6

 その時、大慌てという様子で外から駆けこんできた賊の仲間の男がいた。

 そして頭目の近くまで行くとその耳に何か耳打ちしていた。頭目の顔がみるみる変わった。そして、オルガンティーノ師を睨んで、

「おまえらどころの騒ぎではなくなったわい、これはあかん」

 そう言って仲間たちを顎でしゃくって、一斉に小屋から出て行ってしまった。

 我われはわけが分からずしばらくは茫然としていたが、まずは学生たちが、そして司祭と修道士たちも皆一気に気が抜けてその場に座り込んだ。

 この時になってやっと学生たちは恐怖のあまりに泣き出していた。

 オルガンティーノは、胸の十字架を持って高く掲げた。

「何があったのかは分からないけれど、間違いなく『天主デウス様』のお力です」

 そうして頭を下げて深く祈っていたので、誰もがそれに倣った。

 

 シモンの実家のものがまたもや人数分の握り飯を届けてくれたのは、それから小一時間ほどたってからだった。それといっしょにやって来たシモンは、慌ててオルガンティーノ師の前に来ると身をかがめた。もちろん私もフランチェスコ師もそこにいた。

「えらいことどすわ。ついに明智勢が今朝方安土に到着したとのことどす」

 我われは顔を見合わせた。

「都から来る途中の橋は焼かれて、今はないはずです。湖の方から船で来たんでしょうか」

 と、私が聞くと、シモンは首を横に振った。

「いえ、それならこの島から必ず見えるはずどす。この島は昔から、湖を行きかう船の監視所でもありましたさかい。軍勢を渡すいうたら大船団となるはずどす。そないな船、全く来とりまへんがな」

「だったら陸路ですかね」

 と、オルガンティーノ師がゆっくりと言った。

「信長殿が亡くなったのが木曜日、今日は土曜日。明智殿はたった三日であの橋を修繕したということですか」

 それはそれで驚きの事実である。だが、そうとしか考えられない。

「それでか」

 と、フランチェスコ師はつぶやいた。先ほど、賊たちが慌てふためいてこの小屋から出ていったのは、明智勢が安土に来たという知らせを聞いたからであろう。彼らは明智勢が安土の街と城を焼き払った後には、必ずこの島を攻めてくると思ったらしい。

「そうなると、ここも危ないのでは」

 フランチェスコ師はそう言ったが、シモンはやけに明るい表情で首を横に振った。

「いえいえ、実はわしの甥が明智家に仕えよります。明智殿が安土におわしたんやったら、あの子も来とるはずどす。ほれに連絡取って何とかとりなしてもらいまひょ」

「そうですか」

 オルガンティーノ師の顔がぱっと輝いた。だが、フランチェスコ師は浮かない顔をしていた。そしてポルトガル語で、

「明智にとりなしてもらうなんて、大丈夫なのですか? 彼は安土を焼こうとしているのでしょう?」

 と、言った。

「いや、その意図は会ってみないと分からない。それに」

 そこでオルガンティーノ師はイタリア語に切り替えた。

「我われ三人は以前明智殿に会っているではありませんか。キリストの教えをよくは思っていないあのご老人が、ああしてまで我われに頭を下げたのですよ」

 私はなぜオルガンティーノ師がここでイタリア語に切り替えたのか、最初は分からなかった。だが、すぐそばにポルトガル人のペレイラ兄もいて聞き耳を立てている。彼は、我われが以前明智殿に会ったという事実を知ると動揺するかもしれないと思ってのことではないかと推測した。

 そこで私もイタリア語で付け加えた。

「それに、信長殿を討ったその真意も、聞いてみたいではありませんか」

 私はここに来る途中の馬の上で、明智殿がなぜ信長殿を討たなければならなかったのか考えていたが結論が出なかった。単なる「下剋上」でもなく深い事情があったのか……そのことをもう他には聞くすべもない。

 明智殿が安土を離れて坂本に赴く際に信長殿が明智殿にかけた言葉、「そなたはすべきことをせよ」……その言葉の意味も知りたかった。

「とにかくこないな暑苦しいところやのうて、においでやす。小宅こやけやけんど、ここよりはましでおます。もともとそのつもりでこの島へと申し上げたんどすさかい」

 とにかく学生たちを落ち着かせたかった。今なら我われがごっそりこの小屋から出て行っても、賊たちは明智のことで頭がいっぱいでそれどころではないであろう。

 持ってきてもらった握り飯をほおばると、我われは小屋を出ることにした。

 一応警戒してあたりをうかがいながらこっそりと外へ出たが、やはり見張りがいる様子はなかった。先ほど散々乱暴されたあとだったので体中が痛いし、衣服も破かれたりしてぼろぼろだったが、何とか小屋を抜け出してシモンとともに歩いた。


 来たときはとても景色を見ている余裕などなかったが、この島は本当に小さな島だ。大部分が丘となっており、港の付近だけに集落がある。あの賊たちの屋敷と思われる建物のほかは、ほんの十数軒の民家があるくらいの小さな集落だ。少し離れると、丘のふもとの湖沿いに漁師の家が立ち並ぶ。シモンの家もそんな一軒だった。

 たしかに狭くて、あの馬小屋と同様、我われ総勢三十余人が入るともうそれで手いっぱいだった。だが、あくまで小屋ではなく家なのでずっと快適だった。シモンの妻のアンナも快く我われを迎えてくれた。

 目の前はすぐに対岸で、安土から来るときに旋回してきた岬の先端だった。ちょっとした山になっている。安土は湖の入江の奥なので船で数十分かっかったが、この対岸までは船で行ってもほんの数分で着きそうだ。しかも海ではなく湖なので押し寄せる波などというものはなく、湖水は鏡のように穏やかだった。

 とりあえずは自由の身になったことで我われはくつろいでいたが、その間にシモンは自分の甥に手紙を書いていた。それを自分の息子に持たせて届けさせるというので、我われも学生の中から屈強そうなのを二人ばかり供に付けた。

 シモンの息子のトマスは学生たちとほぼ同じ世代なので、学生たちの何人かとはすでにうちとけていた。

 船はシモンの家の船だ。このあたりの家は漁師なので、当然すべての家が船を持っている。ナーヴェというよりもそれはバルカ(ボート)と言った方がよく、手こぎで、しかも立ったまま櫓を漕ぐティポ(タイプ)だ。左右に一人ずつで漕ぐので、一人では行かれない。だから学生をつけたのは正解だった。

 船はかなりの速さで湖上を滑っていった。目の前の対岸は湖岸まで山の斜面が落ちているのでそこを左に旋回して、その岬の陰に隠れていった。

 私はそれを眺めながら、ふとある疑問を感じていた。明智殿がどうやってあの橋を三日で修繕したのか……あの橋はかなり長い橋で、つまりは川幅も広い。しかも流れはかなり急で、それなりの深さもあるようだった。どう考えても三日で橋は架けられまい。

 だが、私はあの橋を最後に渡りはしたが、そのあと焼かれて落ちるところは見ていない。本当にあの橋全部が焼かれてしまったのか……あるいは人馬が渡れない程度に一部を焼いただけなのか……。

 ここで私は、あの逢坂山を切り開いた信長殿のことを思い出していた。戦争の時と同様に人々を動かし、険しい山を切り開いた。

 明智殿て一軍の将、かなりの数の兵力を動員できるはずである。ただ、架橋は山を切り崩す土木工事と違って、人海戦術で人が多ければ多いほどいいというわけではない。作業が細かいため、あまり必要以上の人々が押し寄せるとかえって足手まといになる。

 必要以上の人数は割かず、しかもそれを動かす統率力も大したものだ。この国の戦争の時の兵士は、基本的に農民だと聞いた。彼らは根っからの武士サムライと違って主君への忠義などその範疇にないだろう。そういった寄せ集めを、いかに統率をもって動かし得るのか、我われにとってそれは謎でしかなかった。

 二時間ほどたっただろうか、昼近くになって岬の向こうの入江から五艘ほどの船団が姿を見せた。船は大きな船で、武装した兵士たちがぎっしりと乗っていた。

 彼らが立てていた旗は水色の桔梗の花、すなわちあの本能寺の屋敷襲撃の時に私が見た水色にカンパニュラの花のあの旗だから、兵士たちは明智軍の武士サムライに違いない。船はこの島のわずかな集落がある港の方へと向かっていた。

 だが、そのうちの一艘がこちらへと向かってくる。

 近づくにつれよく見ると、舳先にはシモンの息子と学生たちの姿があり、こちらにしきりに手を振っていた。

 トマスが天使に見えたのは、これで二回目である。

 やがて船は何とか船着き場に着いた。ここは本来がこのような大きな船を止める港ではなく、あくまで自家用の漁船の船着き場だから、接岸には苦労した。

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