2

 翌日、聖体の祝日コルプス・クリスティは昨日までの晴天とうって変わり、どんよりと雲が垂れこめ、今にも降り出しそうな雲行きだった。

 ミサが始まった。我われが安土から連れてきた神学生たちがいるので何とか聖堂は埋まっていたが、これだけ巨大な町の教会にしては、集まった信徒の数は長崎、大村、豊後府内や臼杵、高槻などに比べたらはるかに少ない数だった。

 それらの教会では、祭日ともなると御み堂に入りきれないくらいの信徒が押し寄せてきていたものだった。

 司式はオルガンティーノ師で、説教はヴァリニャーノ師のようにポルトガル語で話し日本語への通訳ではなく、最初から日本語でされていた。

 オルガンティーノ師は言われた。

「主イエズスは最後の晩餐でパンと葡萄酒を祝福しました。その葡萄酒を祝福する時の言葉は、記録した人によって違っています。葡萄酒を取って『これは契約の我が血なり』と言われたあと、マタイとマルコは『多くの人のために罪の赦しを得させんとて流すものなり』とありますが、ルカは『この杯は汝らのために流す我が血によりて立つる新しき契約なり』と伝えています。イエズス様の流した血で罪が許されるのはだれか? 『汝ら』、つまり弟子たちだけなのか、あるいは『多くの人』なのか。いずれにせよ、『すべての人』とは言われていない」

 私は聞いていてハッとした。

 「父と子と聖霊の祝福」はすべての人にあるとされながらも「信ぜぬものは裁かれたり」と言われたみ言葉のことを、先週の三位一体の主日のミサの中で私は考えていたからだ。

 オルガンティーノ師の話は続いた。

「『天主デウス』はすべての人を救い、すべての人に恵みを与えようとされておられます。しかしキリストは『人の子の肉を食らわず、その血を飲まずば、汝らに生命なし』と言われました。実際の血と肉ではありません。これはパンと葡萄酒が変化したご聖体と御血の杯です。それを食べ、飲むというのは、それぞれの人の心の中にキリストを受け入れることです。聖パウロも言いました。『我らが祝うところの祝いの杯は、これキリストの血にあずかるにあらずや。我が裂くところのパンは、これキリストの体に与るにあらずや』と。しかし、この国の現状はどうでしょうか。この国の多くの人の中で、この大きな大きな都でもキリストを受け入れている人たちはここに集まった皆さん、今日はどうしても来られなかったキリシタンの方を含めても、ほんのこれだけです」

 その時、オルガンティーノ師の目がうるみ始めたのを私は見た。

「この国の人々の大部分は、まだキリストを知らない。しかし、私はこの国が大好きです。この国の皆さんが大好きです。この国は、私の嫁です」

 日本が自分の嫁というのは、オルガンティーノ師がこれまで何度も口にしていたフラゼ(フレーズ)だ。

「あなた方は誰でも、自分の嫁の命が危なければ自分の命を捨ててでも嫁を守るでしょう? この国が大好きなのに、この国の人々はまだキリストを受け入れていない。これは私にとって 心が痛むなによりのことです。ですから一刻も早く、一人でも多く、この国の人々に救いの訪れを告げなければ、告げなければ……」

 オルガンティーノ師の目から、ついに涙が筋となって流れ出した。会衆の何人かも同じように涙を流していた。

 私も泣いた。

 そして、この時、オルガンティーノ師がどれほど心から日本の国を愛しているか、痛いほど胸に突き刺さったし、私が流した涙のわけも、私も同じなのだとこの時初めてはっきりと自覚したからに他ならなかった。

 この国の人々の救いのためなら、地位も名誉も命さえもいらない……はっきりとそう自覚したといえば嘘になるが、私の中でそういった志の兆しが芽生えたことだけは確かだった。

 ミサのあとは聖体行列となる。

 何度も言うがやはりどうしても去年の高槻の、何万という人が参列した盛大なあの行列と比較してしまう。

 しかし、比較すること自体がノンセンソ(ナンセンス)なのだ。たしかに比較すらできない数十名の貧弱な行列だが、これだけの人々を『天主ディオ』は集められて、行列をお許しくださったということに感謝しなければならないと私は思っていた。

 先頭の十字架に続き、金の刺繍の天蓋の下でオルガンティーノ師が聖体顕示台オステンソリウムを胸に高らかに掲げ、それに我われ司祭団や修道士、神学校セミナリヨの学生たち、そして一般信徒の順で続く。

 天蓋の柱の一本はその土地の領主が持つことになっているが、都には特定の領主がいない。あえて言えばミカドということになるが、異教徒であるというだけでなく、この国の皇帝にも匹敵する帝がそのようなことをするなどということは言語に絶することであろう。

 そこで、その役は久しぶりに再会した都の信徒クリスティアーノ小西コニシジョアキムにお願いした。考えてみればこの国の教会のうち、領主が信徒クリスタンでない土地の教会といえば都のこの教会だけだ。もっとも神学校セミナリヨも含めれば安土もということになるが。

 行列は教会を出て左手、つまり東へ進み、四条通りには出ることなくすぐに北上して左折し、教会に戻った。

 西に行くと寺があるから避けた。あの広大な敷地を持つ本能寺だ。そしてその敷地の北東部の一角は信長殿に割譲され、信長殿がその都での屋敷に改造している。だから、そちらの方へは行かなかった。

 そしてこの行列を『天主ディオ』がよみした証しであるかのように、行列が終わった途端に雨が降り出した。行列の間は雨は待ってくれていたのだ。

 

 その夜、終課コンピエタのあと、今後の予定についてオルガンティーノ師は、

「明日一日、都でゆっくりしてから、あさっては安土へ帰ります」

 と、我われに告げた。雨は夜になってから本降りとなっていた。

「この分だと、明日も雨でしょう。様子を見て、あさって雨があがったら安土に戻ります」

 あさっては土曜日だ。オルガンティーノ師としては、日曜の主日は安土で迎えたいようだった。今、安土には修道士しかおらず、日曜のミサが挙げられない。ただでさえ安土の司祭は皆聖体の祝日コルプス・クリスティを都で迎えたため、安土の信徒クリスティアーノからは聖体の祝日のミサに与る機会を奪ってしまったことになったからだ。

神父様パードレ

 と、私はオルガンティーノ師に言った。

「お願いがあるのですが」

「何でしょう」

 気さくにオルガンティーノ師は言ってくれた。

「実は私はあともう少し、都に残りたいのですが」

 驚くかと思ったら、オルガンティーノ師は依然ニコニコ笑っていた。まるで私が言いだす内容を、あらかじめ知っていたかのようである。

「たぶんそう言うだろうと思っていたよ。信長殿の動きも気になるしな。ただ、カリオン神父パードレ・カリオンが迷惑でなければの話だが」

「私は大歓迎です」

 と、にこにこしながらカリオン師は言った。やはり叙階同期というのは何か不思議な絆で結ばれているようだ。

「ただし、首を突っ込みすぎないように」

「はい」

「どれくらいいるつもりかね」

「一週間くらいしたら戻ります」

 そこでオルガンティーノ師の許可をもらった私は、一週間という限定つきだが都に残ることになった。

 翌日は果たして雨であったが、我われは城介勘九郎殿に会うためその宿舎となっている妙覚寺を訪ねることにした。今でも信長殿は強大な力で君臨しているとはいえ、織田家の当主はもはや勘九郎殿なのだ。やはり挨拶はしておいた方がいいと皆考えていた。

 妙覚寺は教会から北へ歩いて十分くらいのところにある。まずは教会の同宿の青年を妙覚寺に走らせた。

 ところが返事は勘九郎殿は今、徳川殿の接待役で忙しく、ほとんど投宿先の妙覚寺にはおらず、徳川殿の滞在先である本国寺ホンコクジに行ったきりなのだという。

 本国寺とは妙覚寺と反対方向で、教会からだと西寄りの南、歩いて三十分ほどかかるという。教会から一番近い本能寺の、その数倍の敷地のある巨大な寺院なのだそうだ。

「我われの出番はないようだな」

 オルガンティーノ師は笑いながら首をすくめた。

「安土でお会いすることもあるだろう」

 そうは言うものの、私はこの一週間の都滞在で何とか機会を作ろうと思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る