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 やはり雨は一日中続いたが、さらにその翌日の土曜日、雨は上がっていた。

 時には薄日が差すこともあったがそれでも空は曇っており、またいつ雨が降りだすかも分からないような天候だった。

 オルガンティーノ師とフランチェスコ師、それと神学生たちは早朝、教会をあとにした。ロレンソ兄は私と共に残ることになった。

 私はとりあえず城介勘九郎殿に面会したかったが、勘九郎殿は本国寺から妙覚寺に戻ってくる様子はなかった。

 そうしていたずらに時を過ごしているうちに、午後になってまた雨が降りだした。オルガンティーノ師たちはまだ安土には着いていないと思う。もちろんこの雨季のことであるから、荷物の中に人数分の雨具であるミノカサは持って行ってはいたが、あちらの天気はどうだろうと心配になった。

 そして夜になってからはかなり激しく降る大雨となった。翌日の日曜日の朝方まで雨は残っていたが、主日のミサが終わる頃にはもう空には晴れ間が広がっていた。

「今日は徳川様は城介様といっしょに清水キヨミズへ行かはってまんな」

 ミサのあと教会の中庭で立ち話をしていたドン・小西ジョアキムが、そのようなことを言っていた。

「清水?」

 春に桜の花を見に行った都の東の山の麓にあるテラだ。

「そこでノウをご覧になっていう話ですわ」

 だからといって、招かれもしないのに我われが行っておいそれと見せてもらえるはずもない。

 能とは先日安土山で見たあの歌って踊って演技する舞よりももっと難解なものだという。安土で最後の方で見たような演者が面をつけて踊るらしい。私は実際に見たことはないが、複数の演者が同じように歌を歌って舞いながらその歌が劇のセリフとなるあの演劇と同じもののようだ。

 結局私はその日も、一日教会にいた。

 そして新しい週になっても、ここでは神学生たちへの授業はない。彼らはもう安土へ帰ってしまっているのだから当然たが、私の思いはそれでもあの三十人弱の学生の上へと飛んでいた。


 事態が大きく変わったのは、その翌日の火曜日だった。

 昨日の晴天とは打って変わって、また梅雨空特有のどんよりと雲が垂れこめた曇りだ。すぐにでも雨が降ってきそうだった。

 早朝、ちょうどミサが終わった頃の時間に外が騒がしいのを誰もが感じた。騒がしいといっても誰かが騒いでいるのではなく、規則正しい足音が延々と続いているのだ。明らかに軍隊の行進だ。

 そこで同宿の少年に様子を見に行かせたが、彼はすぐに戻ってきた。教会の東側を南北に通っている室町通りを北から南へと軍勢が行進しているという。彼らは旅支度で、それほど急いでいるという様子でもないとのことだった。

 行列の中心は多くの家来に護衛された馬に乗った若い殿で、旗には黄色地にこの国の通貨(正確にはチーナの通貨がそのまま流通しているのだが)である「永楽通宝」という文字が入った四角い貨幣が描かれていたらしい。

「あれは、織田家の旗印です」

 言われるまでもなく、その殿とは城介勘九郎殿だ。室町通りを北から南へ行軍しているとすれば妙覚寺から本国寺へ向かうのだろう。

 同宿が言うにはたしかに行列は四条通りに出ると右折、すなわち西へ向かっていったというから間違いない。勘九郎殿は昨日か今日の早朝、本国寺から一度妙覚寺に戻り、今度は軍勢をひきつれて再び本国寺へと向かっている。

 考えられることは勘九郎殿はこのまま本国寺で徳川殿と合流し、徳川殿が都を離れて奈良か堺の見物に出発するのにまたもや同行するようだ。

 私は「しまった」と思った。結局勘九郎殿とは都では会えず仕舞いで、彼は今日都を離れてしまう。

 信長殿の様子も変だったし、何かとてつもないことが起こるのではないかと言う胸騒ぎがしていた私は、勘九郎殿なら何か知っているのではないかと思ったからだ。

 もちろん彼が知っていたとしても、それを私に話してくれるかどうかは別問題だったが……。


 しばらくして軍勢は行ってしまって、朝の都に普段の静寂さが戻ってきた。

 朝食のあとで私は、ロレンソ兄と共に教会から近くのドン・小西ジョアキム殿の屋敷を訪ねた。

 あいにくジョアキムは不在で、妻のマグダレナ・マリアが我われを接待してくれた。

「最近いろんなことが目まぐるしく変わりますので、ドン・ジョアキムなら何かご存じかと思いまして」

 と、私は書院ショインと呼ばれる畳の部屋でマグダレナと対坐しながら、来意を告げていた。マグダレナはにっこりと笑った。

「じき、夫も戻りましょう。そしたら、きっとバテレン様の知りとうと思わはってるいろんな話を仕入れてくるに違いありまへんさかい、ごゆるりとお待ちになっておくれやす」

 マグダレナはそんなことを言っていたが、その言葉が終わるか終わらないかのうちにジョアキムは戻ってきた。

「おお、おお、おお、これはバテレン様、ええところにおいでくださった。この足で南蛮寺へ行こかとも思いましたけど、一度戻ってきてよかった」

 そう言いながら部屋に入ってきたジョアキムは、話しながらも我らのそばに座った。

「何か、分かりましたか」

 私が聞くと、

「徳川様は城介様とともに堺に向かわれました」

 やはり思ったとおりだった。

「あと、三七殿も安土を発って、昨日住吉スミヨシに陣を張らはったそうどす。本当は堺に入るつもりでいはったそうやけど、堺の町衆がえらく反対して、仕方なく住吉に向かいはったそうどす」

「住吉?」

「堺より少し北の、大きな神社があって、昔からの港町でもあります」

 それにしてもジョアキムはどうしてこれだけの情報をいとも簡単に手に入れてくるのかと舌を巻く。どうも独自のペルコルソ(ルート)レーテ(ネットワーク)を持っているらしい。さすがは商人である。

「それよりもバテレン様、これはまだ噂ですけどな、どうも今日には安土の上様がご上洛ジョーラクあそばされるとの情報もありますので」

 上洛ジョーラクとは都に来ることを日本語ではそういう。

「なんとも今日なんて、そない急な話でして」

 私はにっこりほほ笑んだ。

「それは知っていましたよ。今日だとは知りませんでしたけれど、近々都に行くと私に直接言われましたから」

「へ?」

 ドン・ジョアキムは驚いた顔をした。

「わてらでもよう知らんことをバテレン様の方が先に知ってはるとは、こりゃ恐れ入りました」

 ジョアキムは本気で驚いていた。たしかに信長殿は誰にも言うなと我われに口止めしたのだから、ほかの家来たちにさえも秘密だったのかもしれない。

それならばなぜ秘密にしてまで信長殿は都に来られるのか……。

 分からない。

 しかし。ドン・ジョアキムも信長殿が都へ来ることを今日初めて知って驚いているくらいなのだから、その理由などは知るよしもないであろうと思われたので、私はそれ以上は言わなかった。

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