5

 彼らが出て行ってから、我われはほとんど無言だった。とにかく蒸せて暑い。そして照明もないので馬小屋の中は闇に塗りつぶされた。

 昨夜はほとんど眠れなかったことに加え、とにかく疲れたので、私は藁を布団として壁を背にして眠りに落ちていた。だから他の司祭や学生たちが眠れずにいたのか自分より早く寝たのか分からずにいた。

 どれくらいそうして寝ていたか分からないが、たぶん一時間くらいかと思う頃に騒がしさで目が覚めた。

 当然、まだ真っ暗である。

 ところが小屋の入り口の方で松明の明かりが見えた。聖具を山中に隠しに行っていた学生たちが帰ってきたようだ。最初に小屋に入って来たのはトマスで、松明の光に照らされたその姿は輝いて見えた。

「おお、あなたは私たちにとって天使です」

 そう言って最初に駆け寄り、その手を取ったのはペレイラ兄だった。手を握られるという彼らにとっては慣れない行動に戸惑っているようで、トマスははにかみの笑みを見せていた。

 それに続く神学生の一人が、オルガンティーノ師に顛末を告げていた。山中に格好の洞窟があり、そこに荷物はすべて隠して分からなくしてきたという。

「よくやってくれました。かたじけない。早く中へ入って休みなさい」

 オルガンティーノ師はそう言って彼らをねぎらった。

「隠したのはいいですが、またちゃんと取り戻せますかね?」

 隣にいたフランチェスコ師がふとつぶやいた。

「いや、取り戻せるかどうかよりも、まずは賊たちの手に渡らないようにするのが先決です。それが『天主デウス』のみ意ならば、あの道具たちは必ず我われのもとに戻ってくるはずです」

 そう言ってオルガンティーノ師は、やっといつもの陽気な笑みを取り戻していた。

 

 朝の光にまどろみから目覚めた。最初は疲れから少し熟睡したが、トマスと学生たちが山から帰ってきてからはやはり寝つかれるものではなかった。

 皆、すでに起きている。いや、誰もがほとんど眠れずに一夜を明かしただろう。つくづく夏でよかったと思った。もし冬にこんなところに閉じ込められたら、寒さに凍えていたはずだ。

 昨日の雨はすっかりあがり、朝日がさしている。

 オルガンティーノ師は立ちあがって、狭い小屋にひしめき合う人々を見渡した。

「皆さん、おはようございます」

 神学生も多くいるので日本語だ。

「今日はこのような非常事態ですから、ミサを捧げることはできません。その代わり、皆で祈ることはできます。祈りましょう。私たち安土の神学校セミナリヨの司祭と修道士、学生たちは今苦難に満ちでいます。この状況をすべて『天主デウス様』にお捧げして祈ります」

 そうしてオルガンティーノ師は天を仰いだ。学生たちも皆起き上がって座り、手を組んだ。

「慈しみ深い父よ。この我われの苦難をすべてみ手に委ねます。あなたは処女おとめマリアを通して、御ひとり子、主イエズス・キリストをこの世にお遣わしになり、私たちをすべての罪から解放し、悪に打ち克つ力をお与えになりました。主キリストは私たち人類を救うために十字架の苦しみを受けました。そして主イエズス・キリストは使徒に仰せになりました。『人もし我を責めしならば、汝らをも責めん』と。今、この試練は主の十字架の苦しみにあずかる栄光と感謝します。そして主に倣い、私たちも今、この日の本の国の信者、異教徒含めすべての民のため、私たちのこの苦しみを捧げます。願わくはすべてみ意のまにまになりますように。私たちの主イエズス・キリストによって」

「アーメン」

 一同が唱和すると、ここまでは日本語だったが続いて「天使祝詞アヴェ・マリア」を数回と「主祷文オラショ」を神学生も全員ラテン語で唱和した。

 そのあとで、オルガンティーノ師はまた人々の方を見た。

「今祈ったように我われは『天主デウス様』を信頼します。ただ、すべてをお任せしてみ意に委ねるということと、『天主デウス様』が何とかしてくださるという心は似ているようで正反対です。そこを間違えてはいけません。そしてさらにイエズス様はこう言われました。『汝らのあだを愛し、汝らを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝らの父の子とならん為なり』と。ここは心を一つにして、それぞれ心の中で、今我われをこのような目に遭わせている賊のためにも祈り続けましょう」

 それから全員で十字を切り、

聖父ちち聖子と聖霊の御名によって」

 というオルガンティーノ師の祈りに続いて、再び、

「アーメン」

 と、唱和した。

 そしてちょうどその時である。小屋のドアが蹴破られるかのように開かれた。案の定、早速賊たちは我われのいる馬小屋へとやって来たのだ。先日同様、皆それぞれ手に武器を持っている。彼らがその気になれば、いつでも我われを皆殺しにできる状況だ。

「まずは金目のものは全部頂く。その前に、昨日船から降ろしとった荷物、全部調べい」

 賊の手下たちが室内を隈なく探し始めた。真っ先に見たのは賊の盗品が積んでいる中だった。昨夜山中に隠さずここに隠したままだったら立ちどころに発見されていたところである。

 彼らはいくら探してもあったはずの荷台の荷物がないことにいら立ち始めたようだ。オルガンティーノ師の鼻先に刀を突き付けた。

「昨日の荷物はどこへやった? 言わんかい!」

 それでもオルガンティーノ師は落ち着いていて、

「知りません。そのような荷物はありませんでしたよ」

 と、ゆっくりと言った。賊はオルガンティーノ師を放り出し、仲間に合図を送って我われは彼らに囲まれた。

「身ぐるみ剥げい。銀を隠し持っとるかもしれんさかいな」

 たちまち賊たちは我われ一人一人につかみかかった。まずは司祭と修道士が標的だった。だが若い修道士二人はまだ血気盛んで、ニコラオ兄などはそのへんに落ちていた棒を拾って賊に応戦しようとした。その時、オルガンティーノ師の声が響いた。

「Mitte gladium tuum in vaginam! Calicem, Quem didit mihi Pater, non bibam illum? (つるぎを鞘に納めよ! 父の我に賜いたる酒杯さかずきは、我飲まざらんや!)」

 それはニコラオ兄に対して発せられた叫びだった。そしてそれがイタリア語でもポルトガル語でもなくラテン語であったことから、ニコラオ兄はその真意をすぐに悟った。

 ニコラオ兄は棒を捨てた。たちまち一人が数人に押さえつけられ、衣服の上から体中を探られて何かを持っていないかどうか手荒に探られた。

 両腕をねじこめられているので身動きが取れないだけ恐怖があった。だが、こういう時は無駄に抵抗しない方が上策であることは分かっている。

 私が気になったのは自分たちのことよりも、学生たちのことであった。彼らはまだ半分子供である。おそらくは恐怖のどん底にいるに違いない。彼らを守らねばならない。

 その思いは私だけでなく、どの司祭も修道士も同じだったと思う。その証拠に、オルガンティーノ師も賊に取り押さえられながら、

「子供たちに手出しはしないでください」

 と、賊たちに日本語で懇願していた。だが、はいそうですかと来る相手ではない。

「うるさい! 黙れ!」

 そう怒鳴りながらも体を押さえつけた力を強め、何も持っていないと分かると思い切り地面に転がしけりを入れられた。その痛みは並大抵のものではなかったが、今は耐えるしかなかった。

 そして何とか立ち上がって学生たちが固まって座っているとこまで行って、その前にたちはばかって学生たちを守ろうとした。

 そう思って、学生たちを見たときである。

 その光景に私は驚いた。いや、私だけでなく、すべての司祭や修道士が驚きの目を彼らに向けていた。

 彼らは恐怖に縮みあがって座りこむどころか、きりっと立って壁を作り賊たちを睨みつけて、逆に賊に迫る勢いで気迫をにじませていた。

「やめろ! これ以上バテレン様方に手出しをするな!」

 学生の中でもリーデル(リーダー)格のパウロが一歩前に出て、大声で怒鳴った。

「これ以上の狼藉は許さぬ」

「何をぬかす。次はお前らの番やで」

 うすら笑いを浮かべて、賊たちは皆学生たちとにらみ合って立つ形となった。

「それならば、我われも何も持っていないということを、存分に調べるがよい」

 学生たちは一斉に着物キモノを脱いで、上半身裸になった。

 日本の着物は内側から袖を抜くだけで簡単に上半身が裸になれる。そのまま着物の裾はパンタローニ(ズボン)のような下半身につけるハカマというものの中に入ったままだから落ちない。あとで着る時も簡単に着られるのである。だから、日本の信徒クリスティアーノが鞭打ちの苦行をするときなどは実に便利なのである。

 そうして何も持っていないことを示そうとする学生たちは、まさしく武士サムライであった。

 考えてみれば彼らは皆身分のある殿や武士サムライの子弟なのである。日本の武士サムライはその主君にもらった御恩ゴオンのため、命をかけて主君を守るという。

 今、彼らは我われを主君と同じような感覚でいて、我われを守ろうとしてくれている。あの神学校セミナリヨで時にはやんちゃでにぎやかであり、授業中に私の似顔絵を描くなどお茶目なところもあって、それだけにまだ半分子供だと思っていたのだ。

 ところが今の彼らは、全く別人のようであった。

 彼らはすでに一人前の日本の武士サムライである。賊などを憶してなどおらず、逆に我われを守ろうとしてくれている。

 その気概に押されてか、賊たちも少したじろいでいた。そこで、頭目と思われるものが、一歩前へ出た。

「よーし、全員殺したる! 覚悟せい」

 血の気が引いた。いくら『天主ディオ』にお任せ、すべてをゆだねたとはいってもさすがに恐怖を感じてしまう。男の部下が刀を抜こうとした。だが、頭目はそれを手で制した。

「まあ、待ちいや。この小屋を血だらけにしたらあとで掃除が大変やさかい、船で他の場所に連れて行って殺そう」

「おう」

 賊は勝鬨のような声を挙げ、再び我われを取り押さえようとした。今度はここから引きずり出されれ船に乗せられる。どこに連れて行かれるかは分からないが、もういよいよだめかもしれない。

 そう思ってふとオルガンティーノ師を見ると、先ほど祈りの時にあのような説教をしただけに、実に落ち着きほほ笑みさえ浮かべていた。

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