、かつて信長殿が初めてヤスフェを見たときの、あの肌の色に対してではなかった。

 有馬の神学校セミナリヨには肌の色が黒い使用人がいるということは殿であるドン・プロタジオの耳にも入っていただろうし、たしかドン・プロタジオは実際にヤスフェと会ったこともあったようだ。つまり、初対面ではないのだ。

 ドン・プロタジオが驚いていたのは、ヤスフェのその服装であった。完全に日本の侍の格好で、先ほどまで腰に差していた刀をはずして畳の上に置いている。頭はもともとなかなか髪が伸びない人種で縮れ毛の癖っ毛になるのだが、それでも少し伸ばした髪をなんとか束ねてサムライまげまで結っていた。

「こたびはおめもじを賜り恐悦に存じます。拙者、織田前右府様にお仕え申しとった弥助と申しますたい」

 立派な日本語で堂々と挨拶したヤスフェに、ドン・プロタジオはただ目を見張っていた。だが、その口上の日本語はなんとこの有馬の地で習い覚えた、有馬の訛りのある日本語だったので、ドン・プロタジオは余計に驚いたようだ。

 そして、親近感を持ったようにも感じられた。

 しかし、ドン・プロタジオの驚きはそれだけではなかったようだ。

「そなた、今、織田殿にお仕えしとったと申しましたな」

「いかにも。上様の小姓をしておったとです」

「おおっ!」

 ドン・プロタジオは身を乗り出さんばかりに少々興奮していた。

「今回の織田様の件、お耳に入っていますでしょうか」

 私が話に入ったので、ドン・プロタジオは私を見て深くため息をつき、少し目を伏せた。

「大村の叔父上からの書状で知りました。豊後の大友様からも書状がまいっております」

 コエリョ師もフロイス師も私が報告して初めてその事実を知ったくらいだったが、やはりさすがに日本人社会の殿たちの間の情報の行き来は、我われよりもはるかに速いようだ。

「大変なことになりました。これまでは織田様の息の下で大友様と薩摩の島津はなんとか和議を整えて均衡を保っていたのですが、織田様がおられぬとなると、一気に乱世に逆戻りか……。竜造寺殿もどう出てくるか……」

 やはり九州が大変なことになりそうなのは、フロイス師が言っていた通りなのだろう。もっともその言葉は、大友殿ドン・フランシスコの言葉だそうだが。

「時に弥助とやら。織田様の御小姓でおられたのなら、そのご最期も存じておろうな」

「は。拙者は最期まで上様のそばにおりましたとです」

 そうしてヤスフェは自分が本能寺屋敷で見たことを、つぶさに流暢な日本語でドン・プロタジオに話した。

 続いて、その直後の安土の混乱をニコラオ兄が語った。

「そうですか。その明智という家臣は、とんでもないことをしてくれたものですな」

 吐き捨てるようにドン・プロタジオは言った。

「で、次の天下人は?」

 ドン・プロタジオがそう聞くので、私が答えた。

「はい。織田の家はすでにご長男の城介勘九郎殿が継いでおりましたし、その勘九郎殿も亡くなりましたから、さらにその長男の三法師殿が継ぎました」

「法師? 僧侶なのですか?」

「いえ、子供の名前です。まだ三歳ですから」

「三歳!?」

 ドン・プロタジオは目を見ひらいた。

「三歳では天下人にはなれないでしょう」

「はい。たしかに天下人というわけではありません。あくまで織田家の後継ぎです。次の天下人はまだ決まってはおりません。信長殿の御三男の三七殿を、我われは推しています。三法師殿の養育係りでもありますし。まだキリシタンではありませんが、キリシタンになりたいという意志は持っている方です」

「そうですか。これから世の中がどうなるかは、全くわからないということですね」

 ドン・プロタジオはため息をついた。

 そして目を挙げた。

「時に弥助。これからどうするつもりだ?」

「特に考えてはなかですばってん。拙者はもともと奴隷としてこの国に来たとです。ばってん、織田殿の上様はそんな拙者ばサムライとして取り立ててくださいました。奴隷ではなく、こん国の人と同等に扱ってくださったとです」

 おそらくヤスフェは安土でもこの有馬訛りの日本語で通していたのだろうが、やはりこの場所でこの言葉でしゃべるのが一番しっくりくる。

サムライというのは」

 ドン・プロタジオが口を開いた。

「主に仕えてこそサムライ。主なきサムライ浪人ローニンといって、本当の意味でのサムライではなか」

 ヤスフェはハッとした顔をした。たしかに今のヤスフェには、主君はいない。

「私に仕えんね? 織田のお家でと同様、私のそばで小姓ばしてほしか」

「は」

 ヤスフェの目に涙があふれるのを私は見た。

「ヤスフェ、それがいい」

 私はそれだけ日本語で言うと、ポルトガル語に切り替えた。

「信長殿は異教徒であったけれど、今度の君の主君は同じ信徒クリスタンだ。いい話ではないか」

 ヤスフェは何度もうなずいていた。

 そしてその場で天を仰いで『天主デウス』に賛美と感謝を捧げていた。


 とりたてて荷物もないので、ヤスフェはこのまま有馬のお城に置いていくことになった。ヤスフェは信徒クリスティアーノではあるけれども別にイエズス会士ではないので、フロイス師にも事後報告で済むだろう。

 従って我われが城を辞して帰るときは、ヤスフェとの別れの時だ。

 なぜかもう何度も別れの時を経験したヤスフェだけに、何かおかしかった。しかしこんな逆境にあっても恵みが頂けるヤスフェとは、いったいどんな魂なのだろうかと思う。

 神学校セミナリヨに戻ったら、今度は私の旅支度だ。我われをここまで送ってくれた高山ジュスト殿の手配の船は長崎に停留しているが、それがこの有馬に回ってきたらいよいよ私は都に帰る。

 その間に、フロイス師はなんだかあらたまったような感じで、私をこの神学校セミナリヨにおける彼の執務室に呼んだ。呼ばれたのは私だけではなくニコラオ兄、そしてこの神学校セミナリヨの教師でもある修道士のアンプロシオ・ダ・バリオス兄だった。

 バリオス兄は私が初めてこの有馬に来た時に、私に日本語の手ほどきをしてくれた修道士だ。かつてヴァリニャーノ師とともに初めて有馬の殿の城に上がった時も、通訳として同行してくれた。私よりも少し年配の頑丈そうな体格である。

「実はこれは準管区長も了承済みのことなんだが」

 そう前置きを置いてからフロイス師はニコラオ兄を主に見て話した。

ニコラオ兄イルマン・ニコラオはこの有馬に残ってもらいたい」

「はあ」

 突然の話にニコラオ兄は少しは驚いていたが、上司の命令は絶対なのでそれに何か異を唱えるという様子はなかった。

「実はこちらの神学校セミナリヨでエウローパの絵画を学生たちに教えてもらいたいんだ。君が素晴らしい画家でもあることは、ずっと前から知っているしね。それで…」

 今度は、フロイス師はバリオス兄を見た。

バリオス兄イルマン・バリオスはかわりに高槻の神学校セミナリヨに行ってほしい。向こうはポルトガル語やラテン語を教授する人が足りないかと思う」

 たしかに、神学校セミナリヨが安土から高槻に移って、これからますます学生も増えるかもしれない。フロイス師の言うように、語学教師は不足していた。

「そういうことでコニージョ神父パードレ・コニージョ、ジュスト手配の船が長崎から着き次第、バリオス兄イルマン・バリオスとともに都に向かってほしい。話は以上」

 今や準管区長の補佐コンスルトールであり相談役ムニトールでもあるフロイス師のこの言い渡しで、総ての人事が決まった。

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