Episodio 9 湖畔の天守閣(Sakamoto di Ohmi)

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 船は関船セキブネと呼ばれる中型ティーポ(タイプ)の船で、かつてヴァリニャーノ師とともにシモから都への往復に乗ったあの帆船とは違う種類であった。

 具体的には軍船である。帆柱を立てる穴もあって帆走もできるそうだが、今回はすべて櫓漕ぎで行くという。

 しかし、安土から沖の島まで来た時もシモンの息子のトマスや神学校セミナリヨの学生たちが自分たちで漕いできたくらいで、船はあっても漕ぎ手までは提供してもらえなかった。

 つまり、自分たちで漕いでいかなければならないのだ。

 幸い我われには人数はある。学生だけでも二十八人いるし、漕ぎ手の数は最高で十人ということなので、学生で十分に漕いでいける。

 もちろん全員が船の櫓漕ぎができるわけではないだろうが、これだけ数がいれば漕ぎが得意なものが十人くらいはいるものだ。

 船は帆船よりもかなり早いヴェロチタ(スピード)で湖面を滑り出した。とにかく海と違って波のうねりがないので漕ぎやすい。乗っている我われもほとんど揺れを感じなかった。

 あの瀬戸内海も比較的海は穏やかだったが、やはり海は海でここほど穏やかではなかった。

 島影から離れると、船は大いなる湖の真ん中に放り出された。右岸も左岸も岸上は山がちである。南下していることになるので右岸は湖の西だが、そちらの方に比較的高い山が山脈として連なっていた。

 行く手はよく見えなかった。もし晴れていたらかなり遠くまで視界は聞いたであろうが、空はどんよりと曇っている。だから船が向かう先はあいまいで、陸地は見えないけれど、だからといってはっきりと水平線が見えるわけでもなかった。

 小一時間も行くと右岸と左岸が少し迫ってきてそれにはさまれた部分を通過した。狭くなったとはいってもそんなに極端に狭くなっているわけではない。それに、そこを過ぎると、また湖はほんの少し幅を開いた。右岸の山脈は低くずっと続いていたが、前方に山脈とはつながりつつもほんの少し高くなっている山が見えた。勘助の指示で、船はその山の麓あたりを目指していった。

 そしてさらに一時間ほどで、その山の麓に船はかなり近づいた。

「あの比叡ヒエイ山の麓が坂本です」

 勘助の説明にオルガンティーノ師も私も驚いた。比叡山といえば都の教会からも、北西にひときわ高く都を見下ろす山であった。

 あの山の上にある大きな寺と信長殿は交戦して、その寺の本堂を焼き払ったという話が信長殿との会見で話題に上ったのを思い出した。前に大津からもこの山を見たことがあったが、その時と同様に、都から見たのとは反対側の山肌をここでは見ていることになる。

 山だけではなく、船が近づくにつれて見えてきたもので、我われの目を驚かせたものがある。

 巨大な城が見えてきた。しかも山の上などではなく、この城は湖に臨んで築かれているようだ。

 巨大なのは天守閣だ。まだ船が遠いうちは分からなかったが、近づくにつれその天守閣は瓦などに金細工が施され、きらびやかな外観を持っていた。その大きさも安土城ほどではなく少し小ぶりであったが、それでも十分に威容を誇っているといえるくらいの大きさだ。

「おお、あの城が坂本城ですね」

 オルガンティーノ師に問われて、勘助はそうだと言った。

「いやあ、大きくて立派な城だ。この国では安土城に次いで二番目に大きい城ではないでしょうか」

 オルガンティーノ師はあまりほかの城を見たことがないようで、このようなことを言っているのだろう。だが私は、安土城よりは小さく、でもこの坂本城よりははるかに巨大な天守閣を持つ城を見てしまっている。あの、播磨で見た烏のように黒い姫路城だ。その方がもう少し大きかった気がする。

 ところが大きさもさることながら、この坂本城が我われを驚かせたのが、天守閣が湖の際に建てられていることである。つまり、湖水の中から石垣がそびえ、その上に天守閣がある。天守閣の廻り、足元を湖水が洗う石垣に囲まれた部分には大きな屋根がいくつも見えるので、城でいちばん重要な部分、屋敷のある本丸ホンマルであろう。

 つまりこの城は、湖に突き出た部分に本丸がある。このような構造の城は初めてだった。つまり、船に乗ったまま城の中に入れるのである。しかも城全体が山ではなく全く平らな土地に建てられていた。かつて薩摩で見た城もそうだったが、あの城は天守閣もヤグラもなかった。

 しかし、それ以外の城は皆山か小高い丘の上に築かれているのがこの国では常だった。こんな立派な天守閣を持つ城が湖の畔の全く平らな土地に築かれているというのも不思議だ。

 その天守閣はその姿をそのまま逆さに、湖の鏡のような水面に反映させていた。

 船は天守閣の下の石垣をめぐって船着き場になっている所に進んだ。船を一歩降りると、そこはもう城内なのだ。天守閣は五階建てで、さらにその隣に少し小ぶりの三階建てくらいの小さなもう一つの天守閣が並んでいて、互いに渡り櫓でつながっていた。

 比叡の山はすぐ近くに見えるが湖からすぐに山が始まるわけではなく、少し平地の部分を挟んでその向こうに山はあった。

 上陸するとすぐに警備の武士サムライたちに我われは取り囲まれ、勘助に尋問しているようであったが、勘助が明智殿の書状を示すと武士サムライたちは急に丁重になった。

 城内は多くの武士サムライや兵たちで充満していたが、明智軍の大半は今は安土に行ってしまっていることを思えば、本来はもっと多くの兵力がこの城にあったのだろう。

「私の家があります。とりあえずそちらにお泊まりください」

 歩きながら表情も変えず、勘助は言った。

 勘助の家とは本丸を通り越して陸地とのあいだの堀にかかる橋を渡って比叡の山の方に進んだあたりにあった。そこが明智の家来である武士サムライたちの居住区であるようだ。

 勘助が家と言ったように、たしかにそれは屋敷と呼べるほどの大きさはなかったが、手狭ながらも三十人近くの我われが入っても何とか入りきれるほどではあった。

 すでに時刻は午後になっていたが、夕方まではまだ間がありそうだった。しかしとにかくあの牢獄のような馬小屋で一晩を過ごし、さらに朝になってからはここまで船に乗ってやってきた我われだ。

 若い学生たちももう疲労でげんなりしているし、高齢といえば怒られてしまうがかなり年長のオルガンティーノ師に至ってはなおさらであろう。私とて疲れ果てていた。

 考えてみれば今日は土曜日だから、信長殿が本能寺の屋敷で命を落とした木曜日はつい一昨日おとといである。それなのに、なんだか遠い昔のような気がする。

 その日のうちに安土に来て、そして安土の神学校セミナリヨをあとにしたのが昨日、そして今日は坂本にいる。目まぐるしすぎた三日間であった。疲れないはずがない。ほかのみんなも昨夜はほとんど寝ていないはずだ。

 だからその日のうちは、夕食に呼ばれるまでほとんど全員が死んだように木の床の上で眠りこけた。

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