7

 船に乗っていたのはトマスと学生たちのほかに、留守番に残したヴィセンテ兄や同宿の若者が多数乗り込んでいた。

 中でも異彩を放ったのが、鎧で武装した若者だった。鎧といっても大将のような仰々しいものではなくごく簡単な、あまり身分は高くはないことを思わせるものだった。

「甥の勘助カンスケどす。明智様の小姓をしよります」

 と、シモンが我われに鎧の若者を紹介した。彼はほんの少し笑みを漏らして会釈をしてきた。まだ異教徒であるらしい。トマスとは従兄弟ということになるが、トマスよりも少し年長のようだった。

 しかし、漁師の甥にしては、立派な武士サムライの姿だ。そして小姓といえば、かつてヤスフェが信長殿のそれであったように、身分は高くはないが主君のいちばん近いところで仕えている人だ。

 オルガンティーノ師は部屋に充満していた学生たちをとりあえず庭に出して、部屋で勘助と対座した。相手が信徒クリスティアーノならばたいていオルガンティーノ師の方を部屋の奥、すなわち上座に据えるが、そうでない場合は自分が上座につく。

 しかし、信徒クリスティアーノである自分の叔父に遠慮してか、勘助はオルガンティーノ師の方に上座を勧めた。我われ司祭団と修道士も、当然同席していた。

「ときに勘助、明智様への取り次ぎはどうなったかい?」

「はい」

 勘助はまず、叔父の方を見た。あまり笑わない男だ。

「一応叔父上のご意向はお伝えしました。しかし何分明智様は多忙を極めております。今日やっと瀬田の橋も通れるようになって、安土に入ることができました」

「バテレン様方の件は?」

「それですが」

 勘助は我われの方をちらりと見ると、言いにくそうにしていた。

「勘助殿」

 と、オルガンティーノ師が話に入った。

「私たちはこれまで、信長殿の庇護を頂いて宣教活動をしてきました。ところがその信長様は亡くなった。庇護もなくなって我われはすごく困っています。ところが今は明智殿が信長殿に替わられたと聞いております。引き続きこれまで通り明智殿の庇護が頂ければ幸いです。そうすればまた、安土に戻れます」

 自分たちを庇護してくれた信長殿を討った明智など、我われイエズス会にとっては困っているどころか怒りを感じてもいいくらいのことをしでかしてくれた人物だ。

 しかしシモンの甥ではあってもあくまで明智側の人間が相手なので、オルガンティーノ師も言葉を選んでいるようだった。その時、フランチェスコ師は、

「それは無理だと思いますがね」

 と、イタリア語で口を挟んだ。どうもフランチェスコ師はオルガンティーノ師の言葉を額面通りに受け取っているようだ。そこで私も便乗して口を開いた。

「いや、私は庇護がどうのこうの以前に、まずは直接明智殿にお会いして、今度の事件の明智殿の真意を聞きたいと思っています。きっと何か委細があるはず、それを伺ってから我われの挙動を決めるべきではないでしょうか」

 オルガンティーノ師は穏やかに、我われの発言を手で押さえた。勘助は自分が分からない言葉での我われの会話の間も表情を変えず、身じろぎもせずにいた。そして我われの話が途切れたのを察して、我われに向かって話し始めた。

「先ほどのお話ですが、状況は厳しうございます。言いにくいのですが率直に申し上げます。はっきり言ってあなた方の話題を出したときに、明智様はあからさまにお顔を曇らせなさいました。そして言われました。明智様のお言葉をそのままお伝えします。『バテレン様方はあれだけ頼んだのに、頭を下げてまで頼んだのに、信長様のお気持ちを動かそうとはしてくれなんだ。もしバテレン様方が自分の頼みを聞いていてくれたら、信長様を討つ必要もなかった。そもそもが信長様をけしかけたのがバテレン様方ではないか。こうなると、信長様を死に至らしめたのはバテレン様だと申しても過言ではない』と、このように言われておりました」

「ちょ、ちょっとそれは……」

 目を吊り上げて身を乗り出したのは、フランチェスコ師だった。またもやオルガンティーノ師が穏やかにそれを手で制した。そして少し微笑んで、

「まあ、言わせておきましょう」

 と、イタリア語で言った。勘助は例のミングに対してコンキスタドールになるという信長殿の野望のことを言っているのだろう。

 たしかに、それを思いとどまるように説得してほしいと、明智殿は我われに頭を下げて頼んでいた。だからといって、我われにどうこうできる問題でもなかったのだ。それを、我われのせいで信長殿が死に至ったなどといわれるのは心外で、フランチェスコ師が目をむくのも無理のないことだった。

 だが、それでもオルガンティーノ師は冷静だった。

 こうなると庇護どころか、これまで通り我われが安土に住んで、神学校セミナリヨを安土で運営することは難しいかもしれない。教会の建設などは、もう夢だろう。

「ところで今、安土の町はどないなっとるのかい?」

 と、シモンが口を挟んだ。

「我われが来るまでは掠奪横行がはびこって無法状態でしたけれど、今は落ち着いています。ただ、本来の安土の町衆はほとんどが国元へ逃げ帰ったようです」

 たしかに安土は新しい町だから、その町の住民たちは皆よその土地から安土に移住してきた人々の寄せ集めだ。ことがあれば本来いた実家に帰ってしまうだろう。

 明智軍が来れば町も城も焼き払われると彼らは信じていたので、大騒ぎの末に一斉に逃げだした。だが、実際に明智軍は、そのようなことはしなかったようだ。考えてみれば、あの本能寺の屋敷を焼き払った明智殿だが、その周りの民家に火をつけた掠奪したりなどは一切しなかったことを思い出した。

 オルガンティーノ師は、今度は安土から来たばかりのヴィセンテ兄を見た。

ヴィセンテ兄イルマン・ヴィセンテ、安土の街の様子は本当にそうですか?」

 勘助のいる手前あまり堂々と聞きたくはなかった。だからイタリア語かポルトガル語で聞けばよかったが、ヴィセンテ兄は日本人だ。ポルトガル語はあまりわからない。

「はい。あまり町に人はいなくなりましたけれど、落ち着いています。お城もそのままで、そのお城に今は明智様が入ったようです」

 つまりあの天主閣の信長殿が座っていたあの座に今は明智殿が座っているのだろうか。そんなことを想像しているうちに、

神学校セミナリヨも無事です」

 と、ヴィセンテ兄は付け加えた。これには安堵だった。

 そこで私は、もう一つ気になっていたことを尋ねた。

「信長殿のご長男の城介勘九郎殿は」

「亡くなったそうです。壮絶な最期だったと聞いております」

 よく聞くと、明智軍の者がヤスフェを捕らえ、そして解放したあの直後だったようだ。そうなると、信長殿はその後継者さえも失ったことになる。

「ときにバテレン様方」

 勘助がきりりと言った。

「皆様方は安土に戻られるのではなく、坂本へ行かれたらいかがでしょう?」

 我われは互いに顔を見合わせた。フランチェスコ師が興奮気味に、またイタリア語に切り替えた。

「ちょっと待って。坂本といえば、明智殿のシロがある本拠地でしょう? いわば信長殿を倒した張本人である明智殿は我われの敵ではないですか。そんな敵の本拠地に行くのですか?」

「『ライオンも哀願するものは殺さない』ってことわざもあるでしょ」

 オルガンティーノ師がにっこりとほほ笑んだ。

「もしかして今はその坂本こそが、一番安全な場所かもしれませんよ」

 我われの会話が分かってはいないはずのヴィセンテ兄も、

「日本のことわざでも『窮鳥懐に入らば猟師もこれを殺さず』といいますから、坂本はかえっていいかもしれませんね」

 と、言う。

「けんど、どうやって坂本へ行けばええやろか?」

「私の船でお送り申します」

 と、勘助は言った。たしかに勘助が乗って来たあの船なら巨大なので、我われ三十人弱も余裕で乗れるだろう。

「しかしあなたは、明智殿のもとへ帰らなければならないのでしょう?」

 オルガンティーノ師が聞くと、勘助は初めて微笑みらしい表情を見せた。

「実は私がここに来たのは明智様から、明智様のおふみを坂本のご子息様にお届けする任があり、その途中に明智様のお許しを得てここに立ち寄らせてもらったのです。ですから、私はどのみち坂本へ行かねばならないのです」

「おお、それはありがたい。『天主デウス』に感謝!」

 オルガンティーノ師は素直に喜んでいるが、私ははっと気付いたことがあった。

 かつてヤスフェが本能寺の事件の時に敵に捕らえられ殺されかけそうになった時、明智殿はヤスフェのことを動物だから殺さなくてよいと言って釈放したということだった。

 表面からとらえるとヤスフェを動物扱いしているのだからひどい話だが、それはヤスフェを逃がすための口実だったのかもしれない。もしかしたら今回も勘助を坂本へやるのも、手紙を届けさせるというのも口実である可能性もある。

 明智殿とは表面上は冷酷で情け容赦ない人のようであるが、内実は優しいところがあって、それを表に出さないだけなのかもしれないと私はこの時考えていた。

 ただ、それが合っているのかどうかも分からないし、憶測にすぎないので口には出さず私の心の中だけにしまっておいた。


 こうして我われがこれから坂本へ行くということが決まったその時、港の方が一段と騒がしくなった。その騒ぎが尋常でないので、オルガンティーノ師は同宿の少年の一人を見に走らせた。

 しかし、見に行かせるまでもなく、騒ぎのもとが何であるのかは容易に察しはついている。今頃明智軍の兵士たちとこの島の湖賊とのあいだで戦闘が起こっているに違いない。果たして、

「港はいくさになっとります」

 と、走って戻って来た同宿の少年は、肩で息をしながら報告した。

「今のうちです。あの荷台を取りに行きましょう」

 オルガンティーノ師の指示で、昨夜我われの荷台を山中に隠しに行ったトマスと学生数人は急いで山へと登っていった。しばらくして、荷台ごと我われの荷物、すなわち聖堂内の装飾品や銀器、香炉、聖杯、じゅうたんなどのがそのまま手つかずに我われのもとへ戻って来た。

「『天主デウス様』がお返しくださった」

 オルガンティーノ師が目を閉じてほんの短い時間祈っていたので、我われもそれに倣った。

「戦が終わらぬうちに早く、船に」

 シモンに言われて、まずは学生たちを勘助の船に乗せ、すぐに我われも続いた。そのきわまで、シモンは妻のアンナや息子のトマスとともに見送りに来てくれた。

「シモン。あなたが洗礼を受けたときに、なぜシモンという名を与えたか覚えていますか?」

 オルガンティーノ師は船に乗ってすぐに、岸に立っているシモンの方を振り返っていった。

「はい」

 シモンは即答だった。

「イエズス様の弟子のペトロはもともと漁師で、その時の名前がシモンやったからですほん」

「そうです。その時、イエズス様は漁師であったヨナの子のシモンに言われました。『なんじ今より後、人をすなどらん』と。あなたもそれに倣って人をすなどる漁師、つまり多くの人を福音宣教の網ですくって天国へ導く人となってください」

 オルガンティーノ師はそれだけ言い残して、船の中へと入っていった。

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