Episodio 7 本能寺屋敷襲撃(Miyako)

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 今日安土を発ったとなると、早くても信長殿の都への到着は夕刻以降であろう。

 それを知ると私はいてもたってもいられなかった。ずっと曇り空だったが、昼過ぎからまた雨が降り出した。それでも私は夕刻には信長殿をよく知るロレンソ兄と共に、都の入り口、川よりも東の粟田口アワタグチという所まで蓑を着て傘をつけ、雨の中を馬で出かけていった。

 粟田口は三条通りをそのまま東へ行って、山に突き当たったあたりである。それまではずっとまっすぐだった道がここから右へと曲がって山へと登っていく上り坂となる。そのまま逢坂山を通って大津まで続く道である。

 その曲がり角あたりは、どこで情報を聞きつけたのかまたもや多数の見物人であふれていた。この雨の中をわざわざ都の外れまで出かけてくるのだからよほど物好きな人々である。

 中には牛が引く車に乗った、日本語では公家クゲと呼ばれている貴族たちの姿も見られた。彼らは見物というよりも、信長殿を出迎えに来ているらしい。

 私とロレンソ兄も見物の人々に混ざって待つこと二時間余り、午後四時過ぎも回ってようやく先触れが姿を見せ、続いて三十人ほどの徒歩の小姓に囲まれて馬で信長殿が姿を現した。

 信長殿も蓑と笠をつけている。その様子に誰もがあぜんとした。その服装いでたちではない。信長殿と共に来たのが今述べた三十人ほどの小姓だけで、すなわち武装した武将の供は誰もいなかったからだ。勘九郎殿も大軍を率いて室町通りを行進していた。その軍勢に比べたら全く軍勢もなしに信長殿は安土からやって来たのである。

 前に徳川殿は安土に来た時その軍勢の少なさに人々は落胆したが、今はその時の比ではない。

 私は目が不自由なロレンソ兄に状況を説明してから、

「信長殿はなぜ今回、あのように警護の武士もなく身軽なのですか」

 と、聞いてみた。ロレンソ兄はうすら笑いを浮かべた。

「いえいえ、これまでも安土と都の間を往復するときは、これくらいの供廻りしか連れていなかったと聞いております」

 つまり、いつものことなのだそうだ。だが、そうは言うもののやはり私には気になるところであった。徳川殿の場合は同盟国とはいえ他国を滞在するのであるから、相手への信頼を表すためにわざと軍勢を抑えたということも考えられる。しかし、信長殿にとって都は、そんな気遣いをする必要のない土地である。

 それなのにこの少人数ということは、やはり何かあるのではないかということを考えてしまう。誰かを安心させるため、ひいてはわざと油断させるため……そこまでは考え過ぎかと、私はすぐに自分の思考を打ち切った。いや、打ち切ったつもりだった。

 その信長殿が近づいてくると貴族たちは牛の車から降り、傘をさして歩いて道の脇で信長殿を待った。その姿を見るや、信長殿はすぐに馬を止めた。

「乱丸より聞いておりませぬか。出迎えは御無用と申したはず」

 例の甲高い、よく通る声で、しかもこの時は迫力さえあった。言葉付きこそ丁寧だが、それはまるで恫喝に近かった。いつも我われには笑顔しか見せない信長殿だったから、その差異に私は戸惑った。威厳に満ちた恐ろしささえ感じさせる信長殿の姿は去年のあの馬揃えウマゾロエの時にも見せたあの姿だったが、もしかしたらこちらが本当の信長殿かもしれない。

 貴族たちを追うようにそれぞれの車に戻らせた信長殿は、そのまま馬を進めようとした。

 その時、供の小姓の中の、よく目立つ一人が我われを見つけて、

神父様パードレ!」

 と呼びかけてきた。ヤスフェである。小姓は皆十代か二十代前半と思われる若者ばかりの中に、背が高くて体格がよく、しかも真っ黒い顔のヤスフェがいたら嫌でも気づくものである。

 だが、その声に反応したのは信長殿であった。彼は再び馬を止め我われを見ると、貴族たちに見せていた固い表情から一転して相好を崩した。

「おお、おお、このようなところで」

 我われは日本式に立ったままではあるが深く頭を下げた。

「おお、そうだ、バテレン殿。おもしろい話がござる。明日、空を見られよ。明日の朝方に太陽が半分になり申す」

 日食か……と、私は思った。

「わが日の本では半分しか欠けぬが、明国の奥地、天竺に近い方では完全に太陽がなくなるらしい」

 私は舌を巻いた。エウローパならとっくの昔に日食は完全に予測できるようになっている。しかし日本でも日食を予測できるような天文観測技術があって、しかもそれを信長殿のような為政者も知っているというリベッロ(レベル)に達している。さらには皆既食が起きる場所さえも特定している。

 私が驚いている顔を見て、信長殿は声を挙げて笑った。

「ただし、予が推奨する新しいこよみが正しければの話だ」

「新しい暦……ですか」

「この国ではそれぞれの地方によって暦がずれている。予は統一した新しい暦を制定することを推奨して多くの博士たちとも討議してきた。だがあの頭の固い公家衆が屁理屈を言ってなかなか実現しない。そこで、明日新しい暦による計算通り太陽が欠ければ、その暦が正しいことの証しとなる」

 私はただただ感心して聞いていた。

「バテレン殿はそのあたり、どう思われる?」

「どうといわれましても、我われの暦とこの国の暦は大きく違いますので」

「そうであったな」

 また、信長殿は笑った。

「お国では暦がずれることはないのか。すべての国が同じ暦を使っておるのか」

「暦は同じでございます。ただ、我われの国でも、暦を新しくする必要性を唱える者もおります。たしかに今の我われの暦は、実際の季節と十日ばかりずれが生じています。なにしろもう千五百年以上も使い続けてきた暦ですから」

「であるか。事情はいずこも同じであるな。では、また安土でお会いしよう。バテレン殿もなるべく早く安土に帰られよ」

 そう言って信長殿は、再び馬を進めた。その最後にまた例の謎めいた言葉を繰り返して付け加えて、である。

 小姓の列の中のヤスフェは我われの方を見て、なぜか真顔で軽く会釈しただけで列と共に信長殿に従って行ってしまった。

 

 我われが教会に戻った頃は、もう薄暗くなっていた。晴れていれば日が落ちたことだろう。

「もう信長殿は、本能寺のお屋敷に入ったようですよ。信長殿にはお会いできたのですか」

 カリオン師がそう言うので、私は笑って見せた。

「これも『天主デウス』の御加護ですね。今回はこうした形でないと、信長殿には会えませんでしたからね。こちらがお聞きしたいことは聞けなかったけれど、代わりにおもしろい話を聞きましたよ」

 私が信長殿から聞いた話をカリオン師に伝えると、カリオン師は少し小首をかしげていた。

「そうですか。この国では明日、太陽が半分に欠ける……」

 そしてため息もついているようだ。

「どうしました?」

「いえ、なんでも」

 すぐにカリオン師は、作ったような笑みを浮かべた。

 カリオン師が何か予感めいたものを感じているようだったが深く追求はせず、私は教会の二階の廻り廊に出てみた。ほとんどが平屋建ての建物ばかりの中にいきなりある三階建ての教会堂だから、その二階からといっても眺望は素晴らしかった。

 都のあちこちの家で明かりが灯っている。西の方にいくつも見える本能寺の大屋根と並んで建つ信長殿の屋敷、本来は本能寺の境内であった北東部の一角を割譲させて建てられたその屋敷は、普段は留守番の家来が住んでいるだけだからひっそりとしている。

 だが、今日ぞとばかりにそこからもこうこうと明かりがもれていた。屋敷のぬし、信長殿がそこに入った証拠だ。

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