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翌日、
ミサが始まった。我われが安土から連れてきた神学生たちがいるので何とか聖堂は埋まっていたが、これだけ巨大な町の教会にしては、集まった信徒の数は長崎、大村、豊後府内や臼杵、高槻などに比べたらはるかに少ない数だった。
それらの教会では、祭日ともなると御み堂に入りきれないくらいの信徒が押し寄せてきていたものだった。
司式はオルガンティーノ師で、説教はヴァリニャーノ師のようにポルトガル語で話し日本語への通訳ではなく、最初から日本語でされていた。
オルガンティーノ師は言われた。
「主イエズスは最後の晩餐でパンと葡萄酒を祝福しました。その葡萄酒を祝福する時の言葉は、記録した人によって違っています。葡萄酒を取って『これは契約の我が血なり』と言われたあと、マタイとマルコは『多くの人のために罪の赦しを得させんとて流すものなり』とありますが、ルカは『この杯は汝らのために流す我が血によりて立つる新しき契約なり』と伝えています。イエズス様の流した血で罪が許されるのはだれか? 『汝ら』、つまり弟子たちだけなのか、あるいは『多くの人』なのか。いずれにせよ、『すべての人』とは言われていない」
私は聞いていてハッとした。
「父と子と聖霊の祝福」はすべての人にあるとされながらも「信ぜぬものは裁かれたり」と言われたみ言葉のことを、先週の三位一体の主日のミサの中で私は考えていたからだ。
オルガンティーノ師の話は続いた。
「『
その時、オルガンティーノ師の目がうるみ始めたのを私は見た。
「この国の人々の大部分は、まだキリストを知らない。しかし、私はこの国が大好きです。この国の皆さんが大好きです。この国は、私の嫁です」
日本が自分の嫁というのは、オルガンティーノ師がこれまで何度も口にしていた
「あなた方は誰でも、自分の嫁の命が危なければ自分の命を捨ててでも嫁を守るでしょう? この国が大好きなのに、この国の人々はまだキリストを受け入れていない。これは私にとって 心が痛むなによりのことです。ですから一刻も早く、一人でも多く、この国の人々に救いの訪れを告げなければ、告げなければ……」
オルガンティーノ師の目から、ついに涙が筋となって流れ出した。会衆の何人かも同じように涙を流していた。
私も泣いた。
そして、この時、オルガンティーノ師がどれほど心から日本の国を愛しているか、痛いほど胸に突き刺さったし、私が流した涙のわけも、私も同じなのだとこの時初めてはっきりと自覚したからに他ならなかった。
この国の人々の救いのためなら、地位も名誉も命さえもいらない……はっきりとそう自覚したといえば嘘になるが、私の中でそういった志の兆しが芽生えたことだけは確かだった。
ミサのあとは聖体行列となる。
何度も言うがやはりどうしても去年の高槻の、何万という人が参列した盛大なあの行列と比較してしまう。
しかし、比較すること自体が
先頭の十字架に続き、金の刺繍の天蓋の下でオルガンティーノ師が
天蓋の柱の一本はその土地の領主が持つことになっているが、都には特定の領主がいない。あえて言えば
そこで、その役は久しぶりに再会した都の
行列は教会を出て左手、つまり東へ進み、四条通りには出ることなくすぐに北上して左折し、教会に戻った。
西に行くと寺があるから避けた。あの広大な敷地を持つ本能寺だ。そしてその敷地の北東部の一角は信長殿に割譲され、信長殿がその都での屋敷に改造している。だから、そちらの方へは行かなかった。
そしてこの行列を『
その夜、
「明日一日、都でゆっくりしてから、あさっては安土へ帰ります」
と、我われに告げた。雨は夜になってから本降りとなっていた。
「この分だと、明日も雨でしょう。様子を見て、あさって雨があがったら安土に戻ります」
あさっては土曜日だ。オルガンティーノ師としては、日曜の主日は安土で迎えたいようだった。今、安土には修道士しかおらず、日曜のミサが挙げられない。ただでさえ安土の司祭は皆
「
と、私はオルガンティーノ師に言った。
「お願いがあるのですが」
「何でしょう」
気さくにオルガンティーノ師は言ってくれた。
「実は私はあともう少し、都に残りたいのですが」
驚くかと思ったら、オルガンティーノ師は依然ニコニコ笑っていた。まるで私が言いだす内容を、あらかじめ知っていたかのようである。
「たぶんそう言うだろうと思っていたよ。信長殿の動きも気になるしな。ただ、
「私は大歓迎です」
と、にこにこしながらカリオン師は言った。やはり叙階同期というのは何か不思議な絆で結ばれているようだ。
「ただし、首を突っ込みすぎないように」
「はい」
「どれくらいいるつもりかね」
「一週間くらいしたら戻ります」
そこでオルガンティーノ師の許可をもらった私は、一週間という限定つきだが都に残ることになった。
翌日は果たして雨であったが、我われは城介勘九郎殿に会うためその宿舎となっている妙覚寺を訪ねることにした。今でも信長殿は強大な力で君臨しているとはいえ、織田家の当主はもはや勘九郎殿なのだ。やはり挨拶はしておいた方がいいと皆考えていた。
妙覚寺は教会から北へ歩いて十分くらいのところにある。まずは教会の同宿の青年を妙覚寺に走らせた。
ところが返事は勘九郎殿は今、徳川殿の接待役で忙しく、ほとんど投宿先の妙覚寺にはおらず、徳川殿の滞在先である
本国寺とは妙覚寺と反対方向で、教会からだと西寄りの南、歩いて三十分ほどかかるという。教会から一番近い本能寺の、その数倍の敷地のある巨大な寺院なのだそうだ。
「我われの出番はないようだな」
オルガンティーノ師は笑いながら首をすくめた。
「安土でお会いすることもあるだろう」
そうは言うものの、私はこの一週間の都滞在で何とか機会を作ろうと思っていた。
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